1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、26回目は、ブラウエル・エンツィアン号を取り上げます。なおTEE列車時代についてはこちらでもまとめております。よろしければご覧ください。

 

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

(直訳だと青いリンドウ)リンドウ(Gentiana)は、リンドウ科リンドウ属に属する植物、主に北半球の温帯の山地に生育し、世界に400種ほどあることが知られている。

 

ユーロシティ時代以前から、ブラウエル・エンツィアン号は非常に輝かしい列車の歴史を持っている。1952年夏ダイヤから、F55/56はミュンヘン中央駅とハンブルグ・アルトナ駅を運転、途中アウグスブルク、ビュルツブルク、トロイヒトリンゲン(機関車交換)、ベーブラ、ハノーファーを経由するルートを走っていた。所要時間は南行が10時間04分、北行が10時間14分で、快適な南北日帰り接続を実現した。1965年夏ダイヤでは、TEE55/56に格上げ。ラインゴルト号ラインプファイル号にも使用されているDB(=西ドイツ国鉄、のちのドイツ鉄道)の最新車両が使用され、所要時間は南行8時間21分、北行8時間26分に短縮された。1969年夏ダイヤ以降、ブラウエル・エンツィアン号はTEE80/81として、タウエルン鉄道経由でクラーゲンフルトまで延長運転され、一部のダイヤでは編成一部車両が分割されてツェル・アム・ゼー行として運行された。特に1966年夏ダイヤから、E−03型電気機関車の試作機で牽引されたブラウエル・エンツィアン号は、最高速度180km/h(1968年夏からは200km/h)、表定速度132.6km/hという当時としては驚異的な数値で、28分でミュンヘン〜アウグスブルク間を走破していることが特筆されたが、諸般の事情により、当初数年間しかこのような速度が出なかった。

 

運転ダイヤのコンセプトである「インターシティ79」の実施により、1979年夏ダイヤからブラウエル・エンツィアン号はIC120/121とTEEから格下げされた。運行ルートも大幅変更され、北側の始発・終着駅はドルトムント中央駅となり、ミュンヘンとクラーゲンフルトまではヴッパータール、ケルン、ヴィースバーデン、フランクフルト・マイン、ニュルンベルク、アウグスブルクを経由する。1980年まではブラウンシュヴァイクまで延長運転され、1985年夏ダイヤからはヴィースバーデンの代わりにマインツ経由で双方向に運行された。

 

1986年夏ダイヤでIC20/21に列車番号を変更した後、1987年夏ダイヤからブラウエル・エンツィアン号はDB客車使用のユーロシティに格上げ、EC20/21となった。南行EC21はドルトムント発5:47で、クラーゲンフルト着19:06。ドルトムント〜グラーツ間(ビショフスホーフェン経由)に加え、フィラッハ〜リュブリャナ間のDB客車2両(Bm+Bpmz)を併結(D 421 フィラッハ発18:40→リュブリャナ着20:30、対向列車D420 リュブリャナ発7:10→フィラッハ着9:00)。対向のEC20は、クラーゲンフルト発8:35でÖBB-1044型電気機関車の牽引で旅を始め、クラーゲンフルト出発時には、下記3本の編成で構成されている。

  • DB車による基本編成 クラーゲンフルト〜ドルトムント間
  • ÖBB編成 クラーゲンフルト〜ウィーン西駅間(Ex127と車両交換)
  • クラーゲンフルト〜バーゼルSBB駅間(EC62 トランザルピン号と車両交換)

上記に加えてフィラッハ(9:06着/9:14発)では、リュブリャナからのD420の客車が連結された上で出発。シュピッタル、マルニッツ・オーバーフィラッハ、バートガシュタイン、バート・ホーフガシュタイン、シュヴァルツァッハ・ザンクト・ヴァイト、ビショフスホーフェン、ザルツブルクに途中停車し、タウエルン鉄道の旅は続く。ザルツブルク以降は、ミュンヘン(14:10着/14:37発)、アウグスブルク、ニュルンベルク、ヴュルツブルク、フランクフルト中央駅、フランクフルト空港駅、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、ゾーリンゲン・オーリグス駅、ブッパータール・エルバーフェルト駅、ハーゲンを経て終点の終点ドルトムント着22:13。走行距離1137km、所要時間は13時間38分。表定速度は83 km/hに達し、途中停車駅の多さ、ミュンヘン、ニュルンベルク、フランクフルトと方向転換回数、ÖBBネットワーク内での大規模な迂回、タウエルン峠の勾配克服を考慮すると、これは依然として満足できる値であることがわかる。

 

1989年夏ダイヤから列車番号がEC12/13に変更され、1991年夏ダイヤからEC114/115として運行されるブラウエル・エンツィアン号は、マンハイム〜シュトゥットガルト間の速達ルートを経由し、途中の解併結を一切排除して、所要時間短縮を図った(EC115 ドルトムント発8:11→クラーゲンフルト着20:10/EC114 クラーゲンフルト発9:52→ドルトムント着21:48)。ミュンヘン〜ドルトムント間の停車駅は、ミュンヘン・パーシンク駅、アウグスブルク、ウルム、シュトゥットガルト、ハイデルベルク、マンハイム、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルク、エッセン、ボーフムだった。前述の通りルート変更と高速新線マンハイム - シュトゥットガルト間の一部使用により、表定速度はそれぞれ91km/hと92km/hに向上した。1995年夏ダイヤ以降、EC114は終着駅をミュンスターとし22:14で終着。この時刻表では、他のDB長距離列車と同様に、ブラウエル・エンツィアン号も効率的に最適化された循環に組み込まれており、この特別なケースを例示する。

