夕陽に輝く日御碕神社は太極を現す~初夏出雲行(22) | 日々のさまよい

日々のさまよい

昔や今のさまよいなどなど。


なぜ出雲大社は少彦名を祀らないのか?~初夏出雲行(21)←(承前)




日御碕(ひのみさき)神社。
鳥居の向こうに、夕陽が輝いています。

出雲国の最北西端、それは大和や伊勢からの最北西端でもあって、凶方とも吉方とも解釈されているようです。
いずれにせよ、太陽が沈み行く方位であり、幽世(かくりよ)あるいは常世(とこよ)という死や神の世界が自ずとイメージされる方角です。


主祭神:神素盞嗚尊(すさのおのみこと)上の本社/神の宮。
    天照大御神(あまてらすおおみかみ)下の本社/日沈(ひしずみ)の宮。

島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。式内社で旧社格は国幣小社である。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める
Wikipedia/日御碕神社

素盞鳴尊の奇魂(くしみたま)と、日の神・天照大御神の和魂(にぎみたま)の御霊威をいただいた御神徳」
「上世以来二十数回の造営すべてが勅命か、将軍命によるものであることからも、御神威の一端がうかがわれる

出雲國神仏霊場公式ホームページ/日御碕神社

出雲の国造りをした素盞嗚尊が根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まった
日沈宮」は【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】(伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)との神勅により祀った
出雲観光ガイド/日御碕神社(特集記事)


かなり由緒正しい、立派な神社ですね。
けれども、その勢力は時代の中で徐々に高められて来たようです。


『出雲国風土記』の国引の条にいう「八穂爾支豆支乃御崎」の突端の「御前浜」に鎮座し、風土記出雲郡の在神祇官社「美佐伎社」『延喜式』の「御碕神社」に当たる
御碕神社は『延喜式』以前には、風土記に見えても『古事記』などには登場しない。また、風土記の神社配列がおおむね当時の社格順によるとの見解に立つならば、第十二番目に記されている御碕神社はかなり下方に位置づけられていたこととなる。おそらく、本来は一地方神を祀る神社であったと思われる
社領は中世末には四千石に達していたが(中略)明治元年には、出雲国内で杵築大社に次ぐ千二百八十五石余になっていた
家紋World/神紋と社家の姓氏/日御碕神社 ・小野氏

社領が「出雲国内で杵築大社に次ぐ」というのは、スゴイですね。




鳥居をくぐり、夕陽へ向けて境内を歩きます。
駐車場はこの左にある道路の少し先ですから、車を停めてから正面に回りました。

この6月3日、日入方位は北から西回りで61.6度ですから、6月22日夏至の60.1度とほぼ同じくらいです。
そして、その夏至の日入方位の真反対が、冬至の日出方位となります。




参道の先に建つ楼門。
そのまま真っ直ぐ進むと、アマテラスの鎮まる日沈の宮の正面となります。

そして、この太陽は次第に右下へ楼門と重なるように沈みますから、夏至の日没方向へ向け一直線に、これら参道─楼門
日沈の宮が建造されていることが分かります。

それはまた、冬至の日出方向へ真正面で対座している、ということにもなります。


普段だと、なるべく神社への参拝は夕刻以降を避けるんですけれど、この日御碕神社だけは何としても日没前に訪れようと計画を立てていましたから、この光景を見ることができて、報われる思いでした(笑)




楼門を仰ぎ見る。
朱色の意味は、ここの場合やはり、夕陽のイメージでしょうか。

やけに立派ですから、八幡宮のような感じです。
幕命により松江藩主京極忠高が奉行となって「日御碕の天下普請」が始まった。忠高は途中で病死したが、代わって入部した松平直政が普請を引き継ぎ、寛永二十一年(1644)に竣工したのが現社殿である
とのことで、さぞや気合いが入っていたことと思われます。




門客人社。
参道を挟みこの向かいにもう一社あって、境内を守護しています。

ご祭神は、櫛磐窗神(くしいわまどのかみ)と豐磐窗神(とよいわまどのかみ)とのことで、天石門別神(あまのいわとわけのかみ)の別名です。

『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され(中略)御門の神であると記されている
Wikipedia/天石門別神

