2026年間企画(?)・"岐阜県5私鉄"、第3回です^![]()
今回は、三重県桑名~岐阜県大垣、さらに西濃の奥座敷までを結ぶ、養老鉄道です![]()
但し今作では"岐阜の私鉄"という事で、養老駅以北の区間を見ていきます。
(※三重県内区間の桑名~多度間は、2016年の東海道五十三次枠で乗っています、末尾にリンク)
あと、第1回の美濃赤坂線、第2回の樽見鉄道の両作で載せきなかった大垣の街ブラですが、次回(※第4回)からの路線は大垣を離れるため、今回で載せないともう後がないので
、後半でご覧頂きます。
又、養鉄を代表する名所・養老の滝へも行きます![]()
ではスタートします^![]()
又々ですが大垣駅から![]()
シリーズ①はJRの支線、②は国鉄転換3セク路線でしたが、今回乗るのは"純私鉄"です。
大垣駅は"車庫のあるJR線主要駅"なだけでなく、実はバラエティに富む接続路線も多い駅です^![]()
今回乗る養老鉄道、近年まで近鉄の路線でしたが、2007年に分離独立しました(※詳細は後程)
↑が、JR駅の西側にある養鉄の駅舎ですが・
JR駅ホームから↑直接行ける連絡改札もありますが、対応の定期券等所持の場合のみ利用可です![]()
切符を買わないといけないので↑JR駅隣接の養鉄駅舎から入ります![]()
改札を入ると~
お~
ホームの両側に近鉄と東急の電車が並んでいる!w![]()
公有上下分離後(※後述)に、東急の車も譲受しました。近鉄車は老朽化が進んでいるとの事で、置換え用に自前の新車も導入予定だそうです。岐阜県で小豆色の近鉄車がみられるのは今のうちです![]()
大垣駅構内で、遠目にJ海の車両を見つつ佇む東急7700、不思議な光景ですw
いつも当別荘で書いてますが、ホント東急の車両って全国で引っ張りだこだなぁと^![]()
東急車・近鉄車とも、養鉄では形式名や車番表示を旧社そのままで使ってます。養鉄はその辺のこだわりは無いみたいです^w![]()
2~3両編成で運用、↑一部転換クロスに改造の車も。地方私鉄の温かみを感じます^
ここで、三重県区間を含む養老鉄道の概要を^![]()
前述の通り、2007年に近鉄から経営を引継いで運営している養老鉄道。最初の区間が開通したのは1913(大正2)年、一世紀以上の歴史を持ちます。
創立時は今と同じ"養老鉄道"という名の独立社でスタートしましたが、戦前には数次の合併等変遷があり、戦後は近鉄の一路線に。三重県桑名駅まで全通後は、往時狭軌だった現在の近鉄名古屋線との直通列車もあったそうです。
伊勢湾台風の後、復旧時に名古屋線は標準軌へ改軌されましたが、国鉄との貨車やりとりをしていた養老線は狭軌のままとされ、構造的には"孤立路線"となりました。
しかし桑名駅では同一ホームで発着し、運営面では引続き"近鉄線"として長年やっていましたが・![]()
21世紀に入り近鉄は、三重・岐阜県内の支線を子会社化する方針を打ち出し、過去作で取上げた四日市あすなろう鉄道や伊賀鉄道等、次々と分離。2007年、この養鉄もそうして発足しました。
当初は運行を養鉄、施設保有が近鉄の"親子上下分離"でしたが、2018年に施設(※線路・車両等)は、沿線自治体が設立した『養老線管理機構』へ移管され、"公有上下分離"へ。近鉄と資本的には完全に離れる事に。
公有後は、前述の通り東急からの中古車も導入する等、一層の独自化が進みつつあります![]()
改めて↑路線図ですが、桑名~揖斐間約60㎞、全線単線電化です。ここ大垣駅で一旦終端となりスイッチバックする形で、全線を走り通す便はありません(※大垣駅で全列車折返し)
☆今作では便宜上、大垣以北を『北線』、以南を『南線』と呼びます![]()
ダイヤは↑概ね日中約40分毎ですが、面白いのは北線のいわば"盲腸区間"である大垣~揖斐間のほうが本数が多い事。17~21時の夕刻帯は20分ヘッド、多分大垣北郊からJR乗継で名古屋方面への通勤客が多いと思われます![]()
発車しました!
まずは南線から、養老駅へ![]()
桑名方面/揖斐方面が↑500m程並走した後、分れていきます![]()
1駅目が、車庫のある西大垣駅![]()
養鉄は計30両程所有しているそうですが、この規模の私鉄にしては大き目に見えました。やはり"元近鉄"の風格でしょうか(?)
