✧✦ココたろうの母になる✦✧ お腹の中のまだ見ぬ21t息子のために -2ページ目

✧✦ココたろうの母になる✦✧ お腹の中のまだ見ぬ21t息子のために

7年間の不妊治療でようやく授かった初めての子がダウン症。
……アラフィフ母とココたろうの記録……

このブログは

自分への備忘録を兼ね

振り返りながら書いています。

 

 

天使 時計 天使 時計 天使 時計 天使 時計 天使 時計 天使

 

 

前夜、高熱がでたものの

こころにしてあげたいことだらけ。

寝てる時間も、もったいない。

 

沐浴で胎脂まみれの髪の毛を洗ってあげたい。

黒々した髪にブラシをかけてあげたい。

 

手形、足形にもとりたいし

似顔絵も描きたい。

写真もたくさんたくさん撮りたい。

初乳もあげたい。


母は大忙しなのだ。

 

 

そんな中、病院へ駆けつけて

くださる人もいらして

可愛い可愛いとこころを

抱きあげてくださいました。

こころは、本当に幸せものです。

パパ、ママ、ババ以外にも

可愛がってもらえて、、、。

 

夕方は、心理カウンセラーや

遺伝カウンセラーの方が

わたしや夫の心に寄り添ってくださいました。

静かに、静かに耳を傾けてくださいました。

でも、、いまは耳を傾けていただくほどの

言葉が湧き出てくるわけでもなく

わりと沈黙の時間が続きました。

 

 

病室で二人きりの時間。

こころを穴のあくほど見つめては涙し

冷たいほっぺをなでなで。

時間がたつのも忘れ、眠るこころを

見つめ続けました。

 

本当に愛おしくて、愛おしくてたまらない。

かわいいお口に、かわいいお目々。

かわいいお手々に、かわいいお鼻。

すべてがかわいい。

 

帝王切開にしなくてよかったとおもう。

もし帝王切開していたら

今頃は尿道に管入れられ寝たきりのはずだ。

 


夕飯は、病院の近くにある

美登利寿司を買ってきてもらい

夫と病室でいただきました。

9ヶ月ぶりにまぐろを味わいました。

 

 

 

5月31日(土)

こころを自宅へ連れて帰るため

出産2日で退院させてもらえました。

最後の夜を家族で過ごしたいから。


真っ白なレース付きのお洋服と帽子から

男の子らしく蝶ネクタイのベビー服へ

衣装替え。

 

お宮参りにと買ってあったお洋服だ。

新生児にはちょっと大きすぎる。

腕まくりしたら様になった。

足には靴下を履かせることもできた。

幼馴染がお花を持ってきてくれて

こころの周りを白と黄色と緑の

美しいお花で囲むことができた。

 

その晩はL字ソファに夫とわたし。

センターのローテーブルに

こころを寝かせ就寝。

手を伸ばせばいつでも

こころに触れることのできる

特等席で寝ることができた。

 

、、、、でも寝ることはできず

朝3、4時に起きだし、

こころの似顔絵を、また描きはじた。

 

肉眼で見たままを描き留めたいのに

おもうように描けない。

鼻をやや斜め下からみたアングル。

可愛いお鼻に悪戦苦闘。

満足いくまで描き続けた。

 

 

 

 

 

 

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天使 キラキラ 天使 キラキラ 天使 キラキラ 

 

 

29日20時51分に出産後、

どんどん上がる熱と寒気。

 

39度の高熱でガタガタ震える中

会陰裂傷を縫われ続ける。

麻酔を抜かないかぎり体を

温めることができないそうで

限界がきたわたしの体をみて

麻酔をストップ。

 

縫われている部分の痛みが徐々に

激痛へと変わる。

 

結局、病室に戻れたのは24時。

ぐったりしたまま戻ったのだが

 

何も、お腹に入っていない、、、。

こころも、ご飯も。

分娩中、ずっと話していたバインミーを

点滴を打たれながら病室でほおばる。

 

なんて野性的な自分。

感傷に浸り食欲がない状態になるかとおもいきや

わたしの口の中はバインミーで満たされている。

 

フランスパンが具材のお酢で

ロールパンのようにしっとりして柔らかい。

本来ならマズイと言うだろうバインミーも

美味しく食べることができた。

 

お腹の空っぽを

埋めたかったのかもしれない。

 

 

 

今の気分の詩を載せさせていただきました。

空の辞典よりーー

このブログは

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天使 キラキラ 天使 キラキラ 天使 キラキラ 天使

 

 

天使 キラキラ 天使 キラキラ 天使 キラキラ 天使

 

 

大事な大事な息子の名前は

「こころ」

 

そう

『ココたろう』の胎児ネームは

「こころ」からとりました。

 

