宮崎県 児湯郡 川南町にある 
平田神社(へいだじんじゃ)
 
道路沿いの看板が目印です
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11405238.jpg
 
 
道路に面して、一の鳥居があります
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11411164.jpg
参道の両脇には、桜が並んでいます
 
桜の時期、きれいだっただろうな🌸
 
 
進んで行くと
真っすぐに延びた参道が
だんだんとカーブしていき
二の鳥居に到着
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11443309.jpg
 
二の鳥居の横に説明板があります
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11441988.jpg
 
ヤマトタケルが、熊襲征伐のために来たことがきっかけの神社です。
 
古文書等があったそうですが、大友宗麟の乱入で焼かれたようです。
 
ヤマトタケルノミコトが船を寄せ上陸したとされる川岸「歳の森」は、宮崎県指定の古墳となっています。
 
川南町も古墳が多い町です。
 
祭 神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 菊理此売神 菅原道真公
 
由 緒
創立年代は不詳なるも 古老の口碑によると 日本武尊熊襲征伐の為 西下されし時 幣田川(現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上られ 川岸の年の森に舟を寄せ給い 現社地の南東の高台(現在も濠跡が存す)の御山に宮居を定め暫しこの地に留まられ 熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
後の仁徳天皇の御宇(西暦300年代)人々は 尊の高徳を慕い 御遺跡を讃え 宮居の地に向かって現社地に神殿を建立し尊を祭神として創始せりと伝う。 
以前は 由緒記古文書等ありしも天正年間(1573年~1592年)大友宗麟 この地に乱入せし際 兵火に遇い 神殿及び古文書焼失せり。 
棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 
足利将軍義政の時(1436年~1490年) 伊東氏より神領300石を寄進。
現今 祭田と称する地名の田地あり。高鍋藩主 秋月公に至り 神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。祭礼には御直参又代参され崇敬厚きものであった。 
明治4年 郷社に列せられる。 
明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀する。 
創始より此方 平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
 
 
平田神社の「平(へい)」は「幣」だったのですね。
 
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_12581061.jpg
 
境内には、りっぱな狛犬
右の「阿」の狛犬は、左手で玉を押さえていて、
左の「吽」の狛犬は、右手で小さい牙のある生き物を押さえていました。
 
拝殿の中は、拝見できませんでしたが
入口すぐに龍の彫物が置いてありました。
 
ガラス戸越しに撮影
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11445300.jpg
 
一人静かに参拝させていただきました。
 
 
『平田神社のおみくじ』について昨日ブログアップしました

 

 

 
神社の木々や、周辺の田んぼ、緑が多く静かなところで癒されます。
 
田んぼが広がる奥に、龍っぽい木が1本
 
平田神社(へいだじんじゃ) 宮崎県川南町_b0299543_11531736.jpg
たまに、龍のツノと顔体のように見える こんなかんじの木をみます。
同じ種類なのかな?と思うのですが、何の木かわかりません爆笑