近年、大阪市内を中心に、鉄道の新線開通が相次いでいます
JRでは、関西で久々の新線となった『おおさか東線』が昨年(2008)開通しましたが、Wo的に一番の大ニュースだったのは・
これまで、必ずどこかで乗換えしないと行けなかった、『兵庫県⇔大阪ミナミ』を直接結ぶ、阪神電車なんば線が開通した事です
これは関西にとって久々の鉄道ビッグプロジェクトの実現だと思います
この阪神なんば線、半世紀前からに遡る長い構想と、数々の紆余曲折の末開通した"難産路線"でもあります。どんな路線なのか、初乗車してきました。ではスタートします
なんば線の始発・↑阪神尼崎駅です
この日の前日が雨だったんですが、雲間から雨上がりの澄み切った空が広がる、尼の朝になりました
改札内通路には、↑阪神なんば線ホームへ誘う案内板
行先には"名古屋・伊勢志摩方面"への表示も。近鉄と繋がった事が実感できます
一方、反対方面は、既に以前から相互乗入している山陽電車線の"明石・姫路方面"の表示
自社路線は大手私鉄中で最短の阪神ですが、見事な相互乗入れ戦略で、ワイドになってゆく阪神電車を象徴する駅になろうとしている、尼崎駅です
駅に貼ってあった、↑大阪府・橋下知事と大阪市・平松市長が同じデザインで"大阪復活"をアピールするポスター
リーマンショック以来低迷がつづく関西経済ですが、この阪神なんば線開通が活性化に一役かえばいいと思います
早速目に入ってくる、↑近鉄の新塗装車
・一方、阪神電車を代表する車両といえば~
↑の急行車用"赤胴車"です。
しかし、なんば線開通の3/20以降、尼崎駅の主役となったのは↓
↑あずき色でおなじみ、ついに兵庫県への乗入を果たした近鉄電車です
その上、阪神大震災後に↑直通特急で梅田まで乗入れを始めた山陽電車も入り、もうどこの電鉄会社の駅かわからない様相の阪神尼崎駅^
尼崎駅で仲良く並ぶ、↑山陽電車の直通特急&近鉄の快速急行
ひと昔前には夢物語だった光景が実現しています
なお、近鉄~阪神の相互乗入は、奈良線への急行を中心に行っています。大阪線への直通車は2009現在はありません。
関西私鉄らしい、芸の細かいところをひとつ
↑"快急"の表示、近鉄の快速急行は"赤地・角ゴシック"で表示していますが、阪神線内では、阪神に合わせ"青地・丸ゴシック"の幕を用意。これは僕凄いと思います
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場面かわって、ここからは沿線をみていきます
阪神なんば線、阪神尼崎~近鉄難波間の約10kmを結んでますが、このうち新開通したのは、この後ご覧頂く西九条~難波間の地下線区間です。
西九条~尼崎間は、『阪神西大阪線』として従来からあった線を、近鉄乗入に対応するため改造し、なんば線に編入した区間です。
旧西大阪線区間は地上を走っています。
このうち、淀川を渡る橋梁は特に、西大阪線の名残を残している見所です。途中下車して歩いてみます
淀川に架かる↑新淀川橋梁、長大な鉄橋です(※福~伝法間)
並行して、国道43号の伝法大橋も架かっています。
新淀川橋梁の東詰にある、↑伝法駅で途中下車します(※大阪市此花区)
実は僕、この伝法付近で過去住んだ事があります。その頃の旧西大阪線は、4両編成の普通車が西九条~尼崎間を折返し運転するだけの"ローカル線"でした。まさかこの橋を近鉄電車が渡るとは、隔世の感です
ちなみに西大阪線、尼崎~伝法間は"伝法線"として、1924(大正13)年開通という歴史を持ちます。戦後、この線を活用して難波まで延伸し、近鉄や南海との連絡輸送を行う構想を阪神は思い付きました
しかし、伝法から東方への延伸は困難を極めることになります。
西大阪線の沿革、続きは又後程、新開通区間で
せっかく来たので、"伝法・ミニ街ブラ"をしてみます。実は伝法、大げさに言えば"大阪発祥の地"とも言える歴史も秘めた街です。早速歩きます^
この"伝法"という地名の由来ですが、淀川の河口近くに位置するこの地には、江戸期まで大阪を代表する港があり、古くは遣唐使もここから上陸して、奈良/京都に向かったとの事です
遣唐使は大陸から、仏教をはじめ様々な文化を、この伝法から日本へ上陸させ、列島各地へ伝えました。伝法の"法"とは仏教の"経典"から由来し、法が伝わってきた地なので『伝法』との名が残っているとの事。実は超ド級の歴史深い地です
(※但し、仏教伝来の地には諸説あります)
ここ伝法は太古、日本の玄関の一つだったんです
