さて今回は、奈良県の賣(売)太神社(めたじんじゃ)にやってきました。
1300年前に『古事記』を完成させた人物のひとりであります「稗田阿礼(ひえだのあれ)」が祀られています。
『古事記』の序文(「古事記の企画」)には次のように記されています。
時に舎人(とねり)有り。姓は稗田(ひえだ)、名は阿礼(あれ)。年は是れ廿八。人と為り聡明くして、目に度(わた)れば口に誦み、耳に払(ふ)るれば心に勒(しる)す。 (『古事記』 古事記の企画)
その時(古事記を作成しようとするとき)に、一人の舎人(天皇の側近)がいた。氏は稗田、名は阿礼。年齢は二十八歳であった。生まれながらにして聡明で、一度目にした文章はそのままに暗唱し、一度耳にしたことは完全に記憶することができた。
『古事記』は当時の天皇の命令(勅命)によって作成することになりました。天皇の命令ですので、国家事業です。
当然、適任者を選定して作成に当てます。
それが太安万侶(おおのやすまろ)、そして稗田阿礼でした。
上記に続く『古事記』の序文(前書き)によると
臣安萬侶に詔りたまはく、「稗田阿礼が誦める勅語の旧辞(ふるきことば)を撰(えら)ひ録(しる)して、献上(たてまつ)れ」とのりたまへば、謹みて詔の旨のまにまに、子細(こまやか)に採り摭(ひり)ひつ。 (『古事記』 古事記の成立)
(天皇が)臣安万侶に仰せられたことは、「稗田阿礼が誦む(天皇の)旧辞を選び記して献上しなさい」と仰せになりました。謹んで仰せの通りに細部まで目を配って正しい記録を採録しました。
稗田阿礼が「(天皇に関する)伝承を暗唱する役割」
太安万侶が「(その内容を)選定して詳細に書き記す役割」を担ったということなのです。
阿礼が暗唱する伝承を安万侶が書き記すという作業によって『古事記』は完成したのです。
そんな稗田阿礼が祀られている賣太神社。
稗田環濠集落というムラの中に位置していました。
稗田環濠集落というのは「稗田氏族の居住地」です。
稗田氏族は猿女君として朝廷に仕えていました。
猿女君で思い出す神様といえば...そうです、猿女君の先祖 天宇受売命(あめのうずめのみこと) そして、その旦那、猿田彦神(さるたひこのかみ)です。
参考:「猿田彦神社」http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11486241034.html
稗田阿礼は天宇受売命の子孫なので、由緒ある血筋です。
それもあって『古事記』の作成に選出されたとも言われています。
ちなみに、稗田阿礼は男か女か分かっていません。
猿女君の子孫ということで女性のイメージ
一方で、舎人(天皇の側近)ということで男性のイメージ
昔からある論争で、今になっても決着をみていません。
『古事記』の内容には関係ありませんが、男性優位の歴史を覆す可能性があるので気になる話ではありますよね。
『古事記』では稗田阿礼は暗唱者であって神様ではありませんでした。
しかし、いつのまにか守り神になり、現代でも環濠集落の中心に位置して大切に祀られています。
先祖を大切にする日本人の心がここにあるのだなぁと思いながら参拝をしました。
環濠集落の堀は、水がたっぷりと流れていて、
亀が泳いでいたりして、落ち着く雰囲気でした。
おわり