vol.33 「た」現るシリーズ 第2の巻 鉄ちゃんならずとも楽しめる 大宮・鉄道博物館に現る | 旅ブログ Wo’s別荘

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 去る6月、"異色の新企画"と銘打って突如始まった「た」現るシリーズですが、早くも第2巻をおおくりする事になりましたwあせる

 

前回は浅草に現れた謎の男、「た」でしたが、今回は・

 

↓の駅に現れました電車

埼玉県最大の鉄道ターミナル・大宮駅に現れた「た」叫び

JR大宮駅を下車し、隣接する↑埼玉新交通・ニューシャトルの大宮駅へ男の子

 

これから向かうのは~

 

JR東日本の鉄道博物館、"鉄博"ですビル


シャトルが到着したのに・

しかしなぜか、↑列車と逆の方に向かって歩き出す「た」

初っ端から意味不明な男ですw叫び


しかし何とか列車のほうへ戻った↑「た」w、緑と黄色の"ブラジルカラー"が鮮やかなニューシャトルに乗り込みますカメ

 

そして、降りたのは~

大宮の隣駅、わずか2分で鉄道博物館(大成)駅へ到着フラッグ

このシャトル駅から鉄博へ直結しています。

JR東日本直営という事で、入場料支払はsuicaを使って行なうシステムになっていますペンギン

(※2024追記:現在suicaでの直接入場は無く、ネットやコンビニでの事前予約を推奨しています)

 

早速入場、一番先に「た」の目に入ったのは・

↑本館屋外の"ミニ鉄道"

「た」はまず、ここから見ていくのか?と思いきや・

 

しかし、「た」が館内で最初に発した言葉は~

「腹減った」割り箸

 

そんなの大宮駅で先に言ってくれよ、という感じですが、仕方ないので・

見学に先立ち、↑いきなり館内の『日本食堂』へナイフとフォーク

ご存じ、国鉄時代から食堂車や車内販売を運営してきた会社が、ここにも食堂を出していました。メニューには、昔食堂車で出されていたメニューを再現した懐かしい料理が並びますぶどう

(※2024追記:現在レストランは、新設された南館へ移転されています)


食事が出来るとわかるとすぐ機嫌がなおる↑40男の「た」(汗)ガーン

ウェイトレスさんの制服も昭和ムードで、"女給さん"とでも呼びたくなるような^にひひ

僕は↑"懐かしの食堂車ハンバーグ定食"、「た」は"懐かしの食堂車カツカレー"を頂くナイフとフォーク

メニュー名に"懐かし"と入ってる通りに、懐かしい昭和の味でした^合格

「た」は、↑「ボンカレーみたいや」とか文句を言ってましたが、その割にはけっこう美味そうに食べてましたwカレー

 

・腹ごしらえが終わったので、いよいよ見学です目

メインの展示室に入って・

展示室最初に出迎える、↑1号機関車に見入る「た」

1872(明治5)年、我が国初の鉄道が新橋~横浜間に開通した際、イギリスから輸入された超貴重な車です(※国重文/鉄道記念物)

鉄道省を引退後、九州の島原鉄道で長年使われていたのを見出され、奇跡的に現存しています。

 

このJR東・鉄道博物館、国鉄時代から神田にあった"交通博物館"を移転・リニューアルする形で、2007(平成19)年にオープンしました。この1号機関車をはじめ、鉄博所蔵の車両の多くは神田から移設してきたものです^星

万世橋の高架下で狭隘だった神田館に比べ数倍スペースが広くなった大宮館、メイン展示室内には特に順路はないため、「た」もどこから廻るか迷い気味wカメ

SLのターンテーブルを中心に、所狭しと並べられた貴重な車両たち。やや不規則な感じで配置されているんですが、それがかえって"見せる工夫"のようにも感じられました足あと