しかし明治になり、新淀川改修の際、港は現在の天保山に移転し、海からの玄関としての機能は消滅、静かな下町となっていますが、往時の名残で寺社が大変多く見られるのも伝法の特徴です。
伝法駅近くに、↑澪標(みおつくし)住吉神社があります。この神社には"大阪のシンボル"があります
それとは~
鳥居の横に建っている↑の標識、大阪人なら必ず見覚えある"みおつくし"(※澪標)です
遣唐使の頃から、なにわの港に航路を示す標識として立てられていたものです。ご存じ、現在大阪市の市章になっています
同社は海の守り神として古来から崇められ、澪標の本元のような存在ともいえます
狛犬の表情が↑かわいい^
写真ではわかりにくいですが、賽銭箱にも澪標があしらわれています。
知られざる歴史を秘めた伝法、さらに歩いてみます
さらに歩くと、チョコレートの甘~い香りが漂ってきます
西日本では有名な菓子メーカー、カバヤ食品の工場があります
(※2009当時)
そして、カバヤの隣には・
洋館建ての古い建物があります。
この建物、ゼネコン・鴻池組の旧本店です。
ここ伝法が創業の地だそうで、2009現在資材センターになっている敷地内に、旧本店が保存されています。
そして、伝法の数ある寺社の中でも、特筆しておきたいのが↑ここ、伝法山 西念寺です(※浄土宗)
なんと創建年が、アノ大化の改新があった645年だとの事
"なにわの船寺"と呼ばれる西念寺、航海の安全を祈願する寺院だったとの事ですが、同寺はかつて、伝法港に着いた外国使節の接待を時々の政権から委嘱されていたといい、江戸時代に鎖国となるまで、この寺がいわば、"外務省大阪出張所"的な存在だったとの事です(驚)
明治になってからも、学制開始当初ここに小学校が設置され、まさに千年に亘って地域の中心だったお寺です
↑法然上人旅立ちの像
同寺には、菅原道真等、数々の聖人も足跡を遺しているという事です
伝法の港に上陸した世界の文明は、ここから東海道や西国街道等を経て、日本全国に伝えられていきました。伝法地区がある此花区には、今やUSJが出来て世界から観光客を迎えていますが、太古にもこの地には実は、世界から人と情報が渡来していました。
知られざる歴史の地、伝法でございました
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ここからいよいよ^、今回新開通した区間へ入ります
西大阪線/なんば線の沿革も、併せて纏めながらみてゆきます。
伝法駅の東隣は千鳥橋駅。そしてその次が、JRと接続する西九条駅です。
↑の跨線橋は、野田阪神からUSJ方面へと走る北港通です
西大阪線は長年、千鳥橋まででした。
千鳥橋~西九条間の工事は急カーブな線形の上、住宅や店舗の密集地を通すため建設が難航し、国鉄大阪環状線の開通と相前後して、1964(昭和39)年に延伸開通しました(※この時に伝法線から西大阪線に改称)
西九条駅延伸の実現によって大阪環状線と接続した西大阪線ですが、この時点で既に阪神は、難波までのさらなる延伸を目論んでいました。そのため、高架で開通した大阪環状線のさらに上を跨がせるため、↑のような高い高架線で建設しておいたんです
↑阪神西九条駅です。その右側に見えている階段が、JR大阪環状線駅の入口です
そのJR駅、階段に↑"奈良へはJRで"というステッカーをベタベタ貼ってました^
奈良までの直通を果たした阪神なんば線。JRにしてみれば、それまで"単なる支線"だった旧西大阪線が"ライバル路線"に大化けした訳で、梅田~奈良直通の快速を国鉄時代から走らせているJRは、ただでさえ競争が激しい関西鉄道でさらに競争相手が増えてしまいましたw
一方、阪神では西九条駅乗換で、JR桜島線のUSJ駅まで乗れる企画切符を発売していて、JR/阪神、ことUSJに関しては"微妙な協力関係"にあるようです
大阪市バス名物、↑"赤い100円バス"が駅前に停まってます
(※2009当時)
表示看板類のデザインや↑文字フォントを、阪神はなんば線開通とともに一新しています
この西九条駅、西大阪線開通当初から、難波までの延伸を見越しての設計となっていて、ホームも2面相対式でつくってありました。
↑の、なんば方面階段への踊り場は長年閉鎖され、資材置き場とかに使っていましたが、難波方面行ホームへ改装、開通半世紀でようやく陽の目を見る事となりました
↑西九条駅ホームですが、西大阪線時代は4両しか入らなかった駅ホームを、なんば延伸に際し10両分に延伸する大改造工事を実施。僕もそうですが以前の駅を知っている人は、倍以上に伸びたホームに「長げぇなぁ~!」と率直に感じる光景ですw
難波行が入ってきました!
