肥料のやり過ぎは、植物を枯らす。モノの与えすぎは、人間を腐らす。 | まるたけ整体 公式ブログ

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「札幌市 厚別区 JR厚別駅 徒歩3分 筋膜のコリをほぐす専門店」

売っている野菜は、まず肥料を使用する。

ただタネを蒔いて、そのまんま…なんて農法をしている方は、ほとんどいないんじゃないかな。

商品として価値がある品質を保とうと思えば、当然そうするでしょう。

ただ、肥料をやればやるほど良いとはいえない。

与えすぎれば、枯れてしまうもの。


人間も、同じでしょうね。

特に、自立していない子供には、親はなるべく“肥料”を与えないほうが良いのではないでしょうか。


今の子供の目を見ると、ぞっとする。

多くの子供の目が死んでいる。

大人と変わらない、死んだ目をしている。


経済的に貧しい国ほど、子供の目は輝いている。

貧しい国の大人の目は、死んではいないが濁っているけれど…。


豊かな国の子供の目に、魅力を感じないのはなぜか?

それは、与えられすぎているからだと思う。

愛情という仮面をつけた、モノに。


モノを与えることが、愛情なのか?

カネを与えることが、愛情なのか?


モノやカネは、植物でいう“肥料”だと思う。

あったほうが、育ちは早いが、果実は味がない。

見た目はきれいな果実ができるが、味はまずくはないが、おいしくもない。

上っ面だけの、果実。

ねえ、まさに現代人って感じでしょ。


愛情は、植物にとっての“太陽”であるべきもの。

日光を受けて、植物自身の中にある葉緑素が、エネルギーを生み出す。

つまり、栄養を与えるのではなく、栄養を作り出せるようにサポートすること。

それが、愛情ってやつでしょう。


栄養を与えすぎるから、生きる力が削られる。

生きる力を学校で教えようなんていう風潮もあるが、ナンセンス。

子供は、放っておけば、勝手に生きる力を発揮する。

頭で考えるから、生きることがヘタクソになる。
モノやカネを与えすぎないこと。

ただ、しんどいけど子供を見守り続けることが、大人のすべきことでしょう。


モノやカネを与えるほうが、楽チンです。

もちろん、モノもカネも働かなきゃ得られないものですから、“楽チン”と言ったら語弊があるかもしれません。

しかし、モノやカネで子供をコントロールするほうが絶対に楽。

泣いている子供にお菓子を与えて、黙らせるようなもの。

何で泣いていたのか考えもせず、ただ黙らすことを優先する。

そりゃ、子供だって、だんだん腐ってきますよね。

泣けば何とかなるんだ…って学習しているようなものなんですから。


じゃがいもの新品種「インカのめざめ」は、おいしくするために、あえて厳しい原産地(南米アンデス)の気候条件を再現して作られたそうです。

厳しいからこそ、子孫を残そうと栄養をぎゅっと集約させるのかもしれませんね。


人間も、このことに学ぶべきだと思います。

楽チンな生活では、人間は幸せを感じられない。

ストレスのない暮らしなんて、不幸になるだけ。

厳密に言えば、ストレスが減れば減るほど、「幸福」を感じる能力が低下する。

だから、相対的に不幸だと感じる人間になってしまう。


ひとこと言わせていただくきます!


子供には、最小限のモノしか与えない。

その代わり、最大限の愛情を与える。


子供がいるのに、遊びたいだの、ストレスを解消したいだのというのは、ダメでしょう。

ストレスは解消したって、また溜まるだけ。

膝の水を抜くようなもの。

なぜ、水が溜まるのか…ということに対処せず、ただ抜いてばかりなら、そりゃ治りませんってね。


子育てがストレスになるのは、当然。

だって、子供は本能で生きているのですから、“自然”と同じ。

コントロールできなくて、当たり前。

それを、大人の理屈で対応しようとするから、ストレスになる。

虐待する前に、子供は自然そのものであり、どうにもならん…と諦める(=明らめる)ことが大切なんじゃないでしょうか。


私は人と会うと、まず目を見ます。

そして、その目の輝きで、その人の価値を判断します。

生意気ですが、価値ある人は、ほとんどいません。

鏡に映った、自分の目も、また同じ…。

日々の生活で、輝く目に近づいているかどうかが、人生のガイドラインだと思っています。