『だから日本はズレている』 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

一期一会を大切に、神奈川県議会議員石川たくみのブログです。
<私の目指す政治活動>
 ○自立的な生活経済圏     ○誇りの持てる教育
 ○一人でも多くの三浦ファンを ○より身近な市政に

今一番売れている新書、29歳社会学者の古市憲寿著、
『だから日本はズレている』を読了しました。
迷走する「おじさん」と、それに割を食う「若者」という日本のズレ。

「今いる場所を疑わなくなった瞬間に、誰もが「おじさん」になる…」




【「リーダー」なんていらない】

日本には「強いリーダー」や「真のリーダー」がいないと言われる。
それは別に嘆くことではなくて、むしろ喜ぶべきことだろう。
強いリーダーがいなくても大丈夫なくらい、
豊かで安定した社会を築き上げてきたことを誇ればいい。

…残念ながら、もはやこの世界は「強いリーダー」で解決できるような、
わかりやすい仕組みでは動いていない。…
社会を動かしているのは国家による「政治」だけではない。
グーグルやマイクロソフトなどの巨大企業、国際NGO、テロリストなど
様々な意思決定主体が登場する中で、国家はその中の一アクターに過ぎなくなっている。
…僕たちは今、日本という「国家」とグーグルという「企業」の、
どちらが強いかわからない時代を生きているのである。…
少子高齢化とか、社会保障費の増大とか、エネルギー問題とか、
あらゆることを「国」単位で考えて、
一億数千万人を一気に救うような解決策を考えてしまうと、
それが解決困難な難問に見えてしまう。
…行政の対応を待つのではなくて、「自分たち」で勝手に解決できる社会問題も多い。
たとえば病児保育問題の解決にはNPOフローレンスの活躍が有名だし、
食の安全を求める消費者のためには
生協などのネットワークや、最近では都会のファーマーズマーケットも盛んだ。
これら小さい集団の活動は、国中の人々を全て救うものではない。
だけど、確実に数百人、数千人の人は幸せになる。

…一人のリーダーが世界のあらゆる問題を解決してくれるなんて幻想以外の何物でもない。
もしも今、何かどうしても解決したき問題があるなら、
自分ができる範囲(小さな集団)で動き出せばいい。
「危機の時代」だからこそ、解決策はそれくらいしかない。


【クール•ジャパンを誰も知らない

2020年東京オリンピックの開催が決まった。
しかしそこに至るまでの招致活動には紆余曲折があった。
この招致活動を読み解くことで、
日本の「クール•ジャパン」が迷走してしまう理由が見えてきた。
それはマーケティングと効果測定視点の欠如である。
…「ニッポン」でしか出来ないオリンピックを開催するべきだろう。
3.11を経験した国として、新しい資本主義とエネルギー政策のあり方を示す。
昭和の復活を目指すのではなく、他国と同じようなナショナリズムを煽るのでもなく、
商業主義を突き進むIOCに相乗りするのでもない。
オリンピックは、そんな新しい「ニッポン」の姿を世界にPRする絶好のチャンスなのだ。


ライターの島田健弘がクール•ジャパンを
適切に定義していた(「Businesp Journal」2013.9.5)。
クール•ジャパンとは「ジャパンブランドによる外貨獲得戦略」である、そうなのだ。
…その意味では、多額のお金をかけずともできる「クール•ジャパン」は大量にある。
たとえばクール•ジャパンの議論では決まって訪日外国人の増加が目論まれるが、
行政がそのために適切な支援をしているかどうかは怪しい。
まず外国人向けの適切なポータルサイトがない。一応「Visit Japan」などもあるが
「個室露天風呂のある日本旅館に泊まりたい」といった
細かなニーズには全く対応できていない。
たとえば韓国には「コネクト」という非常に充実した日本人•中国人観光客向けサイトがある。
食、美容から歴史まで様々な情報が網羅され、
ホテルの予約からミュージカルのチケットまで購入できる。
…観光客を呼び込むためには、何百億をかけずとも実現できる施策がたくさんある。
ちょっとした工夫で外国人向けの情報をきちんと提示するだけで、
結果的に国への好感度は上がるだろうし、ひいては外貨獲得にもつながる。

