3月最後の木曜日になりました。
もうすぐ入学式、未来に向かって新しい一歩を踏み出すときですね。
新入生のみなさんやご家族にとっては、待ち遠しいことでしょう。
とはいえ、大阪や東京でも、新型コロナの新規感染者の数が前週の同じ曜日に比べて増加している日もあり、今後が気になります。
今は人が大きく動く時期でもあり、専門家にとってはかなり深刻な状況だと思いますが、これといった新たな対策が取られているようでもなく、日本の感染対策がこの2年以上にわたって進化している印象はまったくありません。
無策のまま第7波を迎えてしまうのでしょうか。
さて、話題を変えましょう。
まず、『第76回灘校文化祭「Turn it Over」 @Nada_festival』についてです。
ツイッター上で、
『2022年度の第76回灘校文化祭『Turn it Over』は昨年と同じく校舎・オンラインの同時開催となります。
ご来場に際して、事前のオンライン予約は必要ございません。
※ただし、入場者数に上限を設けさせていただきます。
別途、生徒招待枠も用意する予定です。
お楽しみにお待ちください。』
というアナウンスがありました。
例年通り、5月2日、3日に実施されるのでしょうか。
ご関心のある方は、上記ツイートをフォローしてください。
東大寺学園や神戸女学院など、他の素晴らしい文化祭に関しても新しい情報に耳を傾けてくださいね。
次に、『第53回ENEOS童話賞』ですが、締め切りが今までより1か月早まり、4月30日になっていました。
興味をお持ちの方は上記サイトを訪れて、詳しい応募要項をご確認くださいね。
では、メルマガにいただいたお返事を紹介させていただきたいと思います。
『最近いろいろな用事が集中してしまい、自分の習い事(月に2回しかないのに!)を本日すっかり忘れてしまっていて、講師からの連絡で思い出しました?? 謝罪しまくりました。反省です。暇なときは何もなく、忙しい時に重なるのが不思議なことですよね。気を引き締めていこうと思います。』
そうですね、いろいろな用事が重なると、抜けるときは本当にスコーンと抜けてしまいますよね。
「ミス」が出そうなときにフォローし合える家族や仲間がいると、人生がグンと楽しくなります。
人生は難しいものです。
自分に厳しく、他人(家族や仲間)に優しく、でもやっぱり自分にもちょっと優しく、そんな毎日が過ごせたらなあと思います。
『日本の新聞やテレビでも、情報は操作されているのでしょうか。』
当然、操作されていると思います。
たとえば、日本のメディアは、相変わらずロシアの言論統制に関して批判的に伝えていますが、彼らにそんな資格があるとは思えません。
次の記事(前者は『日刊ゲンダイデジタル』、後者は『リテラ』)を読んでみてください。
『ロシア国営局スタッフの「NO WAR」は称賛…「I am not ABE」はスルーした日本のテレビ局
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/302599
「NO WAR(戦争反対)。プロパガンダを信じるな。この人たちはあなたにうそをついている」
ロシア国営テレビ「チャンネル1」の生放送中に、ウクライナ侵攻に反対するプラカードを掲げた女性の勇気を称える声が世界中に広がっている。
ロシアの独立系メディアによると、女性は「チャンネル1」の編集スタッフ。看板番組「ブレーミャ」の放送中、ニュースを伝えるキャスターの背後に立つと、ロシア語と英語で書かれたメッセージを掲げながら「戦争をやめて」と訴えた。
この映像はたちまち世界中に拡散。日本国内でもNHKや民放番組で繰り返し報じられ、コメンテーターらが「独裁政権下で声を上げた彼女の勇気を称えたい」と言い、「こうした民意が広がることを願う」とも語っていたが、日本の放送局が一斉にこの女性スタッフの行動を称賛する姿勢に、鼻白んでしまう視聴者も少なくないのではないか。
