はじめに

こんにちは、まるこです
先日、東京国立博物館に「縄文~1万年の美の鼓動」を観に行って来ました
まるこ東京に用があった日に一人で観に行ったんだけど、すーーーーーーっごい楽しくて興奮して感動したの


その感動を分かち合うべく、今回の展覧会で特に印象に残った展示品や、学んだこと、考えたことなど…いろいろと書きたいことを書きたいままに書いていきたいと思います

興味ある方、どうぞ最後までお付き合いください
※以下の画像はお借りしました
東京国立博物館「縄文~1万年の美の鼓動」
縄文の美
今から13000年前、氷期が終わりに近づいたころ日本列島では縄文文化が始まりました。
採集しながら定住するという生活スタイルは世界でも珍しいそうです。
約1万年間続いた縄文時代は、日本列島に広く展開しました。
この展覧会では、その始まりから終わりまで、北海道から沖縄までを取り上げ、大きなスケールで「縄文の美」を楽しむことが出来ました。
第1章 暮らしの美
第1章では、縄文の人々が暮らしの中で使っていた道具や装飾品などを中心に展示されていました。
会場にはいきなり立派な土器が登場し、まるこは即その世界に入り込みましたよ
縄文土器の特徴として縄目で付けられた文様がありますが、その文様は縦横無尽でありながら破綻することなく土器を覆い描きつくしています。右上がり・右下がりを組み合わせたリズミカルな文様は緻密に計算され、手遊びに縄を転がして描いたのではないことが分かります。
また、土器だけでなく、つるっつるに磨かれた石斧や、繊細な細工が施された鹿角製のモリや釣針、サメの骨や鹿角を細工した装飾品などはとても精巧な作りで、縄文時代に既にさまざまな道具の完成形が誕生していたように見えました。
他にも、装飾品の代表としていろいろなサイズや模様の耳飾りの展示がありました。

耳飾りはかなり大きなサイズですが、子供のころから耳に穴を空けて、その穴を少しずつ広げていったようです。成人・結婚式・出産・葬送など、通過儀礼時に付け替えていたと考えられています。
まるこね、縄文人ってあまり高度な技術や精神を持っていたとは思ったことなかったんだけど、今回その印象はすっかり覆されました
第2章 美のうねり
第2章では、縄文の模様の美しさを中心に見ていくことが出来ました。
紀元前4000~2000年(縄文前期~後期)の長い年月・広い地域の中で様々な文様が試みられました。

うずまき
直線・曲線・波模様・縄模様を一つの土器の中で組み合わせたものや、独創的なうずまき模様のもの、立体的な装飾の火焔型土器、長方形・ひし形・うずまきなどの幾何学模様を組み合わせた現代アートのような装飾のもの、また、儀式に使用されたとみられる独特な造形のもの(双口土器 など)…時期・地域によってさまざまな土器が作られたことが分かりました。
特に火焔型土器をずらっと並べた展示は圧巻でした
まるこ、その存在感に思いもよらず感動したよ

