はじめに

こんにちは、まるこですニコラブラブ

お久しぶりアップ

 

初めましての方、

「ストーリーを身にまとう」をコンセプトにハンドメイドアクセサリーを制作・時々販売していますでおなじみのまるこです音譜

 

こ~んなテイストで、まるこが大好きなミュージカル・ディズニー・西洋美術・古典文学などをテーマに作ってきました合格

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どうぞお見知りおきをぶちゅー

 

本題

さて、本題ですが…

この度、なんとなんとビックリマーク

信じられないご縁がございまして!!

 

 

NHK朝の報道・情報番組「おはよう日本」のワンコーナー「まちかど情報室」様に取材していただきましたおーっ!!!!!

(放送は11月1日(木)NHK朝7:35分頃~の予定です)

 

 

どっひゃ~~~~笑い泣きあせるあせる

 

えっと、今回はまるこがメインで取材していただいたわけではなくて、

 

 

女子大生二人が在学中に起業したハンドメイドブランディングデザインF CREAのあるサービスが取り上げられますひらめき電球

 

そのサービスとは、ハンドメイドギフトサービスPay forwardクラッカー

 

Pay forward

Pay forwardはお客様のイメージや好みをヒアリングし、200名を超える所属ハンドメイド作家の作品からマッチング、ギフト配送してくれるハンドメイドギフトサービスですクラッカー

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(こちらのサービスについてはリンクを貼っておきます。まるこは運営に関わっていないので質問にはお答えしかねます。

Payforwardトップ右矢印Payforward

クラウドファンディング「マクアケ」掲載プロジェクト右矢印Payforward

 

 

今回の取材は、所属ハンドメイド作家の一例としてお声掛けいただき、お受けいたしましたニコ

注意ほんとは多分”所属”って言葉もちょっと違うんだけど、便宜上このように説明させてもらってます)

 

番組について

今回取材していただいたNHK「おはよう日本」の「まちかど情報室」というコーナーでは、毎日テーマに沿ったアイディアを紹介していますひらめき電球

 

だいたい4分くらいのコーナーの中で、2~3点のアイテム・サービスが紹介されているようです。

注意NHKなので特定の商品・サービスを宣伝する目的のコーナーではありません)

 

 

今回お話をいただいて、まるこはこの取材のために新たに新作アクセサリーを制作しましたアップ

 

お客様のヒアリングをもとに、イメージに合ったイヤリングをお作りしていますニコ

 

結構いい感じに仕上がったなと思ってますので多くの方に見ていただけたら嬉しいです合格合格

 

取材時のトラブル(?)

取材は渋谷まで行きました。(呼ばれたわけではなく、自分が行きたかったのでお邪魔させてもらいました。)

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取材前の情報の擦り合わせがほとんど皆無のまま始まり、まるこの不安的中、私の準備不足としゃべれなさすぎによって担当ディレクター様の手も頭も煩わせてしまいました。また、私の妙なこだわりの強さと細かいところが気になる悪い癖のせいで空気が淀む場面もありました。

 

本当に反省しているよえーん

 

私の人として足りない部分を痛感してかなり落ち込みましたが…

ディレクター様が最後に「大丈夫。編集で何とかします。」と言ってくださったので恥を忍んで告知することにしましたあせるあせる

 

 

ここに注目

Pay forwardのサービスに関してはおそらく2分程度の尺があるかと思います。

その中で、まること、サービス主催者、サービス利用者の3名が出てきます。

 

主催者と利用者のお二人は若くて健康的なかわい子ちゃんたちなのでそちらの二人に注目してくださいラブラブ

 

この取材のためにまるこが冷や汗かきながら考えて作った新作デザインにも注目してほしいです!!!!

放送日まで新作画像はどこにも出さないのでぜひテレビで確認してね上差し

 

 

せっかくじゃからまるこのこと見てくれるよ~OKっていうまるこ大好きな方は…

 

しゃべっているまるこの顔がこわばっているニヤニヤ(よく見ると目が笑っていない)とこでも見てみてください目

あと、「へぇ~、ペンチは左で持つけどペンは右で持つんだ~」といった部分に気を取られていただけたらと思いますグッド!

 

(ディレクター様には、私の紹介はフルネームではなく「まるこ」で出してほしいとお願いしてあるのですがもしかしたらフルネームが出ちゃうかも。

まだわかりません。下手すると放送見るまで本人も分からないあせる

 

名前は出てるかわからないけど、顔は出てますので…アバターと全然別人やんけ爆弾などとお楽しみいただけたらと思います目

 

 

みんな見てね

まるこね、取材日からずっと落ち込んでてご飯まともに食べれてないので早く放送見てホッとしたいですDASH!

お菓子は食べてるけどねぶー

 

放送見てさらに落ち込んだら本格的に寝込んじゃうよダウン

 

どうか皆さま放送見ていただき「まるこ、そんなにひどくなかったよグッド!」と慰めコメントいただけたら嬉しいです笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

放送日は11月1日(木)NHK朝7:35分頃から、「おはよう日本」の中の「まちかど情報室」というコーナー内になりますひらめき電球

 

 

見てね見てねラブラブラブラブ

 

*************

「まるこ、テレビ見るよアップ

「録画してじっくり見るよビックリマーク

「見たよ~音譜

…ってあ・な・たドキドキいいねビックリマークしてってちょーねぶちゅーラブラブ

ペタしてね

おなしゃす!!

*************

まるこのハンドメイドアクセサリー販売はこちらから右矢印メルカリ

まるこのハンドメイドライフはインスタで発信しています右矢印インスタ

フォローしてちょちょちょラブラブラブラブ

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はじめに

こんにちは、まるこですニコ

今回、現在群馬県立近代美術館にて開催中の「パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展」に行ってきましたアップ

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サラ・ベルナールと言えばアール・ヌーボーの巨匠アルフォンス・ミュシャを真っ先に思い浮かべますひらめき電球

 

ミュシャが好きなまるこはミュシャ作品目当てでこちらの展覧会に出かけましたが…走る人

 

行ってびっくり、ミュシャだけじゃなかったんです目!!!!

 

 

この展覧会ではミュシャだけでなく、サラのもっともっとたくさんのアーティストや文化人との交流や、彼女がどれほど”大女優”だったのかを伺い知ることが出来る展示となっていましたビックリマーク

 

今回の記事では展覧会の内容に沿って、印象的な作品についてや感想などを思いつくまま書いていきたいと思います鉛筆

 

興味ある方、どうぞ最後までお付き合くださいニコ

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群馬県立近代美術館「サラ・ベルナールの世界」展

サラ・ベルナール(1844(1840?)~1923)とは

サラ・ベルナールは1860年代パリでデビューした女優。

 

当時まだ無名の挿絵画家だったアルフォンス・ミュシャにイラストレーターとしての才能を見出し、アール・ヌーボー様式による自身の舞台ポスターを制作させるなど、自らプロデュースしたイメージ戦略によって、世紀末の華やかなパリでスターとして君臨した。

 

20世紀にはアメリカでも興行を主催し、事業家として大成功を収め、世界各国で巡業を行い国際的大女優へ。

 

さらに、自ら執筆や彫刻の制作を行うアーティストでもあり、多彩な才能を発揮したカラーパレット

(展覧会チラシより抜粋)

 

「サラ・ベルナールの世界」展

サラ・ベルナールを様々な側面から紹介する日本初の展覧会。

サラを中心とした世紀末パリの芸術を、ポスター、装身具、台本、衣装、記録写真、映像、肖像画、本人の彫刻多数の作品など、多数の作品や資料から紹介されていますクラッカー

(展覧会チラシより抜粋)

 

 

驚きの経歴

それでは初めに、まるこが序盤でびっくり仰天驚いたサラの経歴からひらめき電球

 

展覧会の中でサラの経歴が年表になって展示されていましたが…

 

まぁ、いろんな意味で驚きだらけで、特に「おおっおーっ!」と思ってメモってきた”まるこメモ”から彼女の経歴をご紹介しつつ、まるこの感想ニコもちょいちょい挟んでいきますよ。

 

 

【サラ・ベルナール年表】

1844年 高級娼婦の私生児として誕生。父親はオランダまたはドイツ系のユダヤ人とされる。

(※1840年生まれとする説もあるらしい。この頃はパリ・コミューン時代で、公文書館の火災によって証明書が焼失し公式記録が残っていない。本人などの証言から1844年生まれとしているようです。)

 

アセアセ「高級娼婦とユダヤ人との私生児」ってだけで既にかなりのクセの強さですDASH!しかも他の資料によると娼婦母もユダヤ人ぽいです。

なにくそ精神の強い我の強い大物になりそうな香りがプンプンしますあせる(ユダヤ人ディスってないよあせる

 

1860年(20歳) 息子出産。未婚の母となる。

 

(1866年(26歳) フランスが第三共和制へ)

1872年(32歳) 文豪ヴィクトール・ユゴー作品(『リュイ・ブラース』)に出演し、大変な賞賛を浴びる

 

ニコこの頃にはフランス国内では十分大女優だったみたいですひらめき電球

 

1884年(40歳) 妹ジャンヌが薬物依存症により死去

1889年(45歳) 夫ダマラ(34歳)がモルヒネ中毒により死去

 

えーんなかなかお辛いですダウン

夫ダマラも俳優だったみたいですが、何かとサラと比べられてそのストレスから薬物に手を出し、結局は亡くなってしまったそうです。

 

また、サラは女優としては大成功していますが、いつもお金の返済に追われていたようです。

それは、若い時に産んだ息子が賭博で負けた多額の借金の返済でした。

 

社会的に収めた成功が偉大過ぎると家族にしわ寄せが来るのでしょうかうーんはてなマーク

彼女の家族のことを思うと、幸せに満ちた人生ではなかったのかもしれません。

 

もしかしたら、この辛い死に直面する度に演技の迫力・説得力・凄みが増していったというのもあるかもしれないですね。知らんけどぶー

 

1894年(50歳) 舞台『ジスモンダ』 ミュシャにポスターを依頼する。翌年から彼と6年契約を結ぶ。

 

ニコちょっとびっくりしたのは、ミュシャと出会ったのが結構年取ってからだったことです!!

