不慮のアクシデントが起こったとき、大事な場面で失敗したとき、
「なんて自分は不幸なんだ・・・」
そう感じてしまう人が多い。
でも、関西で生まれ育つと、ちと違う。
失敗しても、アクシデントが身に降りかかっても、
「これって、ネタになる」
と自然に思えてしまう。
この「ネタになる」という発想法は、実に痛快なものだ。
同じ出来事でも、視点を変えれば、価値も変わる。
例えば、進学に失敗した子供がいるとする。
希望の学校には入れなかったことは、「失敗」かもしれない。
しかし、その学校に入らなかったことで開ける道もある。
人生をトータルで考えれば、その「失敗」こそが「成功」へのプロローグかもしれない。
どんな失敗も、どんな欠点でも、
他人にとっては、どうってことないことです。
人間が抱える病のひとつに、「自意識過剰」という病気(?)がある。
人は、ほぼ他人には興味がないものです。
これは、ある意味、絶対の法則。
昨日、誰に会ったか覚えていても、
その人がどのような服装をしていたかなんて、まず覚えていません。
寝ぐせがあろうと、化粧が落ちていようと、
本人以外にとっては、一瞬の記憶に過ぎない。
笑っちゃうくらい、他の人のことなんてどうでもいいものです。
だからこそ、失敗だの、欠点だのいったところで、
本人以外にとっては、「ああ、そうだっけ?」で終わり。
とはいえ、この事実を簡単に理解できない心情もよく分かります。
自分の欠点が気にならない人はいないですし、
やってしまったミスを、気にしないでおこうとすればするほど、気になってしまうもの、事実。
ここで、発想の転換に効く“魔法の言葉”の登場。
それこそ、「ネタになる」なんです。
失敗話の最大の価値は、他人に安心感を与えるということ。
自分の失敗は笑えなくても、他人の失敗には思わず笑ってしまうのが、人間。
それは、いびつな優越感を刺激するということではなく、
失敗に伴う「人間臭さ」を感じさせるということ。
成功した話より、失敗した話のほうが面白いことが多いですからね。
関西では「笑い」が、価値基準のトップです。
子供の頃から一目置かれる存在とは、
頭がいいでも、カッコイイでも、スポーツ万能でもない。
面白い。
これこそが、関西人の価値基準の根幹です。
「ネタになる」というスイッチが頭の中にあると、
アクシデントにも対応できる。
自分に責任がないと思える不幸にも、
「これってネタ的に、おもろいな・・・」と思えれば、
そのつらい現実にも、一筋の光が見えてくる。
人生を楽しく生きるためのポイントは、見る角度を変えること。
事実はたった一つですが、その人にとっての真実は、視点を数だけ存在する。
視点を変えるひとつの方法として、「ネタになる」という発想法がお勧めです!
関西人がすばらしい、なんてこれっぽっちも思わないですが、
この「笑い」という文化だけは、誇りに思っています。