1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。
まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、43回目は、ミマラ号を取り上げます。
EC Mimara
(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)
(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)
アンテ・トピッチ・ミマラ、本名アンテ・トピッチ・マトゥチン(1898~1987)、クロアチアの画家、美術収集家、美術商。
(別の項で)すでに述べたように、1991年6月2日からのドイツ連邦鉄道(以下、DB)のダイヤ改正は、ユーロシティ・ネットワークにも大きな影響を与えた。この時に新設列車に、当時ユーゴスラビアだったザグレブ発着の最初のユーロシティ列車であるミマラ号がある。1991年6月25日のスロベニアとクロアチアの独立宣言の直接の結果として、多民族国家ユーゴスラビアで血なまぐさい軍事紛争が勃発し、数年間続いていた。
ユーゴスラビアでの戦争が始まる前、EC10はザグレブ中央駅発8:10、リュブリャナ、レシェ・ブレッド、国境駅のイェセニツェに途中停車後、JŽ(ユーゴスラビア国鉄)-341型電気機関車からÖBB(オーストリア国鉄)-1020型電気機関車に機関車を交換し、オーストリアのローゼンバッハとフィラッハに停車。ÖBB-1044型電気機関車に牽引された列車は、シュピッタル、マールニッツ・オーバーヴェラッハ、バート・ガスタイン、バート・ホフガスタイン、シュヴァルツァッハ=ザンクト・ヴァイト、ビショフスホーフェン、ゴリング=アブテナウ、ザルツブルク中央駅(14:53着/15:07発)に途中停車し、タウエルン鉄道経由で旅は続き、所要時間8時間26分でミュンヘン中央駅着16:36。
この列車の編成は、EC167 シュタッフス号(ミュンヘン中央駅発19:25、ウィーン西駅着0:05)と、翌朝の対向列車EC166(ウィーン西駅発6:00、ミュンヘン中央駅着10:35)の運用に就く。約3時間の休憩の後、EC11 ミマラ号はバイエルンの首都の中央駅を13:25に再び出発し、613キロの旅を終えてザグレブ中央駅着21:50。表定速度はユーロシティ品質基準の「目標値」を明らかに下回っているが、大部分が山間ルートであることを考慮すれば、それでも73km/hという許容値に達している。
1993年5月23日からは、スロベニアとクロアチアの客車を中心に編成されたミマラ号のルートはミュンヘン以北に延長運転され(EC10 16:44発)、インゴルシュタット、ニュルンベルク、エアランゲン、バンベルク、リヒテンフェルス、プロプストツェラ(DB-120型電気機関車からDR(東ドイツ国鉄)-232型ディーゼル機関車に交換)、ザールフェルト、イエナ、ナウムブルクを経由してライプツィヒ中央駅(EC 10 22:42着)に到着(対向列車:EC 11 ライプツィヒ発7:13、ミュンヘン着13:15)。スロベニア・クロアチア国境駅ドボヴァでの機関車交換が行われた。ミュンヘン以南の時刻表はEC10とEC11ともに変更なし。
フランケンヴァルト線の再電化が完了した1996年6月2日から、ミマラ号のルートはさらに177キロ延長され、ライプツィヒからビッターフェルト、デッサウ、ベルリン・ヴァンゼー駅を経由してベルリン・ツォー駅に至る。ザグレブ発7:50、走行距離1297km、所要時間16時間21分で、翌日(!)0:11にベルリン・ツォー駅に到着。そこからザグレブへの「帰路」のため、EC11はベルリン・ツォー駅発5:46、途中29の停車駅を経て、表定速度79km/hでザグレブ着22:10。その2年後、ベルリン市内の鉄道線改修が完了し、1998年5月24日からEC10/11のルートがわずか9キロではあるが再度運転区間が延長された: EC10は、ザグレブ発7:45、ベルリン東駅着0:38。対向列車EC11は、ドイツの首都ベルリン東駅発5:19で、ザグレブ着22:15。ミマラ号の先頭を牽く機関車も交換された: ニュルンベルクとミュンヘンの間では、以前ミマラ号の先頭で使用されていたDB-120型電気機関車の代わりに新型のDB-101型電気機関車が使用され、ライプツィヒ以北ではDB-112型電気機関車の代わりにDB-103型電気機関車が使用された。
2000年5月28日から、ミマラ号はいわば原点に戻った。現在はザグレブ - ミュンヘン間に再び運転区間が縮小され、2つの編成で構成されている: EC192/193はÖBB客車のみで編成され、クラーゲンフルト中央駅とミュンヘン中央駅間で運行。EC292/293では、HŽ(クロアチア国鉄)客車で編成され、途中駅フィラッハ中央駅で解併結されてザグレブ - ミュンヘン間で運行。