私勘違いしてたんだけど、ミュシャのポスターが人気出てからサラが有名になったのだと思ってたけど…むしろ「無名の挿絵画家」をいっぱしのアーティストに引き上げたくらいの感じだったのですね。

 

1914年(70歳) レジオン・ドヌール勲章受章

 

おーっ!女性で(女優で)レジオン・ドヌールを受けた人というのは聞いたことなかったのでびっくりしました!!

今の日本で言うところの国民栄誉賞みたいなものですよね!?

どんぐれすげんか分っかんないけどすごいんだと思う!!

 

1915年 膝の骨結核が原因で壊疽を起こした右足を切断

 

アセアセ病気が原因で足を切断したのにも関わらず、舞台には出続けていたようです。

しかも義足を付けるのを拒んでいたようで、衣装で足を隠して椅子に座ったまま演技をしたそうです。

すごい女優魂メラメラ

 

1922年(77歳) 舞台稽古中に倒れて入院

(※年表には「舞台稽古中に」って書いてあったけど、「映画撮影中に」っていう資料もあるからどっちか分かんない)

 

1923年3月26日 (78歳) 家族に看取られ死去。

 

ぐすん死の間際まで女優であり続けたなんてすごい人です。

 

 

幅広い交友関係

展覧会の中で、彼女の友人や知人、恋人、仕事仲間などの交友関係がなかなか多岐にわたって凄かったので、ちょっとご紹介します。

 

【仕事仲間】

アルフォンス・ミュシャ…アール・ヌーボーの巨匠(サラによって才能が開花)

 

ルネ・ラリック…ジュエリー作家・のちにガラス工芸家(サラによって才能が開花)

 

 

ヴィクトール・ユゴー…ユゴーが書いた『リュイ・ブラース』『エルナニ』にサラが出演。特に『リュイ・ブラース』では大成功を修め、ユゴーはサラを「黄金の声」と評している

 

オスカー・ワイルド…ワイルドに親しいサラが彼に戯曲を発注。書きあがった『サロメ』でサラ自らタイトルロールを演じている

 

【恋人】

ギュスターヴ・ドレ

恋人として名前が挙がっていた人は俳優や政治家など大物(?)たちがたくさんいましたが、まるこが名前を知っているのはドレだけでした。

 

【友人】

ロートレック…サラを描いた絵も存在する

 

【知り合い】

トーマス・エジソン…サラはアメリカ興行を宣伝するためにニューヨークでエジソンに会い、シリンダーに声を吹き込んだ

 

 

ニコまるこね、ミュシャも好きだし(初めて買った図録がミュシャ展)、ドレの精緻な版画も好き(ドレの版画の『神曲』の本持ってる)、ユゴーも好きだし(『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』読んだ。で、ユゴーのしつこくて細かい表現を時に称賛)、オスカー・ワイルドのサロメも好き(宮本亜門さん演出・多部ちゃん主演の舞台を映像で見て、好き~って思って原作読んだ。ビアズリーの退廃的で妖艶な挿絵も好き)なの笑い泣き

 

なぜ今までサラ・ベルナールを通ってこなかったのかって不思議なくらいサラと親交の深い人たちの芸術には深く触れていたのでしたおーっ!

 

 

男役を好んで演じる

ところでサラは1890年代、当時としては珍しく男役を好んで演じました。

知的な男性を演じるのを好んでいたようです。

 

サラがハムレットを演じた際、友人オスカー・ワイルドはユーモアを込めて「このハムレットはまさしく貴婦人ではないか」と言ったそうです。

(が、これがまるこにはディスってるようにしか聞こえなくてちょっとそのユーモアが分からなかったDASH!

 

 

まるこね、ミュシャ展でサラの『ハムレット』のポスターを見たときに、”女優なのにハムレット役をやった”っていうエピソードを聞いてすごく興味をそそられたのね。

だからミュシャの作品の中でも特に『ハムレット』が好きなのですラブ

でもね、今回ハムレットは展示がなくてちょっと残念でしたえーん

 

 

監督兼俳優

サラはプレイヤーでありながら、自ら興行を主催して海外公演を行い、世界初(といっても過言ではない)の国際的大女優となっていきました。

 

女優・兼アートディレクター

また、彼女は女優兼アートディレクターとして自らをとりまく成功の連鎖を生み出していきました。

 

舞台衣装も豪華で、本物のジュエリーをふんだんに使用した小道具も多く発注し使用したり、宝飾品も自分で選んだそうです。

 

 

『メディア』のポスターをミュシャに描かせたときに彼が描いた蛇のブレスレットが気に入って、ミュシャに実物のデザインを依頼し、宝飾家ジョルジュ・フーケに作らせた《蛇のブレスレットと指輪》は舞台小道具としても使われたようですビックリマーク(実物の展示がありました。後述します。)

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こだわりという点で気になったエピソードがありましたのでご紹介しますひらめき電球

舞台ポスターを描かせるときには画家にも細かい指示で書き直させたりもしたのだそうです。

 

これはミュシャではなかったんだけど、『ジャンヌ・ダルク』のポスターで最初に描かれた「チリチリの髪の毛」と「上着(コートのようなもの)がはだけて足が少し見えている」箇所を、「ストレートヘア」で「見えている足をすべて隠して」描くようにと指示して描きなおさせていました。

 

修正前と修正後の展示がありましたが、確かに(完全に説明されているから分かるんだけど)描きなおした後の方が「聖女感」増してました、と思いますにやり

 

 

著作の出版・彫刻の制作

さらに、サラは舞台女優としてだけでなく、本を書いたり自ら彫刻を制作したりもしていて、ものすごいバイタリティーあふれる人ですおーっ!

その彫刻の腕前もかなり本格的でしたビックリマーク

 

こうした創作活動は舞台関係のめんどくさい人間関係やストレスから逃避するためにしていたのではないかという説があるそうです。

お気持ちお察ししますえーん

 

 

高きセルフ・プロデュース能力

ところで、まるこは特にサラのセルフ・プロデュース能力の高さに脱帽しましたハット

 

舞台上でなくても服装や立ち居振る舞い、表情、写真の写り方など非常に気を遣い、私生活までも記者などに写真を撮らせていたようです。

しかしおそらくそれらは作られた私生活で、こうしたらどんなふうに見られるか、どう感じられるかを考えて演出していたように見えました。

 

プライベートは存在せず、彼女の存在そのものが大女優として映るようかなり意識して生活していたように受け取れます。

 

 

一方、奇行でも知られていたようで、棺桶のベッドで寝ていた写真が残っています。

何かきっかけがあって、独特な死生観を持っていたようですが…

どこまで本気なのか分からないけど、これもまた話題作り・宣伝の一つかもしれないと思うととんでもない大女優です。

 

 

大女優のサラは何をしてもメディアの賛否両論が巻き起こり、いろんな意味でパリ中の耳目を集めていたのだそうです。

 

 

特に気になった作品

それではここで、展示品の中でまるこが特に心奪われた作品をちょいとご紹介しますニコ

 

《蛇のブレスレットと指輪》

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(展覧会チラシより)

 

女優兼アートディレクターのとこでも触れたけど、『メディア』で使われた蛇のブレスレットと指輪のアクセサリーがとっても素敵でしたラブラブ

 

蛇の頭の部分が手首あたりにきて(ん?手の甲か?)、指輪とチェーンで繋がってるデザイン。

 

イメージポスターの小道具が気に入って作らせちゃうっていうエピソードも良いけど、それがまたすごいのクラッカー

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絵ほど大振りではなかった印象だけど、本物の金・オパール・ダイヤモンドが使われていて、しかも一部可動式になってるらしい!!

これはすごくかっこよくて繊細さもあり素敵でしたラブラブはめてみたかったラブ

 

《舞台用冠 ユリ (エドモント・ロスタン作『遠国のブレスレットと指輪姫君』にて使用)》

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(展覧会チラシより)

 

ミュシャがデザインしてルネ・ラリックが制作し、舞台で使用されたヘッドアクセサリー。

 

ミュシャが好きな方は一度は見たことがあると思われるこの絵に描かれたヘッドアクセサリーの実物ですビックリマーク

私、この絵は見たことあるけど、頭の飾りはイメージだと思ってたから実在したことが驚きでした。

 

ほいでそれがまた豪華がすぎるの笑い泣き

 

真珠をこれでもかと使ってて…これだけ本物のジュエリーを使っていると、舞台で照明が当たった時にすごく綺麗だったんだろうなと当時のことを想像してしまいましたアップ

 

 

ジュエリー作家・ガラス工芸家ルネ・ラリック

ちょっとここでルネ・ラリックについて少し。

 

サラが見出した芸術家(ジュエリー作家)で、のちにガラス工芸家となっています。

まるこが素敵だなと思った彼の創作への姿勢をご紹介します。

 

 

ラリックにとって、美の源泉は「自然」であり続けたのだそうです。

確かに展示されていたジュエリーやガラス製品は植物や昆虫・爬虫類をモチーフにした作品ばかりでした。

 

トカゲや蛇といった爬虫類の絡み合う曲線やグロテスクな意匠がアール・ヌーボーらしさを醸し出していると評されていました。

 

自然に学び、自然を称賛し、自然を表現しようとした生き様が私は好きですぶちゅー

 

ラリックの作品の中ではオダマキの指輪がまるこお気に入りです音譜

 

一つだけ残念だったこと

とっても見ごたえある展覧会でしたが、一つだけ残念だなって思ったことがありますえーん

 

それはサラが実際に演技している声を聴くことが出来なかったこと。

彼女の晩年にはトーキー映画がかろうじて出てくるかくらいの時代だったので世界を魅了したというその声や演技の怪物っぷりを見てみたかったです!!

