昨年秋あたりから当別荘、なぜか岐阜&愛知県の作が多くなっている傾向ですが(?)、ここらで1作、膝元・滋賀の作も挟んでおきます^![]()
今作はまず、↑びわ湖を囲むJR各線の路線図から![]()
このうち『A』の琵琶湖線(※東海道線の滋賀県内)、ご存じ・新快速が運行し、距離がある割には京阪神へアクセスしやすい湖国の強力な足となっています![]()
京都以東の新快速停車駅、県南部では、
山科→大津→石山→南草津→草津→守山→野洲の順に停まり、さらに近江八幡・米原方面へと進んでいきますが・![]()
さらに県南の1駅づつをみていくと・
県境のトンネル抜けるといきなりの県都・大津駅、
石山寺への入口で京阪に接続・観光客も多い石山駅、
県内最も成長株の駅・南草津&湖南の要衝・草津駅、
そして車庫があり同駅行きも多くて知名度高い野洲駅と、いずれも新快速が停まるにふさわしい駅が並びますが・
今作では、そんな上記の駅中に埋もれ気味で
少々地味目な(?)感じがしなくもない^、守山駅のある守山市に、スポットを当ててみたいと思います^![]()
前半で、中山道の宿場としての顔もある旧市街の街ブラ、
次に貴重な弥生遺跡を2ヵ所訪ねます。
そして後半には、前々から当別荘で取り上げたかった、琵琶湖博物館を見学します![]()
ではスタートします![]()
という事で、琵琶湖線・守山駅へ(※滋賀県守山市)
栗東市と野洲市に挟まれた、人口約8万(2026)の郊外都市です![]()
冒頭"地味目"と書いてしまいましたが
、とはいえ京阪神通勤圏に入る守山駅、西口駅前バスターミナルに人もバスも多くみられ、活気は感じられます![]()
早速、守山の街ブラへ、
駅前通りをびわ湖側へ歩き始めます![]()
こんな↑お洒落な建物の平和堂、はじめて見ましたw^![]()
駅から約1km余、↑の"守山銀座西"交差点を曲がると・
(※駅前からだと右折)
旧街道・中山道になります![]()
ここ守山、古くは中山道の宿場として栄えた、歴史ある街でもあります。ここからは、旧中山道を探索します^![]()
銀座西の交差点すぐ、↑ひなびた山門のお寺を発見^![]()
東門院といいます(※天台宗)
近づいてみると、重厚な雰囲気の門。おじゃましてみると・
後日同市観光協会のHPで調べるとこの東門院、平安期にアノ比叡山延暦寺の僧坊『比叡三千坊』の一つとして最澄が創建したという名刹で、江戸期には朝鮮通信使が宿舎にしていたという凄いお寺でした^![]()
そんな歴史を秘めつつ今は静かな境内、↑手水舎横の石仏さんの穏やかな表情に癒されます^![]()
さらに進みます![]()
旧中山道このあたり↑県道2号となっていますが、この"2号"、大津市~長浜市で様々な道をその区間に取込みながら県を貫く複雑なルートで、ちなみに長浜市近くでは湖岸道路の一部となっています![]()
↑道標を発見、表面には『右 中山道 并 美濃路』と刻まれています。1744(延享元)年に大津の西念寺講中が建立したとの事(※守山市指定文化財)
さらに歩くと、きれいに手入れされている古民家が![]()
これは・
↑中山道街道文化交流館として公開されています。僕が通った時まだ開館時間前(※朝10時からオープン)でしたが、守山宿の生情報収集に良さそう![]()
↑同館前のポケットパークにあった↑守山宿を描いた広重の浮世絵。中山道六十九次のうち近江には8ヵ宿がありましたが、ここ守山宿は『京たち、守山泊り』といわれ、京を立った旅人が最初に泊まる宿場だったとの事(※現地解説板による)
なお守山宿、西隣は1月upの東海道作で取上げた草津宿(※合流地点)なので、中山道単独の宿場として日本最西端になります![]()
又、交流館近くには↑本陣跡も。
本陣跡標柱の左側にある正方形の石は"井戸跡"との事です![]()
次は~
中山道から少し入った所に、↑お堂を見つけました。
これは・
おじゃますると、塚とお地蔵さんが数体。
『源内塚』といい、現地解説板によると1159(平治元)年、平治の乱に敗れた源頼朝一行、頼朝が馬上で居眠りをして一行からはぐれ、単身で守山入り。その時を狙い頼朝の首を獲ろうと、源内兵衛真弘という人物が襲撃。しかし頼朝は強く、逆に源内を一刀両断。事後、村人たちが源内を弔うためつくったのがこの塚だそうです。