火焔型土器は、燃え盛る炎を表現したとさかのような形の装飾をふちに4つバランスよく配置し、胴体には粘土をひも状にして貼りつけた流線紋が特徴的で、ライトに照らされて浮かび上がる立体的でダイナミックな影はとても力強い生命力を感じます。
また、流線紋の影がはっきりと浮かび上がらせる明暗に自然への畏怖のような、もっと言えば自然界の精霊・霊魂への畏怖(アニミズム)のような高い精神性を感じました。
それでいて火焔型土器は装飾に力を注いでいただけでなく、実用的でもあったという点で興味深いですね
だいたい儀式用の土器は実際に煮炊きに使うなど日常使用はしないのが世界基準だと思いますが、縄文土器は(すべてではないけど)煮炊きの痕があって(外からの被熱と内側には食べ物のカス)、実際に使用されていたことが分かっています。
現代の感覚だと、神を意識するのは祭りのときとか特別な”ハレ”の場面って感じがするけど、縄文の人々は日常の”ケ”の場面でも神々と共に暮らしていたように見えました。
第3章 美の競演
第3章では、縄文時代と同時代に、世界ではどのような文明が栄えていて、それぞれどのような器を作り使用していたのかを比較していました。
それぞれ簡単に紹介していきます。
中国(新石器時代後期/前3000年ころのもの)
高い実用性と装飾性を持ったなんともかっこいい模様が印象的な器たちでした。
インダス(先インダス文明・インダス文明/前3000~2000年ころのもの)
絵画的な彩文の土器が主流。目のシンボルを描いたものや、ネコ科動物、ヤギ、牛、魚などが可愛らしいタッチのイラストで描かれていました
このシリーズはめっちゃ可愛かった
メソポタミア(前期青銅器時代/前3000年ころのもの)
熟練の技術でシンプルな器が大量生産されていたようです。
南レバント(前期青銅器時代/前3000年ころのもの)
彩文、磨研が一般的で、主に墓から出土しています。
(※南レバント=パレスチナ、ヨルダン、イスラエル周辺の地域)
エジプト(前期王朝時代/前3000年ころのもの)
この時代、エジプトは既に王を中心とした国が成立し、規格化された実用的な土器が主流で、持ち主を表すとみられる印が刻まれているものがあります。
バルカン半島(前期青銅器時代/前2400年ころのもの)
厚手の粗製土器が主流。
アルプス(前3000年ころのもの)
青銅器の使用が始まるも、押圧文などで飾った伝統的な土器作りが続いていました。
日本(弥生時代/前5世紀~後3世紀)
ユニークな造形の土器が存在します。
大きな銅鐸の展示がありました。1m以上あったかな?
今は青緑色だけど、本来は金色に輝きながら音を響かせていたようです。その存在は抜群の儀礼効果を与えていたのだと思いました。
第4章 縄文美の最たるもの
縄文時代の遺跡は、これまでに9万件以上の数が確認されているそうですが、土器・土偶などは2万点ほど出土してるんだっけな?(ちょっと数え方がよく分かんない
)
まぁとにかくたくさんあるその中でも国宝に指定されているのはわずか6件なのだそうです。
その6件すべての国宝が今回の展覧会では史上初めて勢ぞろいし、一つの部屋で見ることが出来ました

一つずつ感想を書いていきます
※ちなみに、”国宝6件すべて”と言われていますが、国宝は「6点」ではないようです。
国宝に指定されている土偶は5件・5点のみですが…
火焔型土器については、十日町市笹山遺跡から出土された土器53点(だっけな?テレビで言ってたの聞いただけだから数間違ってるかも)まとめて国宝指定されているそうなので、土器は1件・53点が国宝らしいです。だから、今回の展示は”国宝全て”が見られるわけではないのです。
火焔型土器

国宝指定のこちらは2章で見てきた他の火焔型土器より小ぶりでした。
その燃え上がる炎のような装飾と流線文は力強く調和的で360°どこから見ても美しいです。
まるこね、縄文土器って粘土をひも状にして模様作ったり、縄を転がして模様を描いたり…真似して作れそうって今まで思ってたけど、いやぁ、これは無理だね
均整がとれ、計算された美しさです
こうした土器や土偶を見る限り、まだ日本が日本になる前(クニが出来る前)に、神のような存在が作られ、その神に祈りが捧げられていたということが分かります。
その祈りや願いを模様などの造形に乗せたのでしょう。
ただただ見た目に美しいからとか、近所の人たちに自慢したいから装飾性を高めていったわけではありません。
彼らはどんな思い・願い・祈りを何のモチーフに乗せたのだろうと想像することはとてもワクワクします
展示の説明にはふちの燃え盛る炎のような造形を”4つのとさかのような”という言葉が使われていたけど、もっと他のものに見えるのではないかといろいろと考えてみました
私にはその一つ一つが動物に見えてきました
毛がふさふさした感じや、目と口、手足と胴、反り立った尾のようなものが確認できます。
つまりその炎のような造形は狩りの対象である動物を意味し、山の恵みの収穫への願いや感謝を表しているのではないかと思えてきました。
その器を使って獲物を調理し、感謝しながら自分たちの命を繋いでいたのだとしたら、なんと高い精神性を持っていた人たちだったのだろうと感激しました。
また、ギザギザをうろこと見立てれば、反り立つ装飾は尾びれにも見え、海の恵みにも見えてきます。
そう考えたら、土器の胴体の模様は大地や海原など自然を象徴した造形のようにも見えてきました。
もっと言えば、(彼らに”地球”という概念はないかもしれないけど)宇宙を意識して作られているのかもしれないとさえ思えました。
彼らは、恵みをもたらす自然(=彼らの世界そのもの)に対する畏怖、尊敬、感謝を土器作りに反映させるような高い精神性を持っていたようにまるこは思いました。
縄文のヴィーナス