…日本の文化発信は、「誰に向けた、何のための発信なのか」という
マーケティングと効果測定が皆無なのである。…
思えば、戦前の日本の植民地政策もそうであった。
相手が望んでもいない「日本文化」を押しつけ、
それは戦後にも根深い禍根を残すことになった。
「正しいと自分が考えるものは、喜んで受け入れてもらえるはず」
という発想は、戦前からの美しい日本の伝統らしい。

…ホテルやレストランでもそうであるように、
最上の「おもてなし」とは、相手の欲求を完全に満たしたうえで、
さらにその上を行くサプライズを提供することだ。
2020年までにこの国がオリンピック委員会で語られた以上の
「ニッポン」になっていることを願いたい。


【ポエムじゃ国は変えられない】

僕にはどうしても2012年の「憲法改正草案」が、
自民党の高い理想のもとに起案されたものだとはとても思えない。
そこにあるのは、90年代J-POPのような
「このままではダメだ」「退屈と平和に甘んじてはいけない」「何かをしなければならない」
という何となくの危機意識ではないのか。
…日本は本格的な革命の記憶も、独立の経験もないために、
国家的な理念を持ちようがなかったのだ。
自民党の憲法草案に「あなた」という「大切な何か」が不在なのは、そのためである。

…国民的な関心が低いまま改正した憲法に、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。
口に出したからといって夢が叶うわけではない。同じように、
憲法にそう書いたからといって、理想通りの国家が生まれるわけではない。
ポエムなんかで、国は簡単に変わらない。


【テクノロジーだけで未来は来ない】

家電のコモディティ化(均質化)、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、デジカメなど
多くの家電の基本機能はとっくに成熟してしまった。
…そんなコモディティ化した業界では、価格競争が始まってしまう。…
(日本家電メーカーの戦略は間違っていて)
ダメな点は、製品としての「本質」がおろそかになっていること。
…マーケティングの常識だが、サービスには「本質的な価値」と「付随的な価値」がある。
たとえば病院だったら「本質的な価値」は診察や看護、治療、投薬、
「付随的な価値」は待合室環境、混雑状況、アクセス環境などだ。

…「ものづくり」の世界は、今その仕組みを急速に変えつつある。
…グーグルやキンドルらにあるのは、サービス産業の一部に
プロダクトをいかに組み込めるのか、という視点だ。…
(日本の家電メーカーは)一つ一つの機能はすごいんだろうけど、
仕組み作りが下手で、グランドビジョンを描けない。スマホ機能搭載とか、
部分最適は得意なのに、製造業の再編という世界的なシフトには無頓着、
すっごく「日本的」だ。
日本軍の失敗を組織的に分析した『失敗の本質』研究の指摘は、
驚くほどに今の家電メーカーにも当てはまる。
グランドデザインがなくて場当たり的。環境に適応しすぎてガラパゴス化してしまう。
現場の気づきが中枢に届かない、学習しない組織。
このような組織は短期決戦には向くが、長期戦になるほど不利になっていくという。…


【ソーシャルに期待しすぎるな】

ソーシャルメディアを使ったマーケティングというのは人々の「共感」をベースにしている。
…情報発信において「もっともらしさ」に加えて大切なのは、
いま自分は誰に向けた何のためのコンテンツを発信しているのかを意識することだろう。

「炎上しない話し方」として次のポイントが指摘されている。
①ネガティブな話をしない、②差別的な発言をしたい、
③犯罪を肯定するようなことは言わない、④批判は慎重に、
⑤話し相手を錯覚しない、⑥他人に関するコメントは根拠と説明を十分に、
という六つのアドバイスだ。

…過剰に誤解や炎上を恐れた発言ばかりが溢れる、萎縮した優等生だらけの社会もつまらない。
たとえば無味乾燥な官公庁のツイッタは絶対に炎上しないだろうが、本当につまらない。