なお、↑石像手前の丸い石は"伺い石"と呼ばれ、願い事に霊験あらたかとの事です。
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中山道に戻り・
交流館から東側は”観光色”は少し減ってきますが、まだまだ歩きます^![]()
旧街道歩きの区間は、先程の"守山銀座西"交差点から、この"吉身小学校南"までの範囲な感じです^
そして、この交差点横には・
↑"益須寺"という、なんと日本書紀にも登場する廃寺跡が。
前述の東門院もですが、下調べしてなくても次々と驚きの旧跡が現れるのが近江街ブラの醍醐味![]()
ちなみにこの"吉身"、守山駅北東に広がる1~7丁目まである同市の主要地域で、市役所も吉身にあります![]()
そして次も、事前に調べてなく、現地でその存在を知った所へ行きます。それとは・
滋賀県で最古といわれる石造の鉄道3連アーチ橋があるとの事で、行ってみます(※交流館前のマップで知った)![]()
吉身5丁目、琵琶湖線の線路のほうへ・
住宅地の一角に、見つけました↓
↑ありました!通称・守山3連アーチ橋です。
少々小ぶりですが^、堅固に造られた煉瓦橋です。
1889(明治22)年に東海道線のこの区間が開通した時からある、歴史的建造物ですが、現地解説板や周辺に道案内板等は全くありません。僕も先程の中山道交流館前のマップで初めて知った次第で、やっぱり"検索より探索"、現地で情報を仕入れるのは街ブラの醍醐味だと思いました^![]()
(※ホントに住宅地の只中なので、訪問の際は配慮を)
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ここから"中盤"です^
駅周辺を離れ、ここからは"古代の守山"(?)に思いを馳せたいと思います![]()
守山市や周辺各市には弥生~古墳時代の遺跡が散在し、中には全国的にみても貴重な発見がなされている例もあります。そんな守山市の遺跡で、近年注目されている2ヵ所を訪ねます![]()
遺跡1ヵ所目です^
吉身から琵琶湖へ向って約1km余、『下之郷遺跡』です![]()
弥生中期の遺跡ですが、数々の特徴を持ちます。どんな遺跡なのか?みていきます![]()
↑保存管理施設へおじゃまします![]()
お~、館内に↑"発掘された溝"が!
この下之郷遺跡の特徴は『環濠』、集落の周りを環濠が幾重にも囲んでいました。その一つがこの建物の真下にあり、一部をわかりやすく露出展示してあります。
↑なんと環濠の真上に画面(※映像コーナー)があって、本物の環濠の上で概要映像を見せてくれます^![]()
出土した土器/石器/木器も多数展示。ここは野洲川に近く地下水が豊富との事で、その地質に守られて出土品の状態が大変良く、館パンフには『まるで弥生のタイムカプセル』と謳われています![]()
武具類の出土も多く、日本最東限発見という銅剣も。
又、当時の動植物遺片や魚の骨等も大量に出土しており、弥生人の生活を探る上で大変貴重な史料との事です![]()
では施設の裏手、環濠等が保存されているエリアへ![]()
約25haあるという下之郷遺跡、1980(昭和55)年に下水道工事の際発見されたそうです。国史跡に指定、現在の見学可能な形になったのは2010年との事です![]()
そして前述の通り、この遺跡の特徴である↑環濠、一部を露出させて観察できるようにしてあります。集落を取り囲んでいたこの環濠、完全に周回が確認されているものが3条、部分的に発掘されたものを含めると9条もの環濠が発見されています。
これら環濠内には大型の高床式建物があったとされ、その近くにも数ヵ所建物跡が発見されましたが、弥生遺跡の定番"竪穴式住居"は同遺跡には無かったとの事で、ここは周辺のムラを統括していたセンター的(?)役割か、祭祀等を司っていた場所ではないか?といわれます。