 

 

「それでもなお」

彼女がモットーとしていた言葉は「それでもなお」だったそうです。

 

どんな境遇に陥っても、何が何でもやり抜く強い精神力がその一言で表されているような気がします。

 

世界が認めた天才的表現者でしたが、プライベートはさんざんなこともたくさんありました。

「それでもなお」、やるべきことに邁進し結果を出し続けた彼女だからこそ、この言葉に重みを感じます。

 

 

展覧会を見終わって

今回初めてサラ・ベルナールについていろいろな面からじっくり見て、その大女優ぶりを知ることが出来ましたアップ

 

記事には書ききれませんでしたが、他にもサラのイブニングドレスや名前入りのティファニー製の銀器など、いろいろな展示がありました。

 

 

 

あ、そうそう。書くの忘れててここで書きますけど、サラは青い目だったみたいです目

カラーで絵付けされていた肖像画の描かれたお皿のサラの目がとっても綺麗な青で素敵でしたラブラブ

 

(お皿の…サラ…にやり

 

写真はセピア(か白黒)しか残ってないから分からないけど、絵のように白い肌で青い目だと知ると、ちょっと見る目変わりましたアップ

 

 

 

ところで、ショップにある展覧会図録はかなり魅力的で本気で買ってしまいそうだったけど我慢しました。

(もしかしたら後で買うかも…なレベルでやっぱり欲しいえーん

その代わりに購入したグッズが大き目ポストカード4枚とチケットホルダーラブラブ

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しばらくこれを眺めて過ごすよ。

 

 

ところで、群馬県立近代美術館では、常設展示もありましたよニコ

展示室がいくつかあって…(7くらいまであったかな?)

けっこうじっくりゆっくり観てたら常設展示だけで1時間かかりましたDASH!

 

 

(ちなみに企画展示はちょうど2時間かかりました。あとショップで気持ち急いだけど20分かかった。運転手兼父ちゃんを2時間弱待たせちゃったぜぶーでもね、天気の良い日だったから芝生で気持ちよく寝てたってよグッド!

 

 

*******

群馬県立近代美術館「サラ・ベルナールの世界展」は11月11日(日)まで

高崎駅からは遠いのでバスが出ているようですよ救急車

 

10月28日は県民の日で無料になるみたいです(ので、ゆっくりちゃんと見たい方は別日が良いかと…)

 

 

ちなみに巡回は

11.23~2019.3.3 堺アルフォンス・ミュシャ館

2019.3.28~6.30 箱根ラリック美術館

2020.1月頃まで全国巡回予定だそうです。

その他詳細は随時更新右矢印サラ・ベルナールの世界展

 

おわりに

以上です。

最後までお読みくださりありがとうございましたアップ

 

「まるこ、頑張って書いたね~半分くらい伝わったよニコ

「今回も無駄に長いけど結局最後まで読んじゃったよ~ぶー

「サラ・ベルナールってほんとに大女優だったんだね~にやり

「私も群馬県立近代美術館行ぎたいアップ

「まること美術館デートしてるみたいだたよーラブラブ

などなど思ってくださった方、いいねしてってちょーねニコ合格

ペタしてねドキドキドキドキドキドキ

 

 

こんにちは、まるこですニコ

 

ここ数日で2本の戦争関連ドキュメンタリー映画を観てきました映画

 

一つは『陸軍前橋飛行場』

 

もう一つは『沖縄スパイ戦史』

 

 

映画の後はしっかりあらすじや感想など書くつもりでいたのですが…

ちょっと体調的にも難しいので断念しましたえーん

 

だけど、こういう映画今やってるよって知ってほしくて書いていますアセアセ鉛筆

興味ある方、どうぞお付き合いくださいニコ

 

 

映画その1 『陸軍前橋飛行場』

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この映画は、太平洋戦争末期、群馬の中央部(堤ケ丘という地域。旧群馬郡群馬町。現高崎市。)に作られた飛行場の周辺に住んでいた住民たちの証言をもとに作られたドキュメンタリー映画です。

 

戦時中に住民の住谷修さんが書いた詳細な日記を、村に関連する記述を抜き出して息子さんが清書した「村日記」をベースに構成されています。

 

当時の日本の公式な記録は終戦前夜すべて命令によって焼却処分されているため、公的な記録が残されていないため、こうした個人の記録は大変貴重なものなのだそうです。

 

 

この飛行場は陸軍の訓練用の飛行場で、そこで訓練した若者たちが沖縄戦(1945年3月末~)に向かっています。

 

36人がそこで訓練し、3人が出兵前に事故死、29人が沖縄戦に特攻として向かい戦死しました。

 

 

飛行場は1943年に建設が始まり、多くの人の労働力によって1年2か月かけて完成しました。

トロッコを使って土を運ぶといった作業は、現地の人々の他、前橋刑務所の囚人や朝鮮から動員された人たちもいたそうです。

 

(ちなみに当時のアメリカ軍は、現地に上陸してから1週間程度でブルドーザーなどを使って同等の飛行場を建設してしまう技術を持っていたそうです。)

 

 

この映画を観て

戦時中の一般の人たちが見たもの、一般の人たちの暮らし、一般の人たちの思いを垣間見ることが出来ました。

 

教科書に書いてあるのは「○年○月○日、何があったか、結果どうなったか」という国家レベルのことばかりでしたが、この映画には、戦争時代を生きた人たちの暮らしや、彼らが当時何を思っていたかが描かれていました。

 

 

「何じゃその戦略アセアセ!?という当時の軍人の突っ込みどころ満載な作戦や兵器にかなりびっくりしましたDASH!

 

風船爆弾なる兵器(?)の存在は初めて知りました。

 

※風船爆弾

気球みたいなものに爆弾を取り付けて太平洋に放つ。

時間差で民間人の被害が報告されているようだが、これといった戦果はなかった。

…子供のビデオゲームでもこんな兵器あったら突っ込まれるだろあせる

 

ちょっと寄り道

まるこのばあちゃんの話するねパー

 

まるこのばあちゃん(92)は前橋出身なんだけど、女学校卒業後は横浜の軍関連の会社で働いていたのね。

 

戦局があやしくなってきた1944年春、父親から呼び戻され前橋に帰ってきています。

(※「前橋飛行場」は便宜上前橋と名前が付けられているだけで実際は前橋ではないので、ばあちゃんはこの存在を知りませんでした。)

 

地元前橋では軍需工場に働きに出ました。

”金物の板にくぎを打つ作業”をしていたそうです。

 

「これは何になるのですかうーん!?」と尋ねると、「飛行機の一部だ真顔」と教えてもらいました。

その時祖母は「今からこんなことして何になるのか」と思ったそうです。

 

 

当時は、もし米軍が地上戦にやってきたらという想定の下、竹やりで米兵を突く練習をさせられたり、空襲がきて火事になったら住民みんなでバケツリレーで消火するんだとかいって訓練させられたり…

 

なんだか作戦とも言えない訓練とも言えないようなことを大真面目にやらされていたようで…

 

トップが無知だとツライっすねえーん

 

 

でね、まるこは勝手にいろいろと想像してみたのですが、まるこのばあちゃんがくぎを打った金物の板が中島飛行場(現太田市・SUBARU)で組み立てられて、そこで作られた飛行機で前橋飛行場で訓練してたのかもね~なんて思いましたうーん

 

 

 

余談ですが、まるこの父ちゃんは群馬郡箕郷町出身なんだけど、前橋飛行場の存在を知っていましたおーっ!!!

(※箕郷町は堤ケ丘があった群馬町と近い。隣町かな?どちらも旧群馬郡。)

 

昔、近所の人か親戚が何とかっていう場所の奥を指して「昔、あの向こうに飛行場があったんだ真顔」と言ったのを聞いたことがあると言ってましたひらめき電球

 

 

 

戦争の話って、自分は経験してないからどうしても教科書の中の出来事でしかないと感じてしまいます。

でもこうして祖母や父の話を通して、私と歴史がつながっているのを感じ、戦争は決して他人事でも過去のものでもないと感じました。

 

 

映画についてはもっといろいろあるのですが、体力的に書けませんでしたぶーあせる

 

東京の方は、8月31日(金)日比谷コンベンションホールで見られるみたいですひらめき電球

こちらの上映では福田康夫元首相がいらしてトーク予定があるそうですよキスマーク

 

福田さんは映画にも出演されていて、公文書の保護のための法律を整備したことを語られていましたので、そうしたことについてお話しされるかもしれません。

 

 

 

まったくの余談ですが、この映画でインタビューを受けているじいちゃんばあちゃんの多くが美しい群馬弁で話されていて、字幕ついてるけどその字幕もまた群馬弁をそのまま文字起こししただけだからちょっとクスッというか、ほっこりしてしまったよイヒ

まるこもばあちゃんとしゃべるときあんな感じにやり

 

 

映画その2 『沖縄スパイ戦史』

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最近観た2本目の映画は『沖縄スパイ戦史』。

この映画は、太平洋戦争の沖縄戦について描かれています。

 

 

地元の少年たちを組み込んだ軍編成についてなど、とても詳細に語られていました。

 

ちなみに軍編成のトップにいた軍人は42名。

その42名は日本軍特務機関「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちでした。

彼らは偽名を使うなどして沖縄に入り、身分を隠し潜伏しました。

 

※陸軍中野学校

謀報、防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした学校で情報機関。

 

 

 

私は戦争関連のドキュメンタリー番組とかよく見る方だと思いますが、知らなかったこともたくさんあったし、映画を観て多くのショックを受けました。テレビでは流さないような映像・画像資料もちょいちょいあって(米軍による資料)…ショックはショックだったけど、私の知識の財産になったと思います。

 

 

特にショックだったお話は、軍による住民虐殺や、軍の命令によって強制移住させられた結果引き起こされたマラリアの被害(戦争マラリア)、作成されたスパイリストをもとに順に住民を殺していった事実、命からがら帰宅した後PTSDを発症し自宅の座敷牢に閉じ込められた人の話…などです。

 

 

あまり詳しく書ける体力がないので今は書きませんが…(まぁ、映画も公開中だしなDASH!

どの話もショックでした。

 

 

 

戦争を体験した人たちが(特に南方に行って復員してきた人たちが)、帰国後戦争の話を一切しなかったとかいうのを耳にしますが、今まで私は「なんで話してくれないんだろうえー?」って不思議に思ってました。

 

(まるこサイコパスじゃないよねアセアセ!?

