vol.38 会津ツーリング2008③(終) 会津若松~猪苗代湖畔~帰途へ 若松城 野口記念館他 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 会津ツーリング2008、最終回です汗

 

前作までのシリーズで、奥磐梯の湖や喜多方の街、旧日中線の熱塩駅跡等を訪ねてきました。今作では会津の中心都市・会津若松市を訪ね、その後猪苗代湖畔を走りたいと思います^DASH!

 

喜多方市を出発、Wo号に跨り会津若松市へ向かいます馬

喜多方~若松間は約15km程、その途中で磐越西線・笈川駅に寄ってみます電車


片面ホームのみの小さな無人駅・笈川(おいかわ)駅ですが、同駅には"運行上の特徴"があります。

それとは~

磐越西線の会津若松~喜多方間には、途中5駅あります。

しかしその区間で、普通列車が全て停車するのは塩川駅だけで、この笈川を含むあとの4駅は普通も大半が通過し、朝夕数本しか停まらないんです(※2008当時)

↑が笈川駅の時刻表です。日4本のみですあせる

塩川停車の普通列車は毎時1本程通っているんですが・叫び

 

こういう駅、国鉄時代には全国で散見されました。

例えば、四国・予讃線の高松~坂出間が国鉄時代はこういう感じで、一部の駅を除いて普通列車の大半が途中駅を通過する光景がみられましたとかげ

 

しかしJRになってからこういったダイヤの見直しがすすみ、需要の見込める駅については全列車を止め、逆に廃止される駅も出る等、整理がすすみました。北陸線・米原駅の隣駅、坂田駅もこのタイプの駅でしたが、新快速長浜乗入に際して全列車停車となり、"新快速停車駅"に大躍進した等の例もあります星

 

この磐越西線のような、国鉄時代そのままの運行形態が現存しているのは全国的にも珍しくなりました。ただ、僕が現地で見た限りは周囲に住宅もけっこう見受け、ダイヤも過密というような状況でないので、利用促進のために普通は全列車停めてもいいような気もしますが・あせる


そんな事を思ううち、たまたま↑日4本の列車が入ってきました^

稲穂が実る秋の田に、ディーゼルのエンジン音が響きますDASH!

喜多方まで電化されている同線ですが、若松から新潟方面に直通する車はDCが使われています電車

 

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Wo号、会津若松市内に入りましたカエル

↑は市街中心部ですが、駅は繁華街と少し離れて位置しています。

 

そして会津若松きっての名所といえば・

↑ご存じ、若松城(※一名・鶴ヶ城)です星

築城は南北朝時代とされますが、明治初年に破却。現在の城は、1965(昭和40)年に復元されたものです。

南北朝時代には蘆名氏の居城だった同城、その後豊臣秀吉の世となった時に近江から転封してきた蒲生氏や、会津松平家等、城主は時代と共に変遷しました。

そして、幕末に勃発した戊辰戦争により、旧幕軍についていた会津藩は新政府軍に攻撃され、同城は落城。新選組が戦った地の一つである事でも知られます。新政府軍の勝利により、鶴ヶ城は政治の舞台としての歴史を終えましたもみじ


明治維新とともに破却された若松城ですが、明治の廃城令によれば"存城"とされ、発令後すぐには解体されなかったそうです。城跡は、全国の城郭と同様に陸軍の管轄となり、その後"兵営に不要な建築物は除去すべき"との下達があり、破却となりました。一部の櫓や部材は移築され現存するものもありますベル

又、城跡敷地は後年、地元の篤志家が保存しようと買い取り、城郭が今に伝わっています。↑夕空に映える、美しい鶴ヶ城ですキラキラ

 

