こんにちは、まるこですニコ

 

先日、上野・国立西洋美術館へ「ルーベンス展 バロックの誕生」を観に行ってきましたラブラブ

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今回はかなり軽い気持ちで出かけたのですが、とってもとっても良かったですアップ

 

今回の記事では、ルーベンスについてや、展覧会で良かった作品の感想、展覧会グッズについてなど…思いつくままに好き勝手書いていきたいと思いますクラッカー

 

今回久々に長くなってしまいましたが、興味あるとこだけでもどうぞお付き合いくださいませニコ

 

ルーベンス展

ルーベンス大先生ってどんな人?

まずはルーベンス大先生自身についてご紹介していきます。

この件(くだり)は自分のためのノートまとめのようなものなのですっ飛ばしてもらってかまいません。展覧会の簡単な予習にはなるかも。

 

注:まるこはルーベンス大先生の伝え聞くお人柄にかねてより感激しており、基本的には”大先生”を付けて呼んでいます。記事では心苦しいですが敬称略させていただき、ルーベンスと表記しますが、心の中では大先生と呟いていますぶー

 

ルーベンスについて

誕生から青年期

1577年ドイツのジーゲンで誕生。

両親はアントウェルペンの人だったが、当時フランドル地域はスペイン支配からの独立戦争中(80年戦争)だったため亡命先のドイツで生まれた。

 

1587年10歳、父亡くなる。その後、一家は故郷アントウェルペンに戻りカトリック教徒として成長。ラテン語をはじめ古典文学を学ぶ

 

1590年13歳、生活に困った母がルーベンスを小姓に出す。そこで芸術の素質を見込まれ画家に弟子入り

 

時期は分からないけど、高度な教育を受けたルーベンスは7か国語を使いこなしたと言われていますおーっ!

 

イタリア時代(1600-1608年)

1600年23歳、イタリアでヴェネツィア派に触れ、大いに影響を受ける。

翌年、フィレンツェ経由でローマへ。

ローマでは古代ギリシャ・ローマの芸術に触れ大いに影響を受け模写する。

 

1603年26歳、マントヴァ公の外交官としてスペイン・フェリペ3世を訪れ、フェリペ2世の膨大な収集品を見る

1604年27歳、イタリア帰還

1606~8年はほぼローマで過ごす

 

アントウェルペン時代(1609-1621年)

1608年31歳、母が病に倒れたためアントウェルペンに戻る(が、ルーベンスが戻る前に母死去)

 

1609年32歳、フランドル地域とスペインとの80年戦争において12年間の停戦協定が結ばれる。

 

ネーデルラント君主のオーストリア大公アルブレヒト7世と大公妃でスペイン王女のイサベルの宮廷画家に迎えられる

…(宮廷の近くではなく)アントウェルペンでの制作を特別に許され、宮廷からの依頼だけでなく他の顧客の依頼も受けた。(※宮廷画家としては異例の特別待遇と言えると思います。)

 

自宅に併設された大規模な工房で、助手・弟子と共に多くの絵画を制作

多くは宗教画、宗教的歴史画、神話画、肖像画、晩年には風景画も。

(弟子の中には若き日のヴァン・ダイク、ヤコブ・ヨルダンスなどがいました。ヴァン・ダイクは後にチャールズ1世に宮廷画家として仕えています。)

 

外交官として活躍(1621-1630年)

1621年44歳、ネーデルラントとスペインとの12年の休戦期が終わると、ルーベンスはスペイン王に外交官として重用されるようになる。

 

1627-1630年、特にスペインとネーデルラントの平和のために外交活動に勤しんだ。

スペインとイングランドの王宮を何度も往復、またネーデルラント北部など各地の宮廷で賓客として迎えられた。この時期、スペイン王・フェリペ4世からとイングランド王・チャールズ1世からそれぞれナイト爵を受ける。

 

1628年、8か月間マドリードに滞在し、外交官として働く一方、王フェリペ4世の依頼で絵画制作。

この時、ルーベンスの世話役をフェリペ4世の宮廷画家・ベラスケスが担っており、親交を持つ。ベラスケスに才能を見たルーベンスはイタリア行きを勧め、フェリペ4世に進言したおかげでベラスケスのイタリア行きが許されている。

 

(私この話大好きで、これ聞いてベラスケス大好きなまるこはルーベンスに”大先生”を付けて呼ぶようになりました目ルーベンス大先生のおかげでベラスケスはイタリアに行けたのよ笑い泣きあとで知ったのですが、本当は一緒に行く計画だったらしいです。でもルーベンスが地元に帰らなきゃいけなくなったのでベラスケス一人で行くことになりました。…歴史にifはないけど、もし一緒にイタリアに行けてたらベラスケスはもっと違うものを見て違うことを感じたかもしれないわねラブラブ

 

晩年(1630-1640年)

(1626年、最初の妻が死去)

1630年53歳、16歳のエレーヌと再婚。この後、モデルとして描かれている。

1640年63歳、心不全で死去

 

 

補足:バロックとは

この展覧会の大テーマのバロックについて補足。

 

バロックはカトリック教会がプロテスタント/宗教改革に対抗するために発達させた芸術様式。

 

カトリック教会はトリエント公会議(1545~1563)において、プロテスタントによる宗教改革に対抗するため教会は何をすべきかという姿勢を明確にし、カトリックの刷新と改革を行った。

 

その中で、宗教美術の方針も定めた。

宗教美術自体は崇敬の対象ではないため偶像ではないと定義し、分かりやすく厳粛で高尚な表現が宗教美術に求められることになった。

そのため観るものを惹きつけさせることが求められ、躍動感にあふれ、激しい明暗表現、劇的な演出、壮大さや感情移入などを特徴とする。

 

ここで決められた対宗教改革のためのカトリック教会の方針に沿って描かれた作品が現在”バロック様式”と呼ばれている。

 

 

 

…ってな感じの芸術様式なので、まるこはとにかく良くも悪くもバロックは分かりやすくて好きです目

「で~~~んDASH!」「どやっパー」「これがっビックリマーク神の力!!」って感じでこれでもかと大画面、これ見よがしの神秘性、神の偉大さの圧の強さ…たまらんねラブラブラブ(ディスってないよあせる

まるこ個人的には宗教画の面白さから西洋美術を好きになったということもあり、バロックのような分かりやすい宗教画好きなのですニコ

 

良かった作品

それでは、展覧会の中でまるこ的に良かった作品を独断と偏見で挙げていきたいと思いますひらめき電球

ルーベンス作品に限りません。

 

なぜ・どこが良かったのかなど書いていきます鉛筆

 

作品名は《》で表し、《》の前の数字は展覧会会場の通し番号です。

 

 

8《ラオコーンの模写素描(ルーベンス)》、9《ラオコーン胸像(ベルニーニ)》

古代ギリシャ時代の彫刻《ラオコーン群像》のルーベンスによる模写と、ベルニーニによるラオコーン頭部彫刻が来ていました。

 

まるこね、古代ギリシャ彫刻の《ラオコーン群像》好きなのラブ本物見たことないけどねDASH!

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(ギリシャ彫刻のやつ上矢印

 

発見されたときに実物をミケランジェロも見ていて、イタリア・ルネサンスに大いに影響を与えている作品と言われています。

 

蛇に絞め殺されるラオコーンさんの表情といい、ダイナミックなポージングと美しい肉体美ラブラブ本当にかっこいい!!

苦悶の表情がたまらないとかいう性的嗜好ではありませんわよぶーあせる

 

で、その《ラオコーン群像》のルーベンスによる模写素描が来ていたので、それはそれは胸熱でしたアップ

しかもポストカードになってたから迷わず買ったんさね

 

この模写スケッチは、線で描くというより面でとらえているような印象を受けました。

ラオコーンの表情もしっかり見えるし、何より肉体表現がかっこいいラブ恋の矢

 

石の彫刻をそのまま描いた感じでもなく、まるで生きた人をモデルに見て描いたようでした!!

