今作は当別荘初、和歌山県の私鉄を訪ねます^
大阪からJR阪和線で約1時間、JR和歌山駅に到着
(※関空行は途中の日根野駅で切離し)
和歌山駅到着と同時に、車窓から発見したのは、久々に見る懐かしい車両、103系です
国鉄型通勤車で最も多く製造された103系、既に半世紀近く活躍、関東ではもうとっくに引退している車ですが、財政的に厳しいJR西日本ではまだまだ現役です^(※2009現在)
(※2024追記:JR西でも、ごく一部を除き引退。1号車が京都鉄道博物館で保存されています)
ではこれから、JR駅と共用している、私鉄へ乗り換えます。
和歌山電鐵です
和歌山電鉄のホームは、JR駅と地下通路で繋がっています。
↑地下通路から、9番ホームへ上がると~
ホームには、↑賑やかにラッピングされた電車が停まっています。
猫の絵が一面に描かれています
キップはJRから改札内乗継の場合、ホームに窓口があって購入できます。僕は↑一日乗車券にしました
スクラッチを削って日付を表示する方式で、窓口のおばさんから、
「今日は私がけずっちゃ~るから、降りしなに運転手さんにみしてよ~」と、早速和歌山弁の洗礼を受けるw
(※標準語訳:今日は私が削っておいたから、降りる際運転手さんに見せて下さい)^
早速乗ります。
この電車の名は・
『たま電車』といいます
同電鉄のキャラクターである"猫のたま"を車両全体にデザインした、ラッピング電車です。
先月(2009.3)、在来車をリニューアルしてデビューしました
この後ご覧頂きますが、内部も大幅に改装されています。
この和歌山電鐵ですが、JR和歌山駅から東方向へ延びる、全長14.3km、単線電化のローカル私鉄です
かつては『南海電鉄貴志川線』でしたが、2006年に南海から経営分離され、独立社になりました。
その経過の概略を纏めておきます↓
地方私鉄の御多分に漏れず、厳しい経営だった貴志川線。
元々、南海の他線と繋がっていない"孤立路線"だった事もあり、南海は2003年、経営から切り離す意向を地元に示しました。
すなわち、事実上の"廃止通告"でした
『えらいこっちゃ!』と、地元の方々は存続運動に動きます。
数々の方策が検討されましたが、結果は岡山市にある路面電車会社・岡山電気軌道(※両備バスグループ)が、子会社を設立して経営を引き継ぐことになり、2006年より新生・『和歌山電鐵』として再スタートしました
新会社は経営継承後、1日乗車券の発売や、"猫の駅長"(※この後詳述)等、集客のため様々な新企画を出し、南海時代の停滞した雰囲気からの脱皮を図りました。車両も3編成をラッピング電車にし、従来の貴志川線のイメージから大脱皮しました
いちご電車/おもちゃ電車に続き、今般登場したのが冒頭写真の"たま電車"です
中でも、和歌山電鐵で最もヒットした(※現在進行形)企画が、ご存じ、『駅長ネコのたま』です
終点の貴志駅にいます。
現在、猫駅長からさらに昇進し、役員待遇(!)に就任しているたま。これからたま電車に乗って、会いに行きます^
座席や床はもとより、つり革まで"たまデザイン"に改装されています
これは凄いわ・^
デザイン監修は、JR九州等を手掛けている事でも有名な水戸岡氏の手になるものです。
のれんの横には、↑絵本を集めた文庫が。
元通勤電車に、本棚を付けるという発想が凄い
中吊り広告には、たまをデザインしたイラストが吊ってあります。和歌山弁で言うと「ぶらくっちゃ~らいしょ」でしょうか^
車両の中には、↑タマの檻も設けてあり、特別なイベントの時にはこの中にタマが乗り、"お召し列車"(?)となるようですw
日除けカーテンを降ろすと、そこにもタマの模様が・
そして側面には、タマのランプ
ホント、徹底して凝っています
乗り込んだ瞬間、思わず表情がやわらぐような電車です
運転していたのは、おそらく南海電鉄の頃からず~っとこの貴志川線を動かしつづけてきたであろう年配の運転手さん。電車にこんな模様替えをする時代が来るとは思ってもみなかったでしょう
車内には、↑『貴志川線サポーター』として、地元を中心に募金を寄せた人のお名前がプレートになっていました。こういう地元の熱意があったからこそ、貴志川線は廃止の危機を乗り越え存続しました。
忘れてはいけないのは、たま一匹だけが貴志川線を救ったのではなく、地元の地道な熱意が、結果として"たま"を生んだ、という事だと思います
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和歌山駅を発車して、約30分程で~
種車は旧南海の2270系で、経営引継時に南海電鉄から無償譲渡されました。
南海電鉄で長年、通勤用に使われていた車、よくここまで化粧直ししたなぁと感心します
木造のホーム上屋がレトロな貴志駅(※2009当時)
そこに停まる最新デザインの「たま電車」
では改札を出て、本物のたまに会いにいきます
かつての改札口を改造した、↑"たま駅長室"^
普段は、この中にたまがいます
なお貴志川線は、和歌山駅/車庫のある伊太祁曽駅を除き、全駅無人化されています。
たま駅長室の前には電車が到着する度、↑沢山の人だかりが出来ます。
いました!