木の床や、通路中央にある握り棒が懐かしい↑旧型国電で、.なぜか神妙な面持ちで座る「た」あせる


↑東北新幹線の開業前、上野~仙台間で走っていた特急"ひばり"、ボンネット型の先頭車ですキラキラ

背もたれが↑木だけの客車、まさに"ザ・昭和の国鉄"という感じですが、若い頃地方へ行くと、実際こういう車よく見かけました(古)あせる

貨車の展示もあります。

↑は東京~下関に走っていた、鮮魚特急と呼ばれていた高速貨物列車の冷蔵車雪の結晶

最高時速100kmで走り、当時としては画期的な速達性を誇る貨物列車でした。僕は実家にいた頃、山陽線で全力疾走していくこの貨車をよく見かけましたうお座


往年の↑一等車(※展望車)に興味深々な「た」

今では気軽に乗れる存在となった特急列車ですが、戦前の特急は庶民には高嶺の花、一部の富裕層や特権階級が乗るという位置付けの、まさに"特別な列車"でした。

↑の展望車は、東海道本線等を"富士/つばめ"等の愛称で駆け抜けた車です。電車特急こだまの登場までは、客車列車の特急が戦前戦後にかけ活躍しました星

 

携帯で熱心に(?)撮影をする「た」カメラ

「た」が特に気に入っていたのが、↑"パーラーカーの模型"

パーラーカーとは、先程の客車特急の後継として登場した電車特急「こだま」に連結された一等車で、いわば”電車版展望車”ともいえます宝石赤

1人づつセパレートになっていたフルリクライニングシートや、各席に電話やラジオが装備される等、当時としては破格の豪華設備を備え、現在でいえば"グランクラス"顔負けの豪華な車でしたキラキラ

この日わかった「た」の特徴として、特急用の車両に乗り込むと、↑上機嫌で満悦の表情になるんですが・


先程の↑旧型国電もそうでしたが、通勤型車両に乗ると、なぜか浮かない表情になる「た」うーん

後で本人に聞くと、「そら、特急型のほうが気分ええやんか」という、当たり前の回答が返ってきましたw

 

↑の通勤型電車は、日本初の新性能電車、中央線に初導入された、現在の通勤型電車の元祖となる"101系"電車

わが国の高度成長を、まさに縁の下で支えてきた電車ですグッド!

↑写真奥に少し小さく写ってますが、車両の端に人形でラッシュを再現してありますおひなさま

 

再び貨車に戻りますが、↑は"戸口から戸口へ"と書かれたコンテナを載せた(※国鉄の頃、コンテナには皆そう書いてあった)、コンテナ積載車・コキ50000型の1号車です。

数千両製作され、現在JR貨物輸送の基本形となっているコンテナ列車の基礎を築いた車両です馬

 

つづいて、新幹線のコーナーへ新幹線前

「た」が座るのは、↑新幹線0系の椅子。

今や懐かしい青とグレーの座席、当時は普通車はリクライニングはなく、関西の快速電車とかと同じ"バッタンコ式"でした椅子

新幹線開業当時は、車両側面には現在のような方向幕は付いておらず、↑の"金属製の表示板"が使われていましたべーっだ!

その表示板に書かれている"超特急ひかり"、開業当時は、この"超特急"は、ひかり号の正式種別でした(※こだまが"特急"という扱い)

当時の人々が新幹線に対して抱いた期待や憧れ、戦後復興を成し遂げた誇りを、この"超特急"という名に感じます新幹線

 

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↑はブルートレイン、寝台車ですお月様

窓の中を覗くと、3段寝台のベッドを車掌さんがセットする様子を再現してあります。昭和期の寝台列車は、夜が明けてからも長時間運転される便もあり、朝になると車掌さんが寝台をたたんで座席車へ転換させる光景もみられました(※3人掛けの座席になった)

昨今次々と廃止になっている寝台列車ですが、こういう光景は"博物館で再現"する昔日のものとなりつつあります三日月


あと、「た」が非常に興味を示したのが、↑、『人車鉄道』

これ、僕もけっこうインパクト強かったんですが、なんと↑の客車を人間が押して(!)、乗客を運んでいました(驚)叫び

「本当にそんな鉄道が存在していたのか」と思う位、信じられないようなものですが、明治~大正期にかけて東北~北関東を中心に全国で多くみられたとの事。↑の保存車は、現在の宮城県大崎市で走っていたものです。

 

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まだまだ紹介しきれない程、沢山の展示車を擁する大宮鉄博星

あと数両、ダーッと紹介しておきます↓

↑はED17型。戦中戦後にかけ活躍した小型電機で、身延線や飯田線といったローカル電化路線に投入されていました。側面の通風孔の形から"ワニ"の愛称もあります^恐竜くん

