2024北陸応援シリーズ、"第2シーズン"の3回目です。富山県を中心に訪ねてきた今シーズン、本作で最終回です
前作では富山地鉄、前々作では高岡の万葉線を中心にみてきましたが、今作では富山から、旅行者はほとんど通らないルートで県境を越えた後、復旧なったのと鉄道で、石川県能登へ入ります。元日の地震から約半年、その現状を垣間見てきました。
そしてラストには、今春開通した北陸新幹線の延伸区間、金沢~敦賀間に乗り、なにかと話題(?)の"敦賀乗換"も実際に体験してきました、という流れの今作です
ではスタートします
前々作で登場した高岡駅、今作は再びここから出発します。
高岡駅では、2種類の駅名標が見られます。
↑あいの風とやま鉄道のものと・
JR西の駅名標です。
高岡駅から分岐する城端線・氷見線は、2024現在はJRで運営していますが、あい鉄への移管が決定しているとの事
国鉄型DCがさいごの活躍中です
この日の第1ランナーとして、氷見線に乗ります
氷見行が、3両編成のDCで入ってきました
早朝の便なので空いてるかと思いきや、この後通学の高校生がどんどん乗ってきました
発車しました、夜明けの薄雲が車窓に広がります
氷見線は↑高岡~氷見間約16km、7駅の盲腸線です。富山湾の西岸を走り、富山県西北端の街・氷見市への路線です。
・で、第1ランナーを氷見線にしたのは、この後の"能登へのレアルート"の入口にあたるからです。
ここで、この日の行程の概要を以下↓に
↑広域地図で見ると一目瞭然ですが、今は石川県に属する能登半島、でも半島の付け根には、富山県の氷見市/高岡市があります。
能登への足といえば、一番メジャーな行き方は金沢からJR七尾線で入るか、車なら、金沢からのと里山海道で行くのが一般的です。石川県の能登なので、当然交通も金沢を向いています。
一方、富山県側から能登へ行くには、車なら能越道という便利な高速がありますが、公共交通で2024現在、富山~能登を直通するものはありません。
しかし僕は、"何とか氷見から能登へ抜ける方法はないだろうか?"と色々調べるうち、県境でバスを乗り継げば、氷見→石川県七尾へ出られるバス路線を発見、これに乗ってみる事にしました^
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話前後しますが、一旦JR氷見線に戻ります
高岡から3駅目、伏木駅を過ぎると・
線路は、富山湾沿いへ
富山湾の景勝地として名高い、雨晴(あまはらし)海岸の駅に停車。このあたりが高岡市/氷見市の境になります。
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氷見線終点・氷見駅に到着。氷見の高校へ通う生徒が大勢下車していきます
次回僕が乗る時はあい鉄へ移管され、車両も新型へ置き換っている頃になるでしょう^
氷見駅に着いてから気が付いたんですが、先頭車は↑"忍者ハットリくん号"が連結されていました(※なぜ"氷見線でハットリくん?"かは後程)
氷見線についてはここまでですが、今作は"氷見から先"が本番(?)になります
氷見駅前から・
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前述の通りこの後、能登方面へ向かうべく、路線バスで県境を越えて石川県・七尾を目指します。
氷見市街から北へ約15kmの県境・『脇』バス停まで、富山県側は加越能バスで。そこから、
『脇』バス停に石川県側から来る北鉄バスに乗継ぎ、七尾駅まで乗る、というルートです
その加越能バスですが、駅前から出ておらず、300m程歩いた交差点にある"氷見駅口"停留所から乗ります
氷見市内には、藤子不二雄さんにちなむポケットパークやギャラリーがあります。両名とも富山県の出身で、特にⒶさんは氷見市出身という事で、街おこしに漫画が登場しています。先程の"忍者ハットリくん列車"もそういう事です^
緑色の↑加越能バスがやってきました
おばあさん数人と僕を乗せ、県境の脇集落を目指します
県境の集落・脇終点に着きました(※富山県氷見市脇)
バスは、国道の脇(※ダジャレじゃないですが)の道を使ってUターンします
富山湾沿岸の脇集落、国道160号が海岸を走り、石川県能登側へと続いています。
この後向かう七尾へは、石川県側から北鉄能登バスが、脇までやってきて、加越能バスと同じ脇道を使ってUターンします。知られざる県境の結節点・脇集落です
集落から県境まで500m程、乗継時間あるので行ってみます
脇集落のすぐ北側、↑富山/石川県境です。
