現実はひとつである。
しかし、“真実”は人の数だけ存在する。
その人がどう解釈したかで、現実が“真実”に変わっていくものだから。
データは、事実である。
しかし、そこから導き出す答えは“真実”に属する。
例をあげよう。
【緑茶を一日三杯以上飲んでいる人達は、全く飲まない人達と比較して、ガンになりにくい】(仮説)
こういうデータを出されると、どう思いますか?
私なら、まず何人調べたかが気になりますね。
10人や100人じゃ、話にならない。
せめて1万人単位でないと。
さらに、期間が気になります。
いったいどれくらい、追跡調査しているのか、と。
1年や2年じゃ、ダメでしょう。
半世紀ぐらい、調べていたら文句のつけようもないですが。
最近読んだ本の作者は、さらに根本から、このようなデータに疑問をぶつける。
緑茶をよく飲むってことは、食生活自体も和食中心じゃないのか?、と。
緑茶を飲まない、つまりコーヒーや紅茶をよく飲む人と、食事全体が違っている可能性が高いでしょう、と。
そうなんです。おっしゃる通りです。
もっといえば、食事以外のライフスタイルも違っているのかもしれません。
なぜ、このような“偏見”が生まれてしまうのか?
これはデータを集めた人が最初から【緑茶は、ガンに効く】と仮設を立て、それを証明するために統計を取るという順番だからです。
捏造ということではないですが、自分にとって都合のいい所しかピックアップしないということです。
データは正しい。
ただ、それを集めた者には必ず“偏見”(=仮説)がある。
それをよく理解したうえで、テレビや新聞・雑誌の健康情報を取り入れること。
「お医者さんが言っている」とか、「新聞に載っている」なんて理由で、安易に鵜呑みにしないこと。
エビデンスだの何だといっても、その証明になる根拠(データ)自体、人間の偏見が隠れているかもしれないので。