(「僕のことをご主人様は時々、策士だと言います。ドッグショーが嫌でどうしても尻尾を立たせなくてショードッグとして諦められたのが、僕の作戦だったんだ、だから今はお前はフリーなんだ、と」と言うビーグル犬まろさんオス9歳)
映画「オッペンハイマー」、これはアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞を受賞しました。
映画「ゴジラ -1.0」、これはアカデミー賞で視覚効果賞を受賞しました。
両方とも、今年のアカデミー賞を何らかの形で受賞したということで、わざわざ映画館の大画面で、低音も良く響く大音響の効果も感じながら見た方が良いと思って、両方とも映画館で見ました。
奇しくも両方とも第二次世界大戦から戦後の時代にかけての時代が...オッペンハイマーは伝記映画的にもう少し前からですが...描かれているので、なにやら日米の感覚が比較できるなと思いました。
勿論、「ゴジラ -1.0」は「怪獣映画」であり、絵空事であり、その絵空事をうまく描いた、というものではあって、「オッペンハイマー」は「原爆の父」と評される一人の物理学者の苦悩と苦労と栄光と挫折を描いたもの、という根本的な違いがあります。その点で同じように比較するのは無理があるのかもしれませんが、なんだかこの両者を見終わって、国民の気質、文化の違い、というものを凄く感じてしまいました。
まず日本映画の「ゴジラ -1.0」、アカデミー賞で視覚効果賞を受賞を受賞したくらいだからそのこだわりの視覚効果というのを見たいものだという興味で見てみたのですが、なかなかに人間のドラマがあり敵への向き合い方も「あーわかる」というものがあり、視覚効果以外の部分もよくできているなあと感心しました。「元」特攻隊員への風当たりとか、戦後の復興とか、そこでの助け合いとか、色々な場面で「いい人」が出てきて助け合ったり、「うんうん、その気持ちよくわかる」って感情移入してうるうるしてしまいそうになった場面もありました。日本人は、基本的に真っすぐ、正直、ちょっと幼稚(?)、わかるなあ、戦後「日本人の精神年齢は12歳」とかマッカーサー元帥が言ったとか言う話が残っていますが、そういうところも込みで、この映画、納得でした。ゴジラの動きだの水しぶきだの破壊シーンだの良くできている、それ以上にドラマとして面白かったのでした。
「オッペンハイマー」、私はあまり「どういう映画か」の予備知識なしで行ったのですが、複雑な人間模様があって、枝葉があって、なかなかにそのドラマに見ごたえがありました。特に、私は学生時代は物理学者を目指していたので、有名な物理学者が主人公「原爆の父」を取り囲むように出てくるのがなかなかに興味深かったです。相対性理論で有名なアルバート・アインシュタイン、初期量子論で主導的役割を果たしたニールス・ボーア、世界初の原子炉のエンリコ・フェルミ、恒星のエネルギー源が核融合だと解明したハンス・ベーテ、水爆の開発者エドワード・テラー、サイクロンの発明者であり、有名なローレンス・リバモア研究所の創立者であるアーネスト・ローレンス、核磁気共鳴や空洞マグネトロンのイジドール・ラビ、その他に話の中でもマックス・ボルンやヴェルナー・ハイゼンベルク等々、その時代の代表的物理学者の多くが出てくるので、なかなかに興味深かったのでした。
オッペンハイマーのストーリーは、原爆開発の「マンハッタン計画」が軸になって、それを指揮したレズリー・グローブズ中将や、アメリカ原子力委員会の議長であるルイス・ストローズ、水爆開発へのオッペンハイマーの抵抗や当時の「赤狩り(共産主義者・進歩的自由主義者追放)」やオッペンハイマーのソ連のスパイ疑惑、等も絡み合って、原子力委員会のオッペンハイマーへの審問や、ストローズの商務長官指名の却下等なかなか複雑かつ陰鬱な雰囲気が全編を覆っています。
「ゴジラ -1.0」はどっちかというと特攻隊だのそれを支えた人だの機雷除去の作業員だのといった「現場」の人たちが、「ゴジラ」という「核兵器の恐怖」を象徴する存在に立ち向かって頑張る、みんないい人というストーリー。
「オッペンハイマー」は野心家で政府に近い人物たち、核兵器開発にかりだされた学者たち、核兵器が大勢の人間を殺すことにおののくオッペンハイマー、オッペンハイマーを取り巻く陰謀、と複雑な人間模様を描くというのを一緒くたにするのもいけないかなとは思うのだけれど、二つの映画を見終わって感じたのは、
日本人って、こんな恐ろしい陰謀の人たち、他国民の命をなんとも思わない人たち、そんな冷酷な人達と戦ったんだなと言うこと。
ゴジラの日本人達が12歳なら、オッペンハイマーはまさに「権謀術数陰謀渦巻く」オトナの物語。
オッペンハイマーが皆の前で日本への原爆投下の成功を話し、ドイツにも落とせたらと言った時にそこにいた人々は狂喜乱舞し称えた、ということ。「アメリカ人の被害を防げた」と言って喜んだアメリカ人たち。日本がそのうち降参するのを分かっていてわざわざ原爆を投下し何十万人死んだというのを成果のように受け取る人々。そういう精神の人たちは恐ろしい。確かに科学者たちはその後、多くが核兵器開発の成功を後悔することになったのかもしれないけど、「ナチスに先を越されてはいけない」ということで開発して、そのまま日本に使ったというのは結局は「自分達だけ良ければそれでいいんだ」という精神の発露のようにも思えます。それが正義なのは恐ろしい。
岸田首相は訪米してなにやら約束をアメリカとしてきているようですが、結局は日本が「道具」とか「捨て駒」とか「アメリカの貯金箱」扱いされるようなことになるんだろうな、と心配です。オッペンハイマーのように陰謀渦巻くアメリカは本当は恐ろしい。