「ISIL(イスラム国)」による日本人の殺害事件が発生した2015年、「テロとの戦い」を掲げる欧米などと歩調を合わせるかのように拳を振り上げ、「全面戦争もやむを得ない」と前のめりになる安倍政権に対し、元経産官僚の古賀茂明氏はコメンテーターを務めていた民放番組で、「I am not ABE」などと発言。これが安倍官邸の逆鱗に触れたといい、古賀氏は番組を降板。最後の出演でも、古賀氏は「I am not ABE」と書いた手製の紙を掲げ、「単なる安倍批判ではなく、日本人がどういう生き方をしようかという、ひとつの考え方」と説明していたが、当時、この古賀氏の言動を大きく取り上げるテレビ局はほぼ皆無だった。
「ISIL」戦闘員は当時の安倍首相を「アベ」と名指しで非難。古賀氏は「ISIL」が日本人を標的にした無差別テロが起きかねないと危惧し、「日本人すべてが安倍首相と同じ考えではない」との意味も含めて発信したわけだが、おそらく、ロシア「チャンネル1」で「NO WAR」と声を上げた女性スタッフも、「プーチン大統領=すべてのロシア人の姿勢ではない」と言いたかったに違いない。
安倍政権は民放各社に「お願い」と題した要請文を送って選挙報道を“牽制”。先日も、自民党の情報通信戦略調査会が民放連とNHKの各専務理事を呼び、第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)やテレビ各局の番組審議会の活動状況について質疑したため、民放労連(日本民間放送労働組合連合会)が「言論・表現の自由を脅かす」と抗議声明を出す事態になったが、安倍政権以降の政府・与党の報道に対する姿勢はプーチン政権と似たり寄ったりだ。
そんな強権政府に対して声を上げるどころか、唯々諾々と従っているのが今の日本の放送局の実態であり、政府・与党が今後「日本も核共有だ」「派兵しろ」などと言いだしたら、黙って右向け右になりかねない。
「プロパガンダを信じるな。この人たちはあなたにうそをついている」というロシア国営チャンネルの女性スタッフの言葉を、日本の放送局は「自戒」を込めて捉えるべきではないのか。』
『「安倍やめろ」のヤジ取締りに「表現の自由の侵害」判決! 安倍政権下で進行していた“日本のロシア化”の危険性が浮き彫りに
https://lite-ra.com/2022/03/post-6177.html
安倍政権下で始まった危険な言論統制に歯止めをかける判決と言っていいだろう。2019年の参院選で、札幌市で演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民が、北海道警の警察官に違法に排除された事件。排除された2人が、憲法が保障する表現の自由を侵害されたとして、北海道に計660万円の損害賠償を求めていたが、この裁判で、北海道地裁が「2人の表現の自由などが違法に侵害された」として、道に対して計88万円の支払いを命じたのだ。
しかも、判決内容は表現の自由の重要性を強調する非常に的確なものだった。まず、「表現の自由は民主主義社会の基礎となる重要な権利で、特に政治的な事柄に関する表現の自由は重要な憲法上の権利として尊重されなければならない」という大原則を強調した上で、今回のヤジについて「対象者を呼び捨てにするなど、いささか上品さに欠けるきらいはあるものの、政治的な事柄に関する表現行為だ」「特定の人種への憎悪を誘発させるとか、身体への危害といった犯罪行為をあおるようなものではなく、選挙演説自体を不可能にさせるものでもなかった」と正しく評価。「警察官の行為は、やじの内容や様子が安倍総理大臣の街頭演説の場にそぐわないものと判断して、それを制限しようとしたものと推認せざるを得ない」と、明らかに安倍首相を守るために、表現の自由を制限しようとしたと指摘したのである。
もっとも、今回の判決で改めて再認識なければならないのは、安倍政権下で日本国憲法で保障された集会・結社の自由や表現の自由を踏みにじる言論統制が進行したことの恐ろしさだ。ロシアのウクライナ侵略で、ロシア国内における反戦デモなど言論に対する取り締まりが連日報道されているが、安倍政権下でも、政権を批判するデモやヤジ取り締まりが強行されるという“ロシア的”な言論弾圧がどんどん強化されていった。
今回、芥川賞作家の平野啓一郎氏が判決の報道を受けて、〈当然でしょう。今ロシアで起きている街頭デモの取り締まりを見ていると、本当に危ない政権だったと痛感する。同じ夢を見てたのも頷ける。〉とツイートしていたが、まさにそのとおりだろう。
