会津ツーリング2008、第2回です
前作では奥磐梯の桧原湖等を走りました。今作・第2回では、ツーリングの途中ですが鉄分豊かにおおくりしたいと思います^
(※今作のカテゴリーは鉄道に分類します)
喜多方の街をあとに、Wo号で北へ向かいます
喜多方市から北へ延びる県道333号(※日中喜多方線)で、旧熱塩加納村(※現在は喜多方市と合併)の方向へ走ります
今作メインは、国鉄時代、喜多方駅から分岐していた旧国鉄のローカル線・日中線の廃線跡を辿り、終着駅だった熱塩駅が保存されているというので訪ねます
ちなみに、"日中(にっちゅう)"という地名ですが、喜多方市の一番奥、山形との県境近くに位置する"日中温泉"からきています
やってきました、↑三角屋根の形がかわいい、古い建物
1984(昭和59)年に廃止された、旧国鉄・日中線の終点、熱塩駅です。
駅舎が大切に保存されています
1938(昭和13)年完成との事ですが、今でも通用しそうなモダンな欧風の駅舎、古さを感じさせません
同駅は、当時珍しかったとされる、"全てメートル法で設計された建物"との事。当時の人々が、鉄道開通に傾けた意気込みが伝わってくるようなエピソードです
↑半円形の庇が印象的な玄関、モダンです^
駅舎は現在(2008)、旧日中線の史料を集めた記念館となっています
駅舎内部には木製の出札口や改札口が残り、"昭和の駅"の風情が残されています
駅事務室だった部屋が記念館になっているんですが、事前に調べたところでは、『見学の際は、近所に住んでいる管理人さんを呼んで開けてもらう』という事でした。
しかし・
何となく人の気配があったので、試しに入口のドアを開けてみると・
・開いた^
この日たまたま、管理人さんがおられたんです。ラッキーでした^
営業当時使われていた用品や、現役だった頃の日中線の走行写真等が数々を所狭しと展示
↑こういう表示板、国鉄の駅でよく見かけました(古)
車両の↑行先表示板(※サボ)も多数展示。周辺路線のものもありました
↑"会津滝ノ原"の文字もみえますが、現在は第3セクターに転換されている旧会津線(※現会津鉄道)の会津高原尾瀬口駅になっています
↑も国鉄時代のものですが、駅ホームに掲げられていた気象警戒板
僕は実家にいた頃、通学の時に最寄り駅のこれを見て天気予報がわりにしてました。当時のTVは今のように詳細な天気予報をやってなく、勿論ネットも無い時代だったので大いに役立ちました
旧日中線の駅名標も蒐集、"日中線資料館"の名に恥じない充実ぶり
↑下部にグレー白抜きのローマ字表記がある、国鉄様式の駅名標。
↑日中線廃止の日(84.3.31)、さよなら列車の先頭に掲げられたヘッドマークがありました。
ここで、旧日中線の概要を纏めます
1938(昭和13)年、喜多方~熱塩駅間が開通。全長約11kmの短い盲腸線でしたが、計画ではさらに北上させ、山形県米沢市までを繋ぐ構想でした。しかし旅客需要が元々多くなく、線路が県境を越える事はないまま、廃止時まで盲腸線でした
喜多方~熱塩間に途中3駅ありました。
"日中線"という線名は、同駅の奥にある日中温泉からという由来を前述しましたが、ここ熱塩にも"熱塩温泉"があり、名の通り泉温が熱く塩分を含んだ温泉だったそうです。奥磐梯では岩塩が産出していた事を前作で書きましたが、地球の営みが感じられるような地域でもあります
乗客は開業当初から集まらず、廃止前には1日あたり朝夕わずか3往復のみの運転で、"日中は走らない日中線"と駄洒落で揶揄されていた程だそうです
しかし、"その3往復"が廃止時の最後まで客車列車で(※DC化されなかった)運転され、機関車が黒々とした旧型客車をゆっくりと引っ張る光景は鉄ちゃんに人気の路線でした。
国鉄の終焉と運命を共にした日中線、1984(昭和59)年に惜しまれつつ廃止になりました
↑は、最終日の日中線さよなら列車です。
雪の中を力走していた、愛すべき奥磐梯の鉄路でした
↑は、SLで運行されていた時代の古い写真。
1974(昭和49)年まで、同線では蒸機が運行され、本州では最後のSL定期列車が走っていた路線でした
駅舎の展示室を出て、↑ホームへ
プラットホーム跡も良好な状態で残されています
線路は取り外されていますが、それがかえって現役時代の様子を頭の中で想像させる感も^
私事ですが僕、学生の頃、廃止直前の同線に一度乗った事があります(古)。自転車並みの速度でのんびり走り、車窓からの緑が美しかったのと、途中駅の寂れた姿をうっすらと覚えています
かつてはここから喜多方、そして上野まで、線路は続いていました。
ホームの向かい側に、↑車両が保存してありました
ラッセル車1両&客車1両です。
屋根付きなので、保存状態も大変良好ですした
近年全国で、保存車両の傷みが多くなってきてるらしいんですが、保存車両が傷む最大の原因は"雨雪による腐食"で、こうした上屋の有無で、保存状態が全然違ってきます。
ラッセル車に大書されている↑"仙"の字は、旧国鉄仙台鉄道管理局の略号です
雪国の鉄道には欠かせないラッセル車。
冬の会津は雪深く、日中線でも雪の中を活躍していたと思われます
国鉄の頃全国で見かけた、黒々と塗装された旧型客車
理屈抜きの懐かしさです。
↑日本国有鉄道のプレートもそのまま残り、ホント保存状態良好です。喜多方の宝です
↑"木だけ"の背もたれが並ぶボックスシート^
繰り返しますがここの保存車両、地方の保存車としては抜群の保存状態でした。保存館のかたの管理が行き届いているものと思われます。この姿いつまでもと願うばかりです
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駅舎から喜多方側には、廃線跡が確認できました(※2008時点)
↑踏切警報機が1ヵ所残されていました
↑秋雲のもと、静かに佇む警報機
周囲に、特に保存している旨の解説板もなく、往時の姿そのままに存置してあるのが、生々しさも感じる光景でした。
使用中止の札が掛かる、役目を終えた警報器
もう二度と鳴る事も、警報ランプが光る事もない警報器、朽ち果てるに任せている感じもうけます
いつかは錆び果て、バタッと倒れていくのでしょうか・
過疎地域の現状やローカル線の厳しい現状を、この姿が訴えかけているようにも見えました
1938(昭和13)年、日中線が開通した時の記念樹です。
この木は桜で、廃止になった今も毎年花を咲かせ、人々の目を楽しませています
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いわば、"ローカル線の中のローカル線"だったともいえる日中線、学生の時以来の再訪を果たしました。懐かしさと寂しさ、そして熱塩駅が保存されている事のうれしさ、いろんな感情が入交り、なんとも感慨深い一日でした。Wo号で喜多方市内へ戻ります
今作ここまでです!
次作・第3回は会津ツーリング最終回、場面変わって会津若松市内を訪ねます。そしてお待たせ・猪苗代湖、そして猪苗代湖といえば連想する"アノ偉人"ゆかりの地も訪ねます。お楽しみに^
(※2021.1 2024.1 文一部修正)