宝泉寺のすぐそばに

 

気になる所があったので探索してきました

 

目をひいた木目

 

 

木の下の 赤い社

 

木の周りの 石碑? 墓石の群れ

 

何なんだろう? これは

 

近づいてみると

 

 

『城ケ崎火伏地蔵菩薩』の立て看板が見えました

 

どこに 火伏地蔵さんが あるのだろう?

 

興味を引かれ行ってみましたニコ

 

 

 

まだ新しいブロック階段

 

何の神様なのでしょう?

 

 

恵比寿様でしたほっこり

 

城ケ崎恵比寿様

 

 

参拝お願い

 

賽銭箱の横に置いてある石は 

御供物? 願掛け? お礼?

奥にも小石が置いてあります

 

 

城ケ崎恵比寿様の 横は

城ケ崎火伏地蔵菩薩

 

 

こちらに『城ケ崎火伏地蔵菩薩』がありました

 

扉越しに 中を拝見

 

 

城ケ崎火伏地蔵菩薩様でしょうか

 

横に 

大きな顔大きな手が置いてありました

 

 

 

社の周りも 石仏が並んでいます

 

 

 

縦長の土地には 

奥の方へ 石塔などがたくさん並んでいたので

進んでみました

 

行きついた先は 道路でした!

 

 

こちらがメインの入口みたいです

 

通り抜けてきた石塔などは

城ケ崎俳人墓碑並びに板碑群

でした。

 

城ケ崎に有名な俳人がいたのかな?

俳人墓碑うーん? 俳句の人のお墓??

 

宮崎市指定史跡

「城ケ崎俳人墓碑並びに板碑群」

指定年月日 昭和四十七年三月十日

 

この地は、江戸時代から明治初期にかけて俳句を中心にした町民文化が栄えたところであり、多くの俳人を輩出し、城ケ崎俳壇とよばれた。そして本件の各地区に俳句結社をつくり、作品の添削、指導を行うなど、町人の俳諧、文事を盛りたてた功績は大きく、今日なおこうした俳人たちの墓碑二十五基及び石経塚三基が集合していることは稀であろう。
また墓地内には、数奇の板碑があり、中でも重要な板碑は、ア字板碑と阿弥陀三尊の種子(梵字)のある板碑で、これらの板碑は、隆額板碑と呼ばれ、九州には多く分布している。ア字の板碑には、嘉暦三年(1328)の銘文があり阿弥陀三尊板碑の紀年銘については、正和三年(1314)とも判読出来るようで、そうなると宮崎市はもちろん宮崎県内においても古式の板碑になると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

下城ケ崎公民館が目の前にあります

 

こちらの住所は 城ケ崎 ではなく 恒久

 

現在も「城ケ崎」という地名はありますが

 

現在の「城ケ崎」「恒久」あたりが

城ケ崎ということだったのかなと思います

 

城ケ崎は

商い 芸術 など 町民文化が盛んで

豊かな歴史があったことを

こちらでも探訪することができましたニコ

 

ありがとうございました

 

【城ケ崎の歴史に関する記事】

 

 

 

 

 

十数年前、通りがかりに 仁王様を見て

是非じっくり見たいと思っていた

仁王像を拝見してきましたニコ

 

もっと早く行けたんじゃない?という感じですがイヒ

長い年月を経て 今年のタイミングになりました

 

浄土真宗本願寺派 瑞龍山寶泉寺

宮崎市恒久3丁目21-2

 

道路に面した山門の仁王像

 

 

やっと じっくり拝見にやって参りましたーキラキラ

よろしくお願いします

 

うひょー やっぱ カッコイイ!

 

写真撮らせていただきます

 

阿像

 

 

 

 

串間円龍院の作品です

 

 

円龍院様ラブ

 

時を超えても刻まれている名前

 

そっと触れさせてもらいました

 

しっかり彫られている名前 嬉しいです

 

 

吽像

 

 

 

後ろ全姿を撮りたいのですが、後ろの壁が近く

うまく撮れませんショック

 

 

しゃがんで壁に背中を押し付け 

スマホで何回も撮影した中で ましな写真↑

 

 

寶泉寺山門の仁王像

寛政元年(1789年)に城ケ崎の平穏や火災除け、五穀豊穣を願い若者組が真言宗如宝寺(にょほうじ)に建立しました。古城の護東寺(ごとうじ)住職で仏師の串間円龍院が彫ったもので、円龍院三百六十二体の作品を残している。

山門に向かって右が宇宙の始まりを表す「阿像」、左が宇宙の完成を表す「吽像」である。

如宝寺は、明治五年(1872)に廃寺となり、その後現在の浄土真言宗寶泉寺に移された。

 

若者組が願いを込めて串間円龍院に依頼し、如宝寺に安置され、廃仏毀釈で、こちらの寶泉寺に移されたのですね真顔

赤江地域まちづくり推進委員会さま学ばせていただきました。

 

 

つづいて 寶泉寺の境内を拝見しました

 

 

 

鐘の向こうに 勢いよく茂る緑が見えました

 

近づいてみると ツルが木に巻き付いていました

 

 

ツルを根本へ辿っていくと 藤でした

 

 

4月下旬近くだったので

藤の花は終わりかけでした

見頃は、自由に伸びる藤がきれいでしょうね

 

納骨堂

 

散策させていただきありがとうございました

 

 

ついででなんですがほっこり

円龍院さんごめんなさい

画像のアップロードだけしていて

記事を書いていなかった 串間円龍院の仁王像を紹介させていただきます!