安倍元首相は今頃になって「ウクライナとともにある」などというツイートをして、プーチンの犬となった過去をごまかしているが、首相時代、安倍元首相はたんに北方領土返還のためにプーチンと仲良くしていたのではない。明らかに、独裁者としてのプーチンに憧れ、「同じ夢」を見て、プーチン的な言論統制国家を目指していた。そして、その言論統制に、御用マスコミも全面協力していた。
(以下省略)』
このところずっと、特に関西のメディアでは、まともな報道はほぼ期待できない状況が続いています。
とりわけ、在阪の夕方のニュースでは、
「キャスター諸氏は、ご自身の報道姿勢・報道内容を恥ずかしいと思いませんか」
という惨状が続いています。
『筆者の考えとは違ったところで「設問と正解」が設定され、その「正解」に従って合格者が決められるというのは、確かに怖いことですね。選択問題は、○か×かしかないわけですから。記述問題はまだマシといえるのでしょうか。』
そうですね、記述問題や論文形式のテストが増えてくれば、「○か×かしかない」という恐怖は減りますが、逆に、「きちんと平等に評価されているのか、採点されているのか」という不安が生じます。
大学入学共通テストで、「記述問題の導入」というゴタゴタが起こり結局頓挫したことも記憶に新しいと思いますが、大量の答案を限られた期間で「正確・平等に採点する」のはかなり難しい作業です。
大学入学共通テストのような大規模なテストに「本格的な記述型」を導入しようというのは、どうみても無謀でしょう。
文科省はそんな困難なものに乗り出そうとしたわけですが、いったいどんな「勝算」があったというのでしょうか。
ということで、今回は、最近導入がグンと増えてきている「小論文形式のテスト」について考えてみたいと思います。
『小論文の書き方』 大成 功(おおなり いさお)著 (ゴマブックス)
を久しぶりに引っ張り出してきました。
昭和52年初版発行の古い本ですが、当時かなり評判になった記憶があります。
まえがき(すみません、編集させていただいています)に、
『私は多年、大学の入学試験や企業の就職試験に関係してきました。この間を通して、試験の内容がしだいに変化してきていることに気づいていました。それは入試、就職いずれの場合も、小論文テストがますますその重要性を増してきていることです。学科試験だけではわからない受験生の人物そのものを知りたいという意図からです。
そこでこのたび、自分の経験を踏まえて、むしろ自分が長年いた試験官側から見た、現実にその場で役立つ「小論文の書き方」を書いてみようと思い立ったわけです。』
とありますが、そんな筆者が「大成功(だいせいこう)」というペンネームで書いた参考書です。
内容はまさに実践的ですが、今回は「第1章 書き出しの三行で勝負は決まる」の13のテクニックを紹介させていただきます。
テクニック1 最初に、「問題がいくつある」と断ると論旨が明快になる。
テクニック2 広がりのありすぎるテーマは、サブタイトルをつけてから書き始める。
テクニック3 与えられたテーマと対立する言葉からはいると内容を深く見せられる。
テクニック4 最も「ホット」な話題から始めると、試験官の新鮮な共感を呼ぶ。
テクニック5 軽くなりそうなテーマは、有名人の話から始めると重みがつく。
テクニック6 「結論から言えば…」と書き出すと試験官にわずらわしさを感じさせない。
テクニック7 短いセンテンスでたたみかけた書き出しは、読み手を本題に誘い込みやすい。
テクニック8 「荘重な序論」は、試験官にわずらわしい印象しか与えない。
テクニック9 テーマへの疑問からスタートすると試験官に「おや?」と思わせられる。
テクニック10 抽象的なテーマほど具体的な事実からはいると、試験官の印象に残りやすい。
テクニック11 抽象的なテーマは、「自分にとって…」とスタートすると具体的になる。
テクニック12 具体的なテーマは、逆に抽象論からはいると目立つ。
テクニック13 一見テーマと無関係に見えても、そこから発想された事柄からスタートする。
いかがでしょうか。
小論文に限らず、『文章読本』としても役に立つテクニックばかりだと思います。
これだけではわかりにくい部分もあるかと思いますので、次回のメルマガで、いくつか解説させていただきます。