こんにちは、まるこです
先週上野へ美術館・博物館巡りの日帰り一人旅してきました
今回巡った美術館・博物館一覧
(リンクで展覧会公式ホームページが開きます)
東京都美術館「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」(~2018.1.8)
国立西洋美術館・常設展内・版画素描展示室「《地獄の門》への旅 ロダン素描集「アルバム・フナイユ」」(~2018.1.28)
国立科学博物館「アンデス文明展」(~2018.2.18)
国立科学博物館・常設展内・企画展示室「南方熊楠 100年早かった智の人」(~2018.3.4)
今回の記事ではロダン素描集『アルバム・フナイユ』について感想やら書きたいままに書いていきたいと思います興味ある方どうぞお付き合いくださいませ
『アルバム・フナイユ』展示紹介
(公式ホームページより)
「1880年、建築予定のパリの装飾芸術美術館の門扉となるべき大型彫刻の注文を受けたオーギュスト・ロダン(1840-1917)は、ダンテの『神曲』「地獄篇」を題材として、《地獄の門》の制作に取り組み始め、まずは大量のデッサンを手がけます。「私は1年の間、ダンテとともに生きた。彼によってのみ生き、彼のみと生きたのだ。そして彼の“地獄”の8つの圏谷(たに)をデッサンした」(ロダン)。
生前に犯したさまざまな罪のために地獄で責苦に喘ぐ死者や、空中を跳梁する悪魔。ウェルギリウスとダンテの導きで地獄巡りに出たロダンの想像力は紙の上に荒々しい幻想の世界を生み出しました。
やがてロダンは、これらのデッサンをあまりに現実から離れたものとして放棄し、新たに「自然にもとづいて」デッサンをやり直したといいます。しかしここには、デッサン家としてのロダンが紙の上で繰り広げたより自由なヴィジョンがあるとともに、生の苦悩と創造の輝きが混然となって展開する壮大な《地獄の門》創造の萌芽を見ることができます。
支援者の美術愛好家モーリス・フナイユの名を取って『アルバム・フナイユ』として知られる大型素描集『オーギュスト・ロダンのデッサン』は、ロダン自身が選び出してタイトルを付けた「地獄篇」をめぐる142点のデッサンを精巧なフォトグラヴュール技法によって同寸で複製したものです。
「地獄篇」、「辺獄(リンボ)」、「習作」の3部で構成され、詩人オクターヴ・ミルボーの序文を加えて、1897年にグーピル商会の後継会社ブソ&マンツィ&ジョワイヤン社から125部限定で出版されました。ロダン自身が制作プロセスに深く加わったこの素描集は高い評価を受け、後の「画家本(リーヴル・ダルティスト)」の先駆ともいわれます。
ロダンが没してから100年にあたる2017年秋の小企画展示では、《地獄の門》の主要な関連彫刻作品とともに、この『アルバム・フナイユ』の全図版をご紹介します。」
ロダンの《地獄の門》
国立西洋美術館(上野)の前庭にあります。開館時間内なら美術館のチケットを持っていなくても自由に見ることが出来ます。(※国内では静岡県立美術館にもあります)
過去の記事リンク
私は今まで《地獄の門》と作品中に造形されているモチーフ・人物たち(ウゴリーノ伯 他)について調べて記事にしてきました。今回の記事では、それらを踏まえて書いていますので、ご興味ある方はそちらも合わせてご覧いただけたら嬉しいです
今までの《地獄の門》関連のまるこの記事まとめ
導入(大好きな『地獄の門』の前で思い出すロダンとカミーユとダンテ)
【ロダン作《地獄の門》に造形される人物たちをその出典から紐解く】シリーズ
①《地獄の門》について、ダンテ作『神曲・地獄篇』から出典の人物
②『ギリシャ神話・ローマ神話』から出典の人物
③詩から出典の人物、その他の人物
④番外編
今回の展示について感想など
多くのスケッチ
ロダンが《地獄の門》制作にあたって書いてきた多くのスケッチが展示されていました。
印象的だったのは”亡霊””ウゴリーノ伯””ケンタウロス”のスケッチが多かったことです。
ロダンが特に心を注いでいたということでしょうか…





ロダンの表現
ロダンのスケッチにはそれぞれの人物に付けた独特の動き・ポーズがありました。
日常ではありえない不自然な手や腕の位置なのですが、その位置や形が感情を訴えかけてくるような表現に思えました。一人のスケッチよりも二人、三人と組み合わされた時の感情の増幅はすごい熱量を感じます。
アヴァンギャルドなコンテンポラリーダンス(…ちょっと自分で何言ってるか分からない。。。”前衛的な現代風ダンス”ってことね
)の瞬間を切り取ったような印象を受けました。
ダンスとか振付とかする人はロダンの創造するポーズを見たらいいと思うよ
何か得られるものがあると思います
《地獄の門》への解釈が深まる
ところで、ダンテ『神曲・地獄篇』にはキリスト以前に生まれた古代の詩人(ダンテを案内してくれるウェルギリウスも)たちなどは辺獄(リンボ)と呼ばれる場所にいました。
キリスト以前に生まれているからキリスト教徒ではないので天国には行けないけど、地獄の責め苦を受けるわけでもない人が行く場所が辺獄(リンボ)です。
ロダンは辺獄(リンボ)にいる古代の有名人ではなく、無名の女子供に関心を寄せ、聖母子を思わせる母子像を中心的テーマとして構想を深めていったそうです。スケッチの中にはベアトリーチェのビジョンも挿入し、母子のイメージがさらに重層的になっています。
じっくりと《地獄の門》を眺める
美術館から出て、前庭の地獄の門をじっくりと眺めました。
何度も見てその度に感じるものがありますが、今回の素描集を見た後ではまた見え方が変わりました。
《地獄の門》への解釈に深みが増したように思えます。
作品中には造形されていないけど、ロダンが迫ろうとした地獄、表現しようと試みた地獄の内面に近づけたようなそんな感覚になりました
カミーユを探す
地獄の門の中に造形されていると言われているカミーユ・クローデル(ロダンの助手で愛人だった女流彫刻家)がモデルを務めた部分を以前からずっと探しているのですが…
う~ん、、、何となくこれかなっていうのは見つけたのですが…やっぱりちょっと違うんだよなぁ。なかなか見つけられません
今回私が「これかな~」って思った部分はというと…
うつむいている美人。。。
う~ん、でもやっぱり違うかな。
どうどう
これからも探し続けます
終わりに
こちらの展示は2018.1月28日までです
地獄の門への斬新な解釈やら特別な思いなどをお持ちの方、お気軽にコメントどうぞ
最後までお読みいただきありがとうございました
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《地獄の門》関連のまるこの記事まとめ
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①《地獄の門》について、ダンテ作『神曲・地獄篇』から出典の人物
②『ギリシャ神話・ローマ神話』から出典の人物
③詩から出典の人物、その他の人物
④番外編