 

宮崎市大塚町

曹洞宗 多寶禅寺

 

山門の両脇にいらっしゃいます

 

 

屋根に 薩摩十字 

丸い瓦の中に 左三つ巴

 

武家に支援されていたとか

関係があるのですかね

 

多寶寺も歴史が古い寺です

もう少し調べてみたら分かるかもニコ

 

 

 

阿像

 

 

 

 

吽像

 

 

以前は、この山門の脇ではなく

山門へ続く 丁字路の入口に 立っていた 記憶があります

 

この道の先の 入口辺りに

立っておられたと思います

 

以前は、モリモリと木が茂っていましたが

切り開かれ 新築家やアパートが建っています

そのようなことで、いつの間にか山門脇に移動されたのかと思います

 

多宝寺の本堂改築や納骨堂新築などあった頃かも?

十数年前? 記憶があいまいですぶー

 

気づいたら移動していましたガーン

 

 

仁王様は、場所を動かされることが多いなと

地元史を探求していて思います

 

 

 

こちらも下矢印串間円龍院の作品たちです指差しキラキラ

 

 

 

 

こちらは串間円龍院の父・串間延寿院の作品です指差しハート

 

ありがとうございました

チキン南蛮発祥の店 直ちゃん から

車で約10分

 

天台宗 龍泉寺 に到着

 

 

龍泉寺で行き止まりとなり

龍泉寺の後ろは山々です

 

「瀧泉寺」が元々の字なんでしょうね

水に御縁がある寺名ですね

 

 

神仏の石像 水神様 など

多くの像が並んでいます

 

 

 

 

門から中へ入ります

 

 

 

 

お賽銭とお線香をあげ参拝

 

 

龍泉寺の横にある

蛇谷霊場奥之院登り口

 

ここから蛇谷神社を目指します

 

杖が置いてあるので使用することができます

 

 

ゆるやかな坂道を上がっていきます

 

しばらく行くと看板があります

 

 

この看板にたどり着くまで

龍泉寺から5分くらいでしょうか

 

ここから奥之院まで

ゆっくり歩いて7~8分だったと思います

 

奥之院に到着

 

 

奥之院の壁に

マムシ注意の看板があります

 

みちびき地蔵

 

 

お賽銭をと思ったのですが、入れるところがなく

お参りだけさせていただき

さらに奥へと進みます

 

道は、狭い所や尖った石がゴロゴロしている所もありますので、足元には十分お気を付けください

 

蛇谷神社が見えてきました

 

 

 

鳥居には

坂巻龍神

八大龍王神

熊野権現

とあります

 

鳥居の周りも 鳥居の内も 

石仏がたくさん並んでいます

 

 

鳥居をくぐり

弘法大師像を通り

 

 

瀧の門のそばへ

 

赤い社の上にある建物は 神殿です

 

こちらの門から 男瀧

 

 

 

この日は、こちらの男滝までの参拝としました

 

神殿は、下からお参りしました

 

この道を石段の方へ5分進むと 女瀧

 

この日、ここまでの参拝にしたのは

 

一人の女性が素足にペタンコサンダルだったので、虫よけを持ってきていたのでスプレーしてもらいましたが、虫以外にもケガの心配もあったため。

 

あともう一つ、ゆるやかな登り道ではあったのですが、「あー」「まだ?」「修行だ」「旦那と出かける時もいつも修行のような道ばかりだ」などと、ずっと言葉に出てしまう女性がいたので、この先は、止めておいた方がよいかなと、進むことはやめました。

 

到着した男瀧で、手すりにトゲトゲの大きな毛虫が一匹待っていました。「毛虫がいますよ」と言うと、毛虫に向かって「うわぁ あー苦手なヤツー」と毛嫌う動作をしていました。虫が苦手な人はそうなのかもしれませんが

何も言わず見守るでよかったのかもしれませんが、どうしても発してしまうみたいです。

 

神仏へ向かう時に、不平不満を発する人、自分のことしか考えていない人がいると、そのような波動のものが寄ってくることがあります。

私は、そのようなものが見えるとかではないですが、神仏へ向かう時に、そのようなことを発している人がいる時に体感させてもらったことがあります。そのような気持ちが入っていれば入っているほど、寄ってきます。

ある意味、よい学びとなりました。

 