1月末に21トミソリー陽性とわかり

2月はじめ羊水確定検査のため

病院のベッドで横になっているときに

「オランダへようこそ」を読みながら

涙を流しているろきに

ふと思いついた名前でした。

 

書きやすく呼びやすく。

音の響もよく心地がいい。

 

 『心根やさしく

 たくさんの人たちに囲まれ

 その中心にいられる幸せな

 人生を歩んで欲しい。』

 

という想いを込めて

こころと名付けました。

 

 

 

 

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メモ メモ メモ メモ メモ メモ 

 

 

時計 時計 時計 時計 時計 時計  

 

 

天使 天使 天使 天使 天使 天使 

 

 

 

29日(水)

ついに、、、、分娩の日がやってきました。

バルーンの甲斐もなく?

3センチくらいしか子宮口は開いていなかった。

朝6時に分娩室移動予定が7時、

7時が7時半となり、、、、

何時間も病室で待つことに。

無痛分娩なので、ご飯抜きで

いまかいまかと待ち続けた。

 

ようやく分娩室へ移動。

 

陣痛促進剤の点滴を入れ始めたのは11時くらいだった。

朝から夫と母が付き添ってくれている。

LDRはとても広く景色も良い。

少し曇り空だけど窓も大きく開放感のある部屋だった。

 

「生理痛の強い感じになったら

 無痛の麻酔いれるので言ってください」

 

と言われたが、ラミナリアの痛さに比べると

全然耐えられてしまう。

本当にこのまま無痛の麻酔なしで出来るんじゃね?

なんておもってしまうほど。

 

ま、そんなわけなかったけど。

 

17時になっても子宮口は5、6センチ、、、

先生は「あと少しだね。」を

呪文のように繰り返す。

 

「まだ赤ちゃん小さいから

 7センチくらい開いたら

 つるっと出てくるよ~」

 

なんて期待をもたす先生。

 

17時が、18時に。

「あと少し」の呪文はまだ続く。

 

夫や、母が、先生がLDRを出られるや否や

「あと少し、あと少し詐欺だ」

と呟く。

わたし苦笑。

 

19時

「お尻が触れるようになってきたよ~~~」

「このぶんだと19時半くらいかな~」

 

「あと少しだね」

 

と、先生。

 

 

結局19時半になって

子宮口も8センチ、9センチと開いても

 

「あと少し」の呪文は続いた。

 

 

 

朝、昼、晩とご飯抜きで、

「あと少し」を頼りに

ベッドに横たわっていたが、

ペコペコで夫や母に陣痛の合間に

ご飯の話ばかりしていた。

 

最初は

「13時14時くらいには、出てくるかもね〜」

なんて言われていたので病院近くのアンディという

ベトナムのバインミーの店に

全種類(4種)買ってきてもらい病室に置いてある。

そのことばかり考える自分。

 

 

 

結局、何人もの先生たちが入ってきて

本格的に分娩が始まったのは

20時半からだった。

 

初めて

「吸って、吐いて、いきむ」

を経験。

 

20分近く格闘の末

20時51分に無事に赤ちゃんがでてきた。

最後はちゅるっと!!!!

 

夫が後で話してましたが、最後は先生が両足をじゅるっと

引っ張りだしていたのが見えたと言っていた。

 

33週3日

体重 1908g

身長 42cm

頭囲 32cm

胸囲 31.5cm

 

の男の子が産まれました。

ここで産声とかきこえて

歓声があがるところなのに、、、。

元気な男の子が産まれるはずだったのに、、、。

 

病室は、すごく静まり返っていた。

先生が一言、看護師さんに

 

「少し拭いてあげてから

 お母さんの胸に

 抱っこさせてあげたら」

と。

 

産まれたままを一度

抱きたいと看護師さんに希望していたので

そちらを優先。

 

ありがたや。

小さな、小さな我が子を初めて抱く。

悲しくて、切なくて、涙が止まらなかった。

 

下半身は麻酔が聞いていて気づかなかったけど

会陰裂傷を縫う先生がひとりで格闘中。

 

上半身は、赤ちゃんを抱きながら泣く自分。

それを撮影する夫。

 

の図が暫く続いた。

 

泣いても、泣いても、ぴくりとも動かない息子。

突然「な~んちゃって」って動きだしたらと

妄想しながら、また泣いた。

 

看護師さんに息子を引き渡し

キレイキレイに拭いてもらうのをベッドの横で

見させてもらった。

 

生産期の赤ちゃんの大きさにはまけるけど

顔も手も足もしっかりした赤ちゃんだった。

 

心拍が止まる前に外に出してあげたかった。

産んであげたかった。

 

どうして

そうできなかったんだろう!!