堤防に↑県境の標柱もありました。サイズは両県同じですが字体は違えてあり、細かいこだわりが窺えます^
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そうこうしているうちに・
北鉄バスがUターンしてきました
脇→七尾駅まで約10km余、いよいよ石川・能登へ入ります。
先程歩いた県境を越え、北鉄バスは海沿いの集落を縫いながら、一路七尾駅へ
JR七尾駅前に到着しました。いわば、"能登半島の南玄関"にあたる所です。
金沢駅から約60km北にある七尾駅。
次は、のと鉄道で穴水へ向かいますが、時間まで七尾駅周辺を少し歩いてみます。しかし同駅前で見たのは、思っていた以上の、元日の地震の爪痕でした。
(※この後、地震被害の現状をお伝えするため、被災状況の写真を掲載しています。不適当と思われる場合はお読みになるのをおやめ下さい)
地震直後からJR七尾線/のと鉄道共に不通となっていましたが、現在全線復旧しています。駅の様子は一見通常に見えましたが、↑観光案内所は閉鎖されたままでした。
駅前を歩いてみると、予想していなかったような街の光景でした。
駅前には、↑大手全国チェーン店も入る商業ビルがありますが・
基礎部分が損傷したままでした。そして・
ビル隣の写真館は、建物が危険判定で休業していました。
東京で報道されるのは輪島市/珠洲市等、奥能登の状況が主で、七尾駅前でこんなに被害が見受けられるとは思いませんでした。
しかし、駅前の光景はまだ序の口でした。
駅前から、街中へすすむと・
倒壊したままの建物がいくつも見られました。駅前から徒歩数分の所です。
駅近くには、一本杉通りという古い街並があり、観光客で賑わっていた場所ですが、大きな被害をうけたままでした。
地震から半年近く経つのに、まだほとんど手つかずの状態が、この七尾でも見られた事に衝撃を受けました(※行ったのは5月下旬です)
予定では、この後のと鉄道で穴水へ、さらにバスで輪島又は珠洲まで行くつもりでしたが、この七尾の現状を目の当たりにして、奥能登まで入るのは時期尚早と思い、取止める事にしました。
しかし当別荘的に、のと鉄道には全線乗って復旧した姿をご覧頂きたいので、同線の終点・穴水までは行く事にしました。
駅に戻ってきました。七尾駅は、JR改札/のと鉄改札が完全に分けられています。
JR改札の隣に、↑のと鉄道の窓口と改札
七尾駅には↑"のと専用ホーム"があり、穴水からの列車はここで折返します(※特急能登かがり火号のみ、JRホームで発着)
既に、これから乗る穴水行が入っています
今春に全線復旧なったのと鉄、1つ隣の和倉温泉駅まではJR七尾線ですが、普通列車はのと鉄が全列車七尾駅まで乗入れ、JR車は七尾駅止。七尾~和倉温泉間はのと鉄道に任せる形になっています(※特急能登かがり火号のみ、金沢⇔和倉温泉駅間運転)
1両編成のDC、車内はボックス席できれいです
発車しました、次の和倉温泉駅までは、前述の通りJR七尾線に乗入れている格好です。
和倉温泉駅に着きましたが、周辺の温泉旅館は2024.5現在まだ休業中の宿も多く、この駅が観光客で賑わうにはもう少し時間がかかりそうです。
和倉温泉駅を過ぎると架線が無くなり、のと鉄道の路線へ
ここで、のと鉄道の概要を纏めます。
↑がのと鉄道の路線ですが、現在廃止になっている奥能登の区間も載っています。のと鉄道の歴史を紐解く際は、この廃止区間も一緒に見ていく必要があります。少し長くなりますが、独特の経過を書いていきます
現在穴水駅が終点になっているのと鉄ですが、↑図の通り、国鉄時代には能登半島の奥、輪島市/珠洲市まで線路が通じていました。
国鉄時の線名は、旧輪島駅までが七尾線、穴水から分岐して、珠洲市の蛸島駅までが能登線でした。
国鉄末期、↑のうち能登線が廃止対象に挙げられ、その転換3セクとして設立されたのが『のと鉄道』です
つまり、現在の穴水~七尾間でなく、既に2005年に廃止された旧能登線のために設立されたのが当初ののと鉄でした(驚)
石川県は元々、七尾線/旧能登線の活性化には熱心で、能登線を3セク化した際にも積極的に旗振りをしました。
又、七尾線の電化も国鉄時代から同県が運動していたもので、JRになってから和倉温泉駅までの電化が実現しました
しかしこの電化と引換え(?)に、非電化区間の和倉温泉駅以北を石川県で運営するようJRから要請があり、既に旧能登線3セクとして営業していたのと鉄が、後に七尾線も引き受ける事になりました。七尾線部分の和倉温泉~輪島間は、JRが線路を保有したまま、運行をのと鉄に委託するという、全国的にも珍しい形態となりました。