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若松市内で泊り、翌日・


朝、若松を出発、↑国道49号をすすみ、猪苗代町へ入ります馬

猪苗代湖が見えてきました目


湖畔の↑長浜駐車場にWo号を停め、しばし湖を見ながら休憩しますコーヒー

ハイシーズンには、ここから遊覧船も出ているとの事船

各地の湖にありがちな、↑スワンの形です^ヒヨコ


この日は少し曇りがちでしたが、見通しはよく、猪苗代湖がきれいに見渡せました^目

猪苗代湖は面積約100㎢、日本の淡水湖では4番目の広さとの事ですうお座

↑対岸の山並みが美しい霧

この猪苗代湖、残念ながら磐越西線の車窓からはなかなか見えづらいんです(※一瞬チラッと見える所はあります)

この湖を堪能するなら、車/バイクで来るのがよいと思います^宇宙人


湖畔にあった↑セブンイレブンコンビニ

景観に配慮して、看板が原色を控えた色調にしてありました。京都等の景勝地でも見かける例です。

 

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そしてこれから、"猪苗代で偉人といえばこの人!"という記念館を訪ねようと思います。

ご存じ、野口英世です星


国道49号沿い、湖にほど近く、↑野口記念館があります。

(※Pあり)駐車場


苦学の末科学者となり、黄熱病の研究に生涯を捧げた野口英世。

彼の生涯を、年表と数々の資料でわかりやすく展示メモ


野口英世(1876-1928)

当地・猪苗代に生まれ、彼天性の能力と努力、そして周囲の支えにより、伝染病研究をライフワークとします。その成果は今更ここに書くこともありませんが、秀逸な学者だった半面、清国(※現中国)へペストの研究で渡航する費用を、出発前に遊びで使い果たしたという豪快な一面wもあったそうですあせる

↑左下のほうにある小さい写真、わかりにくいですが1000円札に採用された肖像画の元になった写真ですカメラ

 


↑の絵ですが、野口はなんと11歳で、通っていた小学校の"教師"(!)になったとか目

やはり偉人は違います(驚)

後に渡米し、さらには研究の場をアフリカへ移し、↑ガーナで黄熱病の研究に取り組んだのはご存知の通りです。

しかしそのガーナで、彼自身が黄熱病を罹患、51才の若さで客死した事も、これまた有名です。

↑は朝日新聞が2000年にとったアンケート、"日本一の科学者は誰か?"で、野口英世がダントツのトップを取ったという記事本

やはり、お札になる人は別格です宝石赤

彼の才能を見抜き、数々の援助を与えた小学校の恩師、↑小林先生。彼が英世の才能を見出していなかったら、今日の野口英世は無かったかもしれません。恩人中の恩人といえます星

彼は日本で初めて、↑カラー写真に写った日本人であるとされていますカメラ


又、野口の一面として、絵や書道にも堪能だったとの事サーチ

↑は彼の座右の銘、『忍耐』の書(※野口直筆)

ホント達筆ですキラキラ

この他にも、同館には彼が描いた油絵等も展示されていました。

上の書もですが、もはや"科学者の余暇の趣味"の範囲を越え、かなりの線を言ってると思います。やはり"天才"って、いろんな才能を秘めているものなんでしょうかロボット

そして、英世のエピソードで忘れてならないのが、↑"母・シカさんの存在"です。


↑は、そのエピソードを代表する、『母から英世への手紙』

その手紙(実物)と拡大した文字、それと現代語訳が展示されていました。

「はやく帰ってきて下され」と繰り返す朴訥とした文章、手の届かない存在となって海外に渡った息子に、切々と訴える母の気持ちに、思わず感涙します汗

 

なお英世は、渡米してから1度帰国し、母と再会して、関西旅行へ連れていく等の親孝行をする機会が一度だけあったそうです。

 

JR東日本の↑猪苗代観光のポスターを貼ってましたが、野口の"母と息子の愛"がテーマになっていますグッド!


