2009年が始まりました。当別荘、足かけ3年目に入ります。
そんな大事な節目の、年明け第1発が「た」シリーズというのもナンですが・w
昨年から始めました「た、現る」シリーズ。「た」なる謎のオジサンが関西から度々上京し、彼がセレクトした場所で街ブラするという企画です。はたしてこんなものをブログで世に出していいのかという根源の自問もあるんですがw、今の時点で編集が終っているのがこの作だけなので、年初早々恐れ入りますが、早速スタートします^
昨年末、関西から又、アノ男が来襲
呼んでもないのに、はるばる東京まで来てくれたので、Wo宅に招き鍋をふるまう。美味しそうに鍋をつつく「た」
日本酒の飲み過ぎか旅の疲れなのか、↑コップを持ったまま寝落ちしている迷惑な「た」
大晦日の中華街、沢山の人出で賑わっています
唐辛子のストラップを売ってる店が多いような気がしました
僕は中華街2年ぶり位に来たんですが、この日中華街で多く見かけるなぁと感じたのが、天津甘栗を売る店
「た」の見立ては、「中国で栗が獲れ過ぎて余っているのではないか」との事w
中華街の真ん中にある、↑関帝廟
古代中国・漢の武将、関羽を神格化して祀る廟ですが、日本でもここ横浜のほか、神戸や長崎等、華僑が多く住む街に建立されています。華僑の方々にとって心の拠りどころです。
武神/商売の神である、関羽等の諸神を祀っています。
廟の屋根の装飾が↑精緻で鮮やか、まさに"中華風"
中華街メインから外れた通りにひっそりと立つ、↑"新聞発祥の地"記念碑。
"日本初"の事柄が多いミナト横浜ですが、日本で初めて新聞が発行された地でもあります
その、日本初の新聞の発行を主宰したのが、この碑に刻まれた『ジョセフ・ヒコ』、日本名・浜田彦蔵です。
ヒコは兵庫県に生まれ、幕末に渡米。新聞に限らず様々な先進の文化を見聞して帰国し、開国直後の日本で大きな役割を果たしました。
彼は米国滞在中に洗礼をうけ帰化、"外国人"として帰国しました。米国では数々、貴重な体験を重ね、『日本人で初めて鉄道に乗った/リンカーン大統領と会見/日本人初、写真に写った』(※諸説あり)等、数々の"日本人初の体験"をしています
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山下公園でまず目に飛びこんでくるのは、↑氷川丸の船体
この氷川丸、1930年に建造された貨客船ですが、戦前は太平洋航路を往来した豪華客船として、憧れの的でした。
戦時中は旧海軍から"病院船"として徴用され、終戦直後は引揚げ船として使われた後、講和後に太平洋航路への復帰を果たしました
戦前の大型船の中では戦災を免れた数少ない貴重なもので、現在は国重文に指定されています
1960(昭和35)年に引退。
その後↑横浜港で係留されて余生をおくっていますが、引退当初はユースホステルとして利用されていた時期もあったとの事。ユースとしての運営終了後に修復/原状回復を行い、2008年より現在の形で見学に供されているとの事です
スリムで優美な船体です
前述の通り、戦中戦後は病院船や引き揚げ船としても使われた、いわば戦争の生き証人でもある氷川丸。現在は山下公園を訪れる人々に、その重い歴史を無言で語りかけます
冬晴れの穏やかな大晦日。↑山下公園を気持ちよさそうに散歩する「た」
沢山の人が散歩を楽しんでいる山下公園、ここで「た」はなぜか、僕に"山公トリビア"のクイズを出題し始めるw
#例えば、『山下公園は、何がきっかけで造成されたか?』
↑答えは、『関東大震災のガレキが沢山出たので、それを埋め立てた用地でつくった』との事らしいです
なぜかこういう事について部分的に詳しい「た」(謎)
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中華街・山下公園の散策を終え、↑JR石川町駅に戻ってきました。
次に行ったのは・
猫好きの「た」に連れていかれたのは、同駅からすぐの雑居ビル内にあった"猫カフェ"
猫カフェでくつろぐ↑「た」w
ここ、靴を脱いでカーペット敷の店内に上がるスタイルで、ゆっくりできる雰囲気です
同店のメニュー、ドリンクの種類も多く、アルコール類までありました。ちなみに「た」が持っているのはワインです
猫と遊んでいる、というより、↑遊ばれている「た」w
いろんな品種の猫、約20匹(?)くらいがいました。
癒しのひと時です
しかし全ての猫が愛想いいのかというと、そうでも無くw、ニャンコたちは基本、好き勝手に部屋の中を動き回っているだけです。まぁ猫の習性が元々そうなので、致し方ないんですが・^
又、猫カフェでひとつ気を付けたいのが"料金"
飲食物の料金はまぁ妥当な額で、「こんなもんかな」と言う感じでしたが、要注意なのが"時間料金"、滞在時間でタイムチャージがかかります
ニャンコがかわいくて、時間を忘れてつい・とならないようにしないと
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横浜をあとに、都内へ戻ってきました
「た」の一番の楽しみ、夜の打ち上げです
ここで「た」、居酒屋のお姐さんに「携帯の充電させて下さい!」と身勝手なお願いをし、速攻で断られてましたw
「た」帰りの新幹線の時間が迫ってきました。元日予定があるので、夜中までに関西へ戻らないといけないとの事
「大晦日をもう1日増やせ!」と訳の分からない我がままを言っている「た」
なんとか最終新幹線に間に合うよう東京駅に連れてきました。まだ酔った勢いで意味不明な事を色々つぶやいてましたが、うるさいのでw無理矢理改札口へ押し込み、首都から追放しましたw
ようやく新幹線で帰途につく「た」
年末の東京に平和が戻りました^
2009年、「た」はどこに現るのか!というか、このシリーズを今後も続けるのか?wそれも含めてお楽しみに^
(※2021.10 2024.2 文一部修正)