マルタカのブログ -3ページ目

健脚か確かめてきました!!

中高年になってから卓球を始める前は

移動手段は、仕事もプライベートも

自動車だった為、足腰が非常に弱く



ちょっとした段差につまずいて転び

階段を上るとすぐに息苦しくなって

しまいました。



これでは長生き出来ないと思い

思い切って自動車依存をやめて



移動手段は電車、バス、自転車、徒歩に

切り替えました。



卓球を始めた頃は結構きつかったが

体が慣れてくると面白くなりました。



あれから5年程経ちました。



今では休憩なしで、水分を取りながら

平気で3時間半打ち続ける事が出来る

ようになりました。



先日友人から沢歩き山歩き誘われ



卓球を始めてから足腰がどれくらい強く

なったか確かめるのに良い機会かと思い



早速トレッキングシューズを購入して

千葉県の養老渓谷に行ってきました。



友人は沢歩き山歩き大好きで

頻繁に行っているようです。


足腰には自信があるとのことでした。


マルタカのブログ-養老渓谷の沢その1

養老渓谷の沢その1 


朝靄の中の沢を登っていきます。
空気がおいしくすがすがしいです。


マルタカのブログ-養老渓谷の沢その2

養老渓谷の沢その2


朝日が差して朝靄がだんだんと

晴れてきました。
マルタカのブログ-11月下旬の紅葉
 11月下旬の紅葉


養老渓谷は関東一遅い紅葉
楽しめるところです。

12月中旬前後まで見られます


マルタカのブログ-粟又の滝(養老の滝)
 粟又の滝(養老の滝)

長さ約100M、落差30Mの比較的

緩やかな滝で、紅葉スポットでも


知られています。


夏にはジャブジャブと水遊びを楽しむ

姿が見られます。


2時間半くらいは友人が先頭を歩き

それ以降は私が先頭で歩きました。


山道を登るとき後ろの友人から

ハァーハァーと苦しそうな声が

聞こえてきました。


私の方は、鼻で息が出来るほど

まだまだ余裕がありました。


合計約4時間ほど歩きましたが

まだまだ余力がありました。


歩き終わった後、温泉に入って

しし鍋定食を食べて帰りました。


私は卓球足腰が丈夫になった事を

確信しました。






















他のスポーツから転身?

卓球をやっている中高年の方に
聞きました。


卓球をやる前は何のスポーツ
やっていたのか?


最初から卓球オンリーという方は
少なく。


若い頃は、野球やっていた。
バレーボールをやっていた。


バスケットをやっていた。テニス
やっていた。サッカーをやっていた。


一つのスポーツだけではなく複数の
スポーツを経験している方が多い

という事が分かりました。


ではなぜ、中高年になってから
卓球に転身したのか?


サッカー、野球やテニスなど動く範囲
というよりも走る範囲が広くなるので


たとえスポーツで鍛えた体も、歳には
勝てません。


卓球の場合は、行動範囲が狭く、しかも
全速力で走る事もありません。


だから、体力の落ちた中高年には
最高のスポーツとなります。


実際に90歳前後位までやっている方が
全国にはたくさんいらっしゃいます。


他のスポーツをやっていた方が中高年に
なってから卓球を始めると、そうでない
方よりも上達が速いです。


何故ならば、運動神経が発達している
からなんですね。


特に、テニスをやっていた方は、卓球の
シェークハンドというラケットの持ち方が


似ているので、最も上達が速いです。

似ていると言えば、バドミントン


そうですが、やはり上達が速いです。


卓球は相手との距離が短く、ボール
速度が速いので、瞬時に頭を使って判断し


更に間に合わない時は、反射神経を使って
返球していきます。


だから、ボケ防止には大変効果的です。

私の行っているスポーツセンターでも


テニス、バドミントン組などから転身
されている方が多く見られます。


というわけで、中高年になったら
卓球に転身することをお勧めします。


ところで皆さん気分転換に、知人から聞いた

のですが、『オンカジ』っていうのご存知ですか?


面白そうなので、ご紹介しますね。
下記をクリックして覗いてみて下さい。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

オンラインカジノコミュニティー オンカジ



何故このスポーツを選んだのか?

日本人はスポーツ好きです。
小学生位から始めて90歳前後まで


ありとあらゆるスポーツ
を楽しみます。


あなたは何故このスポーツ
選んだのかと聞いてみると


親や友達がやっているから
先生に勧められて、学校で


クラブの先輩に誘われて

などなど、どのスポーツ

選んだかは人それぞれです。


私の場合は、小学校のとき
たまたま学校に粗末な卓球台


あって、ラケットは板で自作した
もので当然ラバーは貼ってない。


他にやる事が無かったので
結構夢中でやって楽しかった。


それがきっかけで、中学校に
入ってから卓球部に入り


基本を本格的に習った。

その当時世界的有名な卓球選手


荻村伊智朗選手が中学校に来て

何度か指導してもらい、模範試合も


見せてくれた。


中学生の私は、その凄さに
びっくり仰天したのを今でも


はっきり覚えている。


ここで荻村伊智朗選手の事を
少し書いてみたいと思います。


荻村伊智朗選手は、1954年の
イギリスウェンブリー及び1
956年


東京で行われた世界卓球
選手権等で優勝し、シングルス


ダブルス・混合ダブルス団体
あわせて計12のタイトルを獲得。


引退後、スウェーデンへの指導など
国際的な卓球の普及に努めた。


又、当時の中国の首相である
周恩来からの申し出があって


中国に卓球の素晴らしさを
伝えて欲しいと言われて


中国各地を回り、教えてこられ
たのは有名な話です。


それから中国は年々強くなり
それまでは世界の頂点だった


卓球王国ニッポンを抜き、ご承知の
通り現在は、中国が卓球王国となって


日本はなかなか中国に勝てません。


その後、荻村伊智朗選手は国際卓球
連盟会長
や、日本オリンピック委員会


(JOC)の国際委員長として輝かしい
活動をされました。


しかし、残念ながら、『卓球はチェスを
しながら100m走をするようなもの』という


言葉を残して1994年12月4日、62歳で
肺がんにて死去しました。


没後の1997年に他の選手とともに
世界卓球殿堂入りを果たしました。



下部の赤枠<秘密の話>

メールアドレスを入力して


送信すると、素敵な情報を

得る事が出来ます。


勿論無料ですので、お気軽にどうぞ!