…「マスメディアの時代は終わり、次はネット時代だ」と言われることがある。
しかしそれ自体が一つのメディアが世の中をくまなく覆い尽くす、
というマスメディアの時代の発想だ。
実際は、両者が共存していくに過ぎない。
ソーシャルメディアに過度に怯える必要はないが、必要以上に期待をしても仕方がない。


【就活カーストからは逃れられない】

就活というのは、自分を売り込むという最も簡単な営業の一つだ。
自分さえも売り込めない人が、社会人になった時、誰かが作ったモノを売り込めるかは怪しい。
何かを「売り込む」というのは、もはや文系や理系を問わず必要とされるスキルである。
就活を楽しめる人は、たぶん入社後も働くことを楽しめる。
そして就活が大変だった人は、たぶん働いてからも大変だ。
日本で生きる限り、就活カーストの呪縛から逃れるのは、難しい。


【新社会人の悪口を言うな】

若者の声を聞きながら、
自分たちの企業が本当に時代に適合的かを見直すのもいいかも知れない。
組織の決定はそこに長期間いる人ほど気づきにくいからだ。
…「新社会人」の悪口を言うくらいなら、彼らの活用方法をきちんと考えてあげて欲しい。
しかもそれは、若者のためというよりも、企業のために必要なことなのだから。


【ノマドとはただの脱サラである】

少し前「ノマド」という言葉が流行っていた。英語で「遊牧民」という意味だ。
遊牧民のように、何も囚われずに自由に働く人たちのことらしい。
…それって、ただの脱サラとどこが違うの、と思うかも知れない。
大企業を辞めて、独立して働く。そう、昔の言葉でいえば紛れもない脱サラだ。

…会社が「安定」した時代も終わりかかっている今、実はノマド論はピンチに立たされている。
「自由」が価値を持つのは、「安定」がアプリオリに存在する時代だけだ。
「安定」が本当に脅かされる時、もはやただ「自由」の賞賛なんてしていられなくなる。
…遊牧民はどこにたどり着くのだろうか。


【若者に社会は変えられない】

なぜ脱原発デモには1万人もの人が集まったのか。
一つは「原発」が、わかりやすい敵として立ち現れたからだろう。
あれだけの事故が起これば、誰だって原発に少なからず不安を持つ。
ただし、1万人が集まったところで、特に社会は変わらなかった。
シングル•イッシューで集まった運動は、
具体的な行動が起きる段階になると分裂していくことが多い。

一番長続きしやすい社会運動というのは当事者運動だ。
日本の若者は格差社会の当事者、つまり自分たちが
「弱者」であるという認識がない。
…日本においてもし今後、本格的なデモや社会運動が起こるしたら数十年後だろう。
現在は消費者として元気な団塊の世代がいなくなり、モノを買う人もいなくなる。
その頃にはフリーター第一世代が高齢者になっている。
彼らは生涯未婚者も多く、きょうだいの数も少ないから、
本当の意味で「単身高齢者」が急増してしまうのだ。…
すると、社会保障費や年金がついには立ちゆかなくなる。
今日明日食べることさえ覚束なくなったら、
いくら大人しいと言われる日本で少なからず暴動は起こるだろう。
…現在の社会制度を変えない限り、「(暴動が起こる)その日」は訪れる。
「その日」を回避するために、誰が何をするべきか?
それは「若者」ではなく、「おじさん」の仕事だと思う。

…現代は無数の社会の変え方がある時代だ。
現にデモなんかに参加しなくても、一部の若者は勝手に社会を変え始めている。
…社会学者のトゥーッカ•トイボネンは「静かな変革者」という概念を用いて、
日本の若者たちの「革命」に注目する。
たとえば、「Youth for 3.11」という学生団体は
東日本大震災直後から、学生たちが集まり継続的に被災地支援を続けている。
その他にも社会的企業として有名な「フローレンス」や「マザーハウス」など、
いくつもの若者発の「革命」が始まっている、とトイボネンは主張する。
革命的に社会を変えずとも、既存の仕組みに風穴を開ける方法はいくらでもある。

…日本で、わかりやすい「反権力」運動が成功したことはない。
それを学んだ「静かな変革者」たちは、既存の社会システムと強調することを好む。
行政に協力を仰ぎ、時には共に行動する。