 

これからの平和のために、戦争で見聞きした本当にあったひどい話をしてくれれば、戦争を知らない人たちにも説得力あるのにって思ってたけど…

 

あまりに辛い経験や、裏切り(する方もされる方も)、地獄のような光景の記憶はとても話せない…とか、”関係者がまだ生きているから話せない”ということもあったかもしれません。

 

映画を観て、こういう人たちの気持ちが少し理解できたような気がします。

 

 

 

また、この映画は戦争の記録のみにとどまらず、現代の日本の政治にも関連付けられていました。

 

自衛隊のいる意味や、基地があるということの怖さの意味を考えるきっかけになりました。

 

 

 

まるこね、映画真剣に見すぎて翌日と翌々日は廃人でしたえーん

 

気持ちの落ち着けどころが分からなくてザワザワというか、なんというか…

元に戻るまで2日かかったよチョキ

 

というわけで、本当はもっとちゃんと映画のこと書きたかったけど出来ませんでしたダウン

 

監督ご挨拶こぼれ話

まるこね、三上智恵監督の初日舞台挨拶の回に観に行ったのニコアップ

 

なかなかそんな機会ないからね、特別なお話が聞けるならって思ってちょっと早起きして並んで開館を待ったのよひらめき電球

 

 

上映後、三上監督は期待を超えて結構がっつりお話ししてくださいましたニコ

 

監督の経歴、スタッフについて、撮影秘話、映像には入れられなかったこと、グッズについて(←商売上手ビックリマーク、自衛隊と軍の駐留について、などなど…たくさんお話聞けて早起きして良かったと思ったよ合格

 

 

なかでも好きな話が二つあって…

 

 

一つは、映画の中で元少年兵として戦って69人の戦友を亡くした方が出てくるんだけど、その人は一人で山に69本のカンヒザクラを根付かせたのね。それで、そのサクラの木1本1本に亡くなった69人戦友の名前を付けたいって言ってたの。どの木にするかはご遺族に選んでもらうの。

 

そのエピソードの後日談を監督が語られたんだけど…

そのおじいちゃん、なんと69本を植え終わって今では80本になったウシシアップって嬉々としてたらしいのです(笑)

 

「いやいや、69本であることに意味があるのに」って監督笑ってましたDASH!DASH!

 

 

 

もう一つは、インタビューをさせてもらったおじいちゃんたちはみんな戦争の話をするときは人の名前とか日にちまではっきり覚えていて、それは本当にすごいんだけど、普段は”ご長寿クイズ”みたいにみんなボケボケなのよっておっしゃってたことです。

 

いつもテレビとかで見る戦争体験を語られる方たちは本当にしっかりしていて、90とか100歳近くても眼光鋭く昔のことをしっかり話してるなって思ってたけど、(この映画でインタビュー受けてた方たちもそうだし)、普段の生活はみんな大して変わらないんだなってことになんだかほっこりしましたにやり

 

まるこのばあちゃん(92)も戦争の話はすごく細かく覚えているのに、さっき言ったことや昨日から何度も言っていることを何度も聞き返してくるんだけどね…まぁ、みんな変わらないのかと妙に納得したし、なんか安心しましたあせるあせる

 

 

映画を観ようか迷っているなら

この映画、観ようか迷ってるなら観た方がいいと思うビックリマーク

 

私はプログラムも買ったんだけど(まだ読めてないけど)、プログラムもすごく内容が濃いです。

映画の復習の部分もあるけど、映画には入りきらなかった取材の部分がとても読みごたえあります。

 

戦争を語れる世代の高齢化がMAXまで来ている今、彼らから引き出せなかった話は永遠に失われます。

そうした意味で、この映画は価値があると思います。

 

観終わって辛いけど、観て後悔はなかったです。

 

 

最後に

最後に監督が教えてくださったネット動画をご紹介します。

マガジン9という…えーっと説明できないアセアセ

 

「憲法と社会問題を考えるウェブマガジン」だそうです。

三上監督のページはこちらから下矢印

三上智恵の沖縄撮影日記

興味ある方見てみてください。

 

私はまだちゃんと見てないんだけど、沖縄の自衛隊基地問題についてとかが多いかも。

 

 

終わりに

最近観た2本の戦争ドキュメンタリー映画について書いてきましたニコ

 

なんだか内容のない何が言いたいか分からない記事になってしまったなえーん…という自覚はあるのですが書き直しませんすみませんウインク

 

もっと自分たちの国の歴史をちゃんと勉強していきたいと思いました。

今度こそ真顔

…何度目はてなマーク

 

 

最後までお読みくださりありがとうございましたニコ

はじめに

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こんにちは、まるこですニコ

先日、東京国立博物館に「縄文~1万年の美の鼓動」を観に行って来ましたアップ

 

まるこ東京に用があった日に一人で観に行ったんだけど、すーーーーーーっごい楽しくて興奮して感動したの笑い泣き!!!!

 

その感動を分かち合うべく、今回の展覧会で特に印象に残った展示品や、学んだこと、考えたことなど…いろいろと書きたいことを書きたいままに書いていきたいと思いますひらめき電球

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興味ある方、どうぞ最後までお付き合いくださいニコ

 

※以下の画像はお借りしました

東京国立博物館「縄文~1万年の美の鼓動」

縄文の美

今から13000年前、氷期が終わりに近づいたころ日本列島では縄文文化が始まりました。

採集しながら定住するという生活スタイルは世界でも珍しいそうです。

 

約1万年間続いた縄文時代は、日本列島に広く展開しました。

この展覧会では、その始まりから終わりまで、北海道から沖縄までを取り上げ、大きなスケールで「縄文の美」を楽しむことが出来ました。

 

第1章 暮らしの美

第1章では、縄文の人々が暮らしの中で使っていた道具や装飾品などを中心に展示されていました。

 

会場にはいきなり立派な土器が登場し、まるこは即その世界に入り込みましたよ笑い泣き

 

縄文土器の特徴として縄目で付けられた文様がありますが、その文様は縦横無尽でありながら破綻することなく土器を覆い描きつくしています。右上がり・右下がりを組み合わせたリズミカルな文様は緻密に計算され、手遊びに縄を転がして描いたのではないことが分かります。

 

また、土器だけでなく、つるっつるに磨かれた石斧や、繊細な細工が施された鹿角製のモリや釣針、サメの骨や鹿角を細工した装飾品などはとても精巧な作りで、縄文時代に既にさまざまな道具の完成形が誕生していたように見えました。

 

他にも、装飾品の代表としていろいろなサイズや模様の耳飾りの展示がありました。

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耳飾りはかなり大きなサイズですが、子供のころから耳に穴を空けて、その穴を少しずつ広げていったようです。成人・結婚式・出産・葬送など、通過儀礼時に付け替えていたと考えられています。

 

 

まるこね、縄文人ってあまり高度な技術や精神を持っていたとは思ったことなかったんだけど、今回その印象はすっかり覆されました!!

 

第2章 美のうねり

第2章では、縄文の模様の美しさを中心に見ていくことが出来ました。

 

紀元前4000~2000年(縄文前期~後期)の長い年月・広い地域の中で様々な文様が試みられました。

 

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上矢印うずまき

 

直線・曲線・波模様・縄模様を一つの土器の中で組み合わせたものや、独創的なうずまき模様のもの、立体的な装飾の火焔型土器、長方形・ひし形・うずまきなどの幾何学模様を組み合わせた現代アートのような装飾のもの、また、儀式に使用されたとみられる独特な造形のもの(双口土器 など)…時期・地域によってさまざまな土器が作られたことが分かりました。

 

特に火焔型土器をずらっと並べた展示は圧巻でした!!

まるこ、その存在感に思いもよらず感動したよ笑い泣き

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火焔型土器は、燃え盛る炎を表現したとさかのような形の装飾をふちに4つバランスよく配置し、胴体には粘土をひも状にして貼りつけた流線紋が特徴的で、ライトに照らされて浮かび上がる立体的でダイナミックな影はとても力強い生命力を感じます。

 

また、流線紋の影がはっきりと浮かび上がらせる明暗に自然への畏怖のような、もっと言えば自然界の精霊・霊魂への畏怖(アニミズム)のような高い精神性を感じました。

 

それでいて火焔型土器は装飾に力を注いでいただけでなく、実用的でもあったという点で興味深いですねひらめき電球

 

だいたい儀式用の土器は実際に煮炊きに使うなど日常使用はしないのが世界基準だと思いますが、縄文土器は(すべてではないけど)煮炊きの痕があって(外からの被熱と内側には食べ物のカス)、実際に使用されていたことが分かっています。

 

現代の感覚だと、神を意識するのは祭りのときとか特別な”ハレ”の場面って感じがするけど、縄文の人々は日常の”ケ”の場面でも神々と共に暮らしていたように見えました。

 

第3章 美の競演

第3章では、縄文時代と同時代に、世界ではどのような文明が栄えていて、それぞれどのような器を作り使用していたのかを比較していました。

 

それぞれ簡単に紹介していきます。

 

 

中国(新石器時代後期/前3000年ころのもの)

高い実用性と装飾性を持ったなんともかっこいい模様が印象的な器たちでした。

 

インダス(先インダス文明・インダス文明/前3000~2000年ころのもの)

絵画的な彩文の土器が主流。目のシンボルを描いたものや、ネコ科動物、ヤギ、牛、魚などが可愛らしいタッチのイラストで描かれていました

このシリーズはめっちゃ可愛かったラブラブ

 

メソポタミア(前期青銅器時代/前3000年ころのもの)

熟練の技術でシンプルな器が大量生産されていたようです。

 

南レバント(前期青銅器時代/前3000年ころのもの)

彩文、磨研が一般的で、主に墓から出土しています。

(※南レバント=パレスチナ、ヨルダン、イスラエル周辺の地域)

 

エジプト(前期王朝時代/前3000年ころのもの)

この時代、エジプトは既に王を中心とした国が成立し、規格化された実用的な土器が主流で、持ち主を表すとみられる印が刻まれているものがあります。

 

バルカン半島(前期青銅器時代/前2400年ころのもの)

厚手の粗製土器が主流。

 

アルプス(前3000年ころのもの)

青銅器の使用が始まるも、押圧文などで飾った伝統的な土器作りが続いていました。

 

日本(弥生時代/前5世紀~後3世紀)

ユニークな造形の土器が存在します。

 

大きな銅鐸の展示がありました。1m以上あったかな?