後方に見えている社殿は、上の本社である神の宮の拝殿と本殿。




先ずは、神の宮でスサノオをお参りします。

相殿として、宗像三女神の田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、厳島姫(いちきしまひめ)が祀られているそうです。
玄松子の記憶/日御碕神社


宗像三女神は一応のところ、古事記に拠って一般的にスサノオの娘とされていますけれど、
Wikipedia/宗像三女神
宗像三女神の総本社とされる宗像大社では、日本書紀の第一と第三の一書に拠ってアマテラスの娘としています。
宗像大社ホームページ/ご祭神と由緒

この違いは、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれた子神たちを、どちらの子とするか、日本書紀の一書によって伝承が違っていることによります。
Wikipedia/アマテラスとスサノオの誓約

まあ、この誓約ですけれど、何を意味しているのかあまりよく分からないんですが、せめて結果についてだけは、真逆にならないよう編纂できなかったものでしょうか?(泣)


ともあれ、もし宗像大社の採った日本書紀の一書に則るとすれば、宗像三女神はアマテラスの子となりますが、その際にスサノオの子となるのが、ここ日御碕神社で日沈の宮に相殿として祀られている天津神の男神五柱です。

その五柱とは、正哉吾勝尊(まさかあかつのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)。

もし、その五柱がスサノオの子となれば、もちろんその次男であるアメノホヒ(
天穂日)を祖神とする出雲国造も、スサノオの子孫ということになります。

どうなんでしょう?


出来れば一度、この件について出雲国造と宗像大社宮司で話し合って頂ければ、面白い議論になるかも知れません(苦笑)




夕陽に映える朱色の社殿へジっと見入るMさん。
この忘我になるスタイルが、Mさん独自のコミュニケーション方法(笑)




手前が拝殿の横側で、奥が本殿です。
青空と山の緑に、社殿の朱色が際立ちます。




すでにかなり疲れ果て、皆の目がうつろ。
私もカメラを真っ直ぐに持てていません。

奥に見えているのが楼門です。
境内全体が、夕陽のシャワーを浴びています。




上の本社である神の宮から、下の本社である日沈の宮を望みます。
まさに日沈の宮の真後ろへと、太陽が沈もうとしています。



そこで、神の宮と日沈の宮の位置関係を詳しく見てみました。

地図で確認したところ、これらの間へ南北に線を引き、それを中心軸とすれば、東西で鏡映し、左右相称のシンメトリーになっています。

簡単に図式すると、↓こんな感じ。





つまり、日沈の宮(ピンク)は、夏至の日入を背に冬至の日出を正面にして、神の宮(ブルー)は、夏至の日出を背に冬至の日入を正面にして、太陽の1年における出入方位の両極を、この2つの宮で網羅するよう建てられているのです。

このように、日御碕神社へは、

〈スサノオ:アマテラス〉
〈冬至:夏至〉
〈日入:日出〉

など、根源的な陰陽が整然と体系化され仕組まれており、それはあたかも太極図そのもののような配置です。




さらに、陰陽に符合する例を上げてみますと…

〈山:海〉
日御碕神社は山と海に挟まれた立地であるため、「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」として熊成の峰から隠ヶ丘へと至ったスサノオの山、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」として経島(ふみしま)に鎮座したアマテラスの海。

〈男:女〉
〈スサノオ:アマテラス〉そのものの関係でもあり、また、
〈主祭神=男:相殿神=女〉
神の宮
〈主祭神=女:相殿神=男〉
日沈の宮
という関係でもあります。

〈上:下〉
神の宮が上の本社、日沈の宮が下の本社。

〈東:西〉
神の宮が東、日沈の宮が西。

〈小:大〉
衛星写真で、神の宮と日沈の宮の社殿の大きさを比較してみますと、面積で大体1:2くらいの違いがあります。



なお、普通の感覚で〈上:下〉や〈小:大〉などを捉えると、そのまま優劣ある関係と判断してしまいそうになりますが、相対する陰陽に優劣などありません。
あくまで、上は上で下は下、
小は小で大は大、という相反した特性だけのことで、優劣ではないのです。

しかし、人の思い込みはそう簡単に変えられるものではありませんから、ここではあえて、上の本社を小さく、下の本社を大きく造り、見た目でも単純に陰陽が等価と伝わるよう、バランスを取ったのではないかと思われます。

これは、設計者による緻密な計算かと思いますけれど、いかがでしょう?


