人から、何かプレゼントされるのは、うれしいこと。
人から、何かしてもらうのも、うれしいこと。
でも、与えられる「喜び」は、浅い「喜び」に感じられる。
与えられた「喜び」とは、「もうかった」みたいな感覚。
それはそれで、うれしいのだけれど、どこか虚しい。
世界のお金持ちを見ていると分かる。
足は2本しかないのに、何千足も靴を集めてしまう。
生活する空間なんて高が知れているのに、お城のような家に住む。
死ぬまでに使い切れないほど、お金を貯めこむ。
これらの行動は、「虚しさ」からくるのではないかと思う。
与えられる喜びに付きまとう「虚しさ」を忘れるため、
欲望が暴走してしまうのではなかろうか。
どれほど与えられても、心が満たされることがない。
私は、大金持ちでも、著名人でもないので想像することしかできませんが、
どれほど地位や名声、財産があったとしても、
この「虚しさ」は解消することができない気がします。
与えられる幸せには限界がある。
そう、いくら与えられても、心が虚しくなっていくだけ・・・。
現代日本人の心の闇は、この与えられる側にいることだと思います。
モノがあっても、ココロは貧しい。
それが、今の日本人。
では、どうすればいいのか?
答えは、簡単です。
与えられる側から、与える側になればいいのです。
何かをもらう「喜び」を捨て、
何かを与える「喜び」を知ることです。
人は一人では生きていけない。
いや違う。
人は一人でもいきていけるが、
生きている意味が分からなくなってしまう。
一人称の喜びには、どうしても虚しさがともなう。
虚しい喜びは、生きる意味を分からなくする。
虚しい喜びは、生きる力を奪い去る。
人を喜ばすことで、はじめて深い「喜び」を知る。
人を喜ばすことで、自分自身を愛することができる。
人を喜ばすことで、生きる意味が分かる。
与えられる幸せの限界を知れば、欲望に振り回されることもない。
いくら美味しい物でも、食べ過ぎれば苦しいだけ。
食べ物が変化したのではない。
食べる側の状態が、変化しただけ。
すべては、これと同じこと。
あらゆる物事には、根源的な善悪があるのではなく、
それを受け止める側の状態により、善悪が決まる。
だから、与えられすぎれば、苦しくなるのが自然の摂理。
与えられる喜びには限界があるが、
与える喜びには、限界がない。
充実した人生とは、何か?
それは与える喜びに気付き、実践した人生であろう。
ほんの些細なことでいい。
与えられる側から、与える側に立場を変えること。
それだけで、「虚しさ」という闇に光が差し込んでくるはずです。