北前船で栄えた鷺浦の伊那西波岐神社~初夏出雲行(20)←(承前)
「玉の石/急病に苦しむ少彦名命を入浴させるとたちまち元気を取り戻し、
喜んだ命は石の上で踊り出したそうです」
喜んだ命は石の上で踊り出したそうです」
前回の記事を書き終わり、できた~と思って読み直していたら、末尾の「出雲大社の摂末社巡りはこれにて終了です」というくだりに至り、あれ??? と気づくことがありました。
こんなこと今さら、というか、ごく当たり前の事実なんでしょうけれど。
それは、なぜか出雲大社には、少彦名(スクナビコナ)を祀るお社がない、ということです。
…これって、どうなんでしょうか?
今回は紀行ではないので少し趣向を変え、色々な少彦名の命さまをご覧いただきながら、一緒に謎解きを楽しんで頂けましたら、と思っています。
もちろん広く知られている通り、スクナビコナとは、オオクニヌシと力を合わせ国造りをされた神さまです。
Wikipedia/スクナビコナ
オオクニヌシにとって唯一無二ともいえる国造りの相棒で、スクナビコナがいなければ国造りも成らなかったでしょうし、そうなれば国譲りもあり得なかったという程の、まさに文字通り日本神話における“小さな巨人”といえます。
「右手には少名彦那大神が彫られております」
例えば、『出雲国風土記』飯石郡の多祢郷では、
「天の下所造らしし大神、大穴持命と湏久奈比古命と、天の下を巡る時に、稲種此処に堕つ。故、種と云ふ」
と記されており、これを監修した出雲国造もその業績を大いに認め、「天の下所造らしし大神、大穴持命と湏久奈比古命」と二柱を並記、ともに「天の下所造らしし大神」として同格に扱っている超重要な存在です。
オオクニヌシとスクナビコナについては、他にも↓こちらで端的にまとめられていますので、ご参照ください。
國學院大學デジタルミュージアム/万葉神事語辞典/おおなむちすくなひこな
「~オホナムチの神、スクナヒコナの神と並び称される二柱の神。オホアナモチ、スクナヒコ、スクナヒコネとも。日本古代の多くの文献―記紀、万葉集、出雲国風土記、播磨国風土記、風土記逸文(尾張国、伊豆国、伊予国)『古語拾遺』、『先代旧事本紀』、『文徳実録』等に、その事跡をともなって記載されている~」
にもかかわらず、出雲大社でスクナビコナを祀らないということは、祀ってはならない何か理由があるのではないか、と思われてなりません。
そこで念のため、出雲大社のご祭神を確認してみます。
本殿には、主祭神であるオオクニヌシ、それと御客座五神として、天之御中主(アメノミナカヌシ)、高御産巣日(タカミムスヒ)、神産巣日(カミムスヒ)、宇麻志阿斯詞備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)、天之常立(アメノトコタチ)が祀られています。
それから以下、↓こちらにある通り、出雲大社では何処にもスクナビコナは祀られていません。
Wikipedia/出雲大社/荒垣内摂社・荒垣外摂末社
神田明神ホームページ/御神徳 御祭神/二之宮 少彦名命
「商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です」
それでは、もしかして、出雲大社で現に祀られているのが、ある程度の親族・身内的な祖神と国津神に限られ、例外として御客座五神や祓戸大神と門神、そして国譲りに関し重要だった天津神を社交辞令的にそこへ加えるのみ、という方針があったとして、スクナビコナはさらに別の存在とされているのかも知れません。
つまり、スクナビコナはあくまで国造りという仕事上の同僚、もしくは提携協力者、あるいは流れ者の助っ人、みたいな存在と認識し、出雲大社をオオクニヌシの自邸屋敷のように位置づけてプライベートに徹している、ということです。
けれども、ひとつ留意しておきたいのは、スクナビコナは、古事記においてカミムスヒの子とされ、日本書紀ではタカミムスヒの子とされていますから、どちらにせよ本殿に祀られた御客座五神の御子神ということです。
つまりスクナビコナとは、国造りにおけるオオクニヌシとの仲や事績と共に、その神位も非常に高く、出雲にとって桁違いに重要な神さまであることに違いはありません。
もしそうであるなら、例えば伊勢におけるサルタヒコのごとく、神宮では祀られないものの、同じ地元の猿田彦神社、二見興玉神社、椿大神社などで賑々しく祀られているような例が、スクナビコナにはあるのかも知れません。
「山頂まで登ることが出来ない方は、御嶽の祭神をここで御参りをすることが出来ます」
※左から、少彦名命、國常立尊、大己貴命
※左から、少彦名命、國常立尊、大己貴命
そこで、スクナビコナを祀る出雲国内の神社を、島根県神社庁ホームページで調べてみました。
▼出雲国内でスクナビコナを祀る神社一覧
(島根県神社庁/県内神社のご案内より構成。[ ]内は主祭神、※~は私の注)
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出雲市(全157社)
・山辺神社[大国主命・天照大神・少彦名命・山辺赤人之]
・佐香神社[久斯神・大山昨命]※郷社/式内社/出雲国風土記所載
斐川町(全32社)
なし
松江市(全165社)
・天神神社[少彦名命・大鷦鷯尊]
・阿羅波比神社[大己貴命・少彦名命・天照大御神・高御産巣]※県社/出雲国風土記所載
東出雲町(全10社)
・揖夜神社[伊弉冉命・大巳貴命・事代主命・少彦名命]※県社/式内社/出雲国風土記所載
安来市(全98社)
なし
