売っている野菜は、まず肥料を使用する。
ただタネを蒔いて、そのまんま…なんて農法をしている方は、ほとんどいないんじゃないかな。
商品として価値がある品質を保とうと思えば、当然そうするでしょう。
ただ、肥料をやればやるほど良いとはいえない。
与えすぎれば、枯れてしまうもの。
人間も、同じでしょうね。
特に、自立していない子供には、親はなるべく“肥料”を与えないほうが良いのではないでしょうか。
今の子供の目を見ると、ぞっとする。
多くの子供の目が死んでいる。
大人と変わらない、死んだ目をしている。
経済的に貧しい国ほど、子供の目は輝いている。
貧しい国の大人の目は、死んではいないが濁っているけれど…。
豊かな国の子供の目に、魅力を感じないのはなぜか?
それは、与えられすぎているからだと思う。
愛情という仮面をつけた、モノに。
モノを与えることが、愛情なのか?
カネを与えることが、愛情なのか?
モノやカネは、植物でいう“肥料”だと思う。
あったほうが、育ちは早いが、果実は味がない。
見た目はきれいな果実ができるが、味はまずくはないが、おいしくもない。
上っ面だけの、果実。
ねえ、まさに現代人って感じでしょ。
愛情は、植物にとっての“太陽”であるべきもの。
日光を受けて、植物自身の中にある葉緑素が、エネルギーを生み出す。
つまり、栄養を与えるのではなく、栄養を作り出せるようにサポートすること。
それが、愛情ってやつでしょう。
栄養を与えすぎるから、生きる力が削られる。
生きる力を学校で教えようなんていう風潮もあるが、ナンセンス。
子供は、放っておけば、勝手に生きる力を発揮する。
頭で考えるから、生きることがヘタクソになる。
モノやカネを与えすぎないこと。
ただ、しんどいけど子供を見守り続けることが、大人のすべきことでしょう。
モノやカネを与えるほうが、楽チンです。
もちろん、モノもカネも働かなきゃ得られないものですから、“楽チン”と言ったら語弊があるかもしれません。
しかし、モノやカネで子供をコントロールするほうが絶対に楽。
泣いている子供にお菓子を与えて、黙らせるようなもの。
何で泣いていたのか考えもせず、ただ黙らすことを優先する。
そりゃ、子供だって、だんだん腐ってきますよね。
泣けば何とかなるんだ…って学習しているようなものなんですから。
じゃがいもの新品種「インカのめざめ」は、おいしくするために、あえて厳しい原産地(南米アンデス)の気候条件を再現して作られたそうです。
厳しいからこそ、子孫を残そうと栄養をぎゅっと集約させるのかもしれませんね。
人間も、このことに学ぶべきだと思います。
楽チンな生活では、人間は幸せを感じられない。
ストレスのない暮らしなんて、不幸になるだけ。
厳密に言えば、ストレスが減れば減るほど、「幸福」を感じる能力が低下する。
だから、相対的に不幸だと感じる人間になってしまう。
ひとこと言わせていただくきます!
子供には、最小限のモノしか与えない。
その代わり、最大限の愛情を与える。
子供がいるのに、遊びたいだの、ストレスを解消したいだのというのは、ダメでしょう。
ストレスは解消したって、また溜まるだけ。
膝の水を抜くようなもの。
なぜ、水が溜まるのか…ということに対処せず、ただ抜いてばかりなら、そりゃ治りませんってね。
子育てがストレスになるのは、当然。
だって、子供は本能で生きているのですから、“自然”と同じ。
コントロールできなくて、当たり前。
それを、大人の理屈で対応しようとするから、ストレスになる。
虐待する前に、子供は自然そのものであり、どうにもならん…と諦める(=明らめる)ことが大切なんじゃないでしょうか。
私は人と会うと、まず目を見ます。
そして、その目の輝きで、その人の価値を判断します。
生意気ですが、価値ある人は、ほとんどいません。
鏡に映った、自分の目も、また同じ…。
日々の生活で、輝く目に近づいているかどうかが、人生のガイドラインだと思っています。