八坂神社@京都 | よしおのブログ

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好きなことをつらつら書いていきます。
『古事記』に出てくる神社に行くのが好きです。

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今回は京都の八坂神社に来ました。


八坂神社はかつて「祇園社」と呼ばれてました。
仏教の開祖である釈迦が説法をした場所が祇園精舎です。
神仏習合と際に、その仏教と神道がごちゃ混ぜになって、ついには「祇園」と呼ばれるようになったそうです。

その後の神仏分離の折には、現在の八坂神社に改称されたそうです。
よしおのブログ-八坂神社2
その祇園精舎の守護神が「牛頭天王」(ごずてんのう)でした。

実はこの牛頭天王は疫病神だといわれています。
疫病神は丁重に祀れば禍を連れてくることはありませんが、

大切にしないと疫病を蔓延させます。


かつての平安京は人口流入が多く、インフラも追いついていない状況だったそうです。

死体は放置、糞尿を撒き散らす状態だったのです。

当然、疫病が流行します。


その疫病を鎮めるために盛大なお祭りを開催することになります。


それが現在も残っている「祇園祭」です。

よしおのブログ-八坂神社3
さて、中国からこんな話が伝わっています。


昔、旅をする人がいました。

山中を歩いていると道に迷ってしまい、日も落ちてしまいます。

その上、歩き疲れて極度の空腹も襲わってきました。


すると、目の前に一軒の豪邸が現われます。

旅人が扉をたたくと、巨旦将来(こたんしょうらい)という裕福だがケチな主人が出てきました。

旅人が「食事と、できれば一泊させてほしい」と伝えたところ

巨旦将来は冷たくそれを拒否し、旅人を追い払います。


しかたなく山中を歩き続けると再び一軒家が現われます。

しかし、その家はみすぼらしく、今にも崩れてしまいそうな様子です。

それでも旅人は扉を叩いて助けを求めました。

すると蘇民将来(そみんしょうらい)という、貧しいが心の優しい主が出てきて快く食事と宿を提供してくれました。
朝になり出発するとき

旅人は「茅(ち)の輪」を蘇民将来に渡して

「これを腰に付けて肌身離さずいなさい。近いうちに疫病が流行るが、これがあなたを守ってくれます」といって旅立っていきました。

この旅人の正体は疫病神で、その後、疫病をもたらしました。茅の輪を持つ蘇民将来は病気にかかることなく生き残りましたが、一方の巨旦将来はすぐに病気になり亡くなってしまいました。


よしおのブログ-八坂神社4 そういうことで、境内には「疫神社」があり蘇民将来が祭られています。


また、八坂神社のお札には

「我は蘇民将来の子孫なり」と記されています。


これは「私は蘇民将来の子孫です。疫病神を丁重に祀ります」という意味です。


さて、この疫病神(牛頭天王)は日本神話と融合して

現在では素戔鳴尊(スサノオ)ということになっています。

八坂神社のご祭神は「スサノオ」ですが、しかしながら、なぜそうなったのか理由はまだよくわかってないそうです。


天上界(高天原)を追放されたにもかかわらず、その天上界で姉アマテラスと喧嘩騒動を起こした上、岩隠れ事件を起こした神様がスサノオなので確かに荒々しいイメージですね。

疫病神と重なる部分もあると思います。


そんなこんなで八坂神社でした!!


おわり