そういえば2024年、城北線の作中で訪ねた『あいち朝日遺跡』で、"弥生時代は意外と争い事が多かった"という史実にふれましたが、この下之郷遺跡の環濠も防衛目的が主だったとみられます。"武具が多数出土した"と前述しましたが、9重もの溝があったという事は、なにか相当重要な場所だったのでは?とも推測されます![]()
まだまだ調査途上の、湖国の古代史を秘めた遺跡、下之郷でございました![]()
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この後もう1ヵ所行く遺跡はJR線の反対(※内陸)側にあるんですが、そこへ行く前に1ヵ所![]()
下之郷遺跡からさらに琵琶湖側へ歩き、駅から既に3km近く離れました。前方に大きな緑地が見えてきましたが、ここは・
守山市民運動公園です。緑の中に球場やグランドが点在する憩いの場ですが、この公園には見ておきたい資料館があります![]()
何の資料館かというと・
『ほたるの森資料館』です![]()
守山市は従前から"ホタルが住める街"での街おこしをしていて、同公園内の小川もビオトープ状の湿地のような感じで、ホタルが育ちやすい環境にしてあります![]()
見学におじゃまします![]()
残念ながら内部撮影禁止だったんですが、館内には守山市はじめ県内のホタル生態展示とはじめ、ホタルの幼生やサナギを実際に育成していました。又、ホタル以外の水生昆虫等も育てており、滋賀県の水の恵みは琵琶湖にとどまらず県全体に及んでいる事が学べます(※映像コーナーもあり)
昔の守山にはホタルが群生していたそうですが、高度成長期に一時期絶滅の危機に瀕した事から、同市はホタル保護を街おこしとの双輪で推進、現在に至ります![]()
広大なスポーツ施設である一方、繊細な自然の営みも包含する、守山市ならではの運動公園です^![]()
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ここで一旦、駅へ戻るんですが・
中山道や遺跡を見ながら、駅から運動公園まで既に3km以上歩いてきているので、バスで戻る事にします^![]()
この近くに立命館高校や商業施設等もあり、一定の利用者はいるようです![]()
ちなみに守山市のバス、近江バスのほか、湖西側から琵琶湖大橋を渡って江若バスも乗入れており、湖西線堅田駅等への便もあります![]()
一旦駅に戻った訳は、昼食を食べたいのとw
、次に行く2ヵ所目の遺跡が線路の反対側にあるからです^![]()
駅前に天下一品を見つけたので久々に食べます^![]()
学生の頃から食べてた懐しいこってりラーメンの味![]()
しかし近頃、店舗が減ってきたような気もする天一。ご存じ・京都創業ですが現在運営会社の本社は大津にあり、そのせいか滋賀県南部では今も店舗をあちこちで見かけます^
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橋上駅を渡り、線路内陸側の東口へ来ました![]()
メインは冒頭の西口側なので、東口は人影まばら、駅前も少々閑散とした感じ![]()
これから行く"遺跡2ヵ所目"は、ここから線路沿いを草津方へ歩きます![]()
次の遺跡、『伊勢遺跡』といいます。
住宅地の中にポッカリ広がる空地、伊勢遺跡です(※国史跡)
主に弥生後期の建物跡等が見つかっていますが、発見されたのがわりと近年(1980)のため、まだまだ解明途上にある遺跡です![]()
そんな伊勢遺跡、↑先年出来たばかりのガイド施設に入ってみます![]()
小判型の大きな建屋の中に、出土品の展示や再現ジオラマ、映像コーナー等があります。先程の下之郷遺跡と同じく遺構の真上にあって、その一部を観察できます![]()
先程の下之郷遺跡の出土品も展示があり、守山市内数ヵ所に点在する遺跡の関連についても追及しています。
ちょうど入った時見学者が僕だけだったので、学芸員さんが僕のために映像コーナーをつけて頂いたり、ジオラマを基に解説をして頂きました(※)
その時のご教示によると伊勢遺跡、全国に数ある弥生遺跡中でも他にない特徴があるとの事。それとは・
