沖縄戦終焉の地 糸満市摩文仁の丘、沖縄県立平和公園
「神奈川の塔」に追悼の誠を捧げました。
南方諸地域戦没者は、県内関係者だけでも
40,800名にのぼります。
神奈川県産の石材が使用されており、
石英は山北町、小松石は真鶴町から寄贈されたものです。
「平和の碑(いしじ)」は軍人、民間人、
国籍や敵味方を問わず、沖縄戦における
全戦没者241,414名の氏名が刻まれています。
天皇陛下が必ず参られるという「国立沖縄戦没者墓苑」。
沖縄戦で亡くなられた住民や軍人などの
御遺骨を納めた国立の墓苑です。
どなたの遺骨か不明のため、都道府県
分け隔てなく戦没者18万余柱が納骨されています。
摩文仁の丘は、軍司令部が最後に辿り着き、
自然壕を利用した第32軍司令部壕が置かれた
組織線最後の砦となった場所です。
背後には崖がそびえ、逃げ場所を失った日本軍は、
1945年6月23日に司令官牛島満中将が
自決したことによって組織的抵抗が終わりを迎えたのです。