 

 

あとね、あとね、あのベルニーニさんの手による9《ラオコーン胸像》も来ていて興奮しました笑い泣き

胸像といっても首から上って感じだけど…オリジナルのラオコーン頭部の彫刻による模写的な作品ですが、見れて良かった笑い泣き

 

ヴァチカンにある《ラオコーン像》のラオコーンさんの表情をどれだけのレベルで再現されてるかは分からないけど、本物だってそんなに近くで見られないからね。ほんと、いいもん見せてもらいましたアップ

 

25《セネカの死》

この絵は題名そのまま、セネカさんの死の場面を描いているものです。

 

セネカは2000年くらい前の古代ローマ帝国の政治家・哲学者ですが、ローマ皇帝ネロの子供時代の家庭教師であり、皇帝ネロをブレーンとしても支えた人です…が、のちに反逆を企てた容疑(ピソ事件への関与容疑)でネロによって自殺させられました

日本の戦国時代風に言えば”切腹を命じられた”って感じうーん

 

で、風呂場で静脈を切って死んだらしいのですが、描かれているのはその場面かと思われます。

 

 

この絵はルーベンスの工房によるものですが、セネカの顔だけはルーベンスの筆なのだそうで…セネカの表情がまたなんとも言えず複雑で見入ってしまいました目

 

死の直前、セネカはどんな思いだったのでしょうか。

てゆうか、ルーベンスはセネカの死の間際の感情をどうとらえて筆に乗せたのでしょう…などと思いながら見ていました。

 

38《法悦のマグダラのマリア》

文字通り”法悦に浸っているマグダラのマリア”の絵です。かなりの大画面。

 

法悦とは、”神の愛に触れ、神と一体になったような感覚になり、この上ない幸福感に包まれる”的な感覚のようで…もっと平たく言えば”信仰心的にイッてる状態=信仰上のエクスタシー”のことです。と、私は認識しています目

 

が、このマグダラのマリアは、顔も体全身も青白く生気が感じられないように見えましたドクロ

目は半開きで白目ひん剥いてるし、右手はだらんと落ちて手首が妙な向きに折れて、死んでいるみたい叫び

 

でも、離れて見ると後景までよく見え、画面右上に天上からと思われる柔らかい光が刺しているのに気付きました。

それとセットで画面全体を見れば、マグダラのマリアも”天国の光に照らされ、あまりの幸福感に気絶している”ように、見えなくも…ない。

 

ところで、手前に落ちている頭蓋骨は、首から頭頂部に向かって下から覗くようなちょっと変わった視点から描かれていましたが、これは解剖学的に正確な描写らしいです。

 

ルーベンスは語学や聖書・神話などの文系だけでなく、解剖学のような理系学問も学んでたんですかねはてなマークそれか助手や弟子の中にそういうの得意な人がいたんかなはてなマーク

 

39《聖テレサの頭部》

ベルニーニと工房による聖テレサの頭部彫刻(メモってないから確かじゃないけど多分大理石)

 

これはサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会の礼拝堂にある《聖テレサ(テレジア)の法悦》の頭部習作です。

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上矢印これは教会にあるやつ)

 

まるこ大好きダン・ブラウン大先生の小説『天使と悪魔』にも登場するこの有名な彫刻の習作を間近に見れて感激しました笑い泣き

 

『天使と悪魔』を読んでいた時に《聖テレジアの法悦》についてはちょっと調べていたので関心がありました。

 

先ほどの《マグダラのマリアの法悦》のように、テレサさんが”神の力でイっちゃってる”瞬間をとらえた彫刻なわけですが、これはテレサが自身の神秘体験を元に書いた『イエズスの聖テレジア自叙伝』の記述を元に作られています。

 

その中でテレサは”燃えた槍を持つ天使が胸元を刺してきて、めっちゃ苦痛だったけどそれ以上に甘美的で魂が愛で満たされた”的なことを語っています。

 

で、この話を元にベルニーニは彫刻を作ったわけですが、学者・研究者の中には”テレサの神秘体験に性的なイメージを重ね、この彫刻作品は性的絶頂を表している”と考え、”彼女の姿勢と表情の描写こそが、この神秘体験がその類であることを物語っている”と考察する人もいたそうです。

 

っつーわけで、聖テレサの法悦は性的絶頂時の女性の表情をとらえた作品と言っても過言ではない、と私は認識していたためある意味興味があったのです。(飛躍しすぎうーん?)

 

しかも今回はその頭部習作なのでかなり間近で表情を凝視出来ました目

…礼拝堂にある作品にはもっと手を加えたのかもしれないけど、それに近いものを見れて勉強になりましたニコ(何のもぐもぐ!?

 

45《ヘスペリデスの園のヘラクレス》

ルーベンスはイタリアで見た前4世紀のギリシャ彫刻家リュシッポスさんによる《ファルネーゼのヘラクレス》に魅了され、造形を学び取り応用したそうです。

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上矢印この《ファルネーゼのヘラクレス》は会場では小さい写真のみの展示

 

この彫刻の影響を受けたルーベンス作品はヘスペリデスの園で怪物(竜)を倒した後に、黄金の林檎を手に入れてご満悦なヘラクレスを描いたものですが…

 

すっごい、すっごぉーぃん筋肉だったよおーっ!!!!!

思わず興奮アセアセ

室伏さん?って思ったけどもっとイカツかったわね。

 

ルーベンスはリュシッポスによる彫刻の量感を保ちつつ、いかに生き生きとした肌の色を出すか、生き生きとした動きを与えるかに心を注いでいたそうです。

 

うんうん、確かに、彫刻のラオコーンの素描を見ても感じたけど、彫刻作品の力強さや存在感はそのままに、絵筆によって”生きている感じ”が再現されているというか、生きている人をモデルに描いたように見えましたビックリマーク

 

 

動物の表現

続きまして、ルーベンス作品の動物表現について感想を書いていきたいと思います。

 

展覧会を見ていて、まるこはルーベンスの動物の描き方に衝撃を受けました。

 

ルーベンスと言えば”(ぽっちゃりを通し越して)でっぷり女子”でお馴染み、というイメージはあったのですが、”動物の表現が秀逸”っていうイメージはなかったので…動物の表情や躍動感にはかなり目を奪われました。

 

特に「すっげぇ~笑い泣き」と思った作品2,3点について書いていきます。

 

注:ただし、まるこが感動した動物の表現がルーベンスの手によるものかはかなり怪しいです。てゆうかむしろルーベンスじゃない可能性の方が高そうですが…まぁお付き合いください

 

56《聖ゲオルギウスと竜》の馬

これは聖ゲオルギウスが竜退治をしている場面の大画面の作品です。

 

ゲオルギウスは馬に乗り、竜は左下に押し込められて描かれているのですが…

 

パッと見たときまるこの視線はゲオルギウスが乗っている馬に集中しました目

 

馬の迫力、躍動感がすっんごいの笑い泣き!!しかも作品自体が大画面なのでその効果は倍増してます。鑑賞者が馬の足元(腹側)から現場を見ているような臨場感がありました。

 

その馬の美しいたてがみや勇ましい表情、動きを示す筋肉の描写がそれはそれは素晴らしくて、私には”馬が描きたかったがための絵”か”馬を見せたい絵”に見えました。

ゲオルギウスがかすんで見えたよぶー

 

また、退治されてる竜は独創的な見た目で、悶えの表情が私は気に入りましたウインク

 

※ただし、この絵はルーベンス作品かどうかははっきりしていないみたいなので…ルーベンスの手によるものかどうかは微妙ですパー

 

57《ヘラクレスとネメアの獅子》のライオン

ヘラクレスの12の功業の最初の一つ、めっちゃ強いやっべぇライオンを退治した話を描いた絵です。

 

ヘラクレスは武器を使って倒そうとしたがかなわず、最後は素手で格闘したのち勝利した…とのことです。

 

素手の方が強いって…どないやねんアセアセビックリマークとグンマーによるエセ関西弁だって飛び出すエピソードですが、ヘラクレスは3日間ライオンの首を締め続けて殺したらしいですよDASH!

 

で、そんな決死の格闘を描いたこの作品ですが、まるこはこのライオンの表情に目を奪われましたのです目

 

それもそのはず、そもそもこの絵のヘラクレスは背中を向け、表情をはっきりと読み取れません。それに対して取っ組み合っているライオンの顔こそが画面の中央に正面で描かれているのですから。

 

しかもそのライオンの表情ときたら…これがまたすっごいのなんのってアセアセ

気迫や苦悶に満ちた迫力の表情が本当に素晴らしくて私はすごく好きです!!

 

…ただし、この絵はルーベンスと工房による作品なので、ライオンの表情をルーベンスが描いたかどうかは微妙です。

 

54《パエトンの墜落》

この絵は、太陽神アポロンの息子パエトンが太陽の戦車を操縦し天界に昇ろうとしたが、とても難しい戦車のため暴走し、その暴走を止めようとしたゼウスの雷によって墜落した、というギリシャ・ローマ神話を題材にしたものです(説明雑ですすみませんDASH!

 

この絵は馬の動きや表現も素晴らしかったけど、それ以上に全体的なドラマ性に惹きつけられましたラブ

 

安心してください、これはちゃんとルーベンスの手によるものですグッド!

まだ若かったイタリア時代に描いたものです。

 

そこまで大画面ではないのですが、詰め込まれたドラマ性に見入ってしまいましたアップ

 

馬たちの表情やダイナミックな動きによる躍動感、人々の混乱の表情と動作、また、画面全体を覆うカオスに対して墜落してゆくパエトンだけに感じる静寂のコントラスト…

う~ん、ドラマティックラブ

 

画面右下で地上が燃えているように赤く描かれた部分がありますが…

神話の中で、太陽の馬車が暴走したことによって地上では世界のあちこちに火災が発生し、世界の川は干上がったそうです。そのときの大地の大火事が描かれているのだと思います。

 

ところで画面右上から中央に向かって光の筋が刺していますが…

これはなんだろうねうーん

初めに見たときはパエトンが向かっていった太陽の光線かと思ってたけど、これはパエトンを撃ち落とすためのゼウスの雷?

