私の施術法は、シンプルです。
目的は、ひとつ。
凝り固まってしまった「筋膜」を、本来の柔軟な状態に戻すこと。
言ってしまえば、ただこれだけのことなんです。
もう一段、突っ込んで話を展開しましょう。
まず対象は「筋膜」がメインであるが、それだけではない。
組織構成が同じ、「靭帯」や「関節包」、「骨膜」なども対象とすること。
凝り固まってしまった状態を「癖」として捉え、必要以上に原因にこだわらないこと。
原因の追究よりも、症状を改善し、維持することを重要視すること。
施術者は、症状を改善する「きっかけ」を提供するのであり、治すのは本人のチカラであること。
さらに、もう一段、突っ込みましょう。
世の中の整体術やカイロプラクティックには、ほんの僅かな刺激(動き)を加えることで、体の状態を改善させることができるとするものがある。
この考え方が、私はしっくりこない。
正しい、間違っているということではない。
でも、どうも“不自然”な考え方ではないでしょうか?
私の言う“自然”とは、他の動物たちの生活をいいます。
人間はなんだかんだ偉そうなことを言っても、動物であり、その事実からは逃れられない。
どれほど高尚な考え方を持っていようとも、体は動物。
脳は体の一部に過ぎず、よって脳(思考)は体の支配(影響)を強く受けるもの。
人間だけが特別な存在なんてことはない。
さて他の動物たちは、例えば頚椎(首の骨)を数ミリ動かすとか、骨盤の関節(仙腸関節)に局所的な動きを加えるとかするのだろうか?
当然、しません。
ではなぜ、人間だけが、そのようなの動き(施術)を加えなければ“健康”になれないのでしょう?
私には理解できません。
もちろん、お医者さんの手術のように、ミリ単位で成否が分かれることもあるでしょう。
しかし、整体師がする施術において、ミリ単位の動きってのはどうなんだろうか?
そのくらいのことで変化をしてしまう人体というシステムなら、とっくの昔に滅んでしまっているのではないか?
これまで人類が生きてきたということは、人体というメカニズムがちょっとしたことでは崩壊しないということではないのだろうか?
私は人体は強いと思っています。
現代人は、アンバランスな“精神至上主義”によって、健康を害していると思えてなりません。
あるがままに自分(自分の体)を受け入れることができないからこそ、「元気に生活する」という幸福をみすみす手放してしまっているのではなかろうか。
「お前さんは、ほんの数ミリ以下のの変化を感じれないから、そんなことを言うんだよ!」
このようなお叱りも受けるかもしれません。
そうですね。
私の能力に問題があるのかもしれません。
けれど、どうしてもしっくりきません。
理屈というより、感覚ですね。
感覚は、次元の低いものだと思われるかもしれませんが、私は逆です。
感覚こそ、生きる道しるべだと思っています。
人体の強さを、私は信じています。
人体のいい加減さ(適応能力)を、私は尊重します。
人体(人間)が動物であるということを、私は忘れるべきではないと思います。
リセット整体は、シンプルな施術。
けれど、体が求めている刺激であると感じます。
身近な犬や猫を、見れば分かります。
いつも、「のび」をしているじゃないですか。
だから高い所から落っこちても、平気なんでしょう。
柔軟さが生きる上で重要であることを、本能で感じとっている。
頭でっかち、精神至上主義の“にんげん”という動物だけが、体を動かさないことを目指す。
本能が低下するから、生きることがつらくなる。
なぜ動物は生きるのか?
それは本能を素直に受け入れれば、生きること自体が気持ちいいからなんだと思う。
体をリセットすれば、心もリセットできます。
ココロはカラダの一部なんですから。