与える喜び。 | まるたけ整体 公式ブログ

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「札幌市 厚別区 JR厚別駅 徒歩3分 筋膜のコリをほぐす専門店」

人から、何かプレゼントされるのは、うれしいこと。


人から、何かしてもらうのも、うれしいこと。


でも、与えられる「喜び」は、浅い「喜び」に感じられる。


与えられた「喜び」とは、「もうかった」みたいな感覚。


それはそれで、うれしいのだけれど、どこか虚しい。


世界のお金持ちを見ていると分かる。


足は2本しかないのに、何千足も靴を集めてしまう。

生活する空間なんて高が知れているのに、お城のような家に住む。

死ぬまでに使い切れないほど、お金を貯めこむ。


これらの行動は、「虚しさ」からくるのではないかと思う。


与えられる喜びに付きまとう「虚しさ」を忘れるため、

欲望が暴走してしまうのではなかろうか。


どれほど与えられても、心が満たされることがない。


私は、大金持ちでも、著名人でもないので想像することしかできませんが、

どれほど地位や名声、財産があったとしても、

この「虚しさ」は解消することができない気がします。


与えられる幸せには限界がある。


そう、いくら与えられても、心が虚しくなっていくだけ・・・。

現代日本人の心の闇は、この与えられる側にいることだと思います。


モノがあっても、ココロは貧しい。

それが、今の日本人。


では、どうすればいいのか?


答えは、簡単です。


与えられる側から、与える側になればいいのです。


何かをもらう「喜び」を捨て、

何かを与える「喜び」を知ることです。


人は一人では生きていけない。

いや違う。

人は一人でもいきていけるが、

生きている意味が分からなくなってしまう。


一人称の喜びには、どうしても虚しさがともなう。


虚しい喜びは、生きる意味を分からなくする。

虚しい喜びは、生きる力を奪い去る。


人を喜ばすことで、はじめて深い「喜び」を知る。

人を喜ばすことで、自分自身を愛することができる。

人を喜ばすことで、生きる意味が分かる。


与えられる幸せの限界を知れば、欲望に振り回されることもない。


いくら美味しい物でも、食べ過ぎれば苦しいだけ。

食べ物が変化したのではない。

食べる側の状態が、変化しただけ。 


すべては、これと同じこと。


あらゆる物事には、根源的な善悪があるのではなく、

それを受け止める側の状態により、善悪が決まる。


だから、与えられすぎれば、苦しくなるのが自然の摂理。


与えられる喜びには限界があるが、

与える喜びには、限界がない。


充実した人生とは、何か?

それは与える喜びに気付き、実践した人生であろう。


ほんの些細なことでいい。

与えられる側から、与える側に立場を変えること。

それだけで、「虚しさ」という闇に光が差し込んでくるはずです。