 

…私にはそのどちらにも見えるので、太陽光線と雷のダブルイメージだというずるい説を採用したいと思いますぶー

 

もうね、考えれば考えるほど、見れば見るほど両方が見えるの目

 

********

はい、展覧会の各作品の感想はここまでです。

おつかれさまでした。

 

 

購入したグッズ紹介

続きまして、まるこが購入した展覧会のグッズ、お勧めのグッズ、買わなかったグッズなど独断と偏見でご紹介していきますクラッカー

 

*まるこが購入したグッズとおすすめグッズ

マカダミア・ショコラ2箱(自宅用とお土産用)1箱1100円

 

ベルギー王室御用達の老舗洋菓子店とコラボしたらしいんですが、これ美味しかったよラブラブ

バターいっぱい使ってそうなクッキー(サブレ)に砕いたナッツがまぶしてあって、薄ーく美味しいチョコでコーティングされてる。

8枚入りで1100円なので決して安くはないけど…私は買って良かったと思ってます音譜

 

理由の一つは箱が良い!!

お菓子の箱にしてはすごくしっかりした箱でね、ぜひ何かを入れて飾りたいです。捨てるなんてもったいない箱!!

 

ポストカード5枚 各150円

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ポストカードは全23(?だったかな)種類もあるのでかなり悩みました。

私が買ったのは《ティベリウスのカメオ》《ラオコーン群像(模写素描)》《パエトンの墜落》《聖母被昇天》《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》の5枚です。

 

やっぱりラオコーン様かっこいいラブ

パエトンの墜落もめっちゃかっこいいんだけど…ポストカードだと小さいよね。A3くらいのパネルで欲しいわえーん

 

他にも魅力的なポストカードたくさんありました!!

あとで買い足すかも。

 

グリーティングカード 500円

 

このグリーティングカード素晴らしいっすねラブラブ

2種類あって、私は《キリスト昇架の三連祭壇画》の方を買いましたクラッカー

何がすごいってほんとに祭壇画みたいにな作りでちゃんと開くのアップ

 

どうやって飾ろうか(しまっておこうか)悩むけど…時々御開帳するなどして楽しみましょう音譜

 

これ、一枚500円するので悩んでこっち買ったけど、やっぱりキリスト降架の方も欲しいからあとで買い足そうと思ってますDASH!

 

マルチホルダー 600円

 

《パエトンの墜落》のマルチホルダー(チケットホルダー)

印刷が美しくて一目ぼれです。ほんと色が綺麗ラブラブ

 

チケットホルダー何個買うねんってくらい持ってるのですがあせる

母も気に入ったため買いましたビックリマーク

 

フランダースの犬コラボA5クリアファイル 400円

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A5のクリアファイルですが、《キリスト降架》の裏面には”その絵を眺めるネロとパトラッシュ”が描かれています。

 

これは母が欲しがったので買いましたビックリマーク

 

他にもクリアファイルは種類があったのですが、すべて色が綺麗でどれも捨てがたかったですニコ

 

ベルギービール グーデン・カルロス・クラシック 572円

ビールは8種類くらいあって、370円くらいから810円までのラインナップでした。

めっちゃ悩んだよえーん

予算の関係と荷物になるということで1本だけあせる

 

甘味・酸味・苦味などで分類されてて、あれもこれも飲んでみたいと思えるキャッチーな言葉で誘惑してきます。気を付けてください爆弾

 

私は810円のやつとこのグーデン・カルロス・クラシックとでかなり悩みました。

売ってる中で一番アルコール度数の高い(8.5%)ものから選んだのですが、810円の方はすごく怪しげな危険な言葉で誘ってきてめっちゃそそられたえーん。。。でも、結局カルロス何世だかが愛したって書いてあった由緒あるこちらを購入ひらめき電球

今夜飲みます。覚えてたら感想書きます。

 

*欲しいと思ってたけど買わなかったグッズ

大判ハンカチ 1500円

素描か何かの大判ハンカチをネットで見て欲しいなって思ってたけど、実物は思ってたよりも発色が良くなかったので買いませんでしたあせる

アンティーク調と言えばそうなのですが…

 

フランダースの犬コラボのリップバーム 500円

ツイッターで人気だった缶入りのリップバーム。

3種類くらい絵柄があったかな?

とても可愛かったけどルーベンスっぽさが残ってなかったので買いませんでしたあせる

 

ブランケット 7400円

ネットで見て興味があったのですが、実物はかなり薄かったです。

発色も思ってたのと違ったので…ちょっと高いと感じてしまったため買いませんでしたえーん

 

以上、まるこの独断と偏見でルーベンス展グッズを語るコーナーでした。

 

おわりに

以上、ルーベンス展についてでした。

 

 

「最後までたどりついたよ~」

「まるこ、頑張って書いたね~」

「ルーベンス展行きたくナタヨー」

「展覧会の予習・復習にナタヨー」

「まること美術館デートしてるみたいダタヨー」

などなど…思ってくださった方、いいねしてってちょーねラブ

ペタしてね

 

こんにちは、まるこですニコ

 

毎年秋恒例の大蔵流山本会(山本東次郎家)の桐生公演行ってきましたアップ

私は今年で3回目になりましたラブラブ

 

今年は「愛すべき食いしん坊たち」がテーマで、「岡太夫」と「栗焼」

 

どちらも笑いと教養に満ち、突っ込みどころ見どころ満載で楽しい時間を過ごしましたクラッカー

 

 

それぞれのお話のあらすじと補足、感想など書いていきたいと思います音譜

 

年に一度の狂言鑑賞、付け焼刃のにわか知識のため外れたこと書くかもしれませんぶー

ご了承くだされよ真顔

 

【大蔵流山本会 狂言 ~愛すべき食いしん坊たち~】

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『岡太夫』

<あらすじ>

吉日、婿(むこ)の来訪を待つ舅(しゅうと)の家に初めて花婿が一人で挨拶にやってくる。

めでたく祝盃を飲み納めると、用意されていたわらびもちが運ばれた。

 

舅は人に珍しいものを食べさせるのが好きらしい。

婿は初めて口にしたがたいへん美味しく気に入った。

 

婿がその食べ物の名を訪ねると舅は「わらびもち」とも昔延喜の帝がお好きで官位をくだされたので「岡太夫」とも言い、朗詠の詩にも載っていると答えた。(注1)

 

しかも舅が言うには娘が作り方を知っているというので、帰宅した婿はさっそく妻に作るよう命じた。

…が、記憶をたどっても名前を思い出せず、ようやく朗詠の詩にあるものとまでは分かったが名が浮かばない。

 

妻は朗詠の詩を次々吟じながら、「あれじゃないか!?これじゃないか!?」といろいろな食べ物の名前を出すがなかなか分からずついに夫婦げんかに発展してしまう。

 

怒った夫が妻をぶったことをきっかけにわらびもちの名を思い出し、夫は「それだひらめき電球さぁビックリマークさっそく作ってくれ!!」と丸く収まる。

 

 

<話の詳細と感想・つっこみなど>

*「岡太夫」の意味

(注1)舅がわらびもちを説明するときに、「昔延喜の帝がお好きで官位をくだされたので岡太夫といい」と言っていましたが、これについて補足します。

 

”延喜の帝”とは醍醐天皇のこと。

昔、醍醐天皇がわらびもちが好きすぎてわらびもちに官位(太夫の位)を与えたことから、わらびもちに”岡太夫”という別名があるんだよ、ということを言っているのだそうです。

 

おもしろーい真顔

 

*間の抜けた婿

これは結婚の挨拶に花婿が初めて舅の家に挨拶に出かける話なんだけど、婿のポンコツっぷりがまぁまぁひどいんですアセアセ

 

挨拶の序盤に婿が「(近頃嫁が)青梅を好いて食べまする」と言うのですが、これは”妻が妊娠したようだ”という意味です。

酸っぱいもん食べたくなるって言うもんねもぐもぐ

 

妻が妊娠するまで舅に挨拶に来ない婿は当時としてもやっぱりおかしいらしく、当時の観客はここで笑いが起きたそうですDASH!

 

私も見ていて「えアセアセ挨拶遅くない!?」と思ったけど、この感覚は正解だったようである意味安心しましたあせる

 

また、二人で酒を交互に飲んだ時、婿が嫌そうな顔をして「何この酒!?から~~いゲローぺっぺっと出された酒をナチュラルにディスり、舅に気を遣わせるという育ちの悪さ。…でも、「からいけど、これもまた良いねグッド!」みたいなことも言ってて…友達じゃないんだから汗とちょっと呆れちゃいましたDASH!

