以前、神社の横を通っただけで、痛みが一瞬で消えた出来事を書きました。
その春日神社に、やっとお参りに行ってきました。
思い立ったのは、3月3日。
その日は、その神社の横を通る予定がありました。
以前は、駐車場がよく分からなかったのですが、ストリートビューで何回か調べて、ここが駐車場かな?という所に駐車しました。
道路沿いに面して鳥居が建っています。
鳥居手前に、石仏が数体ありチェーンで囲ってあります。
ちょっと修験っぽい雰囲気もあり、修験者さんたちが以前は来ていたのかなと思いました。
鳥居をくぐり、手水し、進みます。
両脇の狛犬を越えると、両脇に小さなお社があります。
そちらも参拝。
階段を上がって行くと、拝殿があります。
赤と白で綺麗に塗られています。
本当は、もうちょっと違う色にしたかったのに原色になってしまった?そんな感じも受けました。もうちょっと朱色にしたっかたのかなー
違ったらごめんなさい🙇
神紋の『下り藤』も丁寧に色が塗られていました。
参拝。
拝殿の左右も綺麗に塗られていました。
何の花かは分かりませんが、ゆり?何だろう?
拝殿は優しい女性的なエネルギーの雰囲気です。
ここは、昔、東山と呼ばれ、高千穂峰から見たら東側に位置する場所。
拝殿から振り返り、高千穂峰が見えるか見てみましたが、見えません。
ここからは、高千穂峰が見えるはずなんだけど…
大きくなった木の向こうにあって見えないのかも。
階段を下りながら、高千穂峰を探します。
見えないなー見えるはずだけどなーと思ったところに
あ! あったー
右上の方に高千穂峰が見えました。
現代では、建物などで遮ってしまっている部分がありますが、昔はよく見えていたのだろうなと思いを馳せました。
春日神社の祭神は
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
姫大神(ひめのおおかみ)
説明板の文字が薄くなっている所が多く、分かりにくいところもあったのですが、説明板によると
958年より少し後に創建
1078年頃、藤原氏は、別当寺として天台宗 東龍寺(とうりゅうじ)を建てた
鳥居横の石仏や六地蔵は、天正年間(1573~1592)のもの
などと書いてありました。
鳥居の横の石仏なども何百年も経っているんだ。
そして、興味深いことが!
ここに天台宗寺があった?
名前も『東龍寺』って、高千穂峰に対して東山で東の龍ってことなのかな。
今は、もう跡形もないのかな??
少し調べてみたら、都城市高城町穂満坊の高城(月山日和城)の西側、町中を南北に抜ける道があり、その辺りに 東龍寺の未寺、不動寺があったそうです。
未寺などがあるということは、結構なお寺だったのでは?
風水では、東に龍を置くとよいとされていたりしますよね。
日本自体が、地球では、東の龍ですよね。
この春日神社の場所は、高千穂峰から見て東。
東山と言われ、春日の神が祭られ、東龍寺が建てられ、
守りの要所であり、パワースポットだったのだと思います。
そして、今も。
高千穂峰の御池(みいけ)の水を北斗七星の柄杓ですくうように、
巨石が北斗七星と同じように配置されている事実があります。
これもいずれ書けたらと思っています。
高千穂峰を守るように、昔から壮大な仕掛けがしてあるのかもしれません。