聖域だけでなく、向かう道中、帰りもですが、不満や文句は慎んだ方がよいと思います。

 

ほとんどの方は、そんなことはなく、神仏へ行かれていると思います。

 

ただ行って、何か(癒し、リフレッシュ、浄化など)をもらうばかりではなく、礼儀をわきまえることが大事だと思います。

 

ちなみにニコ

 

神社で虫に遭遇するのは

神様や場からの歓迎。浄化をしてくれていることも。

毛虫が瀧のところで待っていてくれたんだから。歓迎してくれて浄化もしてくれていたのかもしれませんほっこり

 

毛虫のメッセージ

大いなる成長 才能開花 忍耐

 

神社で毛虫にあうのは

大きく変わる変容の時期

自分自身を取り戻す

忍耐・継続のシンボル

自然との調和

 

毛虫は、いろんなメッセージを教えてくれていたかもしれませんほっこり

 

 

合掌お願い

 

 

ありがとうございました

 

宮崎県北の延岡市

延岡駅中心街近くに

今山があります

 

黄色で囲った所

 

今山は、神仏の聖地 祈りの場

 

今山大師寺には

高さ17mの日本一の弘法大師像が立っておられます。

1957年に世界平和と万民幸福を祈願して建立されました。

 

以前、高野山に行った時に

ガイドさんが、今山大師寺の弘法大師像のお話をされ「大きさが日本一なのはもちろんですが、今山の弘法大師像は編笠を被っておられないお姿は、珍しい」と聞きました。

 

 

今回は、今山

山すその神社をご紹介します指差し

 

大通りに面する鳥居から入ると 駐車場があります

 

 

鳥居の両側には 巨大狛犬がありますが

ほぼ見えていません

 

 

鳥居と同じくらい大きいのですが

新緑で覆われています

 

狛犬の全景を撮るべくチャレンジしましたが

うまく撮れませんでした泣き笑い

 

木が~爆  笑

枝ぶり良すぎー

 

 

 

 

昭和14年に奉納されています

 

 

鳥居をくぐり 

 

 

参道へ進む前に 左手の方へ行くと

 

徐福伝説之碑

蓬莱山とも呼ばれ霊気ただよう今山の麓は 太古太平洋の白波が寄せる浜であった

紀元前二百二十年ころ 秦の始皇帝の名を承けた徐福は 蓬莱山にあるという不老不死の薬草を求めて中国から渡海しこの浜に到り 渚にあった徐福岩に船をつないで上陸したと伝えられる

また徐福は医・工・農などの工人多数を伴って来たことから大陸の文化が初めて日本に入ったこの地であったと云えよう

 

徐福伝説は、全国にありますね

日本を周っていたのかもしれませんし

大人数で来たので何らかの関係があるのかもしれないですね

 

徐福岩

 

徐福堂 徐福像

 

 

神社参拝へ戻ります

 

 

橋の入口に 逆立ちをした狛犬

 

 

神門(赤門)

 

左右に おそらく右大臣左大臣だと思うのですが

武将のような方が守っていました。ガラスの反射や柵でほとんど見えません

 

 

 

門をくぐると 地面が隆起していて不定な地面 

鳥居の向きなども相まって 三半規管が強くない私はクラクラしました無気力

 

 

大きな字で「延岡十日えびす」と看板があります

九州三大えびすの1つといわれています

毎年2月10日11日開催

 

 

今山恵比須神社

 

 

 

拝殿を横から見たら

前の屋根がググぐと下向きに下がった作りになっていました

 

境内の傾斜と合わせて下向きにしてあるのかもしれません

 

このような角度や地面の関係で平衡感覚が変な感じになってクラクラしたのかも無気力

 

 

今山恵比須神社の 右手は 

材質 御影石一本石々段 日本一石段

 

上っていくと 今山八幡宮の本殿拝殿に行けます

 

 

門(赤門)近くの

正一位今山八坂稲荷神社

 

 

 

清水の後ろに

今山八坂神社の小さな鳥居

 

 

お狐ちゃんたちが並んでいました犬犬犬犬

 

 

そろそろお昼が近づいてきたので

目的のお店へ

車で移動予定だったのですが、商店街を通って行こう!ということで街ぶら

 

アーケードを歩いていると

でっかい鳥居が現れました

 

 

「えー こっちからも行けるんだー」と話していたら

地元の方が「そうですよ。行けますよ」と教えてくださいました

今山八幡宮に行けるようです

 

今山八幡宮HPより

 

今回は、今山の麓をめぐりました

行ったところは⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑬です

 

日本一の弘法大師像は、今山八幡宮のまだ上です

 

 

ゆっくり歩いて 

チキン南蛮発祥の店「直ちゃん」に到着

 

開店前から並んでいました

 

 

この日は、GWの平日

県外から来ている人も多いようでした

 

開店と同時に案内がはじまり

続々と中へ入っていきます

もうすぐです

 

 

オーダーしたのは チキン南蛮定食

 