 

この後の展開を見ても感じるんだけど、こいつのポンコツっぷりと無教養っぷりが、妻の高い教養や人柄と対照的過ぎて笑えます。

 

*連想ゲームからの夫婦げんか

婿はわらびもちがすごく気に入ってもっと食べたかったんだけど、「もうないよ」と言われてがっかりします。でも、舅が言うには娘が作り方を知っているから作れると聞いて嬉々として帰ります。

 

帰ってから嫁に「作ってくれビックリマーク」と言うんだけど、名前が思い出せないので嫁は作れません。

 

やっとのことで婿は”朗詠集にも名が載っていると言っていた”ことを思い出し、それを聞いた嫁は詩を朗読しながら心当たりのある食べ物の名前を出していきます。

 

嫁は和漢朗詠集を諳んじるほど教養ある人なんだいね合格

それに比べてこのポンコツときたら…

 

 

で、吟じる詩の中に””が出てきて嫁が「梅干しじゃないはてなマーク」と言うと婿は「そんな酸っぱいもんじゃねぇパー」と否定。

 

詩の中に”ひげ”が出てきて嫁が「ところ(山芋みたいなもの)じゃないはてなマーク」と言うと婿は「そんな苦いもんじゃねぇパー」と否定。

 

詩の中に”白飯山(注2)”が出てきて嫁が「ご飯じゃないはてなマーク」と言うと婿は「朝晩食うもん忘れるわけないだろパー」と否定。

 

 

それに対して嫁は「酒飲んで狂ったか!?」と言い放つ。

婿は「夫に向かってその口は何だムキーッ」と怒り、ついに手をあげ嫁をぶちました。

 

ぶたれた嫁は腕を顔の前にあげて防御をするが、自分でその腕の形(握りこぶし)を見て朗詠集に”わらび”が出てくることを思い出し、「わらびもちじゃないはてなマーク」と言うと婿は「デレデレひらめき電球それだビックリマークさあ作ってくれ!!」とテンション上がって仲直りしオチました。

 

 

うん。このあたりのやり取りを見ても、嫁は教養があるが婿はものを知らず子供っぽい振る舞いが対照的ですね。

とはいえ、夫に対して「酒飲んで狂ったか」と言い放つあたりは結構言うなとおかしかったですゲラゲラ会場も笑い起きてましたアップ

 

んー、夫のDVはどうなのはてなマークと思ったけど、珍しいことではなかったのかなうーんはてなマーク

 

ぶたれて防御した腕を自分で見てわらびを連想させたって言ったけど、その時(ちょっと確かじゃないんだけど)”紫”がどうとかって言ってたような気もする。だとすると、紫のあざが出来るほど強い力でぶたれたのかな?とんだ野郎だぜDASH!

 

 

ところで注2について。

朗詠集を詠んで思い出そうとしている場面だけど、朗詠集に”白飯山(はくはんさん)”なんて出てこないんだって。

そりゃそうだもぐもぐ

山盛りの白飯(しろめし)”が言いたいがための作者のパロディのようなもの。

 

こんなしかけもあるのかおーっ!ひらめき電球と、笑うとこなのに感心してしまいましたアップ

おもしろいねー真顔

 

*うまそうな手作りわらびもち

ところで、狂言はほとんどの演目において、身振り手振りで”そこにある体(てい)で”演じられることが多いですが、この演目には小道具としてわらびもちが登場します。

 

両手のひらに収まるほどのぷりっぷり、もっちもちに見える白いぽよぽよな物体音譜

食べると小さくなっていって最後はなくなってしまうのが面白かったですニコ

 

このわらびもちは”おうめ綿”で作っているのだそうで、綿を細かく細かく裂いて空気を含ませたものをわらびもちに見立てて使います。

 

そのわらびもちを食べ進めるにつれ、手で握って小さく見えるようにして、最後には手の中にしまったものを袖の中に入れ、手品のように消えてなくなるところが見ていて楽しかったですね合格

 

それがまたとてもぽよんぽよんで柔らかそうで、アホっぽい婿の何も考えてない満面の笑みと相まって本当に美味しそうでしたもぐもぐラブラブ

 

出来立てわらびもちを手づかみで食べるのには衝撃でしたが…

 

*食べ方「あむあむ」

わらびもちを食べるとき、婿は「あむあむ、あむあむ」と声に出しながら食べていましたもぐもぐ

今でいう「もぐもぐ」といった擬音なんでしょうけど、数百年前は「あむあむ」だったんですねひらめき電球

 

そう言えばちょっと前にテレビで保育士が小さな子にご飯を食べさせてるところを見た時、なかなか口を開けてくれない子供に保育士が「はい、あむあむ、あむあむ」って言いながらスプーン口元に持っていったなと思い出しました。

 

まぁ、数百年前から連綿と続いている用語かどうかはともかく、「あむあむ」って死語じゃないのかと妙に嬉しくなりましたイヒ

おもしろーい真顔

 

*補足の補足…

ちなみに、狂言では3演目だけ食べ物の小道具が実際に使われるのだそうです。

(※大蔵流のレパートリーでは3演目という意味かも?)

 

小道具が使われるのはこの「岡太夫」の他に、「業平餅(なりひらもち)」と「饅頭」という演目だそうです。

 

 

 

『栗焼』

それでは続きまして2つ目の『栗焼』に移りますよニコ

<あらすじ>

主人は太郎冠者(召使筆頭のこと)を呼び出し、ある方からもらった栗が40個あることの意味を考えさせた。

 

太郎冠者は”しじゅう(40/始終)末代まで仲良く”という意味ではないかと言うと主人は喜び、皆にご馳走したいからと焼き栗にするように命じた。

 

太郎冠者は台所で栗を焼き始める。

一つ焼いたらはじけてどこかに飛んで行ってしまった。

 

そこで太郎冠者は”焼き栗はメをかいて(切り目を欠く?芽を欠く?)焼けば飛ばさない”ことを思い出す。

 

そうして焼きあがった栗を主人に持っていこうとするが、いかにも美味しそうなので一つだけと食べてみると、あまりの美味しさに全部食べてしまった

 

そして主人に苦し紛れの言い訳をする。

 

 

<話の詳細と感想・つっこみなど>

*栗は40個、客は70~80人

栗を焼き始めるまでもいろいろとあるのだけど、もらった栗は40個なのにその日の客は70~80人来るのだそうで数が足りないじゃんってなります…焼いてすったら(つぶしたら)50個が70個にもなるよビックリマークとか言ってたけど、結局上客に栗を出して末々の客には他の菓子でいいじゃんってことになりました。

 

焼いてつぶして作った「きんとん」だって今では高級品だけどねもぐもぐ

 

*栗を焼く描写

栗を焼く描写がすごく細かくて、本当にそこで焼いているかのようでしたメラメラ

 

切り込みを入れずに焼いてしまいはじけて飛んで行ってしまった最初の一つは、本当に飛び出してしまったように見えたし、それに対し他の栗に切り込みを入れた太郎冠者が「もう飛びはしないだろう」としたり顔でニヤついている様子など可愛らしかったですラブラブ

 

栗を焼いている場面の熱さや効果音がとてもリアルで、一人ですべてをやっているように感じられないほどでした。

本当に熱そうだし、たくさんの栗がそこにあるのが見える気がしましたおーっ!

 

また、それらの栗を大事そうに見つめる太郎冠者のまなざしがとっても嬉しそうで楽しそうで、見ていてこちらまでハッピーな気分になりました音譜

 

特に東次郎さんは嬉しそうな表情や幸せそうな表情がとても豊かで、私はとても好きですラブラブ

もはや演技なのか、演じるのが楽しくてしょうがなくて満面の笑みになってしまうのか分からないくらい楽しそうに見えます。それがまた見ていて楽しくて面白くてにやにやしながら見てしまいますアップ

 

*栗を食べる言い訳

焼いた栗を主人に持っていく途中、あまりの立派な栗を見て「私はこんなうまそうな立派な栗は食べたことがない。それにこの先も食べることはないだろう…」などと言いつつ、また、「主人に栗の味を聞かれて答えられないとかダメだよな~」とか独り言ち、「客に出せないこの小さい一つなら」と食べてしまいます。

(この辺、本気でそう思っているのか確信犯かなんとも言えない真顔…)

 

するととても美味いアップ

さらに、「一つ食って叱られるのも二つ食って叱られるのも同じだ」と、ちょっと変になっちゃってるやつ(焦げたか虫食いか?)を食べると「美味い口が変になったイラッ」と憤り、次は本当に美味そうな大きいのを選んで食べてしまいます。

 

それがまたあまりに美味くて手が止まらない笑い泣き!!

「おとがい(=あご)が落ちるような」とか「手が離せない」などと言いながら「あむあむ」が止まらず…気づけば全部食べてしまいましたおーっ!

 

 

私が見ていて「こいつアホだなアセアセ」と呆れるのは(口悪いあせる、せいぜい2,3個で終わらせればいいものを40個全部食べるまで止まらないところ。…まぁ、だれもが思うところですが、東次郎さんに言わせれば「ここで2,3個で終わらず全部食べてしまうから狂言になる。(2,3個で自制出来たら狂言にならない。)」とのことです。

 

そだぃね、ごもっともパー

 

*栗がなくなってしまった言い訳

さて、栗を全部食べてしまった太郎冠者は主人になんと説明するのか。

 

それがなななんとビックリマーク

栗を焼いていたら竃(かまど)の夫婦神が出てきたので二人に一つずつあげた」と言いだします。

 

それを聞いた主人、「それは良かったビックリマーク」と喜ぶも、「…で、残りはどうしたはてなマーク」と問い詰めます。

太郎冠者「34人の公達衆が来たので皆にあげましたビックリマーク」と言います。

 

それを聞いた主人、「そうか。…んはてなマークで、あとの4つはどうしたはてなマーク」と問います。

太郎冠者「34、〇〇で38,39,40…」と指を折りながらごにょごにょと数を誤魔化します。

(落語「時そば」のようなやりとり)

 

しかし主人を誤魔化し倒すことはできず…さんざん問われた末”一つは虫食いだった”だの”栗を焼くときには栗が逃げる”だの”灰だらけ(になるものがある)”だの言い訳を並べて「だからもう残ってませんビックリマークどやっ真顔」と開き直ると、主人は叱って太郎冠者を追いオチます。

 

 

 

 

この一連の言い訳をするとき、太郎冠者は竃の神が出てきて語った様子などを歌と舞いを交えて再現します。

 

そうビックリマークでたっ!! 