2駅目が↑地味に"難読駅"と思うんですが、『美濃青柳』と書いて『みのやなぎ』です(※"青"は読まない)
次第に、住宅地から田園風景へ![]()
鈴鹿山系が近くなってきました![]()
そして数駅後・
線名・社名にもなっている養老駅に到着![]()
↑ひょうたんを模した駅名標も(※ひょうたんについては後程)
古風で重厚な↑養老駅舎![]()
(※岐阜県養老郡養老町)
これから養老の滝へ行くんですが、↑周辺かなり広い区域が公園になっているようです![]()
途中で散見されるのが、"ひょうたん関係の(?)お店"
ひょうたんについては滝で^![]()
養老公園に着きました!
ここから滝まで、まだ1km位あります![]()
駐車場から滝まででもだいぶんあるので、車で来る場合も油断せず歩きやすい靴で![]()
滝までは登り坂です![]()
昭和感ある売店が点在^
お、見えてきました!
ラスト石段を上ると・
来ました!養老の滝です^
(※落差32m 揖斐関ヶ原養老国定公園・日本の滝百選)
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☆ここで、同滝にまつわる伝説を↓
>昔この付近に、山々で薪を集めて生活の糧としていた父子がいた。父親は病弱のため働けず、息子は多く稼げた日には、自分の事はさておき、父が好きな酒に代えて帰る孝行息子だった。
ある日、薪集め中に山中で転んでしまうが、そこで"酒の匂い"を感じる。近くの岩間から湧く水を汲んで飲むと「酒だ!」
その水をひょうたんに入れて持ち帰った息子、父に飲ませると「美味い酒だ!」と喜び、しかもそれを飲み始めてから父の体調はどんどん良くなり、若返りさえみられた。
この噂は当時都だった奈良にまで及び、時の元正天皇が現地を訪問。不老の酒の奇跡と孝行息子の話にダブル感激w、なんと息子を美濃守に任命し(!)、元号も『養老』に改めた(717~724)という。その岩間が、今の養老の滝である![]()
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ちなみに、日本最古の居酒屋チェーン・養老乃瀧の命名由来も、途次にひょうたん店が多かったのも、上記の話からです^![]()
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滝から下山してきましたが、養老公園内あちこちにある、↓の案内板がどうも気になって・
↑『養老天命反転地』![]()
何か宗教的な施設なのか?でもそれなら公立公園にの中に案内板がある訳がなく、確かめてみる事にします![]()
濃尾平野が一望できる斜面を下っていくと・
ありました![]()
有料の囲み施設のようで(※この日は休場だった)、開場時間や注意事項が書かれてましたが、肝心の"何の施設か"の記載はありません![]()
柵ごしに覗くと、なにやら独特の構造物が。
その場でスマホでググると・
この施設、日米2人の美術家がプロデュースした"アートパーク"だそうで、内部では様々な非日常の体験が出来るとの事。こんな凝ったものが養老にあるとは初めて知りました![]()
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養老駅に戻ってきました![]()
養鉄はICカード未導入で(2026)、懐かしの改札口が。養老駅は有人で、列車時間に合せて改札があり、ローカル駅にしてはカッチリしています^
大垣駅へ戻り、次は"北線"に乗車します^![]()
北線は東急車で^
養鉄では平日日中/土日終日は『サイクルトレイン』を実施しており、自転車を袋無で持込めます![]()
発車すると、先程の南線の逆・右側の線路を走り、1つ目の室駅手前で分れます。その後、JR大垣車両区のヘリを廻り込むように北側へ向きを変え、揖斐終点を目指します![]()
基本、住宅と田畑が混在する郊外風景が揖斐終点まで続きます。
北線区間(※大垣~揖斐間)は約14km、途中8駅あり、そのうち2駅で離合可能です。
途中、現在は棒線のみの広神戸(ひろごうど)駅で↑廃側線の跡を発見。編集時に調べると、1970年代まで同駅近くの紡績工場まで引込線があり、貨物扱をしていたとの事![]()
北線の途中主要駅格である池野駅に・
↑電車写真入りの路線図が!w
写真の電車が全て近鉄車だったので、養鉄転換初期につくられたと思われます![]()
その次の北池野駅、↑市販の物置を改造したとみられる待合室がホームに2つも^![]()
大垣を出て約25分、又々廃側線が見えてくると・
終点・揖斐駅到着です![]()
かつては貨物扱いもしていたという揖斐駅、現在は1線のみ。
過去の繁栄を秘めつつ建ち続ける古風な駅舎に、東急車が横付けする2026年の姿です![]()