そして他にも、ゆっくりと探してみれば、色々と意
図された陰陽の対比関係が見つかるのではないでしょうか。
少なくともどこかに、
〈南:北〉
を示す何かが、隠されていると思います。
それがあれば、東西南北上下という六方が完成しますので。


とすれば、これはまさに“陰陽曼荼羅”と名付けてもおかしくない、太陽を中心とした森羅万象を遍く奉斎しようとする壮大な宇宙的造営、と言えるかも、ですね。

そして、それはまるで、この↓先天図のような世界観を境内に凝縮し、現そうとしているかのようです。

     
Wikipedia/先天図





何を思ったか、いきなり元気ポーズのサチエ。

眠いし、腹へったし、ほとんどヤケクソな気分なのかと思われます(笑)
ともあれ、この日最後の気力を振り絞っています。




本殿横から。
疲れているとはいえ、社殿の造形にはサチエも興味津々な様子。




神の宮正面の階段を降りて、日沈の宮へと進みます。




下の本社である日沈の宮、拝殿。
かなり大きく、どっしりと重厚です。

実はこの時、夕陽がこの社殿の後ろにあるため、写真は補正したので明るく見えますが、実際はかなり暗く寂しい印象でした。
朝に来れば正面に陽光を受け、もっとアマテラスらしい明るい印象を受けたことと思います(泣)




拝殿の正面。

何を思うのか、Mさんとサチエが暗い拝殿の奥へ見入っています。
伊勢へは皆でよく一緒に行きましたから、何やらそれとは違う様子を、じっくりと確かめているのかも知れません。


ここで、もうすぐ日没ですから、境内の参拝はこれにて終了し、すぐ近くの宇龍(日御碕)漁港へと進みます。

日御碕神社の境内や周辺には、多くの摂末社があるようですけれど、もうどこにお参りする時間の余裕もありませんでした。
◇レキントン◇のブログ/『 日御碕神社 』出雲

ぜひ次の機会には、ゆっくり巡ってみたいと思います。
何より〈南:北〉を探して、見つけないといけませんしね(笑)




経島。

天照大神が現在の日御碕神社に祀られる前に鎮座されていたという経島(ふみしま)は、日御碕の西方約100メートル沖の日本海上にあり、面積約3000平方メートルの無人島です。柱状節理の石英角斑岩からなっており、その形状が「経典」を積み重ねたように見えるためその名が付いたと伝えられています
この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます
出雲観光ガイド/日御碕神社(特集記事)

この写真は特に望遠を使っていませんので、見たままで本当に太陽が大きく見えました。
朝、勢溜でドシャ降りにあったことを思い返すと、ウソみたいな青空です。

時刻はもう18:00となりました。
日の入りまで、あと少し。




堤防に立つ電柱の向こうに飛んでいるのは、トンビです。
後で調べると、どうやらこの堤防からグラスボートが出ているようです。




経島をアップ。

ウミネコがチラホラ飛んでいますけれど、見えにくいんですが、島の上にはウミネコがビッシリいます。
ここで年に一度、日御碕神社の宮司1人だけで例祭を行うとのことですが、島の上からだと、どのような風景が見えるんでしょうか。




もうひとつ、アップ。




北の方向、日御碕灯台はここから徒歩で600mほど先にあります。




一羽はぐれて飛ぶウミネコ。




電柱に止まり、夕陽を見ているウミネコ。


次はようやく日御碕灯台へと向かいます。
できれば歩いて行きたかったのですが、そうすると帰りもここまで歩きになるため暗いと不案内ですし時間も惜しく、車で移動することになりました。



(つづく)→ 太陽は富士から伊勢を超え日御碕へと至る~初夏出雲行(23)




~いつも応援ありがとうございます~