今は青緑色だけど、本来は金色に輝きながら音を響かせていたようです。その存在は抜群の儀礼効果を与えていたのだと思いました。

 

第4章 縄文美の最たるもの

縄文時代の遺跡は、これまでに9万件以上の数が確認されているそうですが、土器・土偶などは2万点ほど出土してるんだっけな?(ちょっと数え方がよく分かんないアセアセ

 

まぁとにかくたくさんあるその中でも国宝に指定されているのはわずか6件なのだそうです。

 

その6件すべての国宝が今回の展覧会では史上初めて勢ぞろいし、一つの部屋で見ることが出来ました笑い泣き!!

 

一つずつ感想を書いていきますラブラブ

 

※ちなみに、”国宝6件すべて”と言われていますが、国宝は「6点」ではないようです。

国宝に指定されている土偶は5件・5点のみですが…

 

火焔型土器については、十日町市笹山遺跡から出土された土器53点(だっけな?テレビで言ってたの聞いただけだから数間違ってるかも)まとめて国宝指定されているそうなので、土器は1件・53点が国宝らしいです。だから、今回の展示は”国宝全て”が見られるわけではないのです。

 

火焔型土器

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国宝指定のこちらは2章で見てきた他の火焔型土器より小ぶりでした。

その燃え上がる炎のような装飾と流線文は力強く調和的で360°どこから見ても美しいです。

 

まるこね、縄文土器って粘土をひも状にして模様作ったり、縄を転がして模様を描いたり…真似して作れそうって今まで思ってたけど、いやぁ、これは無理だねえーん

 

均整がとれ、計算された美しさですアップ

 

こうした土器や土偶を見る限り、まだ日本が日本になる前(クニが出来る前)に、神のような存在が作られ、その神に祈りが捧げられていたということが分かります。

 

その祈りや願いを模様などの造形に乗せたのでしょう。

 

ただただ見た目に美しいからとか、近所の人たちに自慢したいから装飾性を高めていったわけではありません。

 

彼らはどんな思い・願い・祈りを何のモチーフに乗せたのだろうと想像することはとてもワクワクしますラブラブ

 

展示の説明にはふちの燃え盛る炎のような造形を”4つのとさかのような”という言葉が使われていたけど、もっと他のものに見えるのではないかといろいろと考えてみましたうーん

 

私にはその一つ一つが動物に見えてきましたひらめき電球

毛がふさふさした感じや、目と口、手足と胴、反り立った尾のようなものが確認できます。

 

つまりその炎のような造形は狩りの対象である動物を意味し、山の恵みの収穫への願いや感謝を表しているのではないかと思えてきました。

 

その器を使って獲物を調理し、感謝しながら自分たちの命を繋いでいたのだとしたら、なんと高い精神性を持っていた人たちだったのだろうと感激しました。

 

また、ギザギザをうろこと見立てれば、反り立つ装飾は尾びれにも見え、海の恵みにも見えてきます。

 

そう考えたら、土器の胴体の模様は大地や海原など自然を象徴した造形のようにも見えてきました。

もっと言えば、(彼らに”地球”という概念はないかもしれないけど)宇宙を意識して作られているのかもしれないとさえ思えました。

 

彼らは、恵みをもたらす自然(=彼らの世界そのもの)に対する畏怖、尊敬、感謝を土器作りに反映させるような高い精神性を持っていたようにまるこは思いました。

 

縄文のヴィーナス

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これ、パンフレットの写真では分からないけど、後ろから見ると脳天がスパッと水平方向に切れていてその中には渦巻きが描かれていたんですよ合格

 

なんかね、頭切った断面図みたいに見えてちょっと困惑しましたアセアセ

何かの儀式とかで人の頭切ったりしてないよね!?

 

ま、いいやぶー

 

縄文のヴィーナスはお腹・尻・太ももが大胆に、しかし印象は柔らかくデフォルメされています。特に下半身のボリュームはすごいですね。

 

この土偶は妊娠した女性を表していて、豊穣や繁栄の祈りが込められているそうです。

 

縄文の女神

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他の縄文土偶に比べると、圧倒的な斬新さと洗練されたフォルムが惹きつけた目を離しません笑い泣き

 

写真では分からなかったけど、上半身(胸)の厚さが非常に薄いんですよ。

えっアセアセ!?ていうくらい薄いの。でもバランスが取れていてスタイリッシュアップ

 

フォルムがとにかく美しいですラブラブ

どう考えたらこんな造形が出来るのだろうと縄文人の感性に嫉妬するレベルえーん

特に側面から見た姿は随一の美しさだと思います!!

 

こちらの女神、腕は省略され、頭部もかなり省略されています。

頭は目とピアスの穴が空いているだけですね。

 

このピアスの穴と、控えめに造形された胸と妊娠したお腹(ちょっとだけでっぱってるのと、正中線が入ってる)から女性であることが分かります。

 

めっちゃスレンダーに見えるけど、妊娠した女性なのですねひらめき電球

 

体に刻まれた模様は緩急があってリズミカルで、むしろ現代アートと言われたほうがしっくりくるような気さえします。

 

仮面の女神

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集落内の墓に開けられた小坑から出土したもので、死者の鎮魂や再生を祈るために埋葬されたとみられているそうです。

 

三角の仮面で顔を隠しているような造形が人間離れした存在感を強調しています。

腕は省略されているようですが、脚のデフォルメがすごいですね。

 

体には実際の入れ墨か儀式の際のボディペイントか装束のような規則性のある模様が描かれていますが、その模様は決してランダムに描かれたものではなさそうです。

 

こちらの仮面の女神、女性器がはっきりと描かれています。

そうした細工は、生まれ変わり(再生)への祈りの表れとして刻まれているのでしょう。

 

合掌土偶

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体育すわりで両手を組み、天に向かって何か語り掛けるような姿の土偶さん。

 

サイズは小さいですが、その造形は細かく、全身に規則性のある模様が刻まれています。

 

4000年前には既に祈りの姿が今とそれほど変わらないということが衝撃でもあり、妙に納得できる感覚もあり…なんとなく縄文の人々にシンパシーを感じてしまう土偶でした。

 

パンフレットとか写真で見た時にはちょっとバカっぽいっていうか”ゆる可愛い”って感じに見えたけど、実物を目にしたときにはその滑稽さはみじんも感じることはありませんでした。むしろ祈りが成就することへの切実さが伝わってきて、非常に厳かな気持ちになり、その口から祈りの言葉が見えるような気さえしました。

 

この合掌土偶には朱が使われているようですが、特に祈りや儀式の道具として重要だったようです。その証拠に当時の人が壊れた部分を修復した痕があって、ずっと大切に使われていたことが分かります。

 

中空土偶

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体内は空洞になっていて非常に薄手の土偶さんです。

 

全身の細かい模様が印象的です。ザ・超絶技巧アップ

 

あご周りとへそ周りに丸い細いものでたくさん突いたような模様がついているんだけど、これがまるこには毛に見えて仕方ないのですよアセアセ

 

土偶は基本的には”妊娠した女性”を表すことが多いようですが、このひげとギャランドゥはどう見たらいいんでしょうかねうーん昔の人は毛深かったのかな!?

 

ちなみにこちらの土偶さんも腕が省略され(これに関しては欠けてるんかも?)、乳房はちょこんと造形され、正中線(妊娠線)があり、女性器が確認できます。

 

国宝6件をとおして

特にこの国宝の部屋を見ていて感じたのは、縄文土器・土偶にはある程度ルールがあるということです。

どうやら集落や地域、時代によって土器・土偶づくりには決まりがあって、好き勝手にたくさん作ったり、好きなように造形したりは出来なかったようなのです。
 
その縄文独特のルールで気になったのは、縄文土偶には腕が省略されているものが多いこと。また一方で、”妊娠した女性”を表現するために太もも(脚)と腰が誇張されていて、乳房は目立たないということです。
 
私の感覚だと、乳房やお腹を大きく作りたくなるものですがぶー
 
 
縄文文化は文字を持たない文化なので、彼らが何を信じ、何を考え、何を祈り願ったのか正確には分からないけど、いろいろな模様や表情の造形からそれらを推し量ろうとすることで、彼らの暮らしや彼らの思想に寄り添い近付けるような気がしました。

 

第5章 祈りの美、祈りの形

今まで見てきた通り、土偶は祈りの道具として作られました。それは乳房のある女性の姿で形作られ、安産・豊穣への祈りが込められました。

 

第5章では、その他に造形された様々な種類の土器や土偶を見ることが出来ました。

 

 

石を加工した石棒は、男性器が写実的に表現され、子孫繁栄・豊穣の祈りが込められました。この石棒はのちに大型化し、また意図的に破壊され被熱を受けた例が多いそうです。

 

他にも、人や動物をあしらった土器なども出土しています。

それらは人と動物の仲立ちをし、縄文人の想いを伝える器として残っています。海や山の恵みの豊穣を祈り、畏敬の念を込めて作られているようです。

 

また、手形や足形を残したものもあり、それらは子の成長記録であったり、夭折した子の記憶を留めるためのものとして残されました。それらは親の子への想いを感じることが出来ます。

 

縄文時代の土器・土偶には、いずれも当時の人々の心が強く映し出された形になっていました。

 

 

「何これアセアセ!?」「何故それを作ったえーん!?」って思うものが多くて、楽しいやら困惑やらとにかくテンション上がって興奮した部屋でもありましたアップアップ

 

 

いくつかご紹介します。

※数字は展覧会の通し番号です

 

「100しゃがむ土偶」

これは座産の様子を表した土偶のようなのですが、手が変なポーズだったの。

手が変なポーズだったのパー

(大事なことだから2回言った)

 

そのポーズがあまりに印象的で、その独特なポーズは何を表してるのかなって不思議に思いました。

 

「105ハート形土偶」

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顔がハートの形の土偶さんドキドキ

 

体を見ると乳房と正中線があるので女性であることが分かりますが、頭部側面には女性を表すピアスの穴が空いてないので、このハートは仮面なのかなって思ったのね。

 

そうだとしても、しっかりと写実的に立派に鼻が形作られているのに対して口はないのよアセアセ

頭部だけじゃなくて体も極端にデフォルメされてるのがとても興味深く面白いですビックリマーク

 

「115遮光器土偶」

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教科書でおなじみの遮光器土偶さんですが、およそ人間離れした顔や体の造形は何を表しているのかとしばらく考えながら見入ってしまいました。

メガネをかけたような顔も不思議だし、全身の模様もとても細かくて見ごたえありましたビックリマーク

 

「128顔面付き壺型土器」

壺のふちに顔が付いている土器。

祖霊を祀り、再生を願うために作られたものと考えられているようです。

再葬墓から出土したこの土器は、成人骨を収めた蔵骨器だと言われています。

 

…が、まるこ的にはとにかくその”壺のふちに頭が付いてる”っていうインパクトの強さ、今風に言うと「クセが強いっぶー」な存在感にやられましたDASH!