ここからは僕も初の世界です^
西九条駅はJRの高架を跨ぐ"高々架"の高さになっていると前述しましたが、その西九条駅から東方へ、安治川を渡った後、一気に地下へ潜っていきます。まさに"坂落とし"の様相で、凄い勾配です
↑よくわからない写真ですが、地下へ入って最初の駅、九条駅から地上へ上ったところです
九条では、地下鉄中央線と接続します。
九条駅で降りたのは、地上から地下に入っていく部分がどうなってるのかをご覧頂くためです。
駅から少し歩くと~
鉄道というより、↑高速道路の防音壁のような壁が続いてますが、この中に阪神なんば線が入っています。
市街地なので、何らかの騒音対策するのはどこの鉄道でも同じですが、なぜ阪神なんば線はここまで厳重にしているのか、理由があります。
ここで、西九条~近鉄難波間の建設経緯について纏めます
この阪神なんば線、冒頭前述の通り、構想から開通まで約半世紀もかかりました。これには3つの原因があったと言われています。
まず1つ目は、莫大な建設費。
既に市街化されている大阪市内、新線を通すのに必要な巨額の費用をどう捻出するのか、長年進まなかった一番の原因はこれです。
最終的に、駅や路線設備は大阪市や阪神電鉄等が出資する3セク・『西大阪高速鉄道』が保有し、運営を阪神に委託する、上下分離方式とする事でようやく決着しました
2つ目は、技術的な問題。
西九条駅の高々架から、九条駅の地下まで一気に潜らせるこの区間、その間には川(※安治川)が流れていて、そこをどう越えさせるのかがネックになっていました。又、急勾配となるため昭和期の通勤用車両では性能面での不安もあったとの事
そして3つ目、ここ九条の人々の建設反対運動(※主に騒音を危惧されていた)も大きな原因だったといいます。そのため、先程ご覧頂いた、新幹線でもここまでしてないような厳重な防音壁を設置する事で、ようやく開業の同意をとりつけたと思われます。
前述の通り、西九条まで延びたのが前回東京五輪の年、1964年でした。以来苦節半世紀、平成に入りUSJや大阪ドームのオープンといった大阪市西部地域の発展という背景も後押しし、2009年、ついに難波までの全通に漕ぎつけたという訳です
西九条~九条間には、前述の通り安治川が流れています。
なんば線の橋がチラッと見える、↑源兵衛渡の交差点
昔の渡し舟の名が残っています
この橋と並行して、安治川の地下を貫通している人道トンネルがあります。両岸にEVがあり、それで地下に降り、河底トンネルを歩いて渡ります
地下の新線区間には、途中3駅が新設されました。
九条の次は、↑ドーム前駅
駅名の通り、大阪ドーム球場最寄り駅のため、波動輸送に対応するため広々とつくってあります
ホーム中央部は天井が高くとってあり、近年開通する全国の地下駅は手狭な感じが多い中、ゆとりも感じられます^
壁に張られたレンガが落ち着いた雰囲気も出しています
改札階から見ると、↑な感じ
かなり天井が高いのがわかります。
初めてこの駅へ野球観戦に降り立つ乗客は、「案外広い駅やなぁ」と思うでしょう^
2009現在は京セラがネーミングライツを契約、"京セラドーム大阪"です。地下鉄長堀鶴見緑地線もここに駅があります(※JR大正駅からも徒歩可)
元々ここは大阪ガスの事業場だった土地で、現在もドームの裏手にガスタンクが一部残ってます
↑"大阪ガス発祥の地"の石碑も。
ドーム前の次は、↑桜川駅
この付近は千日前通の地下で、地下鉄千日前線と並行しています。
ごく標準的な地下駅ですが、同駅では鉄ちゃん必見の"ある光景"が見られます。
それとは・
近鉄特急の回送車が、↑やたら頻繁に通過していきます。
現在近鉄と阪神で相互乗入れを行っているのは奈良線の急行等のみで、近鉄特急の阪神乗入はまだ実現していません。
なぜ桜川で見られるのか?理由は↓です。
ホーム西端から、↑神戸方を覗いてみると、分岐して引込線が
近鉄はこれまで難波が終点だったので、駅西方に折返し線がありましたが、阪神なんば線が接続した事で、ここ桜川駅の西方へ折返し線を移設しました。なので、"なんば線への特急乗り入れ"が桜川駅までだけ実現(?)したんですw
そして、桜川駅を出た電車は、突如↑昔から見慣れている近鉄難波駅にすべり込みます^
(※現在は『大阪難波駅』に改称)
構想半世紀、ついに実現した、阪神/近鉄の相互乗入
これにより阪神は、関西私鉄で唯一、大阪の2大都心"梅田&難波"の両方へ乗入れるルートを得ました。
さらに近鉄と山陽を通じて、姫路から伊勢志摩/名古屋までの広大なネットワークを構築。並々ならぬ執念で、半世紀かけて構想を実現させた阪神電鉄の戦略、凄いの一言です
(2020.5 2024.2 文一部修正)