『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』 | 日々ぶらぶぶら

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『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』
2020/2/  羽根田治
 
 
 
タイトル通り、著者が選ぶ山岳遭難の十大事故をまとめた本となっています。
最初は『これで死ぬ』がちょっと読みたいなー……と探したんですけど、無かったのでなにか別の……と探してこの本を見つけました。
山関連であることと、ちょうどツイ……᙭でウィキのオススメ記事を読んだあとでもあったというのもあります。
元から八甲田山死の彷徨とか、ディアトロフ峠事件の話とか読むのが好きでしたし……
さらに言うと、この本の最後に載っている「トムラウシ山ツアー登山遭難事故」は数カ月前にウィキで読んだばかりでした。
それもあって、この本を読んでみようと思ったわけです。
 
しかし、読んでいてチムニーとかデブリとかハングとかとかおそらく専門用語が出てきて、お、おう…??なりながら、幼児が漢字を飛ばして読むがごとく、わからないままスルーして読んでいました。
ビバークはなんとなくわかる。
素人の私が読んでもかなり興味深い内容だったので、わかってる人が読むと……いや、読むまでもなくそういった人達は読まなくても内容把握してそうだな……
 
 
ちなみに私は登山はあまり好きではない。疲れるし、大変だからというクソな理由である。
運動好きとか高山植物とか好きな人にはいいのだろうけど、植物とかは特に興味もないものですから。
親が登山好きで何回か連れて行かれたことあったな……行きたくて行ったわけでは無いのでそこからも苦手意識があるのかも?
 
いや、でも城山登るのは好きです。お城の石垣とか見ると疲れとか吹っ飛ぶよね。
 
てか、読み終わってから気づきましたが『これで死ぬ』と同じ作者さんでした。
 
 
 
1、木曽駒ヶ岳の学校集団登山事故
 
学校集団登山における戦前最大の遭難事故とのこと。
1913(大正2)年8月に起こった事故。
長野県にある木曽駒ヶ岳……の地元の高等小学校は学校行事として、この山に1泊2日の集団登山を行った。
しかし、台風の影響により悪天候の中たどり着いた宿泊予定の小屋は……屋根もなければ壁も無い、腐朽して壊れた状態だった。
仕方なくその小屋に応急修理をしそこで夜を明かすが、次の日は更に強まった雨風という悪化した天気。
その悪天候の中下山をするも、生徒は散り散りになり低体温症で動けなくなる生徒など、結果全部で37名いたうちの11名の死者を出す大参事となる。
 
この事故から12年後、駒ケ岳マラソンが開催……そのレースを見学していた者が人骨を見つける。それがこの遭難事故で最後まで見つからなかった一人の骨であった……この話になんとも言えない感情がわき起こってくる。
 
そして、コレ読んでる時に『映像の世紀バタフライエフェクト』のエベレスト回を観たんですよ。そしたら最後、エベレスト山頂付近でミイラを発見し、それが消息不明だったマロニーさん(「そこに山があるから」で有名な人)だったというのを見て、ここを思い出しました。見ていて叫びたくなった。
 
 
この話をモデルとした話『聖職の碑』があるそう。
 
 
 
2、剱澤小屋の雪崩事故
 
1929(昭和4)年12月の末。
東京帝国大学スキー山岳部OBとその仲間たち、合計6名が立山に入山。
冬山の剱岳登頂を狙って、剱澤小屋に滞在。
戻らないメンバーに捜索隊が、向かうと……あるはずの剱澤小屋が跡形もなくなっていた。
 
夜に起こった雪崩により小屋は倒壊……全員が、助からない結果となった。
 
これにより、山小屋の整備が進むが……雪…雪崩、圧雪…との戦いとなる。
 
 
 
3、冬の富士山巨大雪崩事故
 
1956(昭和31)年11月末。日本大学山岳部が富士山で雪上トレーニングを実施。
 
登山中二度の雪崩に会い、他の登山者も含め14名が行方不明となった。
 
 
当時、富士山では雪崩へ起きないと考えらていたのでこの事故は青天の霹靂と言われるほどの衝撃だった。
 
どんな山でも条件が揃えば雪崩が起きる。大したことがない雪崩だったとしても、第二弾第三弾が起こることを念頭におくべき……という事故。
無知ですまんが、雪崩に会っても生還出来るんだな……と初めて知りました。なんか、雪崩=お陀仏というイメージだった。
一概に雪崩と言っても規模も様々だからね……ということに初めて気づいた。
 