 

1日目:EC 114 ブラウエル・エンツィアン号 クラーゲンフルト→ミュンスター

2日目:IC119 カーヴェンデル号 ミュンスター→ドルトムント

3日目:IC118 カーヴェンデル号 インスブルック→ミュンスター

4日目:IC513 ディプロマ号 ミュンスター→シュトゥットガルト→IC512 ディプロマ号 シュトゥットガルト→ドルトムント

5日目:EC115 ブラウエル・エンツィアン号 ドルトムント→クラーゲンフルト

 

1996年6月2日より、ÖBBネットワーク内で追加された途中停車駅(クルンペンドルフ、ペルチャッハ・アム・ヴェルターゼー、フェルデン・アム・ヴェルターゼー、ザンクト・ヨ−ハム・イム・ポンガウ、ゴリング・アブテナー)の影響でミュンスター到着時刻を維持するため、EC114の運転時刻は30分繰り上げられた(クラーゲンフルト発9:27→ミュンスター着22:14)。一方でEC115のクラーゲンフルト着20:33に変更。2000年夏ダイヤから、ブラウエル・エンツィアン号の運転時刻は両方向とも2時間繰り上げられた(EC114 クラーゲンフルト発7:36→ドルトムント着19:54、EC115 ドルトムント発6:04→クラーゲンフルト着18:22)。所要時間は双方とも12時間18分で、EC114/115の表定速度は89km/hに達する。2003年のフランクフルト〜ケルン間の高速鉄道開通に伴う大幅なダイヤ改正により、ブラウエル・エンツィアン号の愛称が時刻表から消えた。EC114/115の列車番号はユーロシティ ヴェルターゼー号に移管された。

 

ブラウエル・エンツィアン号が消滅した後もかつての運行ルートには引き続きユーロシティー列車EC112/113が設定された。2009年年間ダイヤからÖBB客車の編成で、ÖBB‐1016/1116型電気機関車2台が編成前後に連結されプッシュプル牽引し、フランクフルト〜クラーゲンフルト間(フランクフルト発8:20→クラーゲンフルト着17:15/クラーゲンフルト発10:33→フランクフルト着19:40)を結び、2010年年間ダイヤからはユーロシティ− ミマラ号の後継としてファラッハ〜ザグレブ間の編成も併結した。そして2010年および2011年ダイヤでは、この列車はドイツのジーゲンまで延伸運転された。

 

2018年年間ダイヤの時点で、嬉しいと同時に予想外のことが起きた。これまで無名のEC112/113(フランクフルト〜クラーゲンフルト間)は、数年ぶりにブラウエル・エンツィアン号(青いリンドウ)の名前が与えられた。EC112はクラーゲンフルト発10:27、EC113はフランクフルト中央駅発8:22で運行開始。途中停車駅は、クルンペンドルフ、ペルトシャッハ、 ヴェルデン、フィラッハ中央駅、シュピッタル、マルニッツ・オーバーフィラッハ、バートガシュタイン、バート・ホーフガシュタイン、ドルフガシュタイン、シュヴァルツァッハ・ザンクト・ヴァイト、ザンクト・ヨ−ハム・イム・ポンガウ、ビシュホフスホーフェン、ゴリング・アブテナー、ザルツブルク中央駅、フライラッシング、トラウンシュタイン、プリーン・アム・キムゼー、ローゼンハイム、ミュンヘン東駅、同中央駅、アウグスブルク中央駅、ギュンツブルク、ウルム中央駅、シュトゥットガルト中央駅、ハイデルベルク中央駅、 ヴァインハイム、ベンスハイム、ダルムシュタット中央駅と、ユーロシティ時代初期では考えられないほど多くの駅に途中停車をした。加えてザルツブルク〜フランクフルト間ではÖBB「タウルス」機関車2台による「サンドイッチ(=プッシュプル)」が行われたことで頭端式ホーム駅となるミュンヘン中央駅とシュトゥットガルト中央駅での機関車交換を不要とし大幅なスピードアップを図った。また、EC112/113は引き続きフランクフルト〜ザグレブ間の直通車両を併結し、この車両は、フィラッハ中央駅以南ではEC212/213 ミマラ号として運用されている。2019年ブラウエル・エンツィアン号は、TEE列車の偉大な時代の名残のある唯一のユーロシティとなった。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

1987年夏ダイヤ 

コンパートメント車(1等・2等)、オープン座席車(1等・2等)、

食堂車、フィラッハ(リュブリャナ編成)、ザルツブルク(グラーツ編成)で増解結。ドイツの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

Blauer Enzian: In vier Zugsystemen durch sieben Jahrzehnte (Berühmte Züge, Band 5)/Hans Sölch

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)