直ちゃんのは、タルタルはありません

ふわふわ衣と甘酢です

 

 

カラシと柚子胡椒が小袋でテーブルに用意されています

使うかは自由ですが、

はじめは素のまま味わって、途中からカラシを付けて食べるのが個人的おススメ

 

現在の「直ちゃん」と同じ通りに

旧「直ちゃん」があります

 

 

お店を眺めたり覗いたりしていたら

地元の方が「直ちゃん、そこじゃないよ、あっちよ」と教えてくださいました

 

延岡の方は、気に掛けて声を掛けてくれて親切です

 

ありがとうございました

宮沢賢治生誕130年

イーハトーブの物語を彩る石たち

 

宮崎県立博物館のロビーで展示されています

無料です

 

皆さんは、宮沢賢治について詳しいですか?

 

私は、学校の教科書に出てきた作品を読んだ程度で詳しくありません真顔

 

宮沢賢治と聞くと、

夜空に輝く星々や宇宙流れ星キラキラ

星々の輝きを最大にいかすそれ以外の光がない世界星空

そんなイメージです

 

 

今回「イーハトーブの物語を彩る石たち」に行って

 

宮沢賢治は、不思議くんだったんだなと思いました

不思議は興味をそそられます 不思議大好きですキラキラ

 

自分の世界を持つアーティスト

理想郷イーハトーブに実際に住み、現実と行き来していたかもしれません

 

いろんなキラメキ、波動を出す、石が大好きだったんだな。

石は、彼の表現のひとつでもあった。

石を読み解くと彼の作品がより分かるのではと思いました。

好きなものへの探求、一直線

揺るがない自分をしっかり持っている

そんな青年だったんだなと感じましたニコ

 

 

 

 

いろんな石が展示されています

 

ブラジル、アメリカ、中国、日本(宮崎、石川、新潟など)

 

 

各石の説明の下に

石が登場する作品が表示されています

 

 

 

 

 

小学4年生から「石」に興味を持ち

「石っこ賢さん」と呼ばれるようになった

 

 

 

 

 

地質学を教えたり、砕石工場の技師として働いたり

常に「石」がある生き方をした賢治

 

 

 

賢治にとって「青」は特別な意味を持っていた

 

 

ブログには、すべての説明や石はアップできていませんほっこり

 

ロビー展示の無料ですが

かなり見ごたえ、読みごたえがある展示になっています

 

 

隣の特別展示室では

第46回SSP展が開催中なので

堪能してきましたニコ

こちらも無料です

 

 

宮崎県立博物館 中庭には

でっかい丸い石が置いてあります

 

球状炭酸塩コンクリーション標本

 

 

 

最も大きな標本は、直径約1.2m 重さ約2.5t

2020年現在、日本最大級

 

半球状の標本の片方は、名古屋大学博物館に展示されています

 

 

宮崎県立博物館

他にも常設展示 や 民家園 など

無料で楽しめます

 

特別展は、有料です

7月11日からは

「ざんねんないきもの事典in みやはく ~おもしろい進化のふしぎ! みんなちがってみんないい~」がスタートします

八手神社を参拝後、向かったのは

 

宮崎市城ケ崎にある

八坂神社

 

 

丸レッド御祭神丸レッド

素戔嗚尊
八王子
稲田姫命

 

寶歴11年(1761年)1月24日 京都「祇園社」のご分霊を勧請して、この地に「祇園天皇社」として建立された。

 

往時、城ケ崎町隆盛の時代「祇園神社」と称し、別名「牛頭天皇八坂神社」とも称され崇敬されていた。

 

ニコ八手神社をお世話している方が「昔の城ケ崎は、金持ちでないと歩けないと言われていた時代があった」とお話してくださいました。

その頃が城ケ崎隆盛の時代かな。城ケ崎は、海に近い川港で関西方面との貿易が盛んで栄えていたそうです。

 

明治3年(1870年)6月朔日王政復古につき「夜句茂(やくも)神社」と改称、社殿の改築を行っている。

 

当時官命により「恒久神社」と合祀となったが、祭祀は毎年続けられ、のち復社許可となり「八坂神社」と改称し現在に至る。

 

 

牛頭天皇八坂神社

参拝お願い

 

小川〇〇翁碑

〇〇は象形文字のような難しい字で何と読めばよいか分かりませんアセアセ

 

 

恵比須神社

商人の町として栄えた城ケ崎の人々が

大切にしていた恵比須様なんだろうなと思いを馳せましたニコ

 

参拝お願い

 

恵比須神社は


通り沿いの 八坂神社鳥居の 右階段からも

参拝することもできます

 

郷土の銘木 イチョウ

 

 

境内は、木々で癒される場所です

 

 

続きまして

水神様

 

 

水神様の祠 

 

社の中の 水神様

 

参拝お願い  後、写真を撮っていたら

 

あららガーン 自分が入れたお賽銭が

お賽銭箱の下にあります

 

あれ?ちゃんといれたよねうーん

おかしいなー

ちゃんと入れなおそう!