伝統芸能一人ミュージカル!!

 

気分の高まりを歌と舞で表現したのか、神という存在の神聖を高めるために歌と舞を用いるのかは分からないけど、何かしらの効果のためであろうミュージカル仕様に、ミュージカル好きとして心躍りました音譜音譜

 

ただ…、狂言の歌と舞はとても分かりにくいんですねショックあせる

何言ってるか分からないのが残念でしたダウン

字幕欲しいえーん

(あ、でもあとで解説してもらえたので内容は大体理解しています。)

 

 

また、この時太郎冠者は「神が出てきて」などと苦し紛れの言い訳をするのだけれど、”ゲン担ぎ屋の主人が喜びそうなこと・(嘘だと分かっても)許してくれそうなこと”を考えて言い訳を考えているのが何とも抜け目ないというか…頭の回るやつのようですイヒ

 

 

対談

司会・解説の元NHKアナ葛西聖司さんと人間国宝・山本東次郎さんの対談。

 

今回のテーマは「愛すべき”食いしん坊”たち」ということで、食いしん坊が出てくる狂言をいくつかご紹介されました。

 

その中で、みかんが出てくる話と柿が出てくる話をしていただいたのですが、実際にみかんを食べている描写柿を食べている描写を再現して見せてくださいました笑い泣き

 

 

みかんは狂言の中では「こうじ」と呼ばれているそうです。

柑橘の子で「柑子(こうじ)」。

 

狂言流の食べ方は…「皮をむき、筋をとって、一口で…」と、細かい動作が可愛らしくなんとも美味しそうでしたもぐもぐ音譜

 

数百年前の人たちもみかんは筋とって食べたのかひらめき電球って変に感心したのと、「一口で」はダメだよあせると心の中で突っ込まざるを得ませんでしたねイヒ

 

 

また、柿が出てくる演目の話では、木になっている柿を見て”美味そうだと眺め、どれが良さそうかと吟味し、口に入れる”部分をしてくださいました。

 

かなり余談になりますが、まるこね、芸人のチョコレートプラネットさん大好きなんですよラブラブ

IKKOさんの偽物と和泉元彌さんの偽物でお馴染みのコンビですねひらめき電球

その和泉元彌さんの真似をする長田さんの「美味そうな柿じゃ」と「なんと美味い柿じゃ」がすごく好きなの!!

 

 

で、東次郎さんがそのシーンをしてくださったとき、本物の、しかも人間国宝の「なんと美味い柿じゃもぐもぐ!!を見ることが出来て本当に感激しました笑い泣きラブラブラブラブ

 

 

全体の感想

今年もまた声を出して笑い、伝統芸能への親近感が湧きましたニコラブラブ

 

難しい言い回しや、現在は残っていない習慣などの分かりにくい部分も大いにあるけど、あらすじを知った上で見ることによって話の筋が分かるとやっぱり面白いですねアップ

 

これと同じものを数百年前の天下人たちも見ていたかと思うと胸熱です笑い泣き

 

今回見ていて特に感じたのは、東次郎さんの本当に楽しそうな嬉しそうな表現がとても素晴らしいということですラブラブ

 

また、食いしん坊たちのとっても幸せそうな食べっぷりから、いつの時代も人々は”食べる楽しみ”をかみしめて暮らしていたということを知りました。

 

*********

以上。

最後までお読みいただきありがとうございました音譜

「ここまでたどりついたよ~パー」っていう変わり者のあ・な・たラブラブ

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こんにちは、まるこですニコ

 

先日、高崎市美術館に「山口薫先生からきみたちへ 時をこえて」を観に行ってきました音譜

Screenshot_20181130-110549-01.jpeg

山口薫は群馬県出身の画家で、今年が没後50年ということで地元高崎市の美術館で展覧会が開催されましたクラッカー

(※厳密には高崎が地元と言っていいのかは微妙だけどもぶー…)

 

山口薫は東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後、滞欧を経て、新時代洋画展、自由美術家協会、モダンアート協会を結成し、1930年代から60年代の世界を見つめる一方、郷里の友とともに内なる心を歌い続け、また武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)講師、東京藝術大学教授などを務めました。

(展覧会HPより抜粋)

 

展覧会は山口薫の作品とともに、郷里の友や教え子たち、山口に影響を受けた画家たちの作品も交え、画家であり詩人であり良き教師だった山口薫の面影を偲ぶ構成となっています。

 

 

今回の記事では、この展覧会を見て感じたことなど展覧会の構成に沿って好き勝手書いていきたいと思いますラブラブ

 

難しい考察はせず、軽い気持ちで書いてますので興味ある方どうぞ最後までお付き合いください音譜

(展覧会資料の引用多めです。引用文とその再構成は青字で書きます。)

 

 

「山口薫先生からきみたちへ 時をこえて」

第1章 郷里 1950年まで

山口は大学卒業後フランスへ渡り、先生なしに一人で描く難しさを知りました。

彼はセザンヌのサント・ヴィクトワール山を見て妙義山を思い出します。

 

こんな風に故郷の山が描きたい。セザンヌはそっくりに描くのではなく、その山に向かう気持ちとか思い出まで描こうとするから、空も広いし山も高いのだって。筆の後に心をこめるって知っていたつもりだったけど、もう一度故郷の山で試してみたくなりました。帰ってから榛名山や赤城山を描いてみると、心をこめればこめるほど、絵に自然の空気や光が通うように感じました。新しい書き方にチャレンジするグループを作ったり、戦争があったりと落ち着かなかったけれど、心をこめて描くためには、生活を大切にすることだと気づいたのも、故郷のおかげです。」

(展覧会資料より)

 

 

この考え方、素敵だなと思いましたニコラブラブ

写実的なのが上手いとか良いとかいう価値観ではなく、いかに心を込めるか。

また、心をこめて描くために生活を大切にする必要があると故郷が教えてくれたと…

 

 

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(箕輪城跡 1936年)

 

ちなみに山口は高崎市出身と書かれることもありますが、超厳密には旧箕輪(みのわ)村出身。

で、箕輪村は箕輪町になり、のちに車郷(くるまさと)村が合併して箕郷(みさと)町になってます。

さらに平成の市町村合併により高崎市に吸収されて今は高崎市になっている地域です。

 

なぜここまで私が細かくこだわるかというと…

まるこの父の出身が箕郷町なので、知らない土地ではないのです。

 

じじばばが生きていた時は年数回は行っていたから、箕郷がどれだけ田舎か知っていますにやり

私が言いたいのはここね上差し

 

”高崎市”は群馬一栄えてる市ですが、山口の郷里はド田舎よパー

 

 

【コラム:郷里】

山口にとって箕郷は絵を始めた生まれ故郷であり、いつでも帰ってくる心の故郷でした。

フランスから帰って、東京に箕郷の木材と大工さんを頼んでアトリエを建てて暮らしていましたが、疲れたり傷ついたり困ったりするたび箕郷に帰りました。

 

11人兄弟の末っ子で家族から可愛がられていました。

 

最初の結婚につまづいて筆も握れなくなった時、空襲が激しくなり東京で暮らせなくなった時、絵を売って生活しなければならなかったとき、帰れば温かく迎えて元気をくれた故郷。

 

生活から、心から描きたい山口にとって故郷は大切な絵のテーマでした。

 

テーマや色や形など、のちの絵の大切なヒントはすべて箕郷にあったのです。

(展覧会資料より)

 

 

山口がすごく故郷を大切にしていたことが分かります。

単に”家族や友人がいる地だから”という意味を超えて故郷を愛しているのが伝わりました。

 

私も個人的に箕郷は優しかったじじばばがいた土地なので思い出がありますラブラブ

山口が故郷を描いた絵を見ると、こうした特別な思いを共有できているような温かい気持ちになりましたドキドキ

 

 

【コラム:デッサン】

フランス時代前後、山口の20代前半のデッサンが上手に見えないとしたら、それは山口が上手に描こうとしていないから。同じころ描いたデッサンと油絵を比べると、線で描くデッサンと色の形で描く油絵に見える。でも、デッサンからも色や形が見えるし、油絵にも美しい線が見える。線で描くデッサンと油絵の間を行ったり来たりしながら学んだように見える。

(展覧会資料より)

 

 

あえて上手に描かないことを選んだというのがちょっとびっくりというかある意味で腑に落ちたといった感じでした…

 

正直、絵を見ながら「これは…うまいのアセアセ!?これ…で正解はてなマークで、どの辺が評価されてるのうーんはてなマーク」とまぁまぁ困惑してたのですが、この文章を読んで、上手に見える写実的な絵も描けるけどあえてそうは描かないという選択をしているということを知り、「それはそれで(日本美術界的に)アリなんだ」という驚きと、「上手な絵に見えない」という感覚はある意味では間違ってなかったんだということに安心しましたDASH!