北行では、新しいミマラ号の運転時刻表が2時間繰り上げられた。EC192はクラーゲンフルト発9:26、クルンペンドルフ、ペルツシャッハ、フェルデンでの途中停車を経てフィラッハ着9:58。ちょうど同時刻に、EC292(ザグレブ発5:55)もフィラッハに到着するが、その時点ですでにドボヴァとイェセニツェで機関車交換、サフスキ・マロフ、ドボヴァ、ジダニ・モスト、リュブリャナ、クラーニ、レスツェ・ブレッド、イェセニツェ、ローゼンバッハで乗客を乗せてきた。その後、2つの列車区間はフィラッハ発10:11、シュピタール、マールニッツ・オーバーヴェラッハ、バート・ガシュタイン、バート・ホーフガシュタイン、ザンクト・ヨハン・イム・ポンガウ、ビショフスホーフェン、ザルツブルク(12:44着/13:05発)を経由し、ミュンヘン中央駅着14:36で、所要時間は5時間10分(EC 192、表定速度73km/h)、8時間41分(EC 292、表定速度91km/h)で旅を終えた。2000年のEC292は、11年前(引き算があわない・・)の「プレミア・イヤー」のEC10よりも、ザグレブからミュンヘンまでの所要時間が約15分長い。EC 193(フィラッハ発19:52)はクラーゲンフルト着20:22、EC293(フィラッハ発19:56)はザグレブ着23:58。
約2年半後の2002年12月15日、ミマラ号の列車番号、時刻表、客車は再び変更された。クラーゲンフルト〜ミュンヘン間はEC112/113となり、ザグレブ〜ミュンヘン間はEC212/213となった。EC112/212の運転ダイヤが従来より2時間遅いため、ミュンヘン中央駅での「短い折り返し」が不可能となり(クラーゲンフルト発11:26/ザグレブ発7:55、ミュンヘン着16:35)、編成が2セット必要になった。南行では、ミュンヘンでのEC113の出発時刻が4時間繰り上げされ(ミュンヘン中央駅発11:26)、より利用しやすいダイヤとなった。これによってクラーゲンフルト着16:22、ザグレブ着19:59となった。これはある意味、ミマラ号は1991年の運転開始当初に戻ったことになる。これは、数年前までシュタッフス号とマックス・ラインハルト号と呼ばれた、夕方/朝のEC117/116 ミュンヘン〜ウィーン間と再び接続することになったからだ。ミュンヘン以南のミマラ号には、ÖBB-1016型電気機関車(EC112 クラーゲンフルト - ミュンヘン)、ÖBB-1116型電気機関車(EC113 ミュンヘン - クラーゲンフルト)、ÖBB-1142型電気機関車(フィラッハ - イェセニツェ - フィラッハ)、SŽ(スロベニア国鉄)-342型電気機関車(イェセニツェ - ドボバ間)、HŽ-1142型電気機関車(ドボバ - ザグレブ間)がそれぞれ牽引している。
その2年後、2004年12月12日ダイヤ改正で、ミュンヘン〜クラーゲンフルト間のEC112/113からはミマラ号の列車名なしとなったが、ザグレブ〜フィラッハ間のEC212/213でミマラ号の名前を残した(これについてはコメント割愛。長距離鉄道輸送におけるDBとÖBBのマーケティングには、過去にかなり奇妙なできことがあった!) 。2006年12月10日からは、クロアチア国鉄編成が一時的にザグレブ〜ミュンヘン間の運用に復帰したが、2008年12月14日からは再びÖBBが全区間の編成供給を担当した。
2009年年間ダイヤ改正では、EC112/113または212/213は、ミュンヘンからシュトゥットガ ルト中央駅を経由してフランクフルト中央駅まで延長運転され、オーストリア区間では「ÖBB EC」として告知・販売された。時刻表も若干変更され、EC112はクラーゲンフルト発10:33、ミュンヘン着15:35。列車の先頭と最後尾にÖBB-1116型電気機関車を連結した「サンドイッチ」列車のおかげで、方向転換にかかる時間はわずか6分に抑えられた。その後アウグスブルク、ギュンツブルク、ウルム、シュトゥットガルト(18:00着/18:05発)、ハイデルベルク、ヴァインハイム、ベンスハイム、ダルムシュタットを経由し、フランクフルト中央駅着19:40。前述の駅のほかドルフガシュタイン、シュヴァルツァッハ=ザンクト・ヴァイト、フライラッシング、トラウンシュタイン、プリーエン・アム・キームゼー、ローゼンハイム、ミュンヘン東駅にも停車するが、クラーゲンフルト中央駅 - ミュンヘン中央駅間の所要時間はわずか5時間02分(表定速度74km/h)、クラーゲンフルト中央駅 - フランクフルト中央駅間の所要時間は9時間07分(総走行距離793km、表定速度87km/h)である。EC212 ミマラ号はザグレブ発7:00、ドボヴァ、セヴニツェ、ジダニ・モスト、リュブリャナ、クラーニ、レスツェ・ブレッド、イェセニツェ、フィラッハへ向かう(11:04着)。一方、EC 113はフランクフルト発8:20、ミュンヘン着12:16、フィラッハ着16:43、クラーゲンフルト着17:15、EC 213はザグレブ着20:55。
