1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、55回目は、パルジファル号を取り上げます。かつてTEE列車として活躍していた時代については下記ブログもご参考ください。

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

「パルジファル』は、リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883)の最後の音楽劇作品。中高ドイツの詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの詩小説『パルツィヴァル』を原作としている。

 

1957年10月3日、リヒャルト・ワーグナーが1882年に作曲した最後のオペラに登場する伝説の円卓の騎士にちなんで、「パルジファル」と名付けられたパリ北駅とドルトムント中央駅を結ぶ2本目のTEEが「運行」された。TEE 155/190 パルジファル号は最初SNCF RGPディーゼル車両で走り、1960年からはDB-VT 11.5形ディーゼル列車、1968年からはDB車両編成で走り、最終的にTEE 33/32として1979年5月26日にラストランを迎えた。その分身であるモリエール号と同様に、パリ北駅〜ケルン中央駅間の2等車連結の急行列車に替わった。パリ - アーヘン間では、旧D 246/247のパリ - ベルリン、パリ - ワルシャワの直通車両を併結。1982年5月23日夏ダイヤ開始からは再び直通車両未連結となり、1年後の1983年5月29日からはIC 434/435に格上げされた(ルートは同じ)。

 

3年後の1986年6月1日から再びIC 44/45となり、1年後(=1987年)にはEC 44/45となった。 EC 45はパリ北駅発7:30で、ケルン中央駅着12:37(逆方向EC 44は、ケルン発17:08、パリ着22:09)。パルジファル号はTEEの時と比べて、18分と7分長い所要時間を必要とするが、それでも表定速度101km/h(EC 44)と100km/h(EC 45)を達成している。日帰り往復には、SNCFのコラーユVSE形客車2両(ドイツでは「ユーロフィマ客車」とも呼ばれる)、DBの食堂車1両、SNCFの2等客車5~6両からなる編成で十分でだった。

 

パルジファル号1997年12月14日からはTGVタリスにその座を譲ることになったが、ユーロシティとして10年間も存続してきたにもかかわらず、編成、時刻表共にほとんど変わっていないのは驚くべきことである。そのなかで、列車番号がEC 32/33に変更されたこと、特にケルン方面の所要時間が若干延びたこと(1997年夏ダイヤ:EC 33 パリ発7:25、ケルン発12:51/EC 32 ケルン発17:08、パリ発22:35)、1992年夏ダイヤ以降、食堂車の担当がDBからSNCFに変更ことだけが特筆に値する。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1993〜4年冬ダイヤ 

1等・2等のコンパートメント車、2等オープン座席車、食堂車、途中増解結なし。フランスの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)