 

でもそれは下手って意味じゃなくて、、、

写実性を捨てて心を込めることを重視した結果だったんですねカラーパレット

 

故郷への思いを丁寧に心をこめて描いていることを聞いたら温かい絵に見えてきたよ目

 

彼の絵は、ただ写実的に描くだけでは見えてこない心の中の線をデッサンで探り、油彩画によって心を注入していたようにも見えました。

 

 

【コラム:抽象】

何かを上手に写すのではなく、筆の後に心をこめて線や色、形をつかんで描く。すると絵は絵の前の物事でなく、画家の心の世界になる。そこに私たちの心の世界を重ねることが出来たら絵空事でなく本当の心の出来事になる。絵には絵の中だけの線・色・形がある。

 

そんな線・色・形を「抽象」というが、山口は「夢」や「情感」と言った。

ただの色や形の組み合わせの先にある心の世界へ。

(展覧会資料より)

 

無機質に感じられそうな「抽象」という言葉を、彼は「夢」や「情感」と言い、心を重視しました。

それは温かみのある接し方のように私には感じられました。

 

 

【コラム:静物】

山口は41~42歳の1年間、柿や桃、りんごをたくさん描きました。

《港》では桃の背景に海や船、岬が描かれています。

 

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(港 1949年)

 

桃を描くうちに思い出の港が背景に重なり、静物が心の風景に変わったのです。

 

外の世界から心の世界に視点が変わり、桃の形ではなく桃の周りを見るようになりました。

(展覧会資料より)

 

 

静物画を描いていると、いつしか心の風景画に変わっているということに彼の人間性の温かみを感じました。

 

また、その絵は初めは”海が見える窓辺に置いた果物を、その背景と一緒に描いた”ようにしか見えない絵でしたが、そうしたエピソードを聞いてから見るとまったく違う絵に見えました。

 

目の前にある自分の視覚が実際に捉えている果物”と、”心の中にある思い出の風景”が同時に見えているように感じられました。

 

 

第2章 家族 1959年まで

山口が若いころから好きな色で、彼の絵に特徴的な色が2つありました。

 

です。

 

実は、朱も緑も故郷の色です。

朱は(箕郷の)土の色緑は杉林の色

 

愛する故郷を象徴する色を多用することで、絵を通して帰郷していたように感じましたニコ

 

 

第3章 歴史 1968年まで

私(山口)の心は、むかしの絵を、人を思い出すことができる。夢みるのと同じように、心の中に確かに生きている。これが永遠?きみの夢、ひとりひとりの夢をつないで、永遠の人の姿に。そんな絵を描きたかったのです。絵というものに夢をよせる、ものおもい。(…)どんなに大きな世界を心に思い描いてもスタートもゴールも箕郷だった。この頃よく涙と書いてしまう。思い出をたどることは、永遠につながること。かなしみのなみだでなく、ありがとうのなみだならよい。

(展覧会資料より)

 

 

絵に夢をのせ、思い出をたどって永遠につなげる…

こうした言葉や思いもまた素敵だなと思いますラブラブ

 

私は美術館に通うようになって最近よく感じるのですが、画家(芸術家)って”ただ絵を描く人”ではなくて…哲学者であり、思想家であり、詩人でもある。広い意味での表現者なんですね。

 

彼らなりの哲学や思想や詩など、彼ら自身の頭の中だけにある特別な世界を、他の人の目にも見える形にしたり、触れられる形にしたり…五感で感じることのできるように自らの言語を使って形にしているように私は感じています。

 

 

第4章 山口薫先生からきみたちへ

展覧会の最後には山口の同郷の先輩や後輩の画家、藝大の教え子、大学院研究室の教え子などの作品が並びました。

 

皆の思い出には、彼が生きているということを伝えた言葉が残っているようでした。

 

 

終わりに

以上、高崎市美術館「山口薫先生からきみたちへ 時をこえて」の感想というか紹介というか…思ったこと書きたかったことを脈絡なく書いてきました。

 

山口薫について展覧会に行くまでは「県内の美術館で数点見たことがある」といった程度だったので全然知らなかったけど、展覧会を通して彼が描きたかったものを感じることが出来たように思いますクラッカー

 

彼が感じたことや描きたかったもの、表現したかった思いはとても温いものでしたニコ

故郷への深い愛や、絵にこめた心を感じられたかなと思います。

 

 

また、山口の絵に限らず、作品の優劣・上手下手・好き嫌いの基準について、自分の中での柱を確立させる必要がありそうだと感じた時間でもありました。(ディスってはない真顔パー

 

 

**********

最後までお読みいただきありがとうございましたラブ

 

「ここまでたどり着いたよ~パー」っていう珍しいあ・な・たラブラブ

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ペタしてねざすっぶちゅー

こんにちは、まるこですニコ

 

先日、群馬県立館林美術館に「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画1920s~1950s」を観てきました目

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今年はまるこ的「太平洋戦争のこともっと知ろう年間グーなので知識・理解を深める目的です。

 

11月24日に行われた記念公演が聞きたくて行ってきましたアップ

記念公演は「「ドロでだって絵は描ける」の背景ー戦時下の美術統制のこと」というテーマでしたが、講演会の内容や感想は別のページに書きます鉛筆

 

今回の記事は展覧会のみの内容やちょっとした感想や疑問点などを書いていきたいと思いますビックリマーク

 

もはや絵の感想などほぼ無いですぶー

その時代への興味や疑問などの感想が多いです。

内容薄め、ボリューム少なめですあせる

 

興味ある方、どうぞ最後までおつきあいくださいませませニコ

 

はじめに・展覧会概要

(展覧会パンフより抜粋・再構成)

板橋区立美術館は「昭和の前衛美術」、とりわけ「池袋モンパルナス」(※戦前に若い芸術家たちが集ったアトリエ村)に関する作品を中心に収集しています。同館収蔵作品は、日本近代美術の流れを示すと同時に、生活と創作を両立させようとした作家たちの存在を浮き彫りにしています。

 

関東大震災や金融恐慌、それに続くアジア・太平洋戦争、敗戦と占領…こうした時代において作家たちはどんな現実を抱え、何を描いたのでしょう。

 

本展では池袋モンパルナスに住んだ画家たちをはじめ、男性偏重の美術界で制作を続けた女性作家、群馬県出身者の作品などが揃っています。

 

また、軍用機生産を担った中島飛行機(現・SUBARU)の記録類や、戦意高揚を目的とするすごろくや紙芝居など、県内の博物館・資料館が所蔵する同時代の資料も展示されます。

 

展示1.都市・労働・生活

それでは展覧会に沿って書いていきたいと思います。

 

第1章では人々が集まる都市の姿を描いた作品が集められていました。

そうした作品からは当時の雰囲気が伝わってきますニコ

 

1920年代って、平成を生きる私には理解しにくい時代の空気があるなと感じましたえー?

(あ、まるこ生まれは昭和だけどもぶー

 

1920年代、日本にマルクス主義が紹介されると、知識人・文化人へ影響を与え、それがプロレタリア運動へと発展しました。

 

 

歴史を知る現代の私(たち)はソ連の崩壊を知っています。

ソ連の一時の成功に追随しようと真似をした中国や北朝鮮の社会主義がうまくいっていないのも知っています。

それゆえ、私は社会主義・共産主義に対する憧憬が理解できません。

 

 

(以前ベトナム戦争について調べた時、社会主義の北ベトナムで「戦時下という非常時において国民皆で協力して貧しさを分かち合う社会主義が成立していた」というのは腑に落ちたけど、平和な中で「平等な富の分配」を成立させている社会主義国家は今あるんかなえー?!?ないよね!?はてなマークあるんかな!?

 

私は勉強不足だという自覚はあるし、調べたところで社会主義・共産主義について理解できず…

(”資本主義の成熟した先に”とか…ちょっと何言ってるかわかんないえーん

 

 

1920年代の日本の知識人・文化人がなぜ逮捕・投獄を恐れずにそこまでの情熱を傾けて共産主義に傾倒するのかが良く分かりませんでした。

 

また、共産主義思想からプロレタリア運動へ発展という道筋もよく理解できませんでした。

(そんなに労働者たちはブルジョワ階級に虐げられてたの!?

…まぁ、そうなんでしょうけどあせるその感覚も分からないショック

 

 

さて、展示の中にはソ連に留学し、のちにプロレタリア運動などの活動をしていた蔵原惟人を描いた肖像作品が2点ありました。

 

一つは帰国後に友人によって描かれた肖像画で、ロシアのシャツを着てロシア語の新聞を持ちすっかりかぶれている様子です(←口悪いぶー

 

こうした人たちを通して、日本の芸術家たちは共産主義から影響を受けたようです。

 

 

また、展示の中にダダ運動/ダダイスムへの言及もありました。

 

ダダイスムとは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動で、第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持ち、既成の秩序や常識に対する否定・攻撃・破壊といった思想が特徴(だそう)です。

 

こうした時代に対する反発や怒り、違和感を共産主義・社会主義は解決し得ると知識人たちは考えたんかなうーん!?

 

展示2.日本とシュルレアリスム

第2章では日本のシュルレアリスムを取り上げています。

 

シュルレアリスム/超現実主義は1920年代にフランスで生まれ日本にも伝えられました。

 

シュルレアリスムの画家・瀧口修造と福沢一郎はその前衛思想が危険視され、治安維持法違反容疑で(共産主義者の嫌疑がかけられ)逮捕され、シュルレアリスムと国際共産党の関係を糾問されたそうです(起訴猶予のまま釈放)。

 

この逮捕は、彼らが前衛的だからという理由で共産主義者と疑われることから始まっています。

 

なぜ前衛的だと共産主義者とみなされたのか…えー?

