こんにちは、まるこです
先日、群馬県立館林美術館に「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画1920s~1950s」を観てきました
今年はまるこ的「太平洋戦争のこともっと知ろう年間」なので知識・理解を深める目的です。
11月24日に行われた記念公演が聞きたくて行ってきました
記念公演は「「ドロでだって絵は描ける」の背景ー戦時下の美術統制のこと」というテーマでしたが、講演会の内容や感想は別のページに書きます
今回の記事は展覧会のみの内容やちょっとした感想や疑問点などを書いていきたいと思います
もはや絵の感想などほぼ無いです
その時代への興味や疑問などの感想が多いです。
内容薄め、ボリューム少なめです
興味ある方、どうぞ最後までおつきあいくださいませませ
はじめに・展覧会概要
(展覧会パンフより抜粋・再構成)
板橋区立美術館は「昭和の前衛美術」、とりわけ「池袋モンパルナス」(※戦前に若い芸術家たちが集ったアトリエ村)に関する作品を中心に収集しています。同館収蔵作品は、日本近代美術の流れを示すと同時に、生活と創作を両立させようとした作家たちの存在を浮き彫りにしています。
関東大震災や金融恐慌、それに続くアジア・太平洋戦争、敗戦と占領…こうした時代において作家たちはどんな現実を抱え、何を描いたのでしょう。
本展では池袋モンパルナスに住んだ画家たちをはじめ、男性偏重の美術界で制作を続けた女性作家、群馬県出身者の作品などが揃っています。
また、軍用機生産を担った中島飛行機(現・SUBARU)の記録類や、戦意高揚を目的とするすごろくや紙芝居など、県内の博物館・資料館が所蔵する同時代の資料も展示されます。
展示1.都市・労働・生活
それでは展覧会に沿って書いていきたいと思います。
第1章では人々が集まる都市の姿を描いた作品が集められていました。
そうした作品からは当時の雰囲気が伝わってきます
1920年代って、平成を生きる私には理解しにくい時代の空気があるなと感じました
(あ、まるこ生まれは昭和だけども)
1920年代、日本にマルクス主義が紹介されると、知識人・文化人へ影響を与え、それがプロレタリア運動へと発展しました。
歴史を知る現代の私(たち)はソ連の崩壊を知っています。
ソ連の一時の成功に追随しようと真似をした中国や北朝鮮の社会主義がうまくいっていないのも知っています。
それゆえ、私は社会主義・共産主義に対する憧憬が理解できません。
(以前ベトナム戦争について調べた時、社会主義の北ベトナムで「戦時下という非常時において国民皆で協力して貧しさを分かち合う社会主義が成立していた」というのは腑に落ちたけど、平和な中で「平等な富の分配」を成立させている社会主義国家は今あるんかなないよね
え
あるんかな
)
私は勉強不足だという自覚はあるし、調べたところで社会主義・共産主義について理解できず…
(”資本主義の成熟した先に”とか…ちょっと何言ってるかわかんない)
1920年代の日本の知識人・文化人がなぜ逮捕・投獄を恐れずにそこまでの情熱を傾けて共産主義に傾倒するのかが良く分かりませんでした。
また、共産主義思想からプロレタリア運動へ発展という道筋もよく理解できませんでした。
(そんなに労働者たちはブルジョワ階級に虐げられてたの
…まぁ、そうなんでしょうけどその感覚も分からない
)
さて、展示の中にはソ連に留学し、のちにプロレタリア運動などの活動をしていた蔵原惟人を描いた肖像作品が2点ありました。
一つは帰国後に友人によって描かれた肖像画で、ロシアのシャツを着てロシア語の新聞を持ちすっかりかぶれている様子です(←口悪い)
こうした人たちを通して、日本の芸術家たちは共産主義から影響を受けたようです。
また、展示の中にダダ運動/ダダイスムへの言及もありました。
ダダイスムとは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動で、第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持ち、既成の秩序や常識に対する否定・攻撃・破壊といった思想が特徴(だそう)です。
こうした時代に対する反発や怒り、違和感を共産主義・社会主義は解決し得ると知識人たちは考えたんかな
展示2.日本とシュルレアリスム
第2章では日本のシュルレアリスムを取り上げています。
シュルレアリスム/超現実主義は1920年代にフランスで生まれ日本にも伝えられました。
シュルレアリスムの画家・瀧口修造と福沢一郎はその前衛思想が危険視され、治安維持法違反容疑で(共産主義者の嫌疑がかけられ)逮捕され、シュルレアリスムと国際共産党の関係を糾問されたそうです(起訴猶予のまま釈放)。
この逮捕は、彼らが前衛的だからという理由で共産主義者と疑われることから始まっています。
なぜ前衛的だと共産主義者とみなされたのか…
シュルレアリストの作品は、現実を無視したような夢の中のような独特の非現実感が漂います。
無意識や偶然などを重視し、見ていると混乱したり不思議な感覚で時に不安を感じることもあります。
ところで、ダダ運動に参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移ったそうです。
ダダもシュルレアリスムも既成の秩序や常識等への反抗心という点において思想的に繋がっていますが…こうした「秩序への反発」といった要素から国にとってシュルレアリストが危険因子とみなされた理由なのかなと感じました。
シュルレアリスムの展示作品については…なんとも感想を言葉にしにくいです
理解できないもの・理解できないことが多すぎて…