これ、パンフレットの写真では分からないけど、後ろから見ると脳天がスパッと水平方向に切れていてその中には渦巻きが描かれていたんですよ
なんかね、頭切った断面図みたいに見えてちょっと困惑しました
何かの儀式とかで人の頭切ったりしてないよね
ま、いいや
縄文のヴィーナスはお腹・尻・太ももが大胆に、しかし印象は柔らかくデフォルメされています。特に下半身のボリュームはすごいですね。
この土偶は妊娠した女性を表していて、豊穣や繁栄の祈りが込められているそうです。
縄文の女神

他の縄文土偶に比べると、圧倒的な斬新さと洗練されたフォルムが惹きつけた目を離しません
写真では分からなかったけど、上半身(胸)の厚さが非常に薄いんですよ。
えっ
ていうくらい薄いの。でもバランスが取れていてスタイリッシュ
フォルムがとにかく美しいです
どう考えたらこんな造形が出来るのだろうと縄文人の感性に嫉妬するレベル
特に側面から見た姿は随一の美しさだと思います
こちらの女神、腕は省略され、頭部もかなり省略されています。
頭は目とピアスの穴が空いているだけですね。
このピアスの穴と、控えめに造形された胸と妊娠したお腹(ちょっとだけでっぱってるのと、正中線が入ってる)から女性であることが分かります。
めっちゃスレンダーに見えるけど、妊娠した女性なのですね
体に刻まれた模様は緩急があってリズミカルで、むしろ現代アートと言われたほうがしっくりくるような気さえします。
仮面の女神

集落内の墓に開けられた小坑から出土したもので、死者の鎮魂や再生を祈るために埋葬されたとみられているそうです。
三角の仮面で顔を隠しているような造形が人間離れした存在感を強調しています。
腕は省略されているようですが、脚のデフォルメがすごいですね。
体には実際の入れ墨か儀式の際のボディペイントか装束のような規則性のある模様が描かれていますが、その模様は決してランダムに描かれたものではなさそうです。
こちらの仮面の女神、女性器がはっきりと描かれています。
そうした細工は、生まれ変わり(再生)への祈りの表れとして刻まれているのでしょう。
合掌土偶

体育すわりで両手を組み、天に向かって何か語り掛けるような姿の土偶さん。
サイズは小さいですが、その造形は細かく、全身に規則性のある模様が刻まれています。
4000年前には既に祈りの姿が今とそれほど変わらないということが衝撃でもあり、妙に納得できる感覚もあり…なんとなく縄文の人々にシンパシーを感じてしまう土偶でした。
パンフレットとか写真で見た時にはちょっとバカっぽいっていうか”ゆる可愛い”って感じに見えたけど、実物を目にしたときにはその滑稽さはみじんも感じることはありませんでした。むしろ祈りが成就することへの切実さが伝わってきて、非常に厳かな気持ちになり、その口から祈りの言葉が見えるような気さえしました。
この合掌土偶には朱が使われているようですが、特に祈りや儀式の道具として重要だったようです。その証拠に当時の人が壊れた部分を修復した痕があって、ずっと大切に使われていたことが分かります。
中空土偶

体内は空洞になっていて非常に薄手の土偶さんです。
全身の細かい模様が印象的です。ザ・超絶技巧
あご周りとへそ周りに丸い細いものでたくさん突いたような模様がついているんだけど、これがまるこには毛に見えて仕方ないのですよ
土偶は基本的には”妊娠した女性”を表すことが多いようですが、このひげとギャランドゥはどう見たらいいんでしょうかね
昔の人は毛深かったのかな
ちなみにこちらの土偶さんも腕が省略され(これに関しては欠けてるんかも?)、乳房はちょこんと造形され、正中線(妊娠線)があり、女性器が確認できます。
国宝6件をとおして
特にこの国宝の部屋を見ていて感じたのは、縄文土器・土偶にはある程度ルールがあるということです。
どうやら集落や地域、時代によって土器・土偶づくりには決まりがあって、好き勝手にたくさん作ったり、好きなように造形したりは出来なかったようなのです。
その縄文独特のルールで気になったのは、縄文土偶には腕が省略されているものが多いこと。また一方で、”妊娠した女性”を表現するために太もも(脚)と腰が誇張されていて、乳房は目立たないということです。
私の感覚だと、乳房やお腹を大きく作りたくなるものですが