次の2010年年間ダイヤ改正(2009年12月13日)では、ザグレブ〜クラーゲンフルト間のユーロシティにさらなる変更が加えられた。EC112/113と212/213はフランクフルトの北側にあるジーゲンまで142km分の延長運転され、フリードベルク、バート・ナウハイム、ジーセン(方向転換)、ヴェッツラー、ヘルボルン、ディレンブルク、ハイガーに途中停車することになった。このエピソードは、1987年に品質基準を定めて運行が開始されたユーロシティ・ネットワークの相対的な衰退を象徴するもので、EC112/113には36駅、EC212/213には40駅の途中停車駅があったことだ!
親愛なる読者の皆様はすでに気づいただろう。私たちのミマラ号(または旧ミマラ号)は、およそ2年ごとにその姿を変えていた。したがって、2011年12月11日以降、商業的成功の欠如のためにジーゲンへの延長運転の廃止にはまったく驚かない。EC112/113または212/213は、2008年の時刻表位置(分単位の誤差を除く)を取り戻した。その後、ほとんど変化のないまま6年間が経過したが2017年12月10日からとんでもないことが起こる。EC112/113に再び名前がついたのだ。それは驚くべきことにブラウエル・エンツィアン号となり、第二次世界大戦以来のドイツの長距離の伝統の中で最も伝統的な列車名のひとつが再び復活した(1951年5月20日、この名前の特急列車が初めてハンブルク - ミュンヘン間を走った)。ザグレブ〜フィラッハ間 EC212/213はミマラ号として運行され、ÖBB編成(Amz、Bmz、Bmpz)で構成され、フィラッハ以南はHŽとSŽの2両が増結された。2019年ダイヤ(2018年12月9日有効)での運行時刻表は以下の通り:
・EC 112 ブラウエル・エンツィアン号: クラーゲンフルト発10:27 → フィラッハ 10:58着/11:16発 → ザルツブルグ 13:48着/14:00発 → ミュンヘン 15:41着/15:47発 → シュトットガルト 17:59着/18:04発 → フランクフルト着19:40
• EC 212 ミマラ号: ザグレブ発7:00 → リュブリャナ 9:16着/9:22発 → イェセニツェ 10:14 Uhr - 10:17 Uhr → フィラッハ着10:58
・EC 113 ブラウエル・エンツィアン号: フランクフルト発8:22 → シュトットガルト9:54着/9:58発 → ミュンヘン 12:11着/12:17発 → ザルツブルグ 13:59着/14:12発 → フィラッハ 16:43着/16:49発 → クラーゲンフルト着17:18
・EC 213 ミマラ号: フィラッハ発16:53 → イェセニツェ 17:33着/17:40発 → リュブリャナ 18:32着/18:35発 → ザグレブ着20:51
これでミマラ号と呼ばれたユーロシティの輝かしい歴史は終わったが、2019年時点でもドイツとバルカン諸国とのドイツの2つの国際昼行列車の接続のひとつとして残っている。少なくとも、ミュンヘンとザグレブを結ぶユーロナイト リシンスキー号はまだ存在する。そして、正直なところ、Fツーク(特急列車)やTEE時代の古い「ブラウエル・エンツィアン号ような運転感覚」は、EC112/113のÖBB客車では、たとえÖBB列車の食堂車がまだ一定レベルの旅行文化を提供していたとしても、想像したくない。ダイヤ製作者たちよ、ミマラ号の名前を戻してくれ!
編成例(書籍内イラストから)
1994〜5年冬ダイヤ
2等のコンパートメント車(オーストリア)、1等・2等オープン座席車(スロベニア、クロアチア)、食堂車(スロベニア)、荷物車のみフィラッハ・ミュンヘンでの増解結。オーストリア、クロアチア、スロベニアの車両。
参考資料:
・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt
・Thomascook European Timetable/Thomascook
参考ページ:
・Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)
ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)