以前私のブログ内でTrans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返りました。その後続として、1987年からはじまったユーロシティの歴史を振り返る企画を立ち上げました。

 

ユーロシティは2022年現在でも現役の列車種別(コンセプト)であり、集大成の資料が存在しているわけではありません。そのためドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

(いつかはユーロシティの辞書的なものを作りたい野望はありますが。。。)

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って4回目は、エラスムス号を取り上げます。TEE時代については、下記ブログでもまとめております。

 

EC Erasmus

(写真は参考文献の掲載とは関係ありません)

 

(以下原文訳、一部短縮名称等をブログ筆者で補足)

ロッテルダムのデジデリウス・エラスムス(1466年 - 1536年)、オランダの言語学者、哲学者、神学者。

 

1987年夏ダイヤから導入されたEC24/25 エラスムス号は、インスブルック〜アムステルダム間で運転された。この列車は他のユーロシティ列車同様、輝かしい栄華を誇っている。1972年開催のヨーロッパ時刻表会議でのオランダ国鉄(以下、NS)による要請により、1973年6月3日からTEE24/25 エラスムス号がデン・ハーグとミュンヘンをデュイスブルク、デュッセルドルフ、ケルン、マインツ、フランクフルト、ヴュルツブルク経由で毎日運転された。この列車で達成したいNSの狙いは、既存のTEE ラインゴルト号レンブラント号ヴァン・ベートーベン号に加えて、オランダとミュンヘン間の増便だった(TEE24 ミュンヘン発9:20→ハーグ着20:01、TEE25 ハーグ発9:55→ミュンヘン着19:14)。

 

その後エラスムス号は、数回の列車番号と運行区間の変更(1976年から経由がマンハイム、ハイデルベルク、シュトゥットガルトとなり、1979年からアムステルダム〜フランクフルトまたはニュルンベルク間に短縮)を経て、1980年6月1日から同名の国際インターシティ IC 124/125に置き換えられ、西ドイツ国鉄(以下、DB)の2等車連結列車で構成されるインターシティ網に統合され、事実上格下げされた。この日からエラスムス号はIC124として、インスブルック発9:05で、ミュンヘン、インゴルシュタット、ビュルツブルク、フランクフルト中央駅、マインツ、ケルン・デュイスブルク、エメリッヒ経由でアムステルダムに20:56着(対向方向:EC 125※1でアムステルダム発6:57→インスブルック着18:58)。

※1 原文ではEC 125となっているが、トーマスクック時刻表ではIC 125である。時刻表が正しいと思われる

 ただし、ミュンヘン〜インスブルック間は、オランダ人観光客によるバイエルン州南部やオーストリアの観光地へ便宜を図るため、夏と12月中旬から1月中旬のクリスマス休暇期間のみ運行された。

 

 その後、運行日、路線(1981年からアウグスブルク経由)、列車番号(1986年からIC24/25)などを細かい変更を経て、1987年5月31日にようやくEC24/25に格上げされた。

 EC24はインターシティ時代のルートと踏襲し、インスブルック発9:48→アムステルダム着20:58、対向列車EC25はアムステルダム発7:56→インスブルック着19:11、表定速度95km/h。また、オランダやルール地方への旅行者のための「休暇列車」というコンセプトを忠実に守り、夏だけでなく、クリスマス前後や特定の祝日の週末、イースターや聖霊降臨祭にもミュンヘン以遠に延長運行された。エラスムス号のDB編成はフランツ・ハルス号(ローテーション順:EC26→EC25→EC24→EC27)と共通運用しているが、走行距離と移動時間が長いため、4編成が必要だった。DB内のユーロシティ/インターシティ・ネットワークの等間隔ダイヤでは、北行のエラスムス号フランツ・ハルス号に2時間遅れで追随し、南行のエラスムス号フランツ・ハルス号より3時間先にアムステルダムを発車することになっていた。

 1991年6月夏ダイヤでオランダ〜バイエルン・オーストリア間の「休暇列車」としてのエラスムス号フランツ・ハルス号同様)の歴史は終了。1991年6月2日からは、運転区間がケルン〜アムステルダム間に短縮され、新しい列車番号EC143/150(1997年からはEC141/150)を付与され、ケルン以北の運行時刻は維持され(EC143 アムステルダム発7:08→ケルン着9:42/EC150 ケルン発17:17→アムステルダム着19:51)、ユトレヒト、アーネム、エメリッヒ、オーバーハウゼン、デュイスブルグ、デュッセルドルフに途中停車した。結果、ケルン〜アムステルダム間の走行距離262kmを、所要時間2時間34分、表定速度102km/hで走破した。

 なお、南行エラスムス号でケルン到着後、少なくともミュンヘンまで向かう場合、ケルン発10:54のIC727 ローレライ号を待たなければならなかった。IC727を使ってインスブルックに向かう乗客はミュンヘンでD285に乗り換え可能だが、乗り換え時間はわずか5分。この接続を逃した場合、EC19を利用することでインスブルック着21:21。接続がうまくゆけば素晴らしい連携となる。かつて重厚な編成だったエラスムス号も短編成化され、ケルン〜アムステルダム間に短縮されている。1991年夏ダイヤ時点では、当初はDBのオープン座席車4両のみの編成だったが、1992年夏ダイヤから2両増結され、1993年夏ダイヤからはARmz(=1等座席車と食堂車の合造車)がさらに増結されたものの、本格的な食堂車はなくなってしまった。

 1997年からは、EC150のケルン発時刻が1時間繰り上げられ(16:16発)、対向列車エラスムス号の列車番号がEC141に変更されました。 その後、少しずつ所要時間が延びている。ユーロシティとして最晩年となる2000年ダイヤ改正では、EC141はアムステルダム〜ケルン間は約3時間(正確には2時間57分)となった。2000年11月4日エラスムス号としての最終日となり、2000年11月5日から、406型電車であるICE3編成が「ICEインターナショナル」の名称で、アムステルダム発着の全ユーロシティ列車を引き継いだ。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

1992年夏ダイヤ

コンパートメント客車(1等、2等)、オープン座席車(1等、2等)、食堂車連結

途中のエメリッヒで増解結。ドイツの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

 

 

参考資料:・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:ICE3M について、鉄道世界旅行ホームページ より

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)