 

 

シュルレアリストの作品は、現実を無視したような夢の中のような独特の非現実感が漂います。

無意識や偶然などを重視し、見ていると混乱したり不思議な感覚で時に不安を感じることもあります。

 

 

ところで、ダダ運動に参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移ったそうです。

ダダもシュルレアリスムも既成の秩序や常識等への反抗心という点において思想的に繋がっていますが…こうした「秩序への反発」といった要素から国にとってシュルレアリストが危険因子とみなされた理由なのかなと感じました。

 

 

シュルレアリスムの展示作品については…なんとも感想を言葉にしにくいですDASH!

理解できないもの・理解できないことが多すぎて…ショック

 

シュルレアリストはアーティスト個人が独自の言語を持っていて、その言語を駆使して世界を表現している(と私は感じている)ので…アーティストそれぞれの言語を知らないと分かりにくいです。(しかも独特な言語を知った上でも世界観をとらえるのが難解なのでもう何が何やら…えーん

 

 

展示3.抽象を描く

第3章は抽象画の展示です。

 

彼らはただ意味のない凡人に理解できない物質を描いているのではなく、生物学や幾何学などの学問や、自らの知覚を最大限駆使し、「現実」を正確に把握しようとしているのだパー…そうです…、よえー?はてなマーク

 

やはりこういう類の作品は私には難しいですぶーあせる

「はい、見て自由に感じてください」というのは苦手なので…

 

でも、中には画家がどんな人生の転機においてどんな立場で葛藤し、その葛藤をこんな形や色で放出したというのが説明によって語られるものもあり、そんなふうにがっつり解説があると理解を深めることが出来るし、画家と気持ちを重ねて見ることが出来るのでありがたいですえーん

 

 

展示4.戦争・占領・美術

第4章、今展覧会のハイライトクラッカー

 
戦争画や戦時中のさまざまな資料が展示されていました。
 
戦争画とはいわゆる戦争記録・作戦記録画だけでなく、敵国政府を批判・揶揄する絵や、”千人針を縫う婦人を描いた”《千人針を縫う》や、国民に貯蓄を呼び掛ける目的で銀行の窓口を描いた《貯蓄報国》など、銃後を支える市民の生活を描いたものなども含めた広い意味で戦争を扱った作品展示となっていました。
 
戦争画の中には検問によって展覧会から外されたり、題名を変えさせられたりすることもあったそうです。
 
また、展示資料が興味深いものだらけで…その中からいくつか紹介したいと思いますひらめき電球
 
 
資料「油絵具購入権」

戦時中は敵国からの輸入が止まりました。

日本美術界において絵具は輸入に頼っていたため(主にフランスから)手に入らなくなっていきます。

そのため美術界はある組織を作り、画家たちをランク付けしてそのランクに応じて絵具や画布(キャンバス地)の配給を行いました。その配給を受け取るのに必要な券の実物の展示がありました。

 

こうした組織の成り立ちや背景、配給については講演会でもっと詳しくお話を聞いてきたのでそちらのページで書いていきたいと思います。

 

 

資料「1944年8月 陸軍幼年学校の入学試験問題」

国内では44年7月に東条英機内閣が総辞職し、8月頃までには各地で作戦失敗が続き日本軍としてはかなり厳しい時期になっているのですが…そうした時期に国は優秀な若い人材(13~15歳)を集めようとしました。そうした学校の入学試験問題が資料として展示されていました。

 

漢字の読みを答えさせる問題の部分が開かれてたけど…難しかったよえーん

旧字だからさ、画数多くて読みにくかったんだよねぶーぶーぶー

 

 

資料・「少年倶楽部」に書かれた「米軍飛行機と自分との距離を知るための目安」

ちゃんとメモってこなかったので間違ってるかもですが、多分雑誌『少年倶楽部』の1945年2月発行のものだと思います。

 

米軍の飛行機が近くまで飛んできたときに、自分からどれだけ距離があるかを知るための目安が書かれていましたひらめき電球

 

雑誌には飛行機のシルエットが印刷されていて、それを10m(?)離れたところから見たときに見えるサイズが、実際に飛行機が飛んで来たときに見えるだいたい何m距離が離れているという目安になりますよという記事でした(説明下手ですみませんえーん言いたいこと伝わってるかなあせる

 

なんとも実用的…

 

 

資料「昭和20(1945)年6月3日付 中島飛行機による申請書」

中島飛行機は戦時中は多くの戦闘機などの軍用機を作っていた群馬の大工場ですが(現・SUBARU)、その中島飛行機が書いた”6日間にわたって40人が強制的に徹夜させられるので、みかんの缶詰2箱の配給を特別にもらえないか”という趣旨の申請書の資料展示がありました。

 

原稿用紙のような紙に「強制徹夜ノタメ甘味品特別配給 賜り度(たまわりたき)件」と書かれ、欲しいのが「蜜柑罐詰貮箱(みかん缶詰二箱)」って最後にデーンと書いてあったビックリマーク

 

 

…で、もらえたんかなうーん!?

結果は分からなかったんだいねDASH!

 

 

当時の暮らしそのものを映す資料を見ることが出来て良かったです。

 

戦時中の資料を見るときにいつも思うのですが、わずか70数年しか経ってないのに、なんか100年200年前の他の国の出来事のように現実感がなく遠い世界のように感じてしまいます。

 

 

特別なご褒美スイーツがみかんの缶詰っていうのも激しく昭和だしなんか泣けますねえーん

 

 

展示5.コミュニティとしての池袋モンパルナス

5章は池袋モンパルナスに居を構えた画家たちの絵が集められました。

 

関東大震災の後、まだ田舎だった池袋は人口が急激に増えました。

物価も安かったため、地方出身者の芸術家たちが移り住み交流を深めました。

 

「アトリエ村」と呼ばれたこの地域は、パリ・モンパルナスから名をとって「池袋モンパルナス」と呼ばれたそうです。

 

そこで過ごした10人の作品15点が展示されていました。

 

 

おわりに・展覧会の感想など

以上、群馬県立館林美術館「時代に生き、時代を超える」のレポというか感想というかボヤキのようなものをお送りしましたニコあせる

 

ごく最近まで西洋美術メインに美術館巡りをしていたまるこですが(そもそも西洋美術を見始めたのも2016年春~)、去年?今年?から戦争を生き抜いた(または戦死した)日本人芸術家にも興味が出てきて、いくつか展覧会にも出かけました。

 

戦争体験を持つ彼らは、時代に翻弄された彼らの物語、彼らの家族との物語、地域との関わりの物語、時代との関わりの物語、時代への反発・嘆き・受容…等を絵画を通して見せてくれます。

 

教科書に書かれない”時代の空気”を教えてくれます。

 

 

今回の展示はもっと範囲は広く、明治から続く大正・昭和の時代の空気…共産主義・社会主義への傾倒、愛国主義、プロレタリアート、なども見ることになりましたが、まったく興味のなかった日本近現代史をもっと知りたいというきっかけになりました。

 

 

***********

以上。

最後までお読みいただきありがとうございましたニコ

また講演会「戦時中の美術統制について」の記事が書けたらリンク貼ります。

 

「ここまでたどり着いたよ~パー」っていう変わり者のあなたラブラブ

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はじめに

こんにちは、まるこですニコ

 

先日、群馬の森にある群馬県立歴史博物館に行ってきましたアップ

12月9日までの企画展「上毛かるたの世界」が見たくて行ってきましたのよ目

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グンマーは必ず通る道 上毛かるたクラッカー

もちろん私も覚えていますよ合格

(と言っても、まるこはあまり熱心にやらなかった町内で育っているのでかなりうろ覚えの部分あるけどねDASH!

 

群馬で生まれ育って上毛かるたを知らない(言えない)人なんていませんパー

これほんとにやり

 

マンガ「お前はまだグンマを知らない」でも、上毛かるたを言えないヤツは他県からのスパイだと容疑をかけられるなんてネタがありましたが…まぁ、それはノンフィクションですねパー

 

 

上毛かるたをまぁまぁ覚えている私でも、しっかり覚えているまるこ母でも、今回の展示を見るまで知らないことだらけで、本当に勉強になったし、郷土愛深まりましたアップ

 

群馬県内の小学生のお子さんを持つ親御さんや教育関連の職業の方々には特におすすめひらめき電球

 

あと、群馬出身の人と仲良くなりたい人は上毛かるたのことちょっと知ってるだけでとにかく話がはずみますので、よかったら最後までお付き合いください音譜

 

 

今回の記事では、展示を見て初めて知った目からうろこの上毛かるた情報を書いていきたいと思います合格

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群馬県立歴史博物館「上毛かるたの世界」

いつ、なぜかるたは作られたのか

初版は昭和22年(1947年)12月。

戦後GHQによって歴史・地理・道徳教育が廃止されてしまったことを受け、子供たちが遊びの中から学べるものをという思いで作られたのだそうですひらめき電球

 

私としてはもっと昔からあるものだと思っていたので意外でしたビックリマーク

あと、このあと詳しく書いていきますが「戦後日本復興を群馬から、地域みんなで力を合わせて」といった色合いが強いものであることに気づかされました目

 

札に隠した復興への決意

赤く塗られた2枚の読み札

上毛かるたには、箱に入れたときに一番上に来る2枚の読み札だけ地の色が赤くなっています。

 

赤い読み札は「い」と「ら」の2枚

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伊香保温泉 日本の名湯

雷(らい)と空風(からっかぜ) 義理人情

 

言われてみれば確かに色が違いますひらめき電球

けど、その意味なんて考えたことありませんでしたDASH!

