同行した先達グループのほとんどの人がせりわり禅定初体験のようでしたが、私にとっては二度目でした。
先導した今治のNさんは何度も岩場を登っているようですが。
私が初めて行ったのは大阪府在住のSさんらとの「早回り遍路」の時で、三月のことでした。ちょっと寒かったのを覚えています。
その時は「せりわり禅定」の行場の入り口までの山道に三十六童子の像と、納札を入れる入れ物があって、岩屋寺の納経所でいただいた「せりわり禅定」お参り用の納札を一つずつ納めたのでした。
今回は八月。暑い季節ですが、深い山の中で日の光もろくに差さないようなところなので暑さは感じませんでした。
なぜか今度は不動明王の三十六童子の納札をいただかず、納めることもありませんでした。
これで二度目となればだいたい道順も分かるのですが、山の中で九十九折りの道を行くのでどれだけ進んだか分からなくこともありました。
で、「せりわり禅定」の行場の入り口に着いて扉の鍵を開け、中に入ります。二つの大きな岩がそびえ、その二つの岩の間の裂け目のような所から急斜面を登ります。足場に注意しなければ滑り台から転げ落ちるように扉の方へ落ちる危険があります。
そこを登り切って、階段の踊り場のような所に出ます。少し平らになっているところで方向を右に転じます。今度は鎖を使って、また急な岩場の斜面を登ります。
雨や雪の日、または雨上がりの時などに踏み込んではいけない、というのはこういうことです。
岩の表面や鎖が濡れていなくても、鎖を持つ手はしっかりしてなくてはなりませんし、足場もよく確認して、すべるようなことがないようにしなくてはなりません。
二十一段の梯子があります。アパートやマンションの階段とは違います。手すりなどなく、垂直ではないまでも、かなりの急傾斜で、手を滑らせるなり足を踏み外すなりして転落したら命にかかわります。
最初の岩場ならともかう、この梯子では、落ちて大怪我したら、その下まで降りるのは容易ではありません。自力で降りられないなら、誰がどうやってたすけるというのでしょう。
この梯子を登りきると岩峰の頂上で、白山権現を祀る祠があります。
頂上にも鎖があり、鎖につかまっていないと、危なっかしくてどうしようもありません。頂上は平らに近いですが、まっ平というわけでもなく、やや下に向けて角度がついているので鎖に掴まらずに立ち上がるなどは危険です。
頂上の広さは六畳間ほどの広さもないでしょうか。
ここの白山権現を拝してお札を納めるのは昔から行われていることです。
仙人伝説がある場所らしい、命がけの行場です。
安易な気持ちで行ける場所ではありません。
それだけに、登り切った後の疲労感と充実感は半端ではありません。
疲労感と充実感が同時にあるなどというのはおかしなことと思われるかもしれませんが、俗世を離れた聖域に入り、危険を冒さないとみられない景色(落ち着いてじっくり見られるようなものではありませんが)を見て、また安全な地に戻ると、充実感はありますし、気を張り詰めていただけに疲労感もどっと襲ってくるのです。
ただ、この(私にとっつての)二度目の「せりわり禅定白山行場」体験は、ちょっとした反省点もありました。
初めての時は私だけが初めてということもあって先輩先達さんが先と後とになって「次、右足をおろして、そこにしっかり足を踏みしめて、はい、そう! 次に……」等の声掛けをしてくださって注意喚起があって心つよかったのですが、今回はそのような声掛けがありませんでした。
ただ、それは私が二回目なのだから私がやれば良かったことでした。
自分が無事に登りまた降りることで精いっぱいだったのです。
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