 

そう思い、賽銭箱の下を見たら

 

 

何枚もの硬貨が落ちていましたガーン

 

んん? おかしい

 

お賽銭箱を上から まじまじと見てみると

 

底の真ん中が 抜けていました!

 

そりゃあ落ちてしまうはずだ

 

端の方は、賽銭箱になんとか残っていました

 

 

賽銭箱の下のお金を全部集めて入れなおすには

すんごい格好で 手を突っ込んで

かき集めなければなりません。

 

寝そべる勢いで 賽銭箱の下に

手を突っ込んで お金を集めていたら

お賽銭泥棒的な動作びっくり

 

んんん どうしよう

 

集めて入れても また抜けて落ちてしまうかも

 

水神様 今回は 見守らせていただきますお願い

 

管理されている方が気づいてくれるとよいですが。

 

もしや賽銭泥棒が発生しているかも??

ブログを書きながら写真を見てみたら、賽銭箱の位置が左の方に寄っているので、右利きの賽銭泥棒が賽銭箱を持ち上げて搾取しているかも?? 上からでは手が入らないから下から突き破ったか! 勝手な推理アセアセ

違うとよいですが

 

そんなこんなで、参拝中は

ふぁ~ はぁ~ と神社を楽しんでおりましたニコ

 

最盛期の城ケ崎を見守り

地域の方々に大切にされてきた

八坂神社 参拝でした

 

ありがとうございました

去年末、初詣の案内看板を見て

気になっていた神社へ行ってきました。

 

八手神社

 

到着しました!

はじめまして

よろしくお願いしますニコニコ

 

 

一の鳥居をくぐり

 

狛犬さんを拝見

 

 

御由緒板を拝見

 

 

丸レッド御祭神丸レッド

事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)
塩土老翁(しおつちのおじ)

 

事勝国勝長狭命塩土老翁

同一神とされることがあり、

八手神社は、海・塩に関する神社なのかなニコ

 

二の鳥居は、高さが低く 

鳥居の注連縄の紙垂が

頭に当たって 嬉しいほっこり

ちょっとテンションが上がる

合格石造りの二ノ鳥居は、県内最古級だそうです

 

二の鳥居の写真を撮ろうかなーと思ったら(写真撮っていません汗

神社にどなたかがいらっしゃるのが見えました目

 

観音堂をお掃除されているようで

お忙しそうでした。

 

手水をし、

「こんにちは」と挨拶をすると

「こんにちは」と返してくださいましたニコ

 

 

まず、八手神社を参拝しましたお願い

 

八手神社拝殿

 

 

八手神社境内には

いくつかの社が並んでいました

 

 

経年で原型が崩れてきています

 

 

青面金剛? 千手観音?

 

 

如来様? 御大師様?

 

 

道祖神? 六角地蔵? 梵字で書かれています

 

八手神社鳥居献納記念碑     日露記念

 

 

一生懸命お掃除をされていた男性が

観音堂から出てこられたので

 

「お参りさせていただいていいですか?」と聞くと

 

「どうぞ。お参りください」と快く言ってくださいましたニコニコ

 

 

お参りの前に、

津屋原観音の読み方をうかがってみましたニコ

 

「つやばる」と読むそうです。

 

 

ニコ「この辺りは「つやばる」という地名なのですか?」と聞いてみました。

 

男性トイレ「元々は、宮崎市赤江津屋原にあった観音様をこちらに移したそうです」

 

ニコ「確かに、津屋原と書く池のような沼のようなのがありますよね」

 

男性トイレ「戦争のために、赤江に空港を造るため津屋原の土を、空港建設地埋め立てのために持っていってたそうです。それで沼になっているそうです」

 

ニコ「え== そうだったのですか」

 

男性トイレ「そういうことがあって、こちらに祀られているのです」

 

 

そのような歴史があったとは真顔

御由緒をあとでよく読んでみたら書いてありました。

昭和18年(1943)旧海軍赤江飛行場が建設された為この里に移転した。

 

 

続いて、八手神社の質問をしてみました。

 

ニコ「あのー、このやつでじんじゃは」

 

男性トイレ「これは「やって」と読むんですよ」

 

ニコ「え!?やつでじゃないんですか?あの植物の八手(やつで)と一緒かと思っていました」

 

男性トイレ「「やって」なんですよ(笑)」

 

ニコ「ほー。知りませんでした」

 

男性トイレ「昔、赤江のあたりは「やって」と言われていたんですよ」

 

そうだったんですねガーン

赤江(あかえ)八手(やって)、 同じ場所とは想像しにくいガーン

勉強になりました。

 

 

お話を聞く中で、

ちょっと、塩土老翁(しおつちのおじ)のことを思ったのです。

 

なぜか、自分の叔父でもないのに

「おじ...」と心配になってしまいました。

 

津屋原の土を持って行ったみたいだけど、

そこに祀られていた塩の土の神様の塩土老翁は大丈夫なのだろうか?