↑のトップナンバー機は、山梨県の公園で保存されていたものを引き取り再整備、鉄博入りしたものですキラキラ

お召列車にも採用された往年の名電機、↑EF58型馬

寝台列車から荷物列車まで幅広く牽引、東海道/山陽線で長年に亘り活躍していました波

↑北海道開拓に活躍した、有名な"弁慶号"、北海道の鉄道はアメリカの技術を導入したため、機関車も"西部劇風"なスタイルになりました^雪

↑ディーゼルカー黎明期に造られた、キハ41000形。戦前はおろか、戦後長らくまで機関車が引っ張る客車列車が主力だった国鉄ですが、客室の床下に内燃機関を搭載して"機関車いらず"とした同車は、当時最先端でした。

所せましと並ぶ貴重な名車に、大人も子供もしばし"鉄道の虜"になり、童心に返ります^女の子

 


↑は"国鉄バス1号車"バス

神田の交通博物館が閉館し、この大宮へ移転する時、神田にあった鉄道以外の展示物は、別の博物館に譲渡されたり元の所有者に返されたりしたそうですが、↑の1号バスは大宮に引っ越してきました。

愛知県・岡多線(※現在の愛知環状鉄道)の前身バス路線で実際走っていた、わが国最初の路線バスですバス

(※2021追記:この1号バスは現在、名古屋のJR東海・リニア鉄道館へ移転しました)

 

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車両展示でお腹一杯になりましたがw、次は2階へ右上矢印

展示室を囲むような2階の回廊には、鉄道の歴史をググっと凝縮した、"実物入り年表"があります目

↑は明治初期、鉄道草創期を司っていた役所"鉄道院"の公印。貴重なものもあり、なかなか興味深いです宝石緑

↑は旧国鉄のポスターに書かれていた、"特殊な時期以外は楽に旅行できるように・"という言い回し。現在ではまず使われない表現もあせる

↑は兵庫県・高砂線が廃止になった時、最終日の列車に取り付けられたヘッドマーク。大阪弁天町の交通科学館ではなく、なぜかここ大宮に流れてきていますサーチ

1984(昭和59)年に廃止された高砂線。この頃は、JR発足を目前にして、全国で数多くのローカル線が惜しまれつつ消えていった寂しい時期でもありました汗

僕は実家にいた頃、このヘッドマークと付けた高砂線の最終列車をリアルに見送った記憶があるんですが、突然埼玉で思いがけず再会し、けっこう感動しました。

先程の鉄道院公印もですが、ここの年表、驚きの貴重な品が惜しげもなくゴロゴロと並び、見応えありましたキラキラ

↑は、JR東日本の歴史で"同社が最も思い出したくない失敗例"だったと僕は思うんですが、JR発足当時、国電に代わる首都圏通勤電車の愛称として考え出された、『E電』なるネーミングあせる

ポスターを大量に掲示したり、↑電車にヘッドマークを掲げる等、普及に努めましたが全然定着せず(汗)、いつのまにか人知れず静かに消えてゆきました叫び

 

(※2024追記:現在この2階の回廊には、車両の模型とともにその車両のヒストリーを紹介するコーナーに衣替えされていて、通常年表は新設された南館へ移転しています)

 

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メイン展示室をほぼ見終わり、このあと模型鉄道のジオラマも見る予定だったんですが、やや飽きっぽい面がある「た」は「もう充分堪能した」とのたまいドクロ、この辺で大宮をあとにする事としましたネコ

 

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・この後、なぜか浅草まで連れていかれ、前巻・6月の作と同じ"神谷バー"へ又入る事にカクテルグラス

鉄博の話を肴に、デンキブランで2人酩酊しましたwあせる

 

以上、昨年(2007)年オープンしたばかりの大宮鉄博を、「た」付きでご覧頂きました。子供は勿論、大人も充分楽しめる博物館です。訪問をお奨めします^グッド!

 

 

 

 

 

(※2021.1  2024.1 文一部修正)

 

☆2024追記

本作は、開館当初の鉄博の様子がわかる貴重な作ですが、鉄博は2018年に大幅リニューアルされ、"南館"が新築される等変貌しています。2022年にupした"鉄道150年シリーズ"で、再度この鉄博を訪れた作を上げましたので、↓にリンクを貼っておきます。参照下さいクリップ

 

vol.426 【鉄道150年企画①】発祥の地・新橋、鉄道の街・大宮で振り返る150年 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)