彼の偉業を次代に伝える、↑伝記の数々も所蔵。

数多くの出版社が彼の著書や伝記を出しています本


充実の展示で堪能しました。

 

次は屋外展示ですが、館の外には・

屋外には、英世の生家が↑完全保存されています(驚)

生家の上にはさらに↑上屋が設置され、雪や雨から守っています。


なので、保存状態は大変良好ですベル

明治時代の農家が、これだけ完全な形で屋外で現存している事自体が貴重だと思います。

↑正面、右のほうにみえる開口部が『厩(うまや)』です馬

屋内へおじゃまします。

↑囲炉裏ですメラメラ

幼少期の英世が、ここで腕をやけどした話も有名です。

みのやカラカサ、農作業で使った道具も展示。

明治期の日本の農村、今では想像もつかない生活だった事が窺える展示です目

土間となっている↑台所おにぎり

↑は、英世が上京する時に柱に刻んだ"決意文"

「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」


まさに、猪苗代の寒村が生んだ稀有の偉人、野口英世です合格

野口英世について、Wo流に改めて纏めますクリップ

 

彼が生涯をささげた黄熱病の研究に加え、彼が"ふつうの偉人と一味違う"要素は、彼が次の3つの点で"泣かせるポイント"を持ってる事だと僕は思うんです↓

1.貧しい生い立ちと、件のやけどがきっかけで志を持った事。

2.母・シカさんの存在。

3.彼自身、海外で志半ばにして客死している事。

繰り返しですが、紙幣に採用される程の人は、並の偉人とは一段も二段も違う、という事でしょう宝石ブルー


野口の生家として、そして明治期の民俗文化財としても貴重な保存家屋だと思います。会津に行ったら訪問必須だと思いますグッド!



↑の元首相も見に来ていたようですペンギン

 

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記念館近くにある、↑『野口英世の里郵便局』ポスト

愛称ではなく正式な局名です手紙


英世実家の最寄り駅、JR翁島駅にも寄ってみました電車



磐越西線・猪苗代駅と磐梯町駅の間にあたります左右矢印

前述の通り、彼は渡米後一度だけ帰国しましたが、その際に開通したばかりのここ・翁島駅に降り立ったとの事です。

記念館にあった、彼が揮毫の"忍耐"、石碑になって駅にもありました。

 

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野口記念館をあとに、3日間滞在した会津をあとに、帰京の途につきますDASH!

 

↑県道9号、猪苗代湖の東のへりを辿って、その後山あいに入り南東の方向、白河市へつづいていますハチ

帰りはこの道を通り、郡山は経由せず、ショートカットして白河市を目指す格好になります右下矢印

猪苗代湖を↑横に走ります。

鉄道ではなかなか味わえない、猪苗代湖の風景、たっぷり味わいました目



交通量の少ない湖畔の道を、ひたすらすすみますカエル


シリーズ第1回の裏磐梯以来、あちこちから眺めてきた磐梯山ですが、だんだん雲が厚くなり、見えなくなってきました目

美しい会津の風景を惜しみつつあとにします。


一路、50km先の白河市へ馬

時々、↑隠れ郷のごとく村々が現れます家


↑国道294号と合流。

路傍のススキが秋風に揺れています虹

↑勢至堂トンネルをくぐり、会津盆地にわかれを告げ、中通へ入ります。


トンネルを出ても、白河市はまだまだですあせる

福島の大地が続きますDASH!

白河市の手前、天栄村に入りました。

広々とした田園風景ですクローバー

しかし"天栄村"、いい名前だと思います、まさに自然の恵みが溢れる村です霧

 

ゴールが近づいてきました、白河市に入りましたブタネコ


東北道・白河ICに到着フラッグ

高速の人になります天使

計画していたより大型企画となった会津ツーリングでしたが、ホント充実した走りでした。磐梯山と猪苗代湖に抱かれた豊かな自然、そして会津若松や喜多方の街に秘められた歴史、満足の旅でした星

 

会津ツーリング全3回おわります、長い間ご覧頂き有難うございました^^黄色い花

 

 

 

 

 

(※2021.1 2024.1 文章一部修正)