…
縄文文化は文字を持たない文化なので、彼らが何を信じ、何を考え、何を祈り願ったのか正確には分からないけど、いろいろな模様や表情の造形からそれらを推し量ろうとすることで、彼らの暮らしや彼らの思想に寄り添い近付けるような気がしました。
第5章 祈りの美、祈りの形
今まで見てきた通り、土偶は祈りの道具として作られました。それは乳房のある女性の姿で形作られ、安産・豊穣への祈りが込められました。
第5章では、その他に造形された様々な種類の土器や土偶を見ることが出来ました。
石を加工した石棒は、男性器が写実的に表現され、子孫繁栄・豊穣の祈りが込められました。この石棒はのちに大型化し、また意図的に破壊され被熱を受けた例が多いそうです。
他にも、人や動物をあしらった土器なども出土しています。
それらは人と動物の仲立ちをし、縄文人の想いを伝える器として残っています。海や山の恵みの豊穣を祈り、畏敬の念を込めて作られているようです。
また、手形や足形を残したものもあり、それらは子の成長記録であったり、夭折した子の記憶を留めるためのものとして残されました。それらは親の子への想いを感じることが出来ます。
縄文時代の土器・土偶には、いずれも当時の人々の心が強く映し出された形になっていました。
「何これ
」「何故それを作った
」って思うものが多くて、楽しいやら困惑やらとにかくテンション上がって興奮した部屋でもありました

いくつかご紹介します。
※数字は展覧会の通し番号です
「100しゃがむ土偶」
これは座産の様子を表した土偶のようなのですが、手が変なポーズだったの。
手が変なポーズだったの
(大事なことだから2回言った)
そのポーズがあまりに印象的で、その独特なポーズは何を表してるのかなって不思議に思いました。
「105ハート形土偶」

顔がハートの形の土偶さん
体を見ると乳房と正中線があるので女性であることが分かりますが、頭部側面には女性を表すピアスの穴が空いてないので、このハートは仮面なのかなって思ったのね。
そうだとしても、しっかりと写実的に立派に鼻が形作られているのに対して口はないのよ
頭部だけじゃなくて体も極端にデフォルメされてるのがとても興味深く面白いです
「115遮光器土偶」

教科書でおなじみの遮光器土偶さんですが、およそ人間離れした顔や体の造形は何を表しているのかとしばらく考えながら見入ってしまいました。
メガネをかけたような顔も不思議だし、全身の模様もとても細かくて見ごたえありました
「128顔面付き壺型土器」
壺のふちに顔が付いている土器。
祖霊を祀り、再生を願うために作られたものと考えられているようです。
再葬墓から出土したこの土器は、成人骨を収めた蔵骨器だと言われています。
…が、まるこ的にはとにかくその”壺のふちに頭が付いてる”っていうインパクトの強さ、今風に言うと「クセが強いっ
」な存在感にやられました
「139土面」
土で作られたお面なんだけど、あんまり美しく精巧に作られたものではなくて、…なんかね、歪んでるの
通称「鼻曲がり仮面」などと呼ばれているようですが、確かにはっきりと造形された鼻はめっちゃ曲がっていました。
苦悶か滑稽か陶酔の表情を表しているとみられるそうですが、あんまり完成度高くないし、変な顔だし…笑っちゃうような印象なんだけど、何を思って何のために作られたのかと思いめぐらし始めたら真面目な顔して凝視してしまったよ
「144彫刻木柱」「145彫刻木柱」
どちらも彫刻が施された木の柱なんですが、144は「イルカの霊を送る儀礼を行うために作られた」と考えられていて、145は「太陽崇拝の祭祀場のために作られた」という説があるそうです。
太陽信仰は世界中どこにでもあるものですが、縄文の人々もまた太陽を崇敬の対象と見ていた可能性があるというのは興味深いです。
一方、「イルカの葬送」のための儀式があったのではないかということが私としてはなんだか不思議でした。
なぜイルカ
他の魚類や海獣は対象外だったのかな
とか、なぜなぜが尽きません
面白すぎですね