 
 
4、前穂東壁のナイロンザイル切断事故
 
三重県鈴鹿市にある社会人山岳会が、1954(昭和29)年12月、前穂高岳の冬季登攀を目指す。
1955年元旦、前穂高岳東壁に3名がアタック。一日で登れず、崖でビバーク。
次の日、何とか出発するも一人が滑り落下……命綱であるザイルをお互いに付けていたにも関わらず、その衝撃が全く来なかった……ザイルを見るとぷっつりと切れていた……
 
 
ザイル切断なんて書かれると、火サス……故意による殺人事件か?――なんて考えながら読みました。
ザイルの強度が本来メーカーが謳っていたよりかなり脆かったという話であり、これはそのザイルを作ったメーカーとこれ以上犠牲を出さないための遺族の戦いがメインの話でした。
 
ココらへんって読んでて日本人のメーカーの体質って変わらんよな……と改めて思う。
人の命よりも金儲け……事故が起きてからようやく重い腰を上げて、商品による事件の原因究明をする。
コレは事故が起きてからもウチのザイルは日本一ィと言っていた話だけど……
 
しかし、命綱があるから……と一応安心要素があったのにそれが効果を発揮しなかったときの絶望感は……想像するだけでもゾッとする。
 
 
※登攀(とうはん)
岩壁を登るもしくは岩壁にあるルートを登ることをいう。
傾斜の緩やかなルートを歩いて登る場合は使わない。
※ビバーク
予定通りに下山できず、山中で緊急に夜を明かすこと、しっかりしたテントを用いず露営することを指す。
 
 
 
5、谷川岳の宙吊り事故
 
1960(昭和35)年9月。群馬県谷川岳で落石の音と人の叫び声を聞く。
「どうした?」と呼びかけると、救助を求める声が聞こえた。
警備隊が出動し捜索したものの返答は無い。
一人がふと見上げると……衝立岩…高さ250mの岩壁……にザイルが見え、その末端に人らしきものがぶら下がっていた。
呼びかけるも返答はなし……さらにもう一人ぶら下がっているのが見えた……
 
 
宙吊りになっている人をどうやって紐を切って下ろすか……と言うのが一番の焦点になっている事故の話と思われる。
仕方が無いとはいえ宙吊りになった人は、もう既に死んだものとして扱われていたのがなんとも言えない。
 
これも当時の山岳会の掟やらメンツなどで複雑かつグタグタとした話となって……最終的に自衛隊まで出動している。
 
世界で一番遭難死者が多い山としてギネスに認定されているとあって、そんなコトでもギネスに載ることがいいの?と思ったけど、もしかすると警告的な意味を込めて登録したのかもしれないな…と思いました。
 
 
 
6、愛知大学山岳部の大量遭難事故
 
1962(昭和37)年12月末。
愛知大学山岳部の冬山合宿が北アルプスの薬師岳で行われた。
薬師岳が選ばれたのは初めてだった。
しかし、悪天候により山小屋での滞在を余儀なくされる。
下山予備日のリミットを過ぎたため捜索隊が組織される…も、悪天候により阻まれる。
一時的に天候が回復しヘリコプターで向かうも、山小屋には人影はなかった。
 
その後の捜索により数ヶ月かけて発見された。
 
 
「太郎小屋に人影なし」で有名らしい遭難事故。
マスコミの報道合戦も議論をよんだらしい。
 
生存者がいないため詳しいことは判明しないが、“三八豪雪"と呼ばれる記録的な大雪の中起こった不運な事故。
 
 
 
7、西穂独標の学校登山落雷事故
 
1967(昭和42)年7〜8月。
長野県松本深志高校の二年生が学校行事の一つとして集団登山で西穂高岳へと登った。
当日の朝は快晴であったが、山頂到着した昼過ぎから急な天候の変化により雷鳴と雨に見舞われる。
急いで下山するも、その途中で落雷。
最終的に55人のうち死者は11人、重軽傷者は11人にのぼった。
 
 
戦後最大の学校集団登山遭難事故ではないか?――と書かれていて、そうか?と思いながら読みすすめたら……あまりにもあまりにもな事故に確かにこれは戦後最大です。と思いました。
 
