是にまた高木大神(たかきのおほかみ)の命以ち、覚し白さく、「天つ神の御子、此れより奥つ方にな入り幸でましそ。荒ぶる神いたく多し。今天より八咫烏を遣はさむ。故其の八咫烏引道(みちび)きてむ。其の立たむ後(しりへ)より幸行(い)でますべし」とまをす。
(『古事記』 神武の代 熊野より大和へ)
そしてまた高木大神の教えを申し上げますと、「天つ神のご子孫(神武天皇)よ、これより先には決して入ってはいけない。荒ぶる神が多くいる。今、天上界から八咫烏をそちらに遣わせて案内をさせる。その八咫烏の後について進むがよい」とのことでございます。
奈良県榛原の「八咫烏神社」(やたがらすじんじゃ)に参りました。
初代現人神の神武天皇は大和を目指して進軍していました。
しかし、荒ぶる神々がその道に立ちはだかります。
天上界(高天原)の神々はその様子を見て神武に手を差しのべて助けてくれます。
参考:石上神宮http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11500617983.html
そして八咫烏も進軍に苦労をする神武を助けるために天上界から遣わされて来ました。
「八咫」(やた、やあた)というのは、「大きな」という意味があります。八咫烏の場合は「大きな烏」ということです。
また、中国では「三本足の烏=太陽の象徴」と考えたそうです。つまり八咫烏は「太陽の使い」だったのです。
だから現在でも三本足のイメージなんですね。
橿原にて天下を治めることとなります。
階段を上って行くと
千木が付いた本殿が現われました。
ご祭神は「建角身命」(たけつぬみのみこと)で、
この神様は八咫烏の化身だそうです。
サッカー日本代表のマークにも八咫烏が使用されています。
ということで、境内にこんな像が立っていました(笑)
サッカーボールを導く八咫烏です!
どうしても最後に書きたい!
鳥居を通して見えるあの山、「伊那佐山」(いなさのやま)といいます。
この山が『古事記』の「久米歌」に出てきます。
これを紹介して終わろうと思います。
楯並(たたな)めて 伊那佐山の 樹(こ)の間よも い行きまもらひ 戦へば 我はや飢ぬ 島つ鳥 鵜養(うかい)が伴(とも) 今助けに来ね
楯を並べて弓を射る 伊那佐山の 木々の間から 通り抜けつつ見張りつつ 戦っていると 我らはもう腹ペコだ 吉野川の鵜飼の友よ すぐに助けに来てくれ
神武天皇がどのような気持ちで進軍していたかが目に浮かぶ歌ですねぇ。
このように『古事記』を感じることができる八咫烏神社でした。
おわり