塩土を大量に掘って持って行ったのだよね。

出来た空港も津屋原から近いけど、土を動かしてよかったのだろうか。

 

戦時中で仕方のないことだったのかもしれないけど。

しかし、ここで大切に祀られているから大丈夫なのか。

と思ってしまいました。

 

津屋原の土で作られた海軍赤江飛行場

現在の宮崎空港「宮崎ブーゲンビリア空港として活用されています。

 

 

お世話をしている男性とお話をしていたら

雨が パラッ パラッと 降ってきました。

 

男性トイレ「雨が降ってきましたね」

ニコ「お忙しいところ手を止めてしまってすみません。まだお仕事があるんですよね」

と、バタバタと会話をし、男性は八手神社の拝殿のお掃除へ。

 

男性トイレ「またお参りに来てくださいね。毎月いろいろありますから」

ニコ「はい。ありがとうございます。時々、お参りに来ます」

とお別れしました。

 

私がお参りしたこの日は17日。

翌日の18日に、朝8時から観音様のお参りがあるそうで、朝やっていたら間に合わないから前日に綺麗にお掃除をしていたそうです。

 

毎月1日は、八手神社の月次祭

毎月18日は、観音堂御縁日

 

元日は、0時前から行列ができるそうで、お汁粉の振舞などもあるそうです。

 

夏祭りなどもあり

 

木を切ったり、お掃除したり、1年を通して結構することがあるそうです。

 

毎月お一人で準備されているのかな?大変なんじゃないかなと思いました。

 

八手神社は、宮司さんの常駐はなく

恒久神社の宮司さんが、八手神社八坂神社も兼務しているそうです。

 

 

こんなに丁寧に一生懸命お世話してくださる方がいて

塩土老翁も観音様も、みんな喜んでいらっしゃると思います。

 

 

八手神社の垣根

お花のよい香りが漂っていました

 

 

 

神社の裏手は 津屋原公民館

 

地名は「津屋原」ではないのに 津屋原公民館

津屋原から移ってこられた神様たちの境内に公民館が出来たのでしょうか

 

参拝の際は、

こちらに車をとめてよいそうです車

 

 

別日に

津屋原沼に行ってきました

 

ここは「赤江のタンポリ」ともいわれています

 

 

津屋原沼の向こうは、太平洋

 

 

周辺は、整備されています

 

 

津屋原沼の半分は

マリーナになっていて船が係留されています

 

右手の空は、飛行機の離発着が見えます飛行機

 

海を背に 遠くを見れば

遠くに高千穂の峰、尾鈴山などの山々が望めます

 

 

現在の地図

 

黄色の丸が 津屋原沼

 

ピンクの線が 宮崎空港

 

 

神社の参考に拝見している

宮崎県神道青年会のHPで

八手神社について確認してみると

「やって」ではなく「やつで」と書かれていました。

 

昔から知っている人や地域の人は「やって」で、現代は「やつで」なのか?うーん

 

植物の八手も思いましたが、海の傍なのでタコの8本足で八手とかも思いました宇宙人

 

 

八手神社住所も 地名だけ違って
「恒久」なのですが「田吉」となっていました。

どちらも近い所にある地名ですが、
昔は田吉だったのか??単なる間違いか?うーん

 

また神社のお世話をされている方にお会いする機会があったら聞いてみたいと思いましたニコニコ

 

ありがとうございました

 

 

 

宮崎市街から国道10号線を小林市方面へ

国道から左に入るようナビから指示があり

あーあせる と通り過ぎ あんぐり

えー汗 どこですか?どこで下りれば不安

と独り言を言いながら

無事地到着しましたひらめき

 

 

宮崎市高岡町内山2815番地ノロ

内山神社

 

 

旗がいっぱいひらめき

 

日本国旗

内山神社

厄除祈願

商売繁盛祈願

初宮参り

家内安全

 

いろんな神様がいらっしゃって

いろんな祈願を聞き入れてくださっているのかな

 

 

 

灯篭は、市松模様と薩摩藩(島津家)の家紋

 

 

ここ高岡町は

薩摩藩の名残が多く残る地域です指差し

 

薩摩藩になる前は、「久津良名(くつらみょう)」と呼ばれ、日向伊東氏の伊東四十八城の1つ内山城がありました。

この内山神社と同じ名前の城。

 

その後、薩摩の島津氏支配下となり、島津氏が関ヶ原の戦いに敗れて以降、勢力圏東辺部防衛の要衝として重視され「内山城」「天ケ城(あまがじょう)」と改称し、麓に配下の武士730余戸を移住させました。

 

現在も天ケ城は存在し、天ヶ城公園は桜の名所となっています🌸

 
他にも、高岡町には、穆佐城(むかさじょう)跡(国指定史跡)もあります。
 

 

手水をし、参拝へ

 

 

内山神社の由緒を見てみると

 