雲南市(全127社)
・多根神社[大己貴命・少彦名命]
・加多神社[少彦名命]※郷社(県社昇格許可)/式内社/出雲国風土記所載
奥出雲町(全34社)
・湯野神社[大己貴命・少彦名命・邇々藝命・事代主命]※出雲国風土記所載
・居去神社[大名持命・少彦名命]
飯南町(全13社)
なし
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思ってたより、すっごく少なくて驚きました~。
なおこれ以外で、私の調べた限りでは、美保神社の境外末社に祭神が少彦名命の天神社、あと出雲国ではありませんが、東隣の伯耆国である鳥取県米子市に粟島神社があります。
『噫炎上せる粟嶋神社』松田真一 著(松田真一/1925年)
国立国会図書館デジタルコレクション
これらの中で、スクナビコナを主祭神の筆頭としており、それなりの規模と社格の神社となれば、雲南市の加多神社と米子市の粟島神社になるかと思います。
玄松子の記憶/加多神社
自然とか、古代史とか Google+が今夢中/加多神社 少彦名命
Wikipedia/粟島神社
ぶらり寺社めぐり/神社編/粟嶋神社
ちなみに佐香神社の久斯神とは、少彦名神の別名ともされていますが、ここでは「佐香」の名の通り、あくまでお酒の神さまとして扱われているようで、どうにも国造り感はなさそうです。
ともあれ正直なところ、出雲国全域で620以上ある神社の中で以上のような結果では、スクナビコナによる偉業を考えると、失礼ながらかなり寂しい状況と言わざるを得ないような気がします。
まして、加多神社と粟島神社は共にその名称から、紀伊国である和歌山市加太の淡嶋神社から分祀されたように見受けられますので、これらは出雲地方完全オリジナルの神社とは、残念ながら思われません。
淡島神社ホームページ
Wikipedia/淡嶋神社
なお、加多神社の案内板には、「加多は神様の開墾された田即ち神田が変化した」と記されているそうですけれど、それが「加太」に由来していないとも言い切れないと思いますし。
少彦名神社ホームページ/祭神・由緒/少彦名命・神農炎帝
「日本医薬の祖神、神皇彦霊神の子、常世の神、国造りの協力神」
このように見てみると、出雲におけるスクナビコナの扱いは、ほとんど無視、という感じです。あらためて気付くと、あまりにも不思議なことだと感じます。
そこで、どうして出雲は、これほどまでにスクナビコナを祀ることへ消極的なのか、さらに少し考えてみました。
ただし、何よりスクナビコナとは謎の多い特殊な神さまですから、私ごときにおいそれと分かるような事ではありませんので、ただ簡単な思いつきだけですけれど。
その思いつきを手短にお伝えしますと、このようなことです。
幽界へと引退した筈のオオクニヌシの側へ、また現役時代と同じようにスクナビコナを祀る、ということになれば、それによって再び新たな国造りを、この二柱が協力し画策する可能性が生まれることになり、それはつまり、奉斎者である出雲国造がそれを望んでいる、ということになります。
しかしながら、そもそも出雲大社の創建は、それをこそ阻止し、オオクニヌシを祀り鎮めるためですから、よりによって出雲で、ましてその出雲大社内でスクナビコナを祀るということは、要するに出雲が中央政権へのクーデターを目論む、ということになってしまいます。
そのため、出雲におけるスクナビコナへの奉斎は極力避けられて来た、ということではないでしょうか。
熱海まち歩きガイドの会/温泉たまごがおいしかった、湯けむりコース(2)
「湯前神社の守り神、少彦名命の像。珍しいのは妻子ともに彫られていること」
またそれは、身逃げ神事の謎(17)でオオクニヌシの荒魂がタブーだと考えたのと同様に、オオクニヌシと共に祀られるスクナビコナも、出雲と中央政権にとって大きなタブーであった、ということかと思われます。
いかがでしょう?
もちろん、数はものすごく僅少ながら、オオクニヌシとスクナビコナを併せ祀る神社は、上で示した島根県神社庁のデータにもあります。
ですからもし、それら祭祀の始まった時代や経緯などハッキリ分かるとしたら、この思いつきへ決定的なダメ出しされるか、あるいは逆に、多少の信憑性が出てくるかも知れませんね(苦笑)
長崎県薬剤師会/薬祖神祭について
「県薬剤師会にある少彦名命」
そしてスクナビコナに限らず、オオクニヌシを祀り鎮めると考えれば、出雲大社の瑞垣内には、御客座五神と門神以外、御向社、天前社、筑紫社の三社ともが女神であり、その他に身内といえる御子神などが一切祀られていない意味も、明確かと思われます。
…とまぁ、ともあれ今回はここまで、ということで(笑)
また考えが深まりましたら、続きをお伝えさせて頂けるかも知れません。
少彦名(すくなひこな)
北原白秋
豆の、小豆(こまめ)の蛾(が)のやうな
少彦名の命(みこと)さま、
すつとつかまる粟の穂(ほ)に、
粟が撓(たわ)んだ、弓のやう。
りりんりりんと鈴蟲(すずむし)も
鳴いて連れます、夕燒に。
そこで、ひとはね、粟の莖、
少彦名の命さま、
ぱつとはじかれ、飛びあがる。
露といっしょに、飛びあがる。
りりんりりんと蟲のこゑ、
白い月夜になりまする。
豆の小豆の、蛾のやうな
少彦名の命さま、
雲に消えます、のぼります。
粟はまだまだ揺(ゆ)れてます。
りりんりりんと鈴蟲も
鳴いて連れます、秋かぜに。
(つづく)→ 夕陽に輝く日御碕神社は太極を現す~初夏出雲行(22)
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