1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、33回目は、プリンツ・オイゲンを取り上げます。なおTEE列車時代についてはこちらでもまとめております。よろしければご覧ください。

 

EC Prinz Eugen

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

ウジェーヌ王子(正確にはサヴォイ=カリニャン公ウジェーヌ・フランシス、仏:François-Eugène de Savoie-Carignan, Italian: Eugenio di Savoia-Carignano; 1663年から1736年)は、ハプスブルク帝国の最も重要な指揮官の一人である。

 

(ブログ筆者より:自動翻訳とその結果から、ウジェーヌ王子と表記しておりますが、列車名はドイツ語であり、日本語サイトで紹介されるこの列車名にあわせてプリンツ・オイゲンと表記していること、お断りします)

 

1970年のヨーロッパ時刻表会議において、ドイツ連邦鉄道(以下、DB)とオーストリア連邦鉄道(以下、ÖBB)は、北ドイツ〜ウィーン間にTEE列車の設定に合意した。さらに交渉を重ね、1971〜72年冬ダイヤ(1971年9月26日~)に、ハンブルク発着のインターシティと接続し、ドイツ南北回廊線経由でのTEE列車 TEE86/87 ウィーン〜ブレーメン間を新設された。TEE86はウィーン西駅発7:15、パッサウ、ニュルンベルク、ハノーファーを経由してブレーメン着17:42(逆方向はTEE87 ブレーメン発12:16→ウィーン着22:45)、走行距離は1,089km。1976年夏ダイヤから、TEE26/27は始発・終着駅をハノーファー中央駅に短縮され、ドルトムント、ヴッパータール、ケルン、マインツ、フランクフルト中央駅、ニュルンベルグ、パッサウ経由でウィーンに至るルートに変更。これにより、プリンツ・オイゲン号で使用される編成の1日の走行距離は1,287kmとなった。

 

1978年夏ダイヤから、TEEはIC26/27 プリンツ・オイゲン号となる。以後、フランクフルト〜ウィーン間では、1等車編成に加えて、ÖBB-Z1型の2等急行客車を連結するものの、フランクフルト中央駅以北は引き続き1等車のみ編成のままだった。1979年夏ダイヤから、IC  126/127はDBの2等車連結のインターシティ79のネットワークに組み込まれ、経由地もマインツからヴィースバーデンに変更された。1980年夏ダイヤから、プリンツ・オイゲン号は国際インターシティ列車として初めて運行され、ルートも再び変更された。プリンツ・オイゲン号はIC182/183としてニュルンベルク以北の南北回廊を走行するようになったが、今度はハンブルク・アルトナ駅を終着・始発駅とする。

 

1986年夏ダイヤでは、IC90/91という列車番号になり、1987年夏ダイヤより、プリンツ・オイゲン号はEC90/91としてユーロシティの認定を受け、インターシティから格上げされた。北行EC90は、ウィーン西駅発8:20で、途中停車駅のザンクト・ペルテン、リンツ、ヴェルス、パッサウ、レーゲンスブルク、ニュルンベルク、ビュルツブルク、フルダ、ベブラ、ゲッティンゲン、ハノーファー、ハンブルク中央駅着19:01、ハンブルク・ダムトール駅に停車後、ハンブルク・アルトナ駅着19:15(10時間55分、106km/h)。一方、南行EC91はハンブルク・アルトナ駅発9:44、ウィーン西駅着20:45。1988年夏ダイヤから、この列車は完成した最初の高速新線区間であるヴュルツブルク〜フルダ間を使用しているが、当時から(書籍出版時点まで)高速新線での運行に絶対必要な120型電気機関車がÖBBネットワーク内運行が未認可のため、高速新線運行のためのニュルンベルクで行われる機関車交換に時間を要してしまっている。

 

1991年夏ダイヤのDBダイヤ改正で、インターシティ4号線のICE化が予定されていたため、新しい列車番号 EC28/29 プリンツ・オイゲン号として再びルート変更した。ウィーン西駅発8:00の北行EC28は、ザンクト・ペルテン、リンツ、ヴェルス、グリースキヒェン・ガルスパッハ、シェルディング、パッサウ、プラットリング、レーゲンスブルク、ニュルンベルク、ヴュルツブルク、アシャッフェンブルク、フランクフルト中央駅、フランクフルト空港、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルク、エッセン、ボーフム、ドルトムント、ミュンスター、オスナブルク、ブレーメン、ハンブルク中央駅、ハンブルク・ダムトール駅、ハンブルク・アルトナ駅着22:19で、そしてノイミュンスター経由でキール着23:35というルート。1,546kmという長距離を所要時間15時間39分で走行し、表定速度は99km/hに相当。一方、南行EC29はキール発6:21で、ウィーン西駅着22:05(ウィーン・ヒュッテルドルフ駅にも停車)。その後、ハンブルグ〜フレンスブルク/キール間の電化工事のため、所要時間は数分単位で何度か変更された。

 

しかし、キールまでの運行は1995年9月23日をもってに歴史に幕を閉じ、翌日からはEC28/29はハンブルク・アルトナ駅が再び始発・終着駅となり、ルートは再びわずかに短縮されて1,429kmとなった。この列車のユーロシティ時代は、1998〜99年年間ダイヤをもって終了。1999年5月24日からは、ICE-1がICE90/91としてプリンツ・オイゲン号を引き継いだ(ICE90:ウィーン発10:15→ハンブルク・アルトナ駅着20:04/ICE91:ハンブルク・アルトナ駅発7:53→ウィーン着17:47)。ニュルンベルク以北では、プリンツ・オイゲン号がヴュルツブルク - ハノーファー間の高速新線経由となった。2003年12月13日をもって、ハプスブルク帝国の高貴な司令官の伝統的な名前であるプリンツ・オイゲン号の名称はDBの長距離列車から消滅し、その後は名前なしのICEとして走り続けることになった。

※(下線部についてのブログ筆者による補足)ユーロシティとしての運転終了日ですが、書籍では1999年5月との記載がありますが、当時のトーマス・クック時刻表をくくると、1998年12月の段階ですでにICE化されています。そのため、1998年5月が正しい運転終了日と判断します)

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

1991年夏ダイヤ 

コンパートメント車(1等・2等)、2等オープン座席車(1等・2等)、

食堂車、途中の増解結なし。オーストリアとドイツの車両の混合編成。

 

今回は以上です。

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)