発掘が進むにつれ、集落中心部で大型建物跡が次々と発見。他の弥生遺跡にはみられない集中ぶりで、望楼跡も発見され、かなり高位な地域統治体の本部(?)だったのではないか?とも推定されています。
映像の解説ではなんと『卑弥呼が一時期ここで滞在していたのでは?』という仮説まであるそうです(※まぁこれについては学芸員さんも「推測の域を出ない」とおっしゃってましたが)![]()
館の前に望楼跡があります(※柱の基礎を再現)
四方がほぼ正確に東西南北を向いていたり、周囲の大型建物群もきっちり18mの間隔で建てられていた等、高度な技術が用いられたとされます。望楼では外敵の監視のほか、太陽の動きを観測して農作業の目安にしていたという説も。又、遺跡内の水路跡には石を置いて水をろ過していたと推定され、この時代として最先端をいってたのでは?等、古代の謎に想像が広がります![]()
面積約30ha、弥生後期として全国最大級とされます。
中心部の周囲には住居跡も発見されていますが、学芸員さん曰く「通常の弥生遺跡にはある埋葬跡が見つかっていない」との事。これは、ここの住人は"地元の人"ではなく、統治や祭祀を司るために各地からいわば"赴任"してきてたのでは?との説もあるとの事です。ひょっとしたら伊勢遺跡、大げさに言えば"ミニ吉野ヶ里"あるいは"弥生版三内丸山"ともいえる貴重な遺跡なのかもしれません![]()
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伊勢遺跡は守山市のほぼ南西端にあり、栗東駅のほうが近いんです(※伊勢遺跡だけ行きたい時は栗東駅下車)
栗東駅から帰路へ![]()
この後は場面かわり、後日行った琵琶湖博物館をご覧頂きます↓
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では後半です![]()
別の日に行ってきた、びわ湖沿岸に位置する琵琶湖博物館を見学します![]()
同館はギリギリ草津市に位置しますが、直線距離は草津駅より守山駅からのほうが近い(※とは言ってもJR線から5km以上あり、車orバスとなります)
アクセスは車で湖岸道路をドライブがてら行く人が多いですが、バスの場合は草津駅、タクシーの場合は守山駅からがいいと思います![]()
琵琶湖博物館は、びわ湖に突き出た半島・烏丸(からすま)半島にあります。烏丸といえば連想するのが京都市の烏丸通りですが、何か共通の由来があるんだろうか?と気になってググってみると・
"烏丸"の名は、華族や士族、あるいは地域の有力者等の氏からきているのではないか?という説が有力だそうですが、京都烏丸とびわ湖烏丸の直接的な繋りは不明だとの事です![]()
それはさておき、小型Wo号で着いたのは・
滋賀県立 琵琶湖博物館です(※1996年オープン)![]()
メインは2Fにある3つの常設展示室A~C、まさに3つの視点から琵琶湖&近江の暮らしをみていくというのが基本です^![]()
Aから順に![]()
展示室Aでは"琵琶湖そのものの成立ちや環境の移りかわり"を紐解いています。
ご存じ、日本一大きな湖・琵琶湖![]()
約400万年前に現在の三重県・伊賀上野付近で誕生し、地殻変動に伴って次第に北へ移動、滋賀県へやってきた琵琶湖。実は日本一古い湖でもあります![]()
約200万年前頃、本州に生息していたアケボノゾウの骨格や化石も展示。今では思いもつかない太古日本の姿に思いを馳せます![]()
全展示室のあちこちに↑机に顕微鏡を置いた研究室風(?)にしてある所があって、子供の学究心をくすぐります![]()
B展示室は、縄文~江戸期までの湖国の暮らしにスポットを当てた、いわば"湖国の民俗ゾーン"![]()
そろそろ作容量が無くなってきたので端折りますが
、狩猟から農漁業、祭祀等、営々と琵琶湖のほとりで生きてきた近江の人々の足跡を紹介。大変見応えありました![]()
かつて琵琶湖の水運を担っていた↑丸子船を展示(※復元)
この大きさの船で米俵を約250俵積めたそうです![]()
そしてC展示室は、本館から離れた別棟にあります![]()