 

「139土面」

土で作られたお面なんだけど、あんまり美しく精巧に作られたものではなくて、…なんかね、歪んでるのアセアセ

 

通称「鼻曲がり仮面」などと呼ばれているようですが、確かにはっきりと造形された鼻はめっちゃ曲がっていました。

 

苦悶か滑稽か陶酔の表情を表しているとみられるそうですが、あんまり完成度高くないし、変な顔だし…笑っちゃうような印象なんだけど、何を思って何のために作られたのかと思いめぐらし始めたら真面目な顔して凝視してしまったよ目

 

「144彫刻木柱」「145彫刻木柱」

どちらも彫刻が施された木の柱なんですが、144は「イルカの霊を送る儀礼を行うために作られた」と考えられていて、145は「太陽崇拝の祭祀場のために作られた」という説があるそうです。

 

太陽信仰は世界中どこにでもあるものですが、縄文の人々もまた太陽を崇敬の対象と見ていた可能性があるというのは興味深いです。

 

一方、「イルカの葬送」のための儀式があったのではないかということが私としてはなんだか不思議でした。

 

なぜイルカ!?他の魚類や海獣は対象外だったのかなはてなマークとか、なぜなぜが尽きません!!面白すぎですね笑い泣き!!

 

「172顔面把手付深鉢形土器」

これは壺なんですけど、壺のふちに母親の頭が付いてて、壺の胴体表面に子供の顔(頭)がにょきっと出てるという造形の土器。

出産の場面を表しているようですねひらめき電球

 

パッと見の破壊力も相当なものですが、会場では見られなくて後でテレビで知ったんだけど、壺の後ろ側(母親の背中側)にも子供の顔がにょきっとしているそうなのです!!

 

はてなマークおしりからも子供出てきてるの!?

こうなってくると出産場面かどうかも説明付かなくなってきちゃうよねあせる

とにかく面白いが止まりません!!!!

 

他にも…

他にも、デスマスクのような仮面や、人体そのもののような土器、歌っている(語っている)ように見える人がくっついている壺など、見ていて楽しい土器・土偶がたくさんありましたアップ

 

その他の造形

また、人を模したものばかりではなく、動物や植物などを造形したものもありました。

 

猪、猿、熊、鳥、きのこ、貝などを模して作ったとみられる土製品がたくさんありましたよビックリマーク

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狩猟や漁労の狩りの対象となったものが多く、豊漁や豊穣を願うために作られたと考えられています。

 

一方、動物への憧れや畏怖から作られたと考えらえるべき造形もあるようです。

 

 

まるこが面白いなって思ったのは、縄文の人々は写実的に作ろうと思えば作れたって点です。

土偶など人物を造形するときにはかなりデフォルメされているものが目立ちましたが、猪とか貝などはかなり写実的に造形されています。

 

やれば出来んじゃん!!

 

それを思うと土偶たちがあまりにデフォルメされた姿は、本当に特別な存在として造形されたと推測されます。

 

いや、もしかしたら土偶もまた実はかなり写実的に作られたのかもしれないよね!?

でた、宇宙人説イヒ

 

総括

以上、展覧会に沿って書いてきました。

 

私が今まで美術館・博物館をまわったり、本で古代文明や先史文明について知っていく中で感じていることは、「芸術(絵、造形物(人形や土器など)、歌、踊り)」が「芸術」になる前、現在「芸術」と呼ばれるものはすべて「人々の願い・神への祈り」が始まりだったということです。

 

そしてその原初の祈りというのは、突き詰めるとすべて豊穣や繁栄に関係することでした。

 

人々は(主に自然界における)自分たちの理解を超えた現象や、自分たちの力の及ばない現象(異常気象、天変地異、病気)を精神的に解決するために神という存在を作り出してきました。そしてその説明できない現象を説明できるようにし、人々の暮らしの隙間を埋めていました。

 

今回の展示を見る限り、縄文時代には早くもそうした文化が興っていたようですね。

 

彼らは大自然や命への畏怖・畏敬・尊敬・憧憬、また豊穣や繁栄への祈りや願い、感謝を土器や土偶に込め、その思いと共に日々暮らしていたように感じました。

 

決して遅れた人たちではなかったのですね。

高い芸術性をもって自然と共生していた彼らの高い精神性を感じることが出来た展覧会でしたニコ

 

おわりに

以上です。お疲れさまでした。

この展覧会の目玉は国宝6件ですが、本当に非常に美しかったです!!

インターネットや本でも見ることはできるけど、実物は全然印象が違います!!

そこは断言しちゃうよグッド!

 

縄文の人々が込めた祈りや、生命力、迫力をぜひ本物で確かめて欲しいですニコ

特に、子供に見せたいと強く思いました!!

まるこ子供いないけど

 

こんな展覧会二度とないと思いますので、迷ってる方はぜひ行かれることをお勧めしますアップ

結構混んでたけどDASH!

 

行く前までは、「縄文はてなマークゆるくて可愛いよねラブラブ」なんていう感覚もあったけど、実際見てみるとその印象は吹き飛び、力強い生、命、自然への畏怖・崇敬の魂を感じました。

 

********

以上。

今回も伝えたい思いが強くて長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださったあ・な・たラブラブありがとうございます笑い泣き!!!!

 

「まるこ頑張って書いたねーパー

「長くね!?でも最後まで読んだし!!

「縄文やばいね、あついねアップ

「まること縄文デートしてるみたいだったよラブラブ

「よし、縄文展行こうUFO

などなど…いろいろと思ってくださった方、いいねビックリマークしてってちょーねぶちゅー

ペタしてねドキドキドキドキドキドキ

********

手まるこの関連記事

 

アンデス文明展に行った時の記事で、古代文明と神と芸術についてなど書いてます下矢印

鉛筆古代アンデス文明展

はじめに

こんにちは、まるこですニコ

先日、六本木・国立新美術館に「ルーヴル美術館展 肖像-人は人をどう表現してきたか」を観て来ましたアップ

 

まるこ、東京に用があった日に一人で観に行ったんだけど、なかなか見どころたくさんあってしびれまくってきましたの笑い泣き

 

この展覧会を通して感じたこと、学んだこと、発見したこと、等… 言いたいことを言いたいままに書いていきたいと思いますビックリマーク

 

今回も思いが強い分長くなってしまったのですが、興味ある方、どうぞ最後までお付き合いくださいニコ…いや、ちょっと気になる部分だけでも覗いてみていただけたら嬉しいですビックリマーク

 

それでは、展覧会の構成に沿って紹介しながら書き進めていきます。

作品名を《〇〇》で表し、作品名の前の数字は展覧会の通し番号です。

以下の画像はお借りしました。

ルーヴル美術館展~肖像~人は人をどう表現してきたか

プロローグ

肖像の始まりは古代エジプトで死者が来世で永遠に生きることを願い、その人の棺を顔を表現したマスクで飾ったことだそうです。

展覧会のはじまりは、古代エジプトの棺に描かれた2点の肖像画です。

前14世紀のものと2世紀後半のもの。

前者は死者を理想化し、来世の良い人生を確約するものとされ刻まれました。

後者は死者を写実的に残し、生前の顔立ちを生き生きと描写しました。

 

どちらも来世で永遠の命をという同じ願いに根差していますが、対極的な表現のマスクは、あらゆる肖像作品に通じる「理想化・様式化」と「写実性・肖似性」という問題を象徴的に示しています。

第1章 記憶のための肖像

第1章では、「人の存在を記憶する」という役割に焦点を当て、神々に捧げるため、子孫に残すために制作された古代~19世紀の肖像が紹介されていました。

 

古代の地中海地方には、願いが成就した時の返礼として、神々に自身の像を奉納する習慣があったそうです。それは、自分の分身に信心の記憶を託すという意味がありました。

 

また、古代の葬礼において、亡き人の記憶を残し、永遠性を記念するという目的で、故人の在りし日の面影を留めるために肖像が描かれました。

 

この章の展示から何点か、感想等書いていきます。

 

23《マラーの死》 ダヴィットとその工房

まるこ、この絵すごく好きなの!!

 

一時期、フランス革命期の歴史を勉強したことがあったんだけど、この絵はまさにその革命期を革命家と共に生き、共に戦い、彼らと同じ時間を過ごして同じ空気を吸っていたんですよね。それを思うと、ときめきが止まりませんです笑い泣き

 

(別に歴女ってわけでもないし、革命家たちやナポレオンには批判的な気持ちもないことはないけどパー

 

 

《マラーの死》について調べて書いた時の記事がこちら下矢印

《マラーの死》からひも解くミュージカル『1789』のその後の史実

この時代の説明すると長くなるので、割愛します。興味ある方、詳しくは上のリンクのページ見てみてね。

 

 

私、展示を見てまずびっくりしたのが、以前ランス美術館展で見たものの倍くらいのサイズだったことです。複製が複数点存在することは知っていたけど、サイズ違いだなんて思ってなかったので、驚きでしたおーっ!

