こんにちは、まるこですニコ

 

ここ数日で2本の戦争関連ドキュメンタリー映画を観てきました映画

 

一つは『陸軍前橋飛行場』

 

もう一つは『沖縄スパイ戦史』

 

 

映画の後はしっかりあらすじや感想など書くつもりでいたのですが…

ちょっと体調的にも難しいので断念しましたえーん

 

だけど、こういう映画今やってるよって知ってほしくて書いていますアセアセ鉛筆

興味ある方、どうぞお付き合いくださいニコ

 

 

映画その1 『陸軍前橋飛行場』

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この映画は、太平洋戦争末期、群馬の中央部(堤ケ丘という地域。旧群馬郡群馬町。現高崎市。)に作られた飛行場の周辺に住んでいた住民たちの証言をもとに作られたドキュメンタリー映画です。

 

戦時中に住民の住谷修さんが書いた詳細な日記を、村に関連する記述を抜き出して息子さんが清書した「村日記」をベースに構成されています。

 

当時の日本の公式な記録は終戦前夜すべて命令によって焼却処分されているため、公的な記録が残されていないため、こうした個人の記録は大変貴重なものなのだそうです。

 

 

この飛行場は陸軍の訓練用の飛行場で、そこで訓練した若者たちが沖縄戦(1945年3月末~)に向かっています。

 

36人がそこで訓練し、3人が出兵前に事故死、29人が沖縄戦に特攻として向かい戦死しました。

 

 

飛行場は1943年に建設が始まり、多くの人の労働力によって1年2か月かけて完成しました。

トロッコを使って土を運ぶといった作業は、現地の人々の他、前橋刑務所の囚人や朝鮮から動員された人たちもいたそうです。

 

(ちなみに当時のアメリカ軍は、現地に上陸してから1週間程度でブルドーザーなどを使って同等の飛行場を建設してしまう技術を持っていたそうです。)

 

 

この映画を観て

戦時中の一般の人たちが見たもの、一般の人たちの暮らし、一般の人たちの思いを垣間見ることが出来ました。

 

教科書に書いてあるのは「○年○月○日、何があったか、結果どうなったか」という国家レベルのことばかりでしたが、この映画には、戦争時代を生きた人たちの暮らしや、彼らが当時何を思っていたかが描かれていました。

 

 

「何じゃその戦略アセアセ!?という当時の軍人の突っ込みどころ満載な作戦や兵器にかなりびっくりしましたDASH!

 

風船爆弾なる兵器(?)の存在は初めて知りました。

 

※風船爆弾

気球みたいなものに爆弾を取り付けて太平洋に放つ。

時間差で民間人の被害が報告されているようだが、これといった戦果はなかった。

…子供のビデオゲームでもこんな兵器あったら突っ込まれるだろあせる

 

ちょっと寄り道

まるこのばあちゃんの話するねパー

 

まるこのばあちゃん(92)は前橋出身なんだけど、女学校卒業後は横浜の軍関連の会社で働いていたのね。

 

戦局があやしくなってきた1944年春、父親から呼び戻され前橋に帰ってきています。

(※「前橋飛行場」は便宜上前橋と名前が付けられているだけで実際は前橋ではないので、ばあちゃんはこの存在を知りませんでした。)

 

地元前橋では軍需工場に働きに出ました。

”金物の板にくぎを打つ作業”をしていたそうです。

 

「これは何になるのですかうーん!?」と尋ねると、「飛行機の一部だ真顔」と教えてもらいました。

その時祖母は「今からこんなことして何になるのか」と思ったそうです。

 

 

当時は、もし米軍が地上戦にやってきたらという想定の下、竹やりで米兵を突く練習をさせられたり、空襲がきて火事になったら住民みんなでバケツリレーで消火するんだとかいって訓練させられたり…

 

なんだか作戦とも言えない訓練とも言えないようなことを大真面目にやらされていたようで…

 

トップが無知だとツライっすねえーん

 

 

でね、まるこは勝手にいろいろと想像してみたのですが、まるこのばあちゃんがくぎを打った金物の板が中島飛行場(現太田市・SUBARU)で組み立てられて、そこで作られた飛行機で前橋飛行場で訓練してたのかもね~なんて思いましたうーん

 

 

 

余談ですが、まるこの父ちゃんは群馬郡箕郷町出身なんだけど、前橋飛行場の存在を知っていましたおーっ!!!