↑貴志駅長・たまです^
駅長室の中は2段に分かれていて、下段にたま(※三毛猫)と、母親の『ミーコ』、そして上段に、『ちび』、計3匹がいます
たまが"スーパー駅長"(※2009時点)、そしてミーコとちびの2匹が助役という管理体制で^、この貴志駅を守っています
駅長さんの帽子をかぶった↑たま、母親のミーコと仲良く熟睡中でした^
ちなみにこの、たま等の3匹、特にイベントで出てくる時以外は原則、この駅長室内にあるので、触ることは出来ません
母親は↑起きているようですが、たまは乗客そっちのけで爆睡w
お!母親ミーコが起きあがって巣から出た!
シャッターチャンスw
しかしたま、↑全然起きませんw
連日の見学客の相手に疲れきっているのか、それとも駅長らしくドッシリと構えているのか・^
(※起こそうとして、駅長室のガラスを叩く事は厳禁されています)
駅長さんの帽子に、↑毛がついているのも愛嬌です^
↑貴志駅外観です。
(※2020追記:この作upの翌年、駅舎が建替えられ、たまを象ったデザインになったそうです(!)
実はたま、元々はこのお店で飼われていた、どこにでもいる三毛猫でした
南海から和歌山電鐵に経営が代ってしばらくしたある日、同駅を訪れた和歌山電鉄の社長の目にとまった『たま』、ピンときたアイデアマンの社長は、"猫の駅長"に任命しました。
その時から、たまの人生(猫生?)の歯車が、思わぬ方向に廻りだします
この猫駅長をひと目見ようと、鉄ちゃんのみならず、全国から観光客が訪れるようになりました
乗客は増加に転じたばかりか、たまがこれまで和歌山県/和歌山市にもたらした経済効果は約15億円とも言われ(!)、まさに"招き猫"という存在です
店内には、パンやお菓子に混じり、↑"たまグッズ"も^
又、店内には↑たまに対して授与された賞状や辞令等が沢山掲げられています。
和歌山県からは、"勲功爵"という位も贈られています^
和歌山電鉄社長は、たまの集客力に対してこう言ったそうです。
「まさに、"たま様"」
和歌山電鐵から発令された、↑"スーパー駅長"(※人間の駅長より上の地位だそうです)の辞令
(※2020追記:たまはその後、ウルトラ駅長→さらには『社長代理』にまで昇進(驚)。まさに同電鉄の救いの招き猫となりましたが、2015年に死亡しました。後任に、2代目猫『ニタマ』が駅長に就任したとの事)
貴志駅から、↑街中を見たところ。紀の川市は、旧那賀郡5町が併合、平成大合併時に誕生した市です。文字通り紀ノ川の流域に位置し、西には和歌山市、東には高野山を仰ぎます
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折り返し、和歌山駅方向に戻ります
戻りは、本社/車庫のある伊太祁曽駅で途中下車します。
↑南海時代の名残が感じられますが、これら一般塗装車も今後順次、和電オリジナルカラーにしていくとの事です
路線のちょうど中間あたり、離合線がある、同線では一番大きな駅に到着。
伊太祁曽(いだきそ)駅です。難読駅です^
前述の通り、本社と車庫がある主要駅です。
ホームから車庫が見えますが、残念ながら普段の一般見学は受けていないとの事です
本社があるとはいえ、駅の佇まいはロ線そのものです
車庫に、↑いちご電車が留置してありました
この日いちご電車はお休みのようです^
脇の田んぼには、久しぶりに見るレンゲソウが咲き乱れています
なお、もう1編成のデザイン電車、"おもちゃ電車"は定期点検で工場の中で、この日運用されていたラッピング車はたま電車だけでした。
熊野古道が、このあたりに通っていたそうです。
紀州の歴史をさりげなく感じさせてくれる街です
神社境内には、↑古墳がありました。
その名も『伊太祁曽神社1号墳』といい、6世紀の古墳だそうです(※和歌山市指定史跡)
8世紀には既に創建されていたと伝わり、続日本紀にも記述があるという古社です。
↑本殿です。
同社は、"木の神様"としても崇敬されてきました
↑の木は、幹の穴をくぐると厄除けと幸福を得られるという、御神木です。僕もくぐらせてもらいました。
紀の国は"木の国"ともいう位、森と山が深い所ですが、まさにそれを感じさせてくれる神社でした。
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↑駅名標のデザインや文字は、まだ南海時代のままです。
和歌山電鉄のキャッチフレーズは、"日本一心豊かなローカル線になる"です。
"招き猫・たま"という強力なキャラクターを得た和歌山電鐵、これからも多くの乗客を招いて、様々な企画でより多くの人に訪れてもらい、元気に走り続けてほしいと願っています
締めは駅前で、和歌山ラーメンを頂きました^(※美味)
(※2020.6 2024.2 文一部修正)