手塚治虫さんの漫画「ブラック・ジャック」は今も人気が衰えない、希有な漫画ですね。
天才外科医の物語ですが、その魅力は「苦悩」にあると思います。
では、ブラックジャックの「苦悩」とは何か?
それは、「人の命を助けることに意味があるのか?」ということでしょう。
人はいずれ死にます。
これだけは、本当に平等です。
どんなに健康的な人だって、必ず死にます。
では、医療は何のためにあるのでしょう。
「病気を治すため」
まさにそうです。
では、治すことで何が変わるのでしょうか?
死ぬまでの期間が延長されますが、それだけのこと。
「遅かれ早かれ死んでしまう」という事実の前では、どんな高度な医療技術も、お手上げです。
そのことと本気で向き合えば、
「私の治療に何の意味があるのか・・・」と苦悩するブラック・ジャックの気持ちも分かりますよね。
病気を治療するということに意味や価値を見出すという行為は、まじめに考えてしまう人ほど苦しむのではないでしょうか。
だって、「どのみち、いつかは死ぬでしょ」の台詞の前では、すべての医学的意味や価値は完敗です。
健康に関心がある方が多いのですが、思考のベクトルが違っていると思います。
多くの方が「健康」ではなく「病気」に関心がいってしまっている。
テレビや雑誌の健康特集は、ほとんど「病気特集」にすぎない。
あれもダメ、これもダメ・・・。
これがいい、あれがいい・・・。
見ているだけで頭が痛くなる。
そりゃ、病気のことばかり気にしていたら、一生健康なんてなれないに決まっています。
だから、人生を快適に過ごしたいのであれば、思考のベクトルを「病気」から「健康」、厳密には「元気」にすべきです。
若くして死んでしまった人を、残された者は、どう解釈するべきか。
天罰で死んだ?
前世の罪のため?
私なら、こう解釈します。
いい人ほど、早く死ぬ。早く死ぬ権利があったんだ、と。
これが正しいかどうかって問題ではないのです。
死んだ方のことは、死んだ本人しか分かりません。
向こうの世界があるのか、死ねばすべておしまいなのか・・・。
それは生きている側が、「ああだ、こうだ」と言うべき問題ではない。
それは死んでからのお楽しみってことで、保留しておいていいこと。
生きている側には、死んだ後のことを知る権利はないのですから、勝手に解釈していいと思います。
あの子は、いい子だったから、早く亡くなったのだね、と。
後期高齢者医療制度も、この問題にまじめに取り組めば、避けて通れないこと。
「無駄な」延命治療は、やめてくれ!
税金の遣い方を考えるお役人なら、こう考えても当然。
なんで、税収が増えることもないお年寄りに、医療費を大量に消費しなくてはならないのだ、と。
医療を資本主義発想で考えるなら、その通り。
日本という国を会社とするならば、経費(医療費)削減を目指すのは、なんら不思議でない。
会社の発展に関係する経費ではないのだから。
医学は学問である。
だから、長生きさせる意味など考える必要はない。
とにかく、病気を治療するための技術論である。
原子力の利用を研究することと、原子爆弾として利用することには、関係がない。
前者は学問であり、後者は政治である。
長く生きることで、若い世代を苦しめる。
昔の「姥捨て山」という風習は、そういうことなんだろうか。
日本という国が、どの方向性で行くのか。
それを決めるために、政治家は存在する。
そして、その責任は選んだ国民にある。
政治家がダメなのは、国民がダメだから。
政治が悪いのは、主権のある国民が悪いということ。
私を含めすべての人が、文句を言う前にできることをひとつでもすることが、未来を変える・・・かもしれない。
変わろうが変わるまいが、
「どのみち、いつかは死ぬでしょ」
という台詞には、やはり何も言えなくなってしまうのですが・・・。