シュルレアリストはアーティスト個人が独自の言語を持っていて、その言語を駆使して世界を表現している(と私は感じている)ので…アーティストそれぞれの言語を知らないと分かりにくいです。(しかも独特な言語を知った上でも世界観をとらえるのが難解なのでもう何が何やら…)
展示3.抽象を描く
第3章は抽象画の展示です。
彼らはただ意味のない凡人に理解できない物質を描いているのではなく、生物学や幾何学などの学問や、自らの知覚を最大限駆使し、「現実」を正確に把握しようとしているのだ…そうです…、よ
やはりこういう類の作品は私には難しいです
「はい、見て自由に感じてください」というのは苦手なので…
でも、中には画家がどんな人生の転機においてどんな立場で葛藤し、その葛藤をこんな形や色で放出したというのが説明によって語られるものもあり、そんなふうにがっつり解説があると理解を深めることが出来るし、画家と気持ちを重ねて見ることが出来るのでありがたいです
展示4.戦争・占領・美術
第4章、今展覧会のハイライト

戦時中は敵国からの輸入が止まりました。
日本美術界において絵具は輸入に頼っていたため(主にフランスから)手に入らなくなっていきます。
そのため美術界はある組織を作り、画家たちをランク付けしてそのランクに応じて絵具や画布(キャンバス地)の配給を行いました。その配給を受け取るのに必要な券の実物の展示がありました。
こうした組織の成り立ちや背景、配給については講演会でもっと詳しくお話を聞いてきたのでそちらのページで書いていきたいと思います。
資料「1944年8月 陸軍幼年学校の入学試験問題」
国内では44年7月に東条英機内閣が総辞職し、8月頃までには各地で作戦失敗が続き日本軍としてはかなり厳しい時期になっているのですが…そうした時期に国は優秀な若い人材(13~15歳)を集めようとしました。そうした学校の入学試験問題が資料として展示されていました。
漢字の読みを答えさせる問題の部分が開かれてたけど…難しかったよ
旧字だからさ、画数多くて読みにくかったんだよねぶーぶー
資料・「少年倶楽部」に書かれた「米軍飛行機と自分との距離を知るための目安」
ちゃんとメモってこなかったので間違ってるかもですが、多分雑誌『少年倶楽部』の1945年2月発行のものだと思います。
米軍の飛行機が近くまで飛んできたときに、自分からどれだけ距離があるかを知るための目安が書かれていました
雑誌には飛行機のシルエットが印刷されていて、それを10m(?)離れたところから見たときに見えるサイズが、実際に飛行機が飛んで来たときに見えるだいたい何m距離が離れているという目安になりますよという記事でした(説明下手ですみません言いたいこと伝わってるかな
)
なんとも実用的…
資料「昭和20(1945)年6月3日付 中島飛行機による申請書」
中島飛行機は戦時中は多くの戦闘機などの軍用機を作っていた群馬の大工場ですが(現・SUBARU)、その中島飛行機が書いた”6日間にわたって40人が強制的に徹夜させられるので、みかんの缶詰2箱の配給を特別にもらえないか”という趣旨の申請書の資料展示がありました。
原稿用紙のような紙に「強制徹夜ノタメ甘味品特別配給 賜り度(たまわりたき)件」と書かれ、欲しいのが「蜜柑罐詰貮箱(みかん缶詰二箱)」って最後にデーンと書いてあった
…で、もらえたんかな
結果は分からなかったんだいね
当時の暮らしそのものを映す資料を見ることが出来て良かったです。
戦時中の資料を見るときにいつも思うのですが、わずか70数年しか経ってないのに、なんか100年200年前の他の国の出来事のように現実感がなく遠い世界のように感じてしまいます。
特別なご褒美スイーツがみかんの缶詰っていうのも激しく昭和だしなんか泣けますね
展示5.コミュニティとしての池袋モンパルナス
5章は池袋モンパルナスに居を構えた画家たちの絵が集められました。
関東大震災の後、まだ田舎だった池袋は人口が急激に増えました。
物価も安かったため、地方出身者の芸術家たちが移り住み交流を深めました。
「アトリエ村」と呼ばれたこの地域は、パリ・モンパルナスから名をとって「池袋モンパルナス」と呼ばれたそうです。
そこで過ごした10人の作品15点が展示されていました。
おわりに・展覧会の感想など
以上、群馬県立館林美術館「時代に生き、時代を超える」のレポというか感想というかボヤキのようなものをお送りしました
ごく最近まで西洋美術メインに美術館巡りをしていたまるこですが(そもそも西洋美術を見始めたのも2016年春~)、去年?今年?から戦争を生き抜いた(または戦死した)日本人芸術家にも興味が出てきて、いくつか展覧会にも出かけました。
戦争体験を持つ彼らは、時代に翻弄された彼らの物語、彼らの家族との物語、地域との関わりの物語、時代との関わりの物語、時代への反発・嘆き・受容…等を絵画を通して見せてくれます。
教科書に書かれない”時代の空気”を教えてくれます。
今回の展示はもっと範囲は広く、明治から続く大正・昭和の時代の空気…共産主義・社会主義への傾倒、愛国主義、プロレタリアート、なども見ることになりましたが、まったく興味のなかった日本近現代史をもっと知りたいというきっかけになりました。
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以上。
最後までお読みいただきありがとうございました
また講演会「戦時中の美術統制について」の記事が書けたらリンク貼ります。
「ここまでたどり着いたよ~」っていう変わり者のあなた
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