ひとつ、ひとつの判断の積み重ねが

もっと合致していれば、、、

この子は産声をあげることができていた?

のかも、、、、しれない??

 

33週もお腹の中で育ってこれたのに。

どうして

今このタイミングで心臓が止まってしまったのか。

どうしてどうしてと

頭の中をいろんなおもいが駆け巡る。

 

どうして、どうして病にかかってしまったようだ。

 

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足あと 足あと 足あと 足あと 足あと 足あと

 

足あと 足あと 足あと 足あと 足あと 足あと

 

 

 

5月26日(日)に心拍停止を告げられ

着の身着のまま入院となる。

 

詰めかけのスーツケースを取りに夫は自宅へ。

その間も看護師さんや、助産師さん、当直の先生や、

麻酔科の先生がせわしなく病室へ出入りをする。

 

入院の手続きの書類、麻酔の同意書、帝王切開の

説明などなど。

 

どれひとつ、耳に入ってこない。

後日、看護師さんが勤務交代時に

『何を言っても上の空の精神不安定気味』と

申し送りをしていたこと知りました。

 

精神不安定にもなりますともっ!

 

この日から睡眠薬の処方をお願いしたところ

精神安定剤が処方せれていました。

 

何日か飲み続けたあとに、

どんな薬かネットで検索してわかりました。

 

自分ではしっかりしなきゃと言い聞かせ

シャンとしてたつもりだったのに。

 

そんなシャンとしているつもりのわたしは、

当直の先生に帝王切開をやめて無痛分娩の希望を

だしていました。

が、

子宮筋腫の手術でお腹を数年前に切っていたので

リスクが大きすぎると説明を受けました。

 

さらに、
麻酔科の先生が再再再度病室にきて

バイアスピリン(血液をサラサラにする不育症のための薬)

を飲んでいたので、5~7日間あけないと麻酔の後遺症

硬膜外血腫のリスクが高くなるので

無痛分娩もできません、と!!

 

なんか、

ダメダメずくめじゃないか~~~!!

考えるのも面倒になり

とりあえず薬をのんで寝ることに。

 

夫は付添人として病室に泊まってくれました。

この後、狭い寝返りもうてない

ソファーベットに5日間も泊まることに、、、。

 

 

 

27日(月)

担当医の胎児科チームの先生が早朝にやってきました。

 

リスクは十分承知で

無理言って無痛分娩の希望をしました。

母はリスクを聞いていたので大反対。

 

でも、でも、でも、

帝王切開すると数日ベッドから動けない。

となると、、、

赤ちゃんと過ごせる日が2日間しかないのに

ベッドで寝ている場合じゃないっ。

 

かといって、

陣痛もきていない状態から普通分娩に進む勇気も

気力も持ち合わせていない。

わたしには無痛分娩の選択肢しかなかった。

最後はワガママを聞いてもらえた。

先生方は万が一に備えて準備をしてくださることに。

 

この医療センターは小児科専門病院なので

大人のわたしに何かあった場合は

(子宮の傷が破裂した場合や硬膜外血腫)

別の病院へ搬送されることに。

 

ラミナリアの処置が開始。

死産などの処置の場合、

まだまだ子宮口が閉じている時期なので

信じられないくらいの激痛でした。

この痛みに耐えられるなら、無痛分娩しなくても

たえられるのでは????と思うほどでした。

5本を子宮口に入れたところでこの日は終了。

この5本を水で膨らませるそうです。

 

5本入れたまま就寝。辛い、痛い!

その後、元気な赤ちゃんを抱けるなら

痛い先にご褒美が、とおもえるのだけども。

なんのご褒美もない。目標も失ったまま

ただひたすら分娩のための処置へ進む虚しさは

なんとも言い難いものだった。

 

 

 

28日(火)

早朝、前日に続き処置室へと呼ばれる。

処置室の扉をあける手が震える。

女性の先生がラミナリアをできれば11本入れたいと

爽やかに言ってくる。

めまいで倒れそうに。

 

結局、追加10本で勘弁してもらった。

 

夕方17時に子宮の開き具合によっては

追加5本を入れたいと。

 

遂にギブアップ!!

 

そこで先生

 

「じゃあ、子宮のさらにら奥を拡張する

 バルーンに切り替えましょう」と。

 

つかの間ホッとする。本当につかの間 !

ラミナリアを抜くときに悶絶してしまう。

 

無痛分娩前に、こんなに痛いおもいをするとは夢にも

おもっていなかった。

 

夜はバルーンと共に就寝だが、寝れやしない。

下腹部鈍痛。

 

そして

 

2分間隔で10秒の痛みから30秒の痛みへ。

22時半までその痛みに耐えるが

精神安定剤を飲んだ途端に

朝4時まで眠りに落ちることができた。

 

薬さまさま。