 

 

これは、戦後荒廃した日本が元気を取り戻すための活力を群馬から発信したいという証に赤くしたのだそうですひらめき電球

 

 

「ら」「雷(らい)と空風 義理人情」に隠した尊王

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「ら」の札は群馬県の気候や県民性を表しているものですが、作成当時GHQの指令によってかるたに読み込むことのできなかった小栗上野介忠順、高山彦九郎、国定忠治らにいつか光を当てたいという思いを「義理人情」という言葉で表現したのだそうです。

 

高山彦九郎は江戸時代に勤王論(尊王論)を唱えた思想家です。

 

「ほ」「誇る文豪 田山花袋」に隠した靖国信仰

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「ほ」の札はただただ群馬県出身の偉大な作家を讃えるものだと思っていたのですが…

 

田山花袋を読んだのには他に理由がありました!!

 

田山花袋の著書『東京の三十年』の「九段の公園」の中で、花袋が西南戦争で戦死した父親に会うために靖国神社に通い、心を奮い立たせる姿が書かれています。

 

この少年時代の花袋の姿に靖国神社を託し、靖国神社再興の思いを託して読まれたそうなのです!!

 

GHQの検閲・指導が入るのであからさまな表現が出来ませんあせる

うまいこと考えたなとは思うけど、どれだけの県民がこの札に「靖国再興への願い」を読み取れたのだろうかと謎ですが…

 

ちなみに当時、田山花袋は県民にはあまり知られていなかったけど、札に読まれたことで皆が知る文豪になったのだそうです。

 

「つ」「鶴舞う形の 群馬県」に込められた思い

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上毛かるたの中でも一番重要で点数も高い札「鶴舞う形の 群馬県」。

 

地図で見た群馬県の形は”鶴が舞っている姿みたいだよね”っていうだけの札だと思っていたのですが…

 

ここには次の2つの思い・願いが込められていたのだそうですチョキ

 

一つは「めでたい鶴の背に乗って大きく羽ばたいてほしい」

 

もう一つは「シベリアへの抑留者に渡り鳥・鶴に心を託して一歩でも南下してほしい。必ず救出することを誓う。」

 

ここにも戦後日本特有の思いが込められていたのですね合格

 

「り」「理想の電化に 電源群馬」の意味

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この札は小学生の私には意味が分かりませんでした。

いや、大人になっても謎でしたDASH!

それこそ呪文みたいに覚えていたわね目

 

「リソウノデンカニ デンゲングンマ」

濁点多いな…くらいの記憶しかなかったのですがあせる

 

解説読んでこの札の意味がやっと理解できましたクラッカー

 

 

戦後、群馬県内です次々とダム建設が進められていたようなのですが、その成功によって関東の電気をまかない、戦後復興への望みを読んだ札なのだそうです!!

 

このことは、この札がいつ読まれたものなのか、どんな状況下で読まれたものなのかを知らなければ理解できないはずだなとすっかり腹に落ちましたニコ

 

GHQを説得して読んだ「れ」「歴史に名高い 新田義貞」

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新田義貞は武士なのでGHQ的にはNGだったのですが…

本来かるたに入れることのできなかった存在である武士・新田義貞に関しては、GHQを説得して納得してもらって入れたものなのだそうです!!

 

説得してOKパターンもあったんだとちょっとびっくりしましたおーっ!

 

「え」「縁起だるまの少林山」に描かれた六つ星の北斗七星

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「縁起だるまの少林山」に読まれた少林山達磨寺(高崎市)の本尊は、達磨大師と北極星・北斗七星を神格化した存在の方位除けの守り神。

 

絵札には達磨と北斗七星っぽい星が描かれています。

 

…が、よく見ると星は6つ

 

(まるこはそのことに全然気づかなかったのですが、)

 

 

札に描かれた北斗七星をイメージした六つ星には、「一人ひとりが七つ目の輝く星となるように」との思いが込められているのだそうですアップ

 

おまけ

「ち」「力合わせる〇〇〇万」で世代が分かる

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「力合わせる 〇〇〇万」は、群馬県民のみならず全国民に力を合わせることを呼び掛けたものでした。

 

初版では「力合わせる 160万」

 

群馬県の人口が10万増えるごとに4回数を改めています。

平成5年(1993年)の改定で現在の「力合わせる 200万」になったのだそうですひらめき電球

 

 

ちなみにまるこは「力合わせる 190万」の世代でしたアップ

まるこ母は「力合わせる 160万」世代DASH!

 

「力合わせる 〇〇〇万」で世代がバレちゃうって話でしたアセアセ

 

感動の原画

展示の中に、昭和43年(1968年)に描かれた現行の絵札の原画がありましたひらめき電球

思ったよりあまり大きくなかったのですが(一枚がB6サイズくらいかな)、これが原画かと思うとちょっと感動しました笑い泣き

 

企画展示のその他の展示

企画展示では上毛かるたの他に、全国各地のかるた、群馬県内の市町村かるた、さらにさらにローカルな小学校かるた等々の展示がありました!!

 

まるこ母は小学校教諭をしていたのですが、勤めていたことのある小学校のかるたの展示もあって「ローカルが過ぎるわアセアセ」とおかしくなっちゃいましたが、県内にはかるたで歴史や文化を知ろう・学ぼうという気風というか、県民性とも言える文化が溢れているんだなと郷土愛が止まりませんでした笑い泣き

 

 

ところで、展示の要所に学芸員さんの手書きと思われる解説プリントが4枚ありました!!

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これがね、ご覧のとおり字がキレイでイラストが上手で文章も読みやすくて知らなかったことを楽しく分かりやすく学べるとても素敵な解説でした笑い泣き!!!!

 

これは本当に素晴らしいです!!

 

「上毛かるたの世界」まとめ

上毛かるたのこと知っているつもりでいたけど、全然知らないことばかりでした!!

この企画展は面白い!!

 

群馬県立歴史博物館は大人になってから初めて訪れたのですが、展示も解説も補足資料も素晴らしかったです笑い泣きラブラブ

 

常設展

県立歴史博物館は自然史博物館ではないので、群馬県地域の人類史に関する展示が常設展のメインになりますひらめき電球

 

中でも古墳時代の遺跡から発掘されたものはスペースをとって展示されていましたアップ

 

まるこが画像を撮ってきたものを中心に、テンションが上がった展示をちょこっとだけご紹介していきますクラッカー

 

かっけー縄文土器

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この縄文土器、めっちゃかっこよくないですか!?

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約5000年前のもので、国の重要文化財に指定されているそうですひらめき電球

 

まるこ、夏にトーハク(東京国立博物館)の「縄文」展観に行った時、国宝や重要文化財の縄文土器は散々見たんだけど…

 

このタイプは初めて見ました目!!!!

 

すっごい豪快で力強くて、明らかに何かを意識して形作っているんだと思うけど…何だかわからないね~うーん

 

四角と丸と筋の模様を組み合わせたこの土器は何のイメージで作られたものなのか…妄想が止まらないよえーん

 

 

続きましてこちらも縄文土器ひらめき電球

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真ん中のタコの吸盤みたいなやつに目を奪われました目

何なんだ!?こいつは何なんだ!?

 

次の真ん中のやつもゴイスー!!

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何、その造形アセアセ!?

もう気持ちが追い付かないよ!!

 

古墳時代

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古墳時代、群馬はヤマト王権との繋がりも太く強い権力を持つ豪族が支配していました。

朝鮮との交流も盛んだったようですひらめき電球

 

群馬県内からは古墳が約14000基も見つかっているそうです!!

 

中でも県内最大級・未盗掘で見つかっている綿貫観音山古墳(高崎市)から出た副葬品は国の重要文化財に指定されていますアップ

 

展示されている埴輪たちの人物像、役割、動作などなど注目ポイントがたくさんあって見ていてとても楽しかったですラブラブ

 

思ったよりサイズが大きいのがビックリしました!!

 

おまけ

博物館のアンケートに協力した人はシールを持っていっていいよって書いてあったので、アンケート書いてぐんまちゃんシールをゲットしてきましたアップ

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馬に馬が乗っていたりと、もうなんかいろいろと突っ込みどころありますが…こーゆーの嬉しいよねラブラブ

 

おわりに

以上です。

最後の方疲れちゃって文章ザツですがアセアセ

 

普段まるこは美術館に行くことが多いけど、博物館も楽しいですねアップ

 

群馬県内にはまだまだたくさん大小の美術館・博物館があるのでいろいろと回ってみたいと思いますラブラブ

 

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何だかんだで最後まで読んじゃったよーパーっていうあ・な・た恋の矢

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