最後の最後は、体力勝負。 | まるたけ整体 公式ブログ

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「札幌市 厚別区 JR厚別駅 徒歩3分 筋膜のコリをほぐす専門店」

生きることは、マラソンのようなものだという例えがある。

大きなマラソン大会。

スタートの号砲が鳴っても、全員がすぐに走り出せるってもんじゃない。

最後尾からのスタートなら、かなりのロスになる。

でも、その差は、長い道のりの中では、些細な差なのかもしれない。


自分ではどうしようもないものがある。

生まれてきた環境や、元々備わった才能など。


お金持ちの家に生まれるのか、貧乏な家なのか。

走るのが速いのか、運動神経がないのか。


環境と才能により、できることの範囲は限定される。

一流のピアニストになろうと、20歳で思っても無理だという。

英才教育がいいかどうかは別としても、音楽家として一流になろうとすれば、子供の頃からの訓練が必要。


努力すればできないことはない・・・

そんなおバカなことを言う大人もいますが、それは嘘。

できることもたくさんありますが、当然努力で解決しないことだって、いくらでもある。


これまで数々の偉人が歴史の中で活躍されました。

では、戦争はなくなりましたか?

犯罪はなくなりましたか?

こんなことですら、何千年かかってもできてやしない。


不可能ではないけれど、すぐにはできないこともある。

では、その壁を突破するには、何が必要なのか。


それは「体力」でしょう。


才能だの環境だのも重要ですが、一個人の人生に限定すれば、「体力」がものをいいます。

年老いることの悲しみは、この生きる根源の「体力」が減っていくこと。

経験から得るものも多くありますが、「体力」だけは、正直者。

生きれば生きるほど、減少していきます。


人生、あせる必要なんてない・・・

そんなことを言う大人も嘘つき。


あせる必要のあることもある。

これが事実。


私は、60歳までだと思っています。

いろいろな人の話を聞いていても、ほぼこの年齢が限界のようです。

無理がきくというのか、「体力」で乗り切れるのは60歳まで。

それから先はおまけの人生。

いつ死んでも、恨みっこなしで・・・ということでしょう。


失われて初めて分かるのが、モノの価値。

若い時代にスポーツをすること重要性は、その「体力」の衰えを実感できることかもしれない。

いやでも身体能力は低下するもの。

スポーツはそれを残酷なほどハッキリと教えてくれるのですから。


今日できることを今日する。

その繰り返しでいいと思う。

その繰り返しの結果がどうなるかなんて分からない。


成功者が言う。

こうすれば、成功しますよ、と。

それは事実でしょう。

でも、その人にとっての事実なだけ。

初期条件が変われば、劇的に結果が変化するのが世の常。

誰かの成功したやり方が、他の誰かにも有効だなんて保証はない。


だから、「体力」が必要。

状況の変化に対応できる「体力」があるかないかで、その後の展開が変わる。


私は今30歳を過ぎたところ。

半分は終了。

さて、残り半分をどうするのか。


自分のことを棚上げにした人生論ほど、無意味なものはない。

なぜ、そんなことを書くのか、なぜそういう思いにいたったのか・・・。

それを常に意識しなければ、ただのファンタジーになってしまう。


日々を丁寧に生きる。


これが私のスローガン。

今がんばって、老後を楽しむなんて発想は、ありえない。

老後があるかどうかも分からない。

楽しみを感じない毎日の延長線上には、仏頂面な老後しかないと思う。


だから「体力」を惜しまず、今日を生きる。

「体力」のいいところは、使ったから減るってことのないところ。

加齢と共に、元のキャパは減少するが、その中身は使った方がむしろ、いい。

使えば使うほど、回復力は高まるものですから。