広い駅前ロータリー、昭和期は賑わってたんだろうなぁ・と![]()
同駅は揖斐郡揖斐川町に位置します。
揖斐川町は岐阜県西端近く、大垣の奥座敷といった所です。平成大合併時に"秘境村"として知られた藤橋村や坂内村等5村を併合、滋賀/福井県とも境を接する広大な中山間地を擁する町になりました![]()
揖斐川町、夜叉ヶ池等いろんな名所があるんですが、残念ながら駅から徒歩圏内になく、でもせっかく来たので周辺を歩きます![]()
特に特筆するものはないんですが、なんともいえない味がある終点駅でした![]()
駅からすぐ、揖斐川の支流・粕川。ここから1km位の所で揖斐川と合流します![]()
大垣への戻りも↑東急車が来ましたが、2連だったため混み、写真があまり撮れませんでした![]()
近鉄から離れ、沿線地域と運命をともにする"公有上下分離"の道を選んだ養鉄。だんだん近鉄の色が薄まるのと比例し、地域との繋りは深まっていくのかもです^![]()
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では後半、掲載が延々になっていた、大垣市街の街ブラをご覧頂きます![]()
乗換駅としておなじみの大垣駅ですが、僕もシッポリと歩いたのは今回初めてです![]()
突然ですが・
"水の都"といわれる都市、全国にありますね・![]()
ここ大垣市も、東海地方きっての"水都"として知られます![]()
その所以は・
木曽三川の一つ、揖斐川近くに位置する大垣市、濃尾平野の地下(地層)が東から西へ傾斜沈降する構造になっていて、揖斐川のみならず木曽三川全ての伏流水が大垣付近へ集まり、そのため大垣では地面を少し掘ると豊富な地下水が噴出する『自噴井戸』を得られるポイントが多く、今も数多くの井戸が滾々と泉水を溢れさせています![]()
又、大垣城(※後程行きます)の外堀としての役割もある水門川が市内を流れ、水都にふさわしい景観をつくり出しています![]()
そんな水門川や井戸も見つつ、水の恵みで発展してきた大垣をブラっとします![]()
大垣駅から、駅前通りを南へむけ歩きます![]()
早速、駅前にも井戸が。大垣市の『水都再生プロジェクト』により近年設置されたもので、水質もほぼ飲用に堪えるレベルだとの事です![]()
駅前ロータリーに立つ↑塔、その名も『水都タワー』、てっぺんが噴水の形状です![]()
駅前にあった↑地図、観光案内図かと思いきや、なんと『井戸や泉だけを案内するマップ』^![]()
駅前通りを南へ![]()
早速、川が現れました。この後行く大垣城の掘割を兼ねる、水門川の支流です![]()
桜の季節には、市街地で川下りが楽しめる『おおがき舟下り』が期日限定で運航されます(※川沿いは桜が美しい場所も多)![]()
そんな大垣ですが、水ばかりではなく歴史&文化豊かな街でもあります。まずは・
駅から500m余に位置する、大垣城跡へ![]()
駅前通りのすぐ西側、城門(※東門)があります![]()
門を入って、まず目を見張ったのは・![]()
早咲のしだれ桜が出迎え^![]()
(※街ブラのみ、去る3月に撮影)
では、復元された天守へ![]()
(※城跡は大垣市史跡)
↑1959(昭和34)年に復元再建された大垣城天守![]()
平城ですが、小高い丘に建っています。明治維新時に廃城となりましたが天守は破却されずに残り、戦前には国宝(※旧法による)に指定されていました。しかし、終戦わずか1カ月前の大垣空襲で惜しくも焼失。戦後再建されたものです。
↑現地解説板に在りし日の写真がありました。4層4階ですが、ありそうで無い、珍しい様式だそうです^
内部見学へ^![]()
各地の城と同様、天守内を博物館として利用![]()
映像コーナーも複数あり、大垣城の歴史を解説![]()
その"大垣城の歴史"ですが、当別荘近作の美濃赤坂(※2月up)と、昨秋upした関ヶ原の作と大いに関係ある経過です。それとは・![]()
同城の歴史中で銘記したいのが、アノ関ヶ原の戦いでこの城が重要な拠点となった事。西軍・石田三成が戦の約1ヵ月前に入城し、ここから関ヶ原へ出陣。先般の作で訪ねた美濃赤坂・杭瀬川の戦いに臨んだ後、関ヶ原本戦へ。
しかし西軍は敗退、それをうけ、三成の臣下が守っていた大垣城へも東軍の攻撃が激しくなり、ついに陥落。
"天下分け目"だったのは関ヶ原だけではなく、まさにこの大垣を含む西濃全体が東西激戦の舞台でした![]()
(※関ヶ原・美濃赤坂の作、末尾にリンク)
最上層は・![]()
お約束の望楼、濃尾平野が見渡せました^![]()
入った時の門と反対側(※西門)から出ると・
周辺には大垣公園や、大垣市郷土館も。街ブラには打ってつけの環境^![]()