(※箕郷町は堤ケ丘があった群馬町と近い。隣町かな?どちらも旧群馬郡。)

 

昔、近所の人か親戚が何とかっていう場所の奥を指して「昔、あの向こうに飛行場があったんだ真顔」と言ったのを聞いたことがあると言ってましたひらめき電球

 

 

 

戦争の話って、自分は経験してないからどうしても教科書の中の出来事でしかないと感じてしまいます。

でもこうして祖母や父の話を通して、私と歴史がつながっているのを感じ、戦争は決して他人事でも過去のものでもないと感じました。

 

 

映画についてはもっといろいろあるのですが、体力的に書けませんでしたぶーあせる

 

東京の方は、8月31日(金)日比谷コンベンションホールで見られるみたいですひらめき電球

こちらの上映では福田康夫元首相がいらしてトーク予定があるそうですよキスマーク

 

福田さんは映画にも出演されていて、公文書の保護のための法律を整備したことを語られていましたので、そうしたことについてお話しされるかもしれません。

 

 

 

まったくの余談ですが、この映画でインタビューを受けているじいちゃんばあちゃんの多くが美しい群馬弁で話されていて、字幕ついてるけどその字幕もまた群馬弁をそのまま文字起こししただけだからちょっとクスッというか、ほっこりしてしまったよイヒ

まるこもばあちゃんとしゃべるときあんな感じにやり

 

 

映画その2 『沖縄スパイ戦史』

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最近観た2本目の映画は『沖縄スパイ戦史』。

この映画は、太平洋戦争の沖縄戦について描かれています。

 

 

地元の少年たちを組み込んだ軍編成についてなど、とても詳細に語られていました。

 

ちなみに軍編成のトップにいた軍人は42名。

その42名は日本軍特務機関「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちでした。

彼らは偽名を使うなどして沖縄に入り、身分を隠し潜伏しました。

 

※陸軍中野学校

謀報、防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした学校で情報機関。

 

 

 

私は戦争関連のドキュメンタリー番組とかよく見る方だと思いますが、知らなかったこともたくさんあったし、映画を観て多くのショックを受けました。テレビでは流さないような映像・画像資料もちょいちょいあって(米軍による資料)…ショックはショックだったけど、私の知識の財産になったと思います。

 

 

特にショックだったお話は、軍による住民虐殺や、軍の命令によって強制移住させられた結果引き起こされたマラリアの被害(戦争マラリア)、作成されたスパイリストをもとに順に住民を殺していった事実、命からがら帰宅した後PTSDを発症し自宅の座敷牢に閉じ込められた人の話…などです。

 

 

あまり詳しく書ける体力がないので今は書きませんが…(まぁ、映画も公開中だしなDASH!

どの話もショックでした。

 

 

 

戦争を体験した人たちが(特に南方に行って復員してきた人たちが)、帰国後戦争の話を一切しなかったとかいうのを耳にしますが、今まで私は「なんで話してくれないんだろうえー?」って不思議に思ってました。

 

(まるこサイコパスじゃないよねアセアセ!?

