1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、42回目は、バヴァリア号を取り上げます。かつてTEE列車として活躍していた時代については下記ブログもご参考ください。

 

EC Bavaria

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

ラテン語でのバイエルンの意、女性の象徴的人物

バイエルン州の守護聖人であり、バイエルン州を擬人化した寓意。

 

1955年夏ダイヤでは、ミュンヘン発12:18からケンプテン、リンダウ、ブレゲンツ、チューリッヒ、オルテン経由でベルン着22:45、反対方向はベルン発6:55、ミュンヘン着16:45という急行列車D 82/83が、D 180/183 という新しい列車番号とバヴァリア号という名前を与えられジュネーブ発着(183列車 6:25発/D 180列車 18:12着) まで延長された。SBB(スイス国鉄)製の軽鋼製車両にDB(西ドイツ国鉄、のちのドイツ鉄道)製のCR4ü型3等食堂車と座席車を組み合わせた編成で、イーザル・ローヌ号に次ぐアルゴイ線のスター列車となり、ドイツ区間では18.5型、18.6型蒸気機関車とともにしばしば写真に収められていた(ミュンヘン - リンダウ区間はDBからさらなる増備車が提供された。1968年夏から、バヴァリア号−急行D 93/96の車両は、徐々にSBB製新型RIC型鋼製客車に置き換えられた。

 

1969年冬ダイヤ以降、新設TEE 56/57にはバヴァリア号の名前が使われ、従来の急行列車とは若干異なるダイヤだったものの、運行当初は以前のバヴァリア号であるD 260/261(名前はない)が短期間だが残っていた。現在のTEE バヴァリア号は、ケンプテン、リンダウ、ブレゲンツ、ザンクト・マルグレーテン、ザンクト・ガレンを経由してTEE 56 ミュンヘン発17:48でチューリッヒ着21:55、対向列車TEE 57 チューリッヒ発8:20→ミュンヘン着12:28で結び、列車はTEEディーゼル列車5両編成(SBBのRam 501/202、NS(オランダ国鉄)のDE−1001~1003編成)が使用され、TEE エーデルワイス号(チューリッヒ~アムステルダム)との共同運行となった。1972年2月のアイトランでの重大事故後は、DB編成(TEE ブラウエル・エンツィアン号との共同運行)にSBB食堂車(空調付のTEE色特別仕様)を連結した。ドイツ区間では8両あったDB-210形ディーゼル機関車(ガスタービンエンジン追加)のうち1両が、リンダウ~チューリッヒ間では、SBB-Re 4/4 I型電気機関車がそれぞれ運用に就いた。このSBB機関車はバヴァリア号用にTEE色に塗られ、パンダグラフのひとつはDB/ÖBB(オーストリア国鉄国鉄)規格のものだった。

 

1977年夏ダイヤ以降はD 266/267(ミュンヘン発16:40、チューリッヒ着21:01/チューリッヒ発7:02、ミュンヘン着11:23)に変更された。担当客車は、ドイツ区間で2等コンパートメント車(Bm)の増結を除き、SBBが提供。1983年夏ダイヤからバヴァリア号はミュンヘン〜リンダウ間でFD 268/269(ただしSBB製客車のまま)、1984年夏ダイヤから全区間でIC 162/163、そして1986年夏ダイヤからはついにD 366/367となった。1987年夏ダイヤからバヴァリア号がEC 98/99としてユーロシティ・ネットワーク創生期列車のひとつとなったのは、これほど多くの変遷を経たからなのだ。その運行ダイヤはEC 99では経由駅がケンプテンに代わりメミンゲンになったが、EC 98は以前のルートに忠実と、非常に安定していた。バヴァリア号の客車は、1987年から1988/89年ダイヤ終了までと(DBのAvmz2両とBpmz4両、食堂車のみSBBが提供)、1993/94年ダイヤ以降では2等車客車のみDBが提供した。同じく新設されたEC  96/97 ゴットフリート・ケラー号とEC 92/93 シュバイツァーランド号と共同運行しているので、2本の編成だけでユーロシティ3列車分を走行させることが可能になった。特に注目したいのは、EC 99だ。 週末には、EC 99がサンレモ - チューリッヒ - リンダウ間を運行するFS(イタリア国鉄)荷物車を連結した。

 

1989年夏ダイヤでSBB車両に変更された後も、午前にチューリッヒ、午後にミュンヘンをそれぞれ発つダイヤのバヴァリア号の時刻表は、1993年夏ダイヤでのEC 98の運行経路がメミンゲン経由となる以外は変更なし。EC 99は、1993年5月23日チューリッヒ中央駅発7:40、ミュンヘン着11:51(所要時間:4時間11分、表定速度80km/h)。ミュンヘンで小休止した後、EC 94 ゴットフリート・ケラー号としてミュンヘン発12:11でチューリッヒへの帰路につきます(16時21分着)。しかし、それだけではなく: 17:40にはEC 93 アンゲリカ・カウフマン号として出発するスケジュールだった(ミュンヘン着21:45)。その運用翌日、バイエルンの首都とスイスの経済都市を結ぶユーロシティ・シャトル便には、EC 92、95、98が含まれていた。この3組の列車は、1993年夏ダイヤからすべてメミンゲン経由になる。1993/1994年ダイヤでDB車両での運用が短期的に復活した後、1994年5月29日から再びSBBが車両提供を引き継いだ。1995年夏ダイヤから、EC 98の運転時刻は約20分繰り上げられた(ミュンヘン発18:15、チューリッヒ着22:22)。1997年6月1日より、バヴァリア号はチューリッヒの地下空港駅にも乗り入れている。

 

バヴァリア号としての最後のダイヤ(2001年6月10日~2002年12月14日)において、EC 196/197 アルベルト・アインシュタイン号がミュンヘン~チューリッヒ間に運転区間短縮に伴い、バヴァリア号ローテーションが再度設計変更されることになった。このローテーションは、EC 99、94、93、196、197、98という各列車が含まれた。残念ながら、バヴァリア号の所要時間は4時間12分または4時間24分(表定速度79km/hまたは76km/h)で、航空交通との競合や高速道路の連続接続を考慮すると、実際にはもはや競争力にならないレベルにとどまっている。2002年12月14日、EC 98/99は、バヴァリア号の名での最後の運転が行われ、2002年12月15日ダイヤ改正からは、列車名なしのEC 190/191としてミュンヘン〜チューリッヒ間を結び、現在に至る。 EC 190/191は、少なくとも2020年にリンダウ〜ゲルテンドルフ間の電化工事が完了するまでは、1等パノラマカーや食堂車を含むSBB編成を使用し、バイエルンとスイスの大都市間で完璧な旅行文化を提供し続けている。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1987年夏ダイヤ 

1等のコンパートメント車、2等オープン座席車(以上、ドイツ国鉄)、食堂車(スイス国鉄)、荷物車(イタリア国鉄)、荷物車はサンレモ〜リンダウの連結(途中増解結作業あり)。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)