 

いっぱいの神様 と いっぱいの合祀社が びっくり

 

元は、島津義弘が関ヶ原の合戦より帰陣の途、高岡郷を取立て、鎮守として鹿児島の稲荷大明神の分霊を天ヶ城中腹に勧請したのがはじまり。

 

元「稲荷七社大明神」と称し別当寺として稲荷寺を建立し、忠助法師を鹿児島伊集院より移し開山したが、廃仏毀釈により廃寺となった。

 

明治新政府が主導した廃仏毀釈

薩摩藩(鹿児島県・一部宮崎県)は、とても激しく徹底的に破壊されました。

 

稲荷寺 見てみたかったな 犬

 

 

そういえば、今月、鹿児島の方とお話する機会があり

「鹿児島は、神道という家は少なく、ほとんど仏なんですよ。自分のところは、浄土真宗」とおっしゃっていました。

 

その後、神棚や隠れ念仏の話などを少ししました。

 

廃仏毀釈で、必死に仏様を守ってきた地域だからこそ、仏を大事にされきたのかもしれません。

 

 

 

拝殿の中は

 

 

 

稲荷大明神の旗

昭和二十一年と書いてありますが、その頃の旗でしょうか

 

狐のお面

燈明には狐

狐みくじ

 

内山神社には 赤狐 白狐 の話が残っています

元和元年(1615年)、大阪の陣の際、慈眼公(島津家久の法名)が軍を率いてこの地に滞在し、出発する時、稲荷社から白狐と赤狐が現れ、臼杵郡細島までの道中、毎日のように軍の前に姿を見せた。
やがて大阪での敗戦の知らせが届くと、人々はこれをこの神社の加護であると考えた。

寛永15年(1638年)、肥前国島原の乱の際、この村からも兵が動員されたが、出陣の際に赤狐が軍の先に現れた。ところが、その狐は途中で突然引き返してきた。
さらに第二陣が出発する時、地頭の仁禮蔵人が村の兵を率いて出立前に稲荷社に参詣すると、白狐と赤狐が現れた。

両軍が出水の米之津に到着したところ、すでに島原城が落ちたとの報せが届き、全軍は帰還した。
最初の軍が出発した日に赤狐が途中で引き返したのは、今回の出兵は帰還することになるという前兆だと蔵人が語っていたが、結果的にその通りとなり、人々はこれも稲荷神の霊験であるとした。

 

 

境内には 小さな祠など があります

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりできるベンチ

 

 

鳥居の前や 神社周りの道は 石畳

 

 

 

神社周辺は、武家町の名残があります

 

駐車場は、分からなかったので

神社そばの 中村自治公民館に 

とめさせてもらいました 車

 

 

 

 

ありがとうございました

 

 

 

 

 

松熊神社

宮崎県宮崎市小戸町36番地

 

海にほど近い住宅街の中に

鎮座されています

 

 

 

丸レッド御祭神丸レッド

伊邪那岐命神
伊邪那美神
速秋津彦命神

瀬織津咲神

 

丸ブルー御由緒丸ブルー

人皇第十二代景行天皇の、小戸神社と同じく松熊山にご鎮座されましたが寛文二年(一六六二年)九月十九日の西海大地震による洪水のため社殿流出の災厄に遭いのち下別府字下北山に再祀しましたがその後寛永五年大淀川の港脇へ祀を建て水門の神として遷座申し上げ社名は往古の鎮祭地であります松熊山の松熊を付けました。

一九六八年(昭和四十三年)明治百年を記念してご本殿改築が行われました。

例祭は旧三月十三日で吉村八幡神社の末社です。

 

 

※「上差し」は、御由緒内にある部分の説明

 

上差し「寛文二年(一六六二年)九月十九日の西海大地震」

外所地震日向灘地震西海大地震とも呼ばれる

以下Wikipediaより

外所地震(とんどころじしん/とんところじしん)とは、1662年10月31日(寛文2年9月20日)未明に日向灘沖(北緯31.7度・東経132度)で発生したマグニチュード7.6〜7.9 、津波マグニチュード Mt 7.7の地震。最大震度は6強(推定)。
有史以来最大規模の日向灘地震である。1662年寛文日向灘地震や西海大地震とも呼ばれる。この地震によって、現在の宮崎県宮崎市及び日南市付近を中心に大きな被害が生じた。
「外所」の由来は、加江田川河口北岸に存在していた集落で、本地震によって海没したと伝わる。

 

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上差し下別府字下北山」

現在の宮崎市吉村町下別府あたり

 

 

上差し「社名は往古の鎮祭地であります松熊山の松熊を付けました

松熊山ってどこ?と思い、探索

‛宮崎県宮崎市吉村町松熊甲’という地名を見つけました

現在の宮崎県宮崎市港3丁目 あたりに該当するようです

 

 

 

 

車は、境内に置くことができます車

 

 

 

 

参拝お願い

 

 