 

これからの平和のために、戦争で見聞きした本当にあったひどい話をしてくれれば、戦争を知らない人たちにも説得力あるのにって思ってたけど…

 

あまりに辛い経験や、裏切り(する方もされる方も)、地獄のような光景の記憶はとても話せない…とか、”関係者がまだ生きているから話せない”ということもあったかもしれません。

 

映画を観て、こういう人たちの気持ちが少し理解できたような気がします。

 

 

 

また、この映画は戦争の記録のみにとどまらず、現代の日本の政治にも関連付けられていました。

 

自衛隊のいる意味や、基地があるということの怖さの意味を考えるきっかけになりました。

 

 

 

まるこね、映画真剣に見すぎて翌日と翌々日は廃人でしたえーん

 

気持ちの落ち着けどころが分からなくてザワザワというか、なんというか…

元に戻るまで2日かかったよチョキ

 

というわけで、本当はもっとちゃんと映画のこと書きたかったけど出来ませんでしたダウン

 

監督ご挨拶こぼれ話

まるこね、三上智恵監督の初日舞台挨拶の回に観に行ったのニコアップ

 

なかなかそんな機会ないからね、特別なお話が聞けるならって思ってちょっと早起きして並んで開館を待ったのよひらめき電球

 

 

上映後、三上監督は期待を超えて結構がっつりお話ししてくださいましたニコ

 

監督の経歴、スタッフについて、撮影秘話、映像には入れられなかったこと、グッズについて(←商売上手ビックリマーク、自衛隊と軍の駐留について、などなど…たくさんお話聞けて早起きして良かったと思ったよ合格

 

 

なかでも好きな話が二つあって…

 

 

一つは、映画の中で元少年兵として戦って69人の戦友を亡くした方が出てくるんだけど、その人は一人で山に69本のカンヒザクラを根付かせたのね。それで、そのサクラの木1本1本に亡くなった69人戦友の名前を付けたいって言ってたの。どの木にするかはご遺族に選んでもらうの。

 

そのエピソードの後日談を監督が語られたんだけど…

そのおじいちゃん、なんと69本を植え終わって今では80本になったウシシアップって嬉々としてたらしいのです(笑)

 

「いやいや、69本であることに意味があるのに」って監督笑ってましたDASH!DASH!

 

 

 

もう一つは、インタビューをさせてもらったおじいちゃんたちはみんな戦争の話をするときは人の名前とか日にちまではっきり覚えていて、それは本当にすごいんだけど、普段は”ご長寿クイズ”みたいにみんなボケボケなのよっておっしゃってたことです。

 

いつもテレビとかで見る戦争体験を語られる方たちは本当にしっかりしていて、90とか100歳近くても眼光鋭く昔のことをしっかり話してるなって思ってたけど、(この映画でインタビュー受けてた方たちもそうだし)、普段の生活はみんな大して変わらないんだなってことになんだかほっこりしましたにやり

 

まるこのばあちゃん(92)も戦争の話はすごく細かく覚えているのに、さっき言ったことや昨日から何度も言っていることを何度も聞き返してくるんだけどね…まぁ、みんな変わらないのかと妙に納得したし、なんか安心しましたあせるあせる

 

 

映画を観ようか迷っているなら

この映画、観ようか迷ってるなら観た方がいいと思うビックリマーク

 

私はプログラムも買ったんだけど(まだ読めてないけど)、プログラムもすごく内容が濃いです。

映画の復習の部分もあるけど、映画には入りきらなかった取材の部分がとても読みごたえあります。

 

戦争を語れる世代の高齢化がMAXまで来ている今、彼らから引き出せなかった話は永遠に失われます。

そうした意味で、この映画は価値があると思います。

 

観終わって辛いけど、観て後悔はなかったです。

 

 

最後に

最後に監督が教えてくださったネット動画をご紹介します。

マガジン9という…えーっと説明できないアセアセ

 

「憲法と社会問題を考えるウェブマガジン」だそうです。

三上監督のページはこちらから下矢印

三上智恵の沖縄撮影日記

興味ある方見てみてください。

 

私はまだちゃんと見てないんだけど、沖縄の自衛隊基地問題についてとかが多いかも。

 

 

終わりに

最近観た2本の戦争ドキュメンタリー映画について書いてきましたニコ

 

なんだか内容のない何が言いたいか分からない記事になってしまったなえーん…という自覚はあるのですが書き直しませんすみませんウインク

 

もっと自分たちの国の歴史をちゃんと勉強していきたいと思いました。

今度こそ真顔

…何度目はてなマーク

 

 

最後までお読みくださりありがとうございましたニコ