Trans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返る企画です。
13回目は、プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)号です。
列車名の由来は?
プリンツ・オイゲンとは、フランス生まれの貴族の名前。当時のオーストリア(大公国)に仕えた軍人でもあるようです。そしてプリンツはドイツ語で「公子」を指すようです。つまり、列車の目的地であるオーストリアを象徴する列車名にしたようです。
運行されていた国 西ドイツ、オーストリア
運転時期と区間
当時の西ドイツ国鉄にとって、プリンツ・オイゲン号の設定の意義には、それまで存在していなかったオーストリア方面への高品質な旅客サービスを確立する目的があり、同時に、西ドイツ国内のインターシティー網に組み込む必要性があったようです。
しかしながら、オーストリアへのサービス提供をはじめたものの、オーストリア国内での乗車率低迷で一時はパッサウ止まりの提案をドイツが行ったが、オーストリアがそれを拒否したという逸話が残っているようです。
1971年9月26日〜
ブレーメン - ハノーファー - ビュルツブルク - ニュルンベルク - ウィーン
1976年5月30日〜1978年5月27日
ハノーファー - ケルン - フランクフルト - ニュルンベルク - ウィーン
その後、インターシティー、ユーロシティー、ICEの名称と継承される
使用された車両、編成
客車
【西ドイツ】
ラインゴルト型客車
編成両数は4〜5両で、繁忙期にさらに増結の実績もあったようです。
牽引機
【西ドイツ】
103型交流電気機関車
西ドイツからオーストリアに越境する列車のため、てっきり国境付近でオーストリア国鉄機関車に切り替えするものだと思っていましたが、各種資料をたどると、この機関車が終点ウィーンまで牽引をしていたようです。
実際の時刻表紙面
今回は以上です。
すでに取り上げたTEE列車の一覧ページです。こちらもご参考ください!
参考資料:
・Cooks Continental Timetable August 1969 ほか
・Das Grosse TEE-Buch 40 Jahre Trans-Europ-Express /Jörg Hajt/HEEL 1997年
・TEE, la légende des Trans-Europ-Express : entre luxe et grande vitesse/Maurice Mertens、 Jean-Pierre Malaspina/LR PRESSE 2007
参考サイト:TEE、インターシティー(ドイツ)、プリンツ・オイゲン(列車)(ともにWikipedia)、welt-der-modelleisenbahn.com
ページ内写真:Flickrのリンクより
カバー画像:Deutsche Bahn AG, converted by , Public domain, via Wikimedia Commons