しかし、人口減少により経営は苦戦。2001年に穴水~輪島間を廃止、2005年には穴水~蛸島間(※元々ののと鉄だった旧能登線全線)が廃止やむなきに至りました。
奥能登から鉄路は消え、のと鉄は残された穴水~和倉温泉駅(※運行は七尾駅)間だけの運営となりました。
こういう特殊な経過を辿ったため、線路は現在も、穴水まで全線がJR西の所有となっています
そんな、短縮されてしまったのと鉄道ですが、元日の地震後に不通となるも、地域の方々の努力でいち早く復旧しました
非電化区間に入ると緑が増え、海(七尾湾)も見えてきます
七尾~穴水間は全8駅、約33kmです。のと鉄運営の6駅には副駅名も付いています。全駅が国鉄時代からの駅で、のと鉄転換後に新設された駅はありません。
↑笠師保駅の副駅名は、"恋火駅"
夏の能登各地で行われる『キリコ祭り』で焚かれるかがり火から付いた名です。特急能登かがり火号もこれが由来です
海と里山が織りなす光景が、ほぼ全区間で楽しめます
前述の通り、全国の3セクにありがちな"駅新設"をしていないため駅間距離は長めで、能登中島~西岸駅間は約6kmあります。大半の駅には離合線があり、比較的国鉄時代の面影を残す路線です
終点穴水の1駅手前が、能登鹿島駅です。
同駅の副駅名は"能登さくら駅"、↑ホーム両側の木は全部桜の木です。桜の時期は撮影に来る人で賑わいます
去る4/6、全線復旧の日も、沢山の人々が同駅で桜の下、運行再開を祝ったそうです(のと鉄HPより)
穴水の街が近づいてきました
七尾駅から約45分で・
終点・穴水駅に到着しました
穴水駅に車庫も併設されています
同駅の副駅名は"まいもんの里"、"まいもん"とは当地の言葉『美味しいもの』で、穴水は昔から豊富な海の幸に恵まれていた事からだそうです
改札には、↑IRいしかわ鉄道から復旧祝に贈られたランの花が。しかし・
ランのすぐ後ろ、待合スペースは復旧工事中でした。
↑穴水駅舎です。駅舎の隣には・
"四季彩々"という地場産品の土産店があるんですが、ここは『道の駅』認定も受けていて、駅前にはそこそこの台数が駐車可能な🅿があります
折返し列車まで1時間程、穴水の街をこれから歩きますが、その状況は・
海(穴水湾)の傍に『あすなろ広場』という広い公園があるようで、そこまで行ってみる事にします。
駅前に、復興工事やボランティアさん、地元の方々向けの、無料で髪の毛が洗える設備が。
穴水駅の向かいにはもう、全壊したままの建物が見受けられます。先程の七尾であの状態でしたので覚悟はしていましたが、半年経ってこの現実はやはり辛いです。
店舗の多くは休業を余儀なくされているようでした。
2階が落下して1階駐車場の車が押し潰されたままに。当別荘では2011年の東日本大震災後もツーリングで東北各地を訪ねましたが、あの時と匹敵するような状況でした。能登地震の甚大な被害に、改めて国挙げて応援しないといけないと現地で思いました。
一見↑無傷に見える、信用金庫の建物ですが・
地盤から傷んでおり、危険判定でした。
金融機関の一部は穴水町役場で仮営業しているとの事です。
大きめな↑スーパーが一部損傷しながらも営業しており、地元の方々で賑わっていました。
海が近づいてきました。
穴水湾岸の、あすなろ広場に来ました。
美しい芝生が広がっていますが・
その周囲は、災害廃棄物の仮集積場になっていました。
あるなろ広場近くは漁港になっていますが、所々で隆起/沈下していて、通常の操業は出来ない状態のようでした。報道によれば能登半島では4m近く地面が浮沈した場所もあるとの事で、大震災級の地殻変動があったとみられています。
広場近くには、仮設住宅が建てられていました。
一日も早い復興を祈り、現状をご覧頂きました。
駅に戻ってきました。七尾で前述の通り、この後バスで輪島又は珠洲まで行く予定でしたが、この状況に鑑み取止めを判断しました。
戻りの列車に乗ります。
能登が復興するには相当な時間がかかると思われます。
ホームの外れに、↑かつて七尾~珠洲間で『のと恋路号』として活躍していたハイデッカーDCの廃車体が留置されていました。
復路のDC、穴水駅を離れていきます。
七尾駅でJR七尾線に乗換え、この日は金沢泊
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翌朝・
今回の北陸旅、最終日です。
朝一金沢駅から乗る、今作さいごの列車は・
北陸新幹線の新開通区間・金沢~敦賀駅間の乗り初めをして締めたいと思います
6:00金沢発の一番列車、つるぎ1号に乗ります
入線してきました!
