会津ツーリング2008、最終回です
前作までのシリーズで、奥磐梯の湖や喜多方の街、旧日中線の熱塩駅跡等を訪ねてきました。今作では会津の中心都市・会津若松市を訪ね、その後猪苗代湖畔を走りたいと思います^
喜多方市を出発、Wo号に跨り会津若松市へ向かいます
喜多方~若松間は約15km程、その途中で磐越西線・笈川駅に寄ってみます
片面ホームのみの小さな無人駅・笈川(おいかわ)駅ですが、同駅には"運行上の特徴"があります。
磐越西線の会津若松~喜多方間には、途中5駅あります。
しかしその区間で、普通列車が全て停車するのは塩川駅だけで、この笈川を含むあとの4駅は普通も大半が通過し、朝夕数本しか停まらないんです(※2008当時)
↑が笈川駅の時刻表です。日4本のみです
塩川停車の普通列車は毎時1本程通っているんですが・
こういう駅、国鉄時代には全国で散見されました。
例えば、四国・予讃線の高松~坂出間が国鉄時代はこういう感じで、一部の駅を除いて普通列車の大半が途中駅を通過する光景がみられました
しかしJRになってからこういったダイヤの見直しがすすみ、需要の見込める駅については全列車を止め、逆に廃止される駅も出る等、整理がすすみました。北陸線・米原駅の隣駅、坂田駅もこのタイプの駅でしたが、新快速長浜乗入に際して全列車停車となり、"新快速停車駅"に大躍進した等の例もあります
この磐越西線のような、国鉄時代そのままの運行形態が現存しているのは全国的にも珍しくなりました。ただ、僕が現地で見た限りは周囲に住宅もけっこう見受け、ダイヤも過密というような状況でないので、利用促進のために普通は全列車停めてもいいような気もしますが・
そんな事を思ううち、たまたま↑日4本の列車が入ってきました^
稲穂が実る秋の田に、ディーゼルのエンジン音が響きます
喜多方まで電化されている同線ですが、若松から新潟方面に直通する車はDCが使われています
Wo号、会津若松市内に入りました
↑は市街中心部ですが、駅は繁華街と少し離れて位置しています。
そして会津若松きっての名所といえば・
↑ご存じ、若松城(※一名・鶴ヶ城)です
築城は南北朝時代とされますが、明治初年に破却。現在の城は、1965(昭和40)年に復元されたものです。
南北朝時代には蘆名氏の居城だった同城、その後豊臣秀吉の世となった時に近江から転封してきた蒲生氏や、会津松平家等、城主は時代と共に変遷しました。
そして、幕末に勃発した戊辰戦争により、旧幕軍についていた会津藩は新政府軍に攻撃され、同城は落城。新選組が戦った地の一つである事でも知られます。新政府軍の勝利により、鶴ヶ城は政治の舞台としての歴史を終えました
明治維新とともに破却された若松城ですが、明治の廃城令によれば"存城"とされ、発令後すぐには解体されなかったそうです。城跡は、全国の城郭と同様に陸軍の管轄となり、その後"兵営に不要な建築物は除去すべき"との下達があり、破却となりました。一部の櫓や部材は移築され現存するものもあります
又、城跡敷地は後年、地元の篤志家が保存しようと買い取り、城郭が今に伝わっています。↑夕空に映える、美しい鶴ヶ城です
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若松市内で泊り、翌日・
朝、若松を出発、↑国道49号をすすみ、猪苗代町へ入ります
猪苗代湖が見えてきました
湖畔の↑長浜駐車場にWo号を停め、しばし湖を見ながら休憩します
ハイシーズンには、ここから遊覧船も出ているとの事
各地の湖にありがちな、↑スワンの形です^
この日は少し曇りがちでしたが、見通しはよく、猪苗代湖がきれいに見渡せました^
猪苗代湖は面積約100㎢、日本の淡水湖では4番目の広さとの事です
↑対岸の山並みが美しい
この猪苗代湖、残念ながら磐越西線の車窓からはなかなか見えづらいんです(※一瞬チラッと見える所はあります)
この湖を堪能するなら、車/バイクで来るのがよいと思います^
湖畔にあった↑セブンイレブン
景観に配慮して、看板が原色を控えた色調にしてありました。京都等の景勝地でも見かける例です。
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そしてこれから、"猪苗代で偉人といえばこの人!"という記念館を訪ねようと思います。
ご存じ、野口英世です
国道49号沿い、湖にほど近く、↑野口記念館があります。
(※Pあり)
苦学の末科学者となり、黄熱病の研究に生涯を捧げた野口英世。
彼の生涯を、年表と数々の資料でわかりやすく展示
当地・猪苗代に生まれ、彼天性の能力と努力、そして周囲の支えにより、伝染病研究をライフワークとします。その成果は今更ここに書くこともありませんが、秀逸な学者だった半面、清国(※現中国)へペストの研究で渡航する費用を、出発前に遊びで使い果たしたという豪快な一面wもあったそうです
↑左下のほうにある小さい写真、わかりにくいですが1000円札に採用された肖像画の元になった写真です
↑の絵ですが、野口はなんと11歳で、通っていた小学校の"教師"(!)になったとか