…彼らは、大きなことを言わない代わりに、
粛々と身の回りの100人、1000人を確実に幸せにしている。
だけど、その活動は小さい分、あまり目立たない。

…社会は、ちょっとずつ変えていくしかない。ということは、社会をよくするためには、
「静かな変革者」を少しづつでも増やしていくしかない。
「静かな変革者」と対称的なのが、自称「保守」の人々の間に広がる相互不信や他者攻撃だ。
誰かをバッシングして自分のちっぽけな自尊心を満たすくらいなら、
実際に日本に役立つことを出来る範囲で、明日から始めたらいい。
少なくない若者たちは、既に動き始めている。


【闘わなくても「革命」は起こせる

社会は急には変わらない。社会は少しづつしか変わらない。
デモ行進や火炎瓶を投げつけて権力に対抗した気になるのではなく、
今の社会と適切な距離を保ちながら、可能なるオルタナティブを探る。
そんな「やさしい革命」が始まっている。

…「ダウンシフターズ(減速生活者)」、もともとは社会学者ジュリエット•ショアの言葉で、
消費社会から距離を置きながら自分たちの生活や価値観を大切にする人たちのことだ。

…社会学では、「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性のことを
「コンサマトリー(自己充足的)」と呼ぶ。
何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、
仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方のことだ。
若者たちの生活満足度の高さは、
このコンサマトリーという概念によって説明することがてきる。
…現代の若者は日本の貧しさを知っているわけではない。
むしろ、生まれた時から充分すぎる物質的な豊かさを享受してきた。
社会が成長していくことに対してリアリティが持てない一方で、
彼らにとって日本の豊かさはデフォルトなのだ。

…政治に頼らずとも個人レベルで社会を変えていく方法はたくさんある。
…自分たちが生きやすい環境を作ろうとすること。
それは、結局社会を良くすることになるのだ。
「やさしい革命」は、「今、ここ」にいる僕たちを充実させることから始まる。





社会生物学者のレベッカ•コスタによれば、
文明は問題が複雑になり過ぎた時に崩壊するのだという。
たとえばマヤ文明は一つの理由で崩壊したわけではない。
気候変動、内情不穏、食糧不足、人口爆発。
それらはマヤ文明が崩壊するずっと前から起きていたことだ。
…(しかし、マヤ文明は崩壊まで)問題を先送りすることにしてしまった。
この国(日本)も同じかもしれない。
巨額の財政赤字、不可解な規制、いびつな世代間格差、高い自殺率。
誰もが重大な問題だと気付きながら、
「まあ何とかなるでしょ」とその解決を先延ばしにして、場当たり的な対応をしてきた。
そして今までは実際、何とかなってきてしまった。
でもこれからは?この絶望の国に終焉は訪れるのだろうか?





日本に潜む「ズレ」について書いてきた。
それは言い換えれば、迷走する「おじさん」と、
それに割を食う「若者」の物語だったといえる。
今の日本を動かしているのは、結局のところ「おじさん」だからだ。
「物心ついた頃にはバブルも終わっていて、多感な青春時代には平成不況のニュースばかり。
今の20代以下は、日本が元気だった頃を知りません。現在の生活に満足はしているけれど、
将来の不安もある。身近な世界の中で仲間と共通の価値観を大切にする感性が広がっています。
社会学ではコンサマトリーって言うんですけどね」

…もちろんさすがにおじさん自分たちの世界の崩壊に気付いている。
しかし、その解決策がまた「おじさん」流なのだ。
強いリーダー、ポエムのような憲法、東京オリンピック、ソーシャルメディア。
そういったもので、社会が何もかも変わることはあり得ない。
「おじさん」は、「今ここにないもの」に過剰に期待してしまい、
「今ここにあるもの」に潜んでいるはずの様々な可能性を見過ごしてしまっているのだ。
もし本当にこの社会を変えたいならば、「おじさん」たち自身から変わらなければならない。
しかし疑うことを忘れた「おじさん」に、そんなことができない。
そうして発生する「おじさん」の世界を巡る負のスパイラルを、本書では描いてきた。