北陸内のみを区間運転するつるぎ号、この列車名も近年流行りの"元・寝台特急名のお下がり"です
12両編成で自由席は2両、始発なので混むかと思いきや・
ガラガラでした^
かえって指定席のほうが乗車率高めにも見受けられました。
五月晴れの金沢駅を出発
小松~加賀温泉~芦原温泉駅と、順調に快走します
芦原温泉駅からが福井県です。ついに新幹線で福井に!
福井駅は"1面2線"という、新幹線駅では全国ここだけの配線。
そして、金沢からわずか1時間足らずで・
敦賀駅到着のアナウンスが。
昨今話題の"敦賀駅乗換"を、この後体験します
敦賀駅での乗換え方法が丁寧に繰り返し流れるほか、↑座席のQRコードで乗換順路の動画もDLできます。何かと物議を醸している"敦賀乗換"、JRも相当意識しているようです
約20kmもある新北陸トンネルを抜けると、↑敦賀の街が見えてきます
そして・
敦賀駅到着です。金沢駅からわずか57分、各停タイプでも1時間を切ります。さすが新幹線
お待ちかねwの乗換です^
ホームから、長大エスカレーターを降り・
広い改札内コンコースを、米原側へ進みます
新在連絡改札を抜けると・
在来線側に入ると、↑特急乗換誘導ラインが現れます
大阪行サンダバ号は青ライン
名古屋行しらさぎ号はオレンジの線へ
ふと窓の外を見ると・
旧来からの駅がはるか下に見えます
ハピラインふくいの列車が停っています。
そしてもう1回エスカレーターを降りると、新設された在来線特急専用ホームに。
僕は写真撮りながらなので正確な時間は計ってませんが、JRが謳う"8分"で辿り着けるのは、現役世代の健常な人がやや急ぎ足で、新在改札もスムーズに通過出来、一切寄り道をしない場合に限られると僕は思います。
逆に、子供さん連れや高齢の方、売店やトイレに寄った場合、改札で混み合った場合は8分では無理でしょう。乗継時間は余裕で見積ったほうがいいと思います
さらに要注意なのは、在来線普通(新快速)やハピライン、小浜線へ乗継ぐ場合。もっと遠いです
旧来の駅へは、さらにエスカレーター1台、そして動く歩道を経て・
まぁ最低12分は見ておいたほうがよさそうです。小浜線はさらに端っこにホームがあるのでもっと余裕が必要です。報道されている通り、敦賀駅乗換には一定の"準備と気合"がいる事を体感しました^
今回の北陸旅、ここでゴールです
僕はこの後、米原~名古屋経由で帰京しました。
2024北陸応援シリーズ第2シーズン全3作、これでおわります。有難うございました。春におおくりした第1シーズンは石川県、今回の第2シーズンは主に富山県を取り上げました。
年内にもう1弾、第3シーズンを、ここ敦賀を含め、福井県中心にやろうと思っています。夏の間は一般作を挟みつつ準備したいと思います
がんばろう能登、がんばれ北陸!
☆能登・福井過去作リンク↓
vol.172 福井・若狭ツーリング① 丸岡城・三国港・東尋坊・越前海岸他 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
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