円形の建物です。ロビーの周囲に展示室![]()
ヨシ原を抜けると・
C室の展示は、主に昭和期の生活。生活近代化の中、次第に水質も悪化していく琵琶湖の問題についても考える展示。
壁一面の"昭和グッズ"がけっこう充実していて、他館では見ないような貴重なものもあり、これは必見と思います^![]()
↑マディソンスクエアガーデンのカバンとか、感涙の品もw
昭和30年代の農家再現も![]()
古代から現在まで、近江の生活は常に琵琶湖に支えられて営まれてきた事を再認識しました![]()
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そして、C展示室の下階が・
同館の一番人気・水族展示室です![]()
いわば、"びわ湖淡水水族館"です^
博物館の一コーナーと侮る勿れ、充分"水族館"として楽しめる内容です![]()
大小多数の水槽に、琵琶湖の生き物が大集合^
注目は、↑巨大なビワコオオナマズ![]()
固有種で、体長最大1.2mにもなる"巨大ナマズ"です![]()
↑その水槽なんですが、どこにいるのか・
岩の間に隠れていました(※残念)![]()
滋賀に住んでる僕も、琵琶湖の魚をこれだけ一同に見るのは初めてです^![]()
ブラックバス等の外来魚問題についても解説。館によると、昨今これらよりもっと恐ろしい"アメリカナマズ"という外来魚が発見され、もしこれが増殖すれば琵琶湖の固有種が根こそぎ絶滅しかねないという恐ろしい懸念があるとの事で、目下必死の防御が行われています。
湖魚屋のセット、近江名物・フナ寿しの解説も^![]()
他にもアザラシさんがいたり、バイカル湖等海外の湖からやってきた淡水魚も展示していましたが、作容量が無くなりました。ぜひ訪問推奨です^![]()
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館を出ました。さいごに"本物の琵琶湖"を眺めてから帰途へつきます![]()
"日本一古い湖でもある"と前述しましたが、『古代湖の定義』とは、概ね100万年以上前から存在する湖とされ、世界中でも約20湖しかないそうです。湖は地殻/気候の変動で消滅する例が多く、琵琶湖は我々日本人が思っている以上に貴重な、"地球の至宝"だと思います![]()
せっかく小型Wo号で来たので、湖岸道路を走ります。
琵琶湖大橋の近くにある大型モール・"ピエリ守山"へ寄ります![]()
このピエリ守山、一時期なぜか寂れてしまって店舗数が3~4店にまで減少、廃墟モールとまで呼ばれてしまいましたが、近年リニューアルされて勢いが盛り返し、2026現在は約100店舗が入り賑わっています^![]()
ピエリ守山から見た、↑守山市と大津市堅田を結ぶ琵琶湖大橋です![]()
これより南が"南湖"、北側が"北湖"と呼ばれます。対岸の湖西・比叡/比良山系がきれいに見えていました。実は琵琶湖大橋も守山市の立地、そして同橋の近くには県の運転免許試験場もあり、滋賀県民に『守山といえば?』と聞けば「免許センター」と答える人も多数^![]()
あと繰返しですが、今作登場の2遺跡(※下之郷/伊勢)、両遺跡とも発見が近年で今も調査中、将来ここから日本の歴史に新たなページを加えるような新発見があるかもしれません![]()
以上、琵琶湖に抱かれ悠久の歴史が息づく魅力満載の街・守山市ブラでございました^![]()
☆周辺・関連過去作リンク
vol.483 京阪大津線で巡る 石山寺&三井寺【滋賀県シリーズ再起動】 | 旅ブログ Wo’s別荘
vol.509 東海道五十三次ブラ⑱ 東海道最重要地点、実はここかも!?日本一の追分・草津宿 | 旅ブログ Wo’s別荘
vol.482 名古屋駅の隣駅からDC単行が?! "名古屋環状線"の夢の跡 城北線に乗る | 旅ブログ Wo’s別荘
(※↑あいち朝日遺跡について掲載)













































































