いやどうしょうもないよな……これは……
いや、こんな事故があったなんて知らなかった。
 
 
 
8、立山の中高年初心者遭難事故
 
1989(平成元)年10月。
北アルプスの立山三山を縦走していた中高年パーティが悪天候に見舞われて遭難。
10人中8人が死亡した事故。
 
一昔前の――今は……どうなの?登る人は多いみたいだけど?――中高年の登山ブームと、それに伴う素人登山の危うさによって起こった事故。
この時期に吹雪や積雪が起こるとは思わなかったらしく、予測外の出来事だったと思われるが、色々と判断を誤ったため起きてしまった、本当に途中でやめる勇気。
登山でもガチャでもここまで来たのに今までのが無駄になる……という気持ちもわかるが、リーダーには途中でもなんでもやめる、引き返す判断と勇気が必要なんだよな……と思いました。
素人はその辺の判断が出来ないだろうから尚更。
 
 
9、吾妻連峰のスキーツアー遭難事故
 
山形県と福島県に連なる吾妻連峰。
1994(平成6)年2月。
とあるグループが、ここでスキーツアーを計画。あくまで温泉とスキーが中心の山登りというよりはみんなで集まって騒ぐのがメインのツアーグループだった。
スキー場から温泉地へと向かう途中ルートを喪失、彷徨うこととなる。
7人中5人が死亡する遭難事故となった。
 
たとえ何度も登った山であろうと、装備と道具はしっかりと準備すべし。
初心者を連れて行くならなおさら…という事故。
 
 
 
10、トムラウシ山のツアー登山遭難事故
 
2009(平成21)年7月。
ツアー登山会社が企画した、大雪山の一つトムラウシ山の登山旅行に起きてしまった遭難事故。
ガイドを含め19人……死者は8人となった。死因はいずれも低体温症。
初夏であろうと、北海道や山を舐めたらイカンという事故。
これもまた、リーダー的存在が引き返す判断が出来なかった……この山に素人だったために起きた悲劇。
 
トムラウシ山遭難事故はウィキの方が詳しく書かれてるような気がするなー……と思っていましたが、同作者によるトムラウシ山遭難事故だけを取り扱った本が出ていたようで、詳しくはそちらの方を……とのことらしい。
今度読んでみよう。
ただしウィキの方では名前ではなくa、b、cで表記しているので少々わかりづらい。
 
比較的つい最近の事故だけど……全然記憶に無い。ネットも普及してなく、テレビもほぼ見てなかった時期かな?
同じ会社の万里の長城の事故は覚えてますね。
 
 
 
 
 
ちょっとした判断ミスや、タイミングによってだったり、不運にも異常気象が重なって……とかによって起きてしまった事故が多いという印象。
遭難事故や低体温症は冬山だけに起こるわけでは無いのだな……と。
 
なぜこういった本を出すのかと言えば、起きてしまった事故を教訓としてこれ以上同じような悲劇を繰り返さないようにするため――と思ってます。
その時の状況によって出来ないことはあるだろうけど、知識として知ってるだけでも少しは違うのでは?と思いました。特に引き返すときの決断とか……
最初の方で述べたように、登山は嫌いだけど、人生何が起こるかわからない……20年ぶりにSLAM DUNKに再燃したり、10年ぶりに銀魂に再燃したり……とまさかの状況に自分でも驚いていて登山の面白さに突然目覚めるかもしれないし――と、まぁ自分のことは置いといて、今年も元旦から想像しなかったことが連続で起こったわけですし……
山登りだって予測もしない状況で予想もしないことが起きてしまうかもしれない、そうなったら素人の自分はまっさきに遭難しておっちにそうだよな……と、思いつつ。
万が一何かあったときにちょこっとした知識が助けてくれることを祈る。
 
ちなみに、これ読んだとき色々とネットでも用語など調べたりしたせいで、ネットに山岳遭難や登山に関するオススメ記事が出るようになってしまった。
いやだから登山しないって。(今現在)
 
 
これ読んだ後、例の『ゲゲゲの鬼太郎 零』(違う)を観たんですけど、お影で最初のシーンそんな軽装備で山を…しかも雨降ってるのに低体温症で死ぬぞ!――などと違う心配してしまった。(ネタバレ:生きてました)