参拝お願い

 

 

摂社の横の切り株そばには 疑似カラス

 

 

ちょうど道なりにカーブになっている所が

地域のごみ集積所になっています

カラス除けのカラス

 

 

以前は、大樹もあったのでしょうが

切られています。

 

明治100年を記念して改修工事が行われてから

今年で58年。

 
 
吉村八幡神社の改修修繕工事に併せて
松熊神社も改修修繕工事を行うため
寄付のお願い看板が立っていました。
 
 
参拝を終え、
車を出そうとしたろころ
20~30代の欧米人男性2人が境内に入ってきました。
 
参拝に来たのかな?と思い、
安全のため車を止めたままでいたのですが
 
二人は、鳥居の前で立ち止まり
神社の方は見ず、何やら会話をし
 
松熊神社隣の公園へ消えていきました
 
 
ただ、内緒の話があって人気のない神社に来たのか?
 
この辺りに住んでいて通り道にしているのか?
 
なんだかよく分からない雰囲気でした。
 
神社の前を通る時、
参拝しなくても 一礼したり
通らせていただきますという会釈などは
日本人ならではなのだろうと思いました。
 
ありがとうございましたニコニコ
 

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト

 

天照大神の御子であり、瓊瓊杵尊の父

 

を主祭神とする

 

赤池神社

 

宮崎県東諸県郡国富町木脇にあります

 

 

赤池神社の 隣は

国富町木脇児童館

 

 

たくましい木の根が フェンスからはみ出しています

 

丸レッド御祭神丸レッド

 

天忍穂耳命
天穂日命
活津彦根命
天津彦根命
熊野久毘命
田心姫命
市杵島姫命
多岐津島姫命

 

国富町HPより

赤池神社は、国富町木脇に鎮座し天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)をはじめ、8柱を祀っています。

831年(天長8)年の創建で約1、200年の歴史ある神社で「赤池さま」として古くから崇められています。特に主祭神は正勝吾勝勝速日(まさかあかつかちはやび)天忍穂耳命と言い、勝神様として事業繁栄、スポーツ、恋愛運などにご神徳があるといわれ、各地から多くの参拝者が訪れています。

また、境内にある「龍霊木」には、神聖な霊力が樹木に宿り「龍頭」をはじめ、天に伸びる3本の幹は雄々しく、悠久の時空を経て限りない未来へと繋がっています。

 

宮崎神道青年会HPより

当社は、淳和天皇の御代天長八年辛亥3月、木脇郷総廟赤池大明神と称して鎮座したと伝える。建久元年(1190)に工藤祐経が日向国守護となり社領を寄進したのをはじめとして、歴代藩主より崇敬を受けた。

江戸期は高鍋藩主秋月氏に崇敬され、武運長久、国家安全を願い社領五百石が奉納されたと言う。貞享三年(1686)の『高鍋藩寺社帳』によると、本地仏は正観音と虚空蔵正月一日、三月三日、五月五日、九月九日、十一月十二・十三日に祭礼があった。
明治維新後、旧称赤池大明神を現社名に改めた。明治五年郷社に列格。十一月十五日の例祭では、古例にのっとった神馬神事が行われる。

摂社として旧村社・大土神社(祭神・猿田彦命)を祀る。
旧社殿(昭和十二年竣工)が老朽化の為、平成十七年六月起工し、平成十八年二月に竣工、遷座祭が斎行された。

 

参道を歩き 二の鳥居に到着

 

 

木のよい香りが漂ってきます

ふわ~ 良い香り ニコニコ 

 

 

めちゃめちゃいい香り~ フィトンチッドニコニコ

 

鳥居をくぐり

木を拝見

 

 

ねじねじと ねじり上がる 御神木 長命杉

 

 

少し進むと

 

ハート夫婦杉

 

手水舎

 

 

 

参拝お願い

 

 

 

絵馬やお守り 御朱印 などが販売されています

 

 

つづいて

右手の摂社へ

 

 

旧村社・大土神社 祭神・猿田彦命

 

 

参拝お願い

 

 

ここから 左手に進むと

 

「扉」が見えます

 

 

この扉は 龍の扉

 

 

男性は、右足から

女性は、左足から

入ります

 

 

龍霊木の説明

 

龍の霊力は、神聖な樹木に宿るといわれているそうです

 

 

幹から出ている龍頭

 

 

入る時は、左足から入りましたが

出る時は、どちらの足と指示がなかったので

どっちの足を出そうかなーと迷い真顔

入った時と同じ左足から扉を出ました

 

赤池神社の玉砂利には

渦巻模様が数か所に見られましたうずまき

 

 

梅が咲き始めている頃に

参拝しました

 

 

参道には、

記念碑 や 石 がありました

 

 

 

赤池神社のまわりは

スッキリさっぱり整備され

広場や児童館があります。

昔は、木々が多く伸び伸びと茂っていた場所だったのではないかと思いましたニコ

 

ありがとうございました