やはり偉人は違います(驚)
後に渡米し、さらには研究の場をアフリカへ移し、↑ガーナで黄熱病の研究に取り組んだのはご存知の通りです。
しかしそのガーナで、彼自身が黄熱病を罹患、51才の若さで客死した事も、これまた有名です。
↑は朝日新聞が2000年にとったアンケート、"日本一の科学者は誰か?"で、野口英世がダントツのトップを取ったという記事
やはり、お札になる人は別格です
彼の才能を見抜き、数々の援助を与えた小学校の恩師、↑小林先生。彼が英世の才能を見出していなかったら、今日の野口英世は無かったかもしれません。恩人中の恩人といえます
彼は日本で初めて、↑カラー写真に写った日本人であるとされています
又、野口の一面として、絵や書道にも堪能だったとの事
↑は彼の座右の銘、『忍耐』の書(※野口直筆)
ホント達筆です
この他にも、同館には彼が描いた油絵等も展示されていました。
上の書もですが、もはや"科学者の余暇の趣味"の範囲を越え、かなりの線を言ってると思います。やはり"天才"って、いろんな才能を秘めているものなんでしょうか
そして、英世のエピソードで忘れてならないのが、↑"母・シカさんの存在"です。
その手紙(実物)と拡大した文字、それと現代語訳が展示されていました。
「はやく帰ってきて下され」と繰り返す朴訥とした文章、手の届かない存在となって海外に渡った息子に、切々と訴える母の気持ちに、思わず感涙します
なお英世は、渡米してから1度帰国し、母と再会して、関西旅行へ連れていく等の親孝行をする機会が一度だけあったそうです。
JR東日本の↑猪苗代観光のポスターを貼ってましたが、野口の"母と息子の愛"がテーマになっています
彼の偉業を次代に伝える、↑伝記の数々も所蔵。
数多くの出版社が彼の著書や伝記を出しています
充実の展示で堪能しました。
屋外には、英世の生家が↑完全保存されています(驚)
生家の上にはさらに↑上屋が設置され、雪や雨から守っています。
なので、保存状態は大変良好です
明治時代の農家が、これだけ完全な形で屋外で現存している事自体が貴重だと思います。
↑正面、右のほうにみえる開口部が『厩(うまや)』です
↑囲炉裏です
幼少期の英世が、ここで腕をやけどした話も有名です。
みのやカラカサ、農作業で使った道具も展示。
明治期の日本の農村、今では想像もつかない生活だった事が窺える展示です
土間となっている↑台所
↑は、英世が上京する時に柱に刻んだ"決意文"
「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」
野口英世について、Wo流に改めて纏めます
彼が生涯をささげた黄熱病の研究に加え、彼が"ふつうの偉人と一味違う"要素は、彼が次の3つの点で"泣かせるポイント"を持ってる事だと僕は思うんです↓
1.貧しい生い立ちと、件のやけどがきっかけで志を持った事。
2.母・シカさんの存在。
3.彼自身、海外で志半ばにして客死している事。
繰り返しですが、紙幣に採用される程の人は、並の偉人とは一段も二段も違う、という事でしょう
野口の生家として、そして明治期の民俗文化財としても貴重な保存家屋だと思います。会津に行ったら訪問必須だと思います
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愛称ではなく正式な局名です
英世実家の最寄り駅、JR翁島駅にも寄ってみました
前述の通り、彼は渡米後一度だけ帰国しましたが、その際に開通したばかりのここ・翁島駅に降り立ったとの事です。
記念館にあった、彼が揮毫の"忍耐"、石碑になって駅にもありました。
野口記念館をあとに、3日間滞在した会津をあとに、帰京の途につきます
↑県道9号、猪苗代湖の東のへりを辿って、その後山あいに入り南東の方向、白河市へつづいています
帰りはこの道を通り、郡山は経由せず、ショートカットして白河市を目指す格好になります
猪苗代湖を↑横に走ります。
鉄道ではなかなか味わえない、猪苗代湖の風景、たっぷり味わいました
シリーズ第1回の裏磐梯以来、あちこちから眺めてきた磐梯山ですが、だんだん雲が厚くなり、見えなくなってきました
美しい会津の風景を惜しみつつあとにします。
時々、↑隠れ郷のごとく村々が現れます
↑国道294号と合流。
路傍のススキが秋風に揺れています
↑勢至堂トンネルをくぐり、会津盆地にわかれを告げ、中通へ入ります。
トンネルを出ても、白河市はまだまだです
福島の大地が続きます
白河市の手前、天栄村に入りました。
広々とした田園風景です
しかし"天栄村"、いい名前だと思います、まさに自然の恵みが溢れる村です
ゴールが近づいてきました、白河市に入りました
東北道・白河ICに到着
計画していたより大型企画となった会津ツーリングでしたが、ホント充実した走りでした。磐梯山と猪苗代湖に抱かれた豊かな自然、そして会津若松や喜多方の街に秘められた歴史、満足の旅でした
会津ツーリング全3回おわります、長い間ご覧頂き有難うございました^^
(※2021.1 2024.1 文章一部修正)