生きることは、マラソンのようなものだという例えがある。
大きなマラソン大会。
スタートの号砲が鳴っても、全員がすぐに走り出せるってもんじゃない。
最後尾からのスタートなら、かなりのロスになる。
でも、その差は、長い道のりの中では、些細な差なのかもしれない。
自分ではどうしようもないものがある。
生まれてきた環境や、元々備わった才能など。
お金持ちの家に生まれるのか、貧乏な家なのか。
走るのが速いのか、運動神経がないのか。
環境と才能により、できることの範囲は限定される。
一流のピアニストになろうと、20歳で思っても無理だという。
英才教育がいいかどうかは別としても、音楽家として一流になろうとすれば、子供の頃からの訓練が必要。
努力すればできないことはない・・・
そんなおバカなことを言う大人もいますが、それは嘘。
できることもたくさんありますが、当然努力で解決しないことだって、いくらでもある。
これまで数々の偉人が歴史の中で活躍されました。
では、戦争はなくなりましたか?
犯罪はなくなりましたか?
こんなことですら、何千年かかってもできてやしない。
不可能ではないけれど、すぐにはできないこともある。
では、その壁を突破するには、何が必要なのか。
それは「体力」でしょう。
才能だの環境だのも重要ですが、一個人の人生に限定すれば、「体力」がものをいいます。
年老いることの悲しみは、この生きる根源の「体力」が減っていくこと。
経験から得るものも多くありますが、「体力」だけは、正直者。
生きれば生きるほど、減少していきます。
人生、あせる必要なんてない・・・
そんなことを言う大人も嘘つき。
あせる必要のあることもある。
これが事実。
私は、60歳までだと思っています。
いろいろな人の話を聞いていても、ほぼこの年齢が限界のようです。
無理がきくというのか、「体力」で乗り切れるのは60歳まで。
それから先はおまけの人生。
いつ死んでも、恨みっこなしで・・・ということでしょう。
失われて初めて分かるのが、モノの価値。
若い時代にスポーツをすること重要性は、その「体力」の衰えを実感できることかもしれない。
いやでも身体能力は低下するもの。
スポーツはそれを残酷なほどハッキリと教えてくれるのですから。
今日できることを今日する。
その繰り返しでいいと思う。
その繰り返しの結果がどうなるかなんて分からない。
成功者が言う。
こうすれば、成功しますよ、と。
それは事実でしょう。
でも、その人にとっての事実なだけ。
初期条件が変われば、劇的に結果が変化するのが世の常。
誰かの成功したやり方が、他の誰かにも有効だなんて保証はない。
だから、「体力」が必要。
状況の変化に対応できる「体力」があるかないかで、その後の展開が変わる。
私は今30歳を過ぎたところ。
半分は終了。
さて、残り半分をどうするのか。
自分のことを棚上げにした人生論ほど、無意味なものはない。
なぜ、そんなことを書くのか、なぜそういう思いにいたったのか・・・。
それを常に意識しなければ、ただのファンタジーになってしまう。
日々を丁寧に生きる。
これが私のスローガン。
今がんばって、老後を楽しむなんて発想は、ありえない。
老後があるかどうかも分からない。
楽しみを感じない毎日の延長線上には、仏頂面な老後しかないと思う。
だから「体力」を惜しまず、今日を生きる。
「体力」のいいところは、使ったから減るってことのないところ。
加齢と共に、元のキャパは減少するが、その中身は使った方がむしろ、いい。
使えば使うほど、回復力は高まるものですから。