「目的」と「手段」を混同しないこと。
これは、人生における重要なテーマである。
よく言われることに、お金がある。
お金は、それ自体に価値はない。
子供が作る「肩たたき券」と、根本は同じもの。
お金の場合、それに価値があるという「幻想」を多くの人が共有しているだけ。
本質は「幻想」なので、インフレやデフレになれば、価値が変わる。
戦争でも起きた日には、ただの紙切れになることだって普通のこと。
ただの紙切れは、物々交換を効率的にするためのアイテムぬ過ぎず、
それ以上でもそれ以下でもない。
だからお金を稼ぐことは、何かをするための手段であり、
それ自体が目的になるべきもんじゃない。
整体も同じだと考えている。
体を健康にしたり、ゆがみを改善するが、人生の目的ではない。
何かをする上で、健康なほうが有利だし、体のゆがみも少ないにこしたことはない。
けれど、それ自体が目的になってしまうと、生きる意味を見失う。
年配の方で、「脳トレ」と呼ばれるもの必死にやっている人もいる。
誰だってボケたくはないですから、その気持ちは痛いほどわかります。
でも、何のために脳を活性化しているのか?
目的もなく、ただボケないようにがんばるのって、
私には違和感を感じる行為ですね。
「目的」があって、そこたどり着くために、いくつもの「手段」が存在する。
だから、何かに失敗したところで、それが「手段」の失敗であるなら、
どうってことじゃない。
他の「手段」を選択し直せばいい。
大切なことは「目的」に向かって歩み続けること。
そのために、走るのもいいし、歩くのもいい。
徒歩でも、車でも、ジェット機を使ったっていい。
「手段」に固執する必要なんてない。
かといって、どんな手段でもいいかというと、そこには美的センスが存在する。
美しくない手段は、採用すべきでない。
それは、続けることが困難になるから。
歩み続けることが重要なのだから、
続けることに支障が出る方法は用いないほうがいいってこと。
整体は「元気」になるための、手段の一つと考えています。
私の中での優先順位は、「元気」が最高位。
だから、元気になれるなら、遊んでばかりでもいいし、世間から身を引いてもいい。
整体がすべてではない。
整体がすべての人に必要とは思っていない。
けれど、私のリセット整体で、一人でも「元気」を感じれるようになるのなら、
それだけで、私が存在する価値はあると思える。