続きです。
続いて詩からの人物たち
詩からは4つのモチーフが存在します。
「オーミエール」「私は美しい」「うずくまる女」「身をのけぞらせる男」です。
「オーミエール」
出典フランソワ・ヴィヨン『遺言詩集』より
オーミエール:詩集の「老婆がその青春の月日の去ったのを惜しんで」と題されたバラードに由来しています。そこではかつて「ラ・ベル・オーミエール(兜屋小町)」と呼ばれ、絶世の美女だった老婆の嘆きが歌われています。
門の中のオーミエール
左の付け柱に浮彫で《美しかりオーミエール》
門の中では、この老婆を幼児と母親などと共に、誕生から青春を経て衰退に至る人間の生命の儚さを象徴しています。
(…私はこの本をまだ読めてないのでいまいちピンときてません。なんとか探して読めたらなと思います。)
「私は美しい」
出典ボードレール『悪の華』の「憂鬱と理想」章の一つ「美」より
『悪の華』:詩人の生誕から死までを退廃的・官能的に表現した韻文詩集
「美」:”私”の美しさを独白する詩(1.5ページくらいの短い作品)
詩の内容:
「私の美しさは石造りの夢のよう。皆様が私の乳房に挑まれますが怪我ばかり。
これは石のように物言わない永遠の愛を詩人の心に宿らせようと作られたものなのです。
私は躰の線を乱す動作が大嫌い。私は決して泣かず、決して笑わない。
微動だにしない私の姿は、威厳があって何物をも寄せ付けないもののように見えるので詩人たちはやがて精魂尽き果てなさるでしょう。
私は言うがままになる深く惚れた方の目をくらませる鏡を持っていて、これに映せばすべてはもっと美しく見えてきます。鏡とは永遠の光を放つ私の目でございます。」
門の中の私は美しい
右の付け柱の上部に浮彫で《私は美しい》
「うずくまる女」
こちらは《私は美しい》の男女を切り離した女の像
位置は《考える人》の左
「身をのけぞらせる男」
こちらは《私は美しい》の男女を切り離した男の像
位置は左扉の上部
その他の人物たち
上記に分類できなかったその他の3つがこちら
「考える人」「3つの影」「瞑想」です。
「考える人」
ロダンが制作における構想の過程で「思索に耽るダンテ」に代わって置いた(と言われています。)
考える人は地獄で生前の罪を罰せられる人々を凝視し、人間の運命を思索しているようです。
位置:タンパンの中央
「3つの影」
ロダンは地獄の門の両脇に置く彫刻として《アダム》と《イヴ》を制作しました。《アダム》はミケランジェロの彫刻に着想を得て作られています。
その後、この《アダム》の左腕の位置を変え、全体の大きさを半分に縮めた《影》という作品を作ります。さらに、その《影》を三体、角度を変えて組み合わせたのが《3つの影》です。
こうした形の反復使用は、時間や空間を超越したものであることを表しているそうです。
(同一人物が同時に複数存在することはありえないので、「過去の彼」「今の彼」「未来の彼」のように時間の概念を超えて、また「ここの彼」「あっちの彼」のように空間の概念を超えて表現されたもの、ということのようです。)
また、3という数字から三位一体との関連も指摘されています。
位置:門の頂に立つ
「瞑想」
横浜の大通り公園に単独の《瞑想》像があるそうです。
…っていう情報しか《瞑想》については分かりませんでした。
誰が何を瞑想しているのか、モデルとなった人はいるのか…謎です。
これからの課題とします。
位置:タンパンの右端
おわりに
以上、《地獄の門》に造形される人物たちをその出典から紐解いてみました。
3回に分けて書いてみましたが、ここまで読んだくださった方ありがとうございます
こうして調べてみると、案外ダンテ『神曲・地獄篇』からの引用は少なかった印象です。
また、引用されているモチーフの中でも「淫欲・情欲」の罪が強く全面に押されている印象を受けます(…気のせい)
また《地獄の門》を見に行くときにはこれらのモチーフを実際探して確認してきたいと思います
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追記
《地獄の門》関連のまるこの記事まとめ
導入(大好きな『地獄の門』の前で思い出すロダンとカミーユとダンテ)
【ロダン作《地獄の門》に造形される人物たちをその出典から紐解く】シリーズ
①《地獄の門》について、ダンテ作『神曲・地獄篇』から出典の人物
②『ギリシャ神話・ローマ神話』から出典の人物
③詩から出典の人物、その他の人物
④番外編
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