-*-*-
そして、大垣といえば~
水の都・戦国の要衝・そしてもう一つ、
俳聖・松尾芭蕉が『奥の細道むすびの地』とした場所でもあります。
街ブララストは、その芭蕉ゆかりの地にある資料館を訪ねます![]()
お城の南西側に↑大垣市役所。そこからさらに南下していきます![]()
このあたりまで来ると、駅から1km以上離れ、静かな住宅地になってきます。そんな一角に、先程からの水門川が幅を広げる一角があります。そこには・
↑歩行者専用の吊橋が^![]()
この一角は『四季の広場』といい、周囲にはカフェも数軒、水辺の休日を楽しむ事ができます![]()
大がかりな↑人工滝まであり、繰返しですが大垣市の"水都による街おこし"への本気度が窺えます![]()
そして・
着きました、市立奥の細道むすびの地記念館です。
駅からここまで徒歩20分位![]()
当別荘創設以来、いろんな作中で幾度となくで出てきた芭蕉の足跡![]()
ここ僕は長年訪ねたかった館です![]()
館内は、有料ゾーンの『芭蕉館/先賢館』、
無料の『観光交流館(※物販等)』に分れます![]()
芭蕉館では『おくのほそ道』の足跡を、充実の解説と史料で辿る事ができます![]()
吟遊の俳人、松尾芭蕉。彼が行脚した数々の旅の中でもダントツに長距離だった『おくのほそ道』。
1689(元禄2)年、江戸深川の庵を出立してから白河の関を越え奥州、さらに出羽から日本海側へ、北陸路をほぼ縦断、ここ美濃・大垣をむすびの地とした、約150日間に及ぶ大遊行。
同館では時系列に沿い、芭蕉が逗留した地ごとに体系的に解説。「来てよかった」の一言に尽きる館です![]()
当別荘過去作で訪れた地も少なからず(※末尾にリンク貼っておきます)
しかしこの長旅、"吟遊、遊行"という言葉では誤りそうな程、体力/気力の両方を酷使する厳しい旅だったのは想像に難くありません。
芭蕉は、遠隔の地で見る寺社や風光に感動し、逗留地では土地土地の俳人たちとの交流を楽しみ、歴史に残る数々の名句を生み出した事はいうまでもありません。過酷な旅だけに得るものも多かった、まさに"旅を極めた"とはこの事でしょう![]()
江戸を出立して約半年、芭蕉はむすびの地とした大垣へ到着。
大垣に着いた芭蕉は体調もガタガタになっていましたが、15日程滞在して疲れを癒し、当地の俳人たちとの交流や句会を楽しんだとの事。
大垣で『蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ』の名句を詠み、旅を締めくくった芭蕉ですが、"ほそ道後"の芭蕉は、川舟で伊勢湾に出て、伊勢神宮や伊賀上野等を行脚した後、江戸へ戻ったとされますが、細道後の詳細なルートは詳しく判っていません![]()
過去作でも度々書きましたが、芭蕉には"謎の部分"も少なからずあります。
なぜ、移動を厳しく制限されていた江戸時代にあれだけ長期間/長距離の旅が許されたのか?同行者・曽良とは実は何物なのか?等々、興味は尽きません。
映像室は3D映像(※専用メガネ貸与)で、立体感ある映像で芭蕉吟遊の地を辿っていきます。約15分の映像が6本あり、全部見るとゆうに1時間以上かかります![]()
作容量がもう限界近いので紹介しきれませんが、この館、又撮影関係なしでじっくり再訪したいと思っています^![]()
そして、芭蕉館を出ると~
館の前が水門川、芭蕉が舟で伊勢へ出立した、ここが『むすびの地』です![]()
再び水門川べりを歩き、駅へ戻ります![]()
大垣駅から帰途につきます![]()
時間があれば途中下車してみる事推奨の大垣です^![]()
2026岐阜私鉄企画、3回連続で大垣からでしたが
、次回④からは大垣を離れ、岐阜県をさらに奥へと進みます。
一般作を挟み、夏以降におおくりします。お楽しみに^![]()
☆関連過去作リンク↓
vol.215 東海道五十三次ブラ⑨ ハマグリだけじゃない 公園&城跡&大河の街・桑名 | 旅ブログ Wo’s別荘
(※↑養老鉄道の三重県区間・桑名~多度間乗車)
vol.441 三重に2つのナローゲージ (前) "近鉄の零れ花?" 四日市あすなろう鉄道 | 旅ブログ Wo’s別荘
(※↑同じく、近鉄から分離)
vol.507 天下分け目の関ヶ原 昔も今も"東西が交わる里" 関ヶ原古戦跡ブラ | 旅ブログ Wo’s別荘
vol.511 '26岐阜5私鉄① JR美濃赤坂支線 中山道・石灰と歴史の宿場 赤坂宿 | 旅ブログ Wo’s別荘























































































