 

ランス美術館展で観た時も、神格化されたマラーの高められた神聖が相当衝撃的だったけど、ルーヴル版は倍のサイズということもあって、見ていると自分もその世界に包まれるような、その空間に一緒に存在しているような気分になりました。

 

恐怖政治真っただ中のロベスピエールは政敵に同志マラーを殺され、「彼の死を無駄にしない」というより「彼の死を大いに利用しよう」とさえ思っていたのではと感じるほど上手くその死を利用できたように感じました。

 

同じく同志の画家ダヴィットにマラーの死を神格化させるように描かせ、その絵を演説に持っていくなどして政治利用したというのですが、確かにこんな絵を背に力強く演説されたらその説得力は数倍高められ、支援者じゃなくてもなびいてしまいそうだと絵の力を感じました!!

 

ダヴィットはマラーの死に際し、「無駄死にさせられた友人の絵を”人々の幸せのために”描く」と誓い、魅力的な英雄を記録するように描きました。写実にこだわらず、革命の殉教者たるマラーをキリスト教殉教者(またはキリストの殉教そのもの)を連想させるような崇高さをもって表現しました。

 

その絵は当時人気があったようで、政治利用のためにダヴィットとその工房によって同時代に複製画が描かれ、現在でも複数点が世界に残っているのですが、そのうちの一点がこれや私が依然見たランス美術館所蔵の一枚というわけです。

 

ちなみに絵の右下の箱の文字は「私を咎められぬがゆえに 彼らは私を暗殺した」と書かれているそうです。

 

私はミュージカルが好きなのですが、ミュージカル『1789』や『レ・ミゼラブル』などに直接つながるフランス革命期の”その時代を彼らと共に生きた絵”だと思うとときめきがとまりません!!

 

 

(…思いが強すぎて一枚目からこのボリュームで書いてしまったえーんこの後はもう少し抑えめに短めになりますのでご安心くださいパー

 

24『フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアン の墓碑肖像』

この作品は大理石で表された頭部です。

 

31歳の時に馬車の事故で亡くなった王の長子の墓碑のために作成されたもので、その表情は故人が安らかに眠る顔そのものでした。

 

そのあまりの美しさから、彼の見た目や心の美しさをいつまでも後世に朽ちることなく残そうとしたその気持ちが伝わってくるようでした。

 

もうね、「綺麗な顔してるだろ。嘘みたいだろ。死んでるんだぜ、それで。」といった心境だったよえーん

 

ちなみにこの人はフランス革命期、ナポレオンが失脚した後に王政が復古(1815)したものの1830年7月革命が起きてブルジョワたちに人気のあるルイ・フィリップが王位についたんだけど(オルレアン朝)、その人の長男。父王が在位中に事故死しました。

 

生きてたらどうだったか分からないけど、結局この王政も1842年2月の革命によって倒され共和制に入ります…が、選挙で大統領に選出されたルイ・ナポレオン(ナポレオン3世/ボナパルトの甥)が皇帝を名乗り帝政へと突入し、普仏戦争でルイ・ナポレオンがビスマルク率いるプロイセンの捕虜になるまで帝政は続きました。その後やっと安定の共和制へと入っていきます。

 

この辺の時代背景について調べた時の記事はこちら下矢印

ミュージカル『レ・ミゼラブル』を見るための資料(仏革命期の年表 他)

年表にはロベスピエールも出てくるよ

 

48《王太子オルレアン公》 ドミニク・アングル

展覧会に沿うとちょっと飛びますが、2章にも同じオルレアン公の肖像があったので一緒にご紹介します。

 

彼の死の数か月前にアングルによって書かれた肖像画です。

 

アングルなのでちょっと首とか胴とか腕とか全身が引き延ばされて描かれている印象はありますが、王太子の品の良さとか人柄の良さが伝わってるくようなとても優しそうで柔らかな表情の肖像でした。

 

王太子は芸術に造詣が深く、芸術家たちから慕われていたそうです。

確かに画家の親しみを込めた好意的な感情が絵に乗っているようなとても素敵な表情だと思いますラブラブ

 

この肖像画が描かれたすぐ後に事故死してしまうわけですが、その亡くなった姿を1章で見ました。生きている姿と亡くなった姿を一度に見ることが出来ると、命の儚さみたいなものを感じてしまいます。

 

第2章 権力の顕示

「記憶すること」と並ぶ肖像の大きな役目は、王・貴族・皇帝など地位のある人々の「権力を表す」ことでした。

 

見る人に彼らの力の強さや身分の高さを印象付けるため工夫された肖像たちを2章では見ることが出来ました。

 

それではこの章の展示から何点か、感想等書いていきます。

 

29《アレクサンドロス大王の肖像》通称《アザラのヘルメス柱》

歴史に名を刻むあのマケドニアのアレクサンドロス大王の大理石の胸像です。

大王は彼自身の像を大王ご指名の3名にしか作らせなかったそうです。

「アナストレ」と呼ばれるライオンのたてがみのような特徴的な前髪がビシッと決まっています。

 

80年代のディスコギャルか90年代のヴィジュアル系ファッションかって感じアセアセ

 

おそらく中途半端な技術の芸術家では大王の本来のかっこよさを十分に表現できないから(と本人が感じているから)、指名した人にだけ作らせ、それ以外の人が作ったかっこよくない姿(と本人は感じている)を国民たちに見せたくなかったんでしょうねDASH!

 

権力者にとって(特に写真やメディアなどない古代の権力者にとって)自分のいない場所でも自分の権力をいかに誇示するかは大変重要なことだったのだと思います。

 

32《トガをまとったティベリウス帝の彫刻》

ローマ帝国皇帝ティベリウスの大理石の全身像。

この像はとにかくその大きさに圧倒されましたおーっ!ビックリマーク

 

実物大よりもずっと大きく造形された姿は、それを見た当時の国民たちがその皇帝の偉大さ、権力の大きさ、国父たる存在感を圧倒的な説得力で見せつけられたような感覚になったんだろうなと感じました。

 

そして指折りの芸術家(技術者)によって、(もしかしたら実物よりもずっと)かっこよく表現された姿を見た人々は羨望のまなざしで皇帝を見つめていたかもしれないと立派な像を見て思いました。

 

38《5歳のフランス国王ルイ14世》 真鍮・胸像

40《聖別式の正装のルイ14世》 油彩

フランスブルボン朝の最盛期を築いた太陽王ルイ14世ですが、父王が早くに逝去したためわずか4歳で即位しました。即位して間もない5歳の国王の姿が堂々とした立派な姿に真鍮の胸像で造形されて残されています。

 

古代ローマ式の服装や月桂冠で古代ローマ皇帝風に作られ、王としての存在の説得力を高めることや権威付けをしようとした意図が感じられます。5歳にしてこの立派なまなざしとは(あどけなさは残るものの)その意図は成功しているようですイヒ

 

そして隣にはいいおじさんに立派に成長した正装姿の太陽王の油彩画が展示されていました。

サイズはそれほど大きくはないけど、かなり上質で高級そうな衣服を身にまとっていることが分かります。権力や富の大きさ、国民に愛される国王たる器の大きさのようなものまで反映されているようにも見えました。

 

白タイツ+ハイヒールのファッションについてはスルーするよアセアセ

おそらく当時の最先端えーん

 

44《戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像》(油彩)

45《戴冠式の正装のナポレオン1世》(大理石彫像・全身像)

47《ナポレオン1世のデスマスク》(石膏・頭像)

皆様ご存知ナポレオン大先生のコーナーのお時間ですよアップ

 

ところでナポレオンってめっちゃ英雄扱いされてるけどほんとに英雄なのかなえー?

まるこはね、現代のフランス人はフランス史的にナポレオンをどう思っているのか知りたいと思ってるのにやり

というのは、あの偉大な文豪ヴィクトル・ユゴー大先生の『レ・ミゼラブル』を読んだときに、ナポレオンのことあまりよく書いてなくてね、ユゴー大先生の影響もあって私はナポレオンを英雄視する風潮を懐疑的に見ているの。

 

 

まぁ、いいわ。

展覧会の絵や彫刻の感想に入ります目

 

絵でも大理石彫刻でも戴冠式の姿はフランス王室ゆかりの白テンの毛皮をふんだんに使ったマントを身にまとって、同時に古代ローマ皇帝を彷彿とさせる月桂冠を頭に乗せています。

 

フランス皇帝として相応しいのだとその正当性をアピールするためにとても気を使って考えて努力してるなと感じます。ナポレオンは王家でも上級貴族の出身でもないので、権威付けの説得力を持たせるために尽力したのはなんとも涙ぐましいなとぐすん(いや、ディスってないぶー

 

特に戴冠式の全身彫像は、大きくて威厳たっぷりな表情でかっこいいです。

重厚感のあるいかにも高級そうなマントが皇帝という地位に説得力をもたらしています。また、フランス王室とつながりがあるのだという正当性を主張し、その権威を印象付けるためにミツバチ(フランス王室で一番古いメロヴィング朝のモチーフ)やユリ(革命前までフランス王政を担ったブルボン朝のモチーフ)の模様を使用したり、古代ローマ皇帝の権威を借りるように月桂冠を頭に乗せ、印象付けることでよりフランス皇帝の権威をアピールできているように見えます。

 

 

まるこね、ナポレオンの肖像などを見るたびに「ナポレオンはセルフプロデュース能力高いわ~イヒ」って感心するのね。ある意味その点においては羨望のまなざしで見ているよ笑い泣き

 

展覧会には来てないけど、ナポレオンが教科書に出てくるときにはだいたいダヴィットの《アルプス越えのナポレオン》とか戴冠式を描いたものが出てくるけど、どれも”現実とは違うけど、その存在をより偉大にするためにちょっと(場合によってはかなり)盛って”描かれてるでしょ。

で、その意図がちゃんと伝わってイメージ戦略として成功してるのが単純にすごいなって思うビックリマーク

 

 

で、在位中は破竹の勢いでブイブイ言わせたナポレオンだったけど、結局わずか10年余りで失脚してしまいました。

 

