奈良県の「畝尾都多本神社」(うねおつたもとじんじゃ)にやって参りました。
故尓して伊耶那岐命(いざなきのみこと)詔りたまはく、「愛しき我がなに妹の命を、子の一木(ひとつき)に易へむと謂ふや」とのりたまふ。御枕方に匍匐(はらば)ひ御足方へ匍匐ひて哭きたまふ時に、御涙に成れる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木本(このもと)に坐す、名は泣沢女神(なきさはめのかみ)。 (『古事記』 火の神を斬る)
こういうことがあって伊耶那岐神は、「愛おしい私の妻の命を子供一匹の命と替えることができようか」とおっしゃっって、(妻イザナミの)枕元や足元の方へと這いまわりながら泣き叫んでいた。その涙から現れた神が、香久山の畝尾の木本に鎮座している泣沢女神(なきさわめのかみ)である。
この写真は大和三山のひとつ「香久山」です。
『古事記』にあるように、泣沢女神が祀られているこの「畝尾都多本神社」は香久山の麓に位置しています。
神社名の「畝尾」だけではなく
神社の住所「奈良県橿原市木之本町」も『古事記』の「木本」を連想させますねぇ。
ここにイザナキの「涙」が祀られているのかぁ!と意気込みながら神社に向かいました。
たしかに樹に囲まれて、すこし薄暗くて「杜(もり)」という雰囲気でした。
古代の祭場のようにも見えました。
ちなみに、なぜイザナキが泣き叫んでいたのかというと、妻のイザナミが「火の神」を生んだことで体を焼かれて死んでしまったからです。
だから上記『古事記』のセリフに「子供一匹」という強烈な言葉が出てくるのです。
自分の子供を「一匹」と呼ぶなんて普通ありませんので、相当な精神的ショックがあったのでしょうね。
さて、『古事記』の中では「なく」という行為が「泣く」と「哭く」で表現されています。
この二つの漢字の用法は明確に違いがあるそうです。
つまり、「泣く」は声を出さずに泣くという意味で、「哭く」は大声を出して泣くという意味です。
このイザナキの場合は「哭く」です。大いに泣き叫んでいるのです。
では、なぜ泣き叫んだのか?
古代では死者をすぐには埋葬せずに、殯宮(もがりのみや)などに遺体を安置して一定の期間復活を祈ったそうです。
この風習をモガリ・アラキといいます。
その祈りの儀式のひとつが「哭く」ではないかと考えられるそうです。
先に触れた万葉集の歌も復活や回復を祈ったものです。
哭澤(なきさわ)の 神杜(もり)に神酒(みわ)すゑ祷祈(いの)れども わご王(おおきみ)は高日知らしぬ
哭澤の杜に神酒を供え、回復を祈ったけれども、その甲斐なく高市皇子はお亡くなりになった
※訳は境内にあった碑から引用しました
ご神体は「空井戸」だそうです。
それを知らずに行ったので一生懸命に千木を探してしまいました。
古代の風習を感じることができる面白い神社でした。
おわり