「172顔面把手付深鉢形土器」
これは壺なんですけど、壺のふちに母親の頭が付いてて、壺の胴体表面に子供の顔(頭)がにょきっと出てるという造形の土器。
出産の場面を表しているようですね
パッと見の破壊力も相当なものですが、会場では見られなくて後でテレビで知ったんだけど、壺の後ろ側(母親の背中側)にも子供の顔がにょきっとしているそうなのです
え
おしりからも子供出てきてるの
こうなってくると出産場面かどうかも説明付かなくなってきちゃうよね
とにかく面白いが止まりません

他にも…
他にも、デスマスクのような仮面や、人体そのもののような土器、歌っている(語っている)ように見える人がくっついている壺など、見ていて楽しい土器・土偶がたくさんありました
その他の造形
また、人を模したものばかりではなく、動物や植物などを造形したものもありました。
猪、猿、熊、鳥、きのこ、貝などを模して作ったとみられる土製品がたくさんありましたよ

狩猟や漁労の狩りの対象となったものが多く、豊漁や豊穣を願うために作られたと考えられています。
一方、動物への憧れや畏怖から作られたと考えらえるべき造形もあるようです。
まるこが面白いなって思ったのは、縄文の人々は写実的に作ろうと思えば作れたって点です。
土偶など人物を造形するときにはかなりデフォルメされているものが目立ちましたが、猪とか貝などはかなり写実的に造形されています。
やれば出来んじゃん
それを思うと土偶たちがあまりにデフォルメされた姿は、本当に特別な存在として造形されたと推測されます。
いや、もしかしたら土偶もまた実はかなり写実的に作られたのかもしれないよね
でた、宇宙人説
総括
以上、展覧会に沿って書いてきました。
私が今まで美術館・博物館をまわったり、本で古代文明や先史文明について知っていく中で感じていることは、「芸術(絵、造形物(人形や土器など)、歌、踊り)」が「芸術」になる前、現在「芸術」と呼ばれるものはすべて「人々の願い・神への祈り」が始まりだったということです。
そしてその原初の祈りというのは、突き詰めるとすべて豊穣や繁栄に関係することでした。
人々は(主に自然界における)自分たちの理解を超えた現象や、自分たちの力の及ばない現象(異常気象、天変地異、病気)を精神的に解決するために神という存在を作り出してきました。そしてその説明できない現象を説明できるようにし、人々の暮らしの隙間を埋めていました。
今回の展示を見る限り、縄文時代には早くもそうした文化が興っていたようですね。
彼らは大自然や命への畏怖・畏敬・尊敬・憧憬、また豊穣や繁栄への祈りや願い、感謝を土器や土偶に込め、その思いと共に日々暮らしていたように感じました。
決して遅れた人たちではなかったのですね。
高い芸術性をもって自然と共生していた彼らの高い精神性を感じることが出来た展覧会でした
おわりに
以上です。お疲れさまでした。
この展覧会の目玉は国宝6件ですが、本当に非常に美しかったです
インターネットや本でも見ることはできるけど、実物は全然印象が違います
そこは断言しちゃうよ
縄文の人々が込めた祈りや、生命力、迫力をぜひ本物で確かめて欲しいです
特に、子供に見せたいと強く思いました
まるこ子供いないけど。
こんな展覧会二度とないと思いますので、迷ってる方はぜひ行かれることをお勧めします
結構混んでたけど
行く前までは、「縄文
ゆるくて可愛いよね
」なんていう感覚もあったけど、実際見てみるとその印象は吹き飛び、力強い生、命、自然への畏怖・崇敬の魂を感じました。
********
以上。
今回も伝えたい思いが強くて長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださったあ・な・た
ありがとうございます


「まるこ頑張って書いたねー
」
「長くね
でも最後まで読んだし
」
「縄文やばいね、あついね
」
「まること縄文デートしてるみたいだったよ
」
「よし、縄文展行こう
」
などなど…いろいろと思ってくださった方、いいね
してってちょーね




********
まるこの関連記事
アンデス文明展に行った時の記事で、古代文明と神と芸術についてなど書いてます
古代アンデス文明展