失脚後は幽閉生活の後に(おそらく)病死。その死の床にて型をとったナポレオンのデスマスクも今回展示されていました。

 

死んだ姿を描いた絵も「怖い絵展」で見たりしたけど、そういうのを見るたびに”栄枯盛衰・盛者必衰”の言葉を思い出します。

 

56《神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)》

神聖ローマ帝国ローマ皇帝カール5世の肖像を刻んだ銀の小さなコインのような工芸品。

 

神聖ローマ皇帝カール5世は、在位中は諸外国との戦いに明け暮れ、神聖ローマ帝国と同時にスペインの国王も務めた彼は特にスペインを”日の沈まぬ国”とまで言わしめる強大な国へと押し上げた偉大な国父です。

 

 

”日の沈まぬ国”の意味

あるスペイン領の地域で日が沈んでも、他のスペイン領の地域では日が昇る。

つまり、世界中のあちこちを征服しているため、どこかではかならず太陽が上がっているくらい世界中を征服していることを差しています。

 

 

そんな偉大な国王ですが、ハプスブルク家の伝統をすっかり受け継いだその顎お月様は、だれが描いても、どの角度から描いても、コインになっても同じシルエットなんですねえーん

 

以前別の展覧会で、クラーナハが描いたものや、ティツィアーノが描いたものを見たことがあって、なかなか顎の存在感が強烈で、悪意があるんじゃないかってほどだったけど、このコインもまた同じ顎の存在感で…本当にこういうシルエットだったんだなって信じるしかないよねアセアセお月様

 

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上矢印左がティツィアーノが描いたカール5世、右がクラーナハが描いたカール5世

 

コインの顎は会場でお確かめあれ!!!!

 

68《スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリアの肖像》ベラスケスの工房

この絵のモデルについては先日のプラド美術館展を観た時に少し勉強したので解説していきたいと思います。(プラド美術館展を観た人向けに書きますよDASH!

 

彼女はスペイン王フェリペ4世の2番目の妻です。

 

プラド美術館展で馬に乗っていたバルタサール王太子(フェリペ4世の子)の結婚相手として幼少期から育てられていましたが、バルタサールが16歳で夭折。そこで、男子がなく妻にも先立たれていて世継ぎがなかったフェリペ4世に嫁ぐこととなりました。

 

つまり、本来の許嫁(バルタサール)の父親に嫁ぎました。

しかも、フェリペ4世は彼女の母の兄弟なので叔父姪婚となります。

 

彼女が生んだ女児マルガリータはベラスケスによって何点も肖像が残されていますが、もっとも有名なのが《ラス・メニーナス(女官たち)》。この絵の鏡の中に映る国王夫妻はフェリペ4世とこのマリアナ・デ・アウストリア王妃です。

 

後に生んだ男子がカルロス2世として王位に就きますが、カルロス2世は血が濃すぎて精神的にも肉体的にも弱く、ここでスペイン・ハプスブルク家が途絶えましたえーん

 

(この辺のことは以前こちらのページでもっと詳しく書いています下矢印

プラド美術館展・追加資料

スペイン・ハプスブルク家の歴史と、あとハプスブルクの顎についても書いてます。)

 

 

このことを知っていると、今回の展覧会のこの絵を見た時に何とも言えない感情が沸いてきました。

 

この少女の表情がなんだか乗り気じゃないような…彼女の気持ちに寄り添って見てみるとまた違う見方が出来たように思います。

 

 

この絵は一応下絵や構図などはベラスケスが指示を出しているようですが、やっぱりベラスケス本人が描いたものと比べると存在感とか立体感とか、人物の内面のとらえ方が稚拙な印象です。

 

あとね、髪型が変アセアセ

どう編めばこんな髪型が出来上がるのかとカリスマ美容師もきっとお手上げなその髪型に視線を奪われました目目

 

第3章 コードとモード

ルネサンス時代には、王・貴族・皇帝だけでなく、より広い身分の人の肖像が作られるようになりました。第3章では、そうした個人的な記念や贈り物のような私的用途のために描かれた肖像を見ていきます。

 

90《パンジーの婦人》

亡き愛する女性の姿を留めておくために描かれた肖像画。

 

絵の中には「見えなくとも 私は覚えている」という銘文が書かれています。

また、背景にびっしりと散りばめ描かれたパンジーはフランス語で「思慕、恋心」を意味するそうです。

 

死後もなおこんな風に輝いていたころの姿を留めて、その絵を見るたびに存在を思い起こしてもらえるなんて、なんて素敵なことだろうと感激しました

 

私もそんな風に誰かの素敵な思い出になりたいにやり

 

95《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン

とても可愛く描かれた肖像画ですが、今回まるこが注目したいのはその画家です。

 

エリザベート・ル・ブランはマリー・アントワネットに重用され彼女の肖像を多く描いた女流画家です。

 

ただし、”宮廷画家”の地位を与えられていたわけではないので、革命に際してマリー・アントワネットとその周辺の人たちが処刑される中、エリザベートは他国に逃げることが出来、他国で貴族などの注文を受け生活することが出来ました。

 

今回展示はないけど、エリザベート・ル・ブランの自画像もまためっちゃ可愛く描かれたものばかりですラブラブ

 

当時の自画像の役割として、「私はこういう人間ですよ」「私に注文いただければこんな素敵に描いてさしあげられますわよ」という広告の意味もあったそうなのですが、そういう意味では、彼女の自画像は商業的に非常に成功しているように思いますビックリマーク

 

だって単純に可愛いもんね~ラブこんな風に特に女性を可愛く描いてくれる人だって分かったら(しかもその画家自身もめっちゃ可愛い)まるこだってこの人に可愛く描いてもらいたいって思うよビックリマークそんでアイコンにしちゃうよ!!

 

その上、彼女はモデルをとても華やかに美しく描くことも出来れば、慎み深く内面の美しさをにじませながら服装は控えめに描くことも出来るから、肖像画の用途や目的に合ったアプローチ方法の引き出しをたくさん持ってて、そういう意味で非常にプロデュース能力が高いと思います。

 

この高いプロデュース能力欲しいです!!!!

 

108《性格表現の頭像》シュミット

合金で出来た頭の像。

作者シュミットは、伝統的な肖像彫刻を制作していましたが、次第に精神を病み、それまで務めていたウィーンのアカデミーの教授職を離れました。そしてその後は死ぬまで自分をモデルにしながらさまざまな表情の奇妙な頭部の像を作成したそうです。

 

それらは没後に発見されたらしいのですが、そのうちの1点がこれで、同時代の証言によると、妄想に悩まされた彼は、顔や体をつまんでしかめっ面をし、自身を苦しめる病を制御しようとしていたそうです。

 

そうした点から、この性格表現の頭像の製作は治療のためだったと考えられているそうです。

 

自らの心の病を”表現すること”で乗り越えようとするその試みがまるこには刺さりましたぐすん

 

他にも国籍や時代を超えて、自らの心の病を表現することで克服しようとした芸術家たちはたくさんいましたが、内面の痛みを表現することでその痛みを消化し、また芸術へと昇華させた芸術家としての姿に心打たれました。

 

 

エピローグ・アルチンボルド

連作「四季」より111《春》、112《秋》 アルチンボルド

展覧会の最後に登場したのは16世紀後半の奇才アルチンボルドの連作「四季」より《春》と《秋》の傑作2点。

 

アルチンボルドの作品はテレビや本で見たことはあったけど実物は初めて見ましたビックリマーク

今までは”面白おかしくイロモノ的”な印象だったのですが、実物を見て印象が変わりましたひらめき電球

 

ミクロで見た時とマクロで見た時の印象がここまで違うなんて驚きですおーっ!ビックリマーク

 

近づいて花の一つ一つを見てみると、とても柔らかな花びらが繊細に緻密に描かれています。離れて全体を見ると肖像画になっていますが、人物として眺めながら、構成する花一つ一つを識別できるというのは不思議で見ていて楽しいですね音譜しかも、緻密でバランスの取れた配置と配色は実に美しく描かれています。

 

また、春の寓意と同時に、森羅万象を掌握するかのような強大な権力の暗喩を忍び込ませることも忘れず、こうした視覚も知性も楽しませる技術の高さ・教養の深さが人気の源でもあったのでしょうアップ

 

おわりに

以上です。おつかれさまでしたニコ

 

ルーヴル美術館の所蔵の中から、肖像芸術にフォーカスを当てて構成された展覧会でしたが、最初から最後までとても楽しんで観ることが出来ましたラブラブ

 

一口に”肖像芸術”と言っても、その目的によって表現方法はさまざまだし、いろいろな時代の表現者たちが工夫を凝らしていろいろな手段で、いろいろな表現の仕方で肖像を残してきたことが分かりましたクラッカー

 

これからいろいろな美術館に行って肖像芸術に出会ったときに、今までとは違った見方が出来そうですニコアップ

 

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貴重な肖像芸術が楽しめる「ルーヴル美術館展 肖像芸術-人は人をどう表現してきたか」は六本木・国立新美術館にて9月3日まで。

 

めっちゃ余談ですが、まるこが行った日はめっちゃ暑い日だったんだけど、館内はめっちゃ寒かったのゲホゲホ2時間弱の滞在ですっかり冷えてしまって指先とか冷たくなるレベルで寒かったよ。サムガリータのためのブランケット貸し出しがあるみたいだったけど、冷房苦手な方は薄いカーディガンを準備するなど対策していかれたら良いかもしれませんひらめき電球

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あーーー、今回もやっぱり長くなっちゃったねぶー

 

それでもこうして最後までたどりついてくださったあ・な・た、ありがとうございます!!!!

(もっと書きたいことたくさんあったんだけど、あとは本当にしょうもないことだらけだったので割愛しました。)

 

「まるこ頑張って書いたねーパーよしよし

「なげぇよビックリマークでも最後まで読んだよ!!

「ルーヴル展面白そうだねアップ

「まること美術館デートしてるみたいだったよ恋の矢

「絵って面白いのねアップ

などなど…いろいろと思ってくださった方、いいねビックリマークしてってちょーねラブラブ

ペタしてねドキドキドキドキドキドキ

 

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