日本は古来から容貌が最重要
ということを養老孟司が指摘している。
が、どうもやはり無視されている。
見かけが日本人でないと差別されるという事実。
昔はよく「外人」と言ったものだ。
「外人」に、見かけがあまり変わらないアジア人は普通含まれなかった(実は台湾の「外國人」もそうである)。
台灣人と歩いていると、oh 有外國人很多
なんていうのだ。見ると、欧米人たちのグループ。私は外國人にはいらないらしい。
それはともかく、この外見主義の根が深いのは、養老先生が東大出版会の理事長のとき出した『日本らい史』が数百部しか出なかったということで、この病気は見かけが変わるから忌避されたという。
知識人も目を背けて、こんな本は売れない。
いや知識人とはまさに臭いものに蓋の人たちなのではないか。
むかし、シャム双生児とよくいったが、ああいう繋がったこどもは日本では出てこないらしい。シャムとはいまのタイ、そう、あのBL大国、タイ王国のこと。
養老先生によると、日本では、生まれると、あるいは生まれる前に密かに処分されていたらしい。
外国では出てくる。比率が日本は異常に低いそうだ。
これほどまでに日本人は外見第一主義ということで、ゲイだけの問題ではなかった。
しかし、ゲイの外見主義は仕方がない。なにか脳と関係がある。
驚くのは、異性愛者の女性で、ものすごい顔の夫と結婚しているではないか。よく平気だなと思ってしまう。
見えないところに取り柄があるはず。
精力が強い、大金持ち、とか。昔から出世するのは、ハゲ・チビ・デブといわれている。
昔は、医師、「ステュワーデス(=室内乗務員)」ぐらいしか女性の働く場所がなく、夫の経済力に頼るしかなかった。
今はかなり違うだろう。
しかし、まだ、夫の経済力をあてにする女性はいるのだろうか。最低年収800万円とか言う人。
夫が低収入でも、自分で800万円稼いでやるからOK、などというたくましい女性がいれば尊敬できる。
それはともかく、かつては夫の顔はどうでも良かったのだが、だんだんとゲイのように外見主義になっていくかもしれない。
ゲイのカップルの場合、収入とかはとりあえずどうでもいいいい、ふつうダブルインカムだろう。
すると、当然、容姿容貌の比重が大きくならざるを得ない。
金のからまない純粋な愛に近い。実家が太いから、お金持ちだから結婚、なんていう取引の要素が減るのだ。
しかし、古来、結婚とはそういうゲンキンな制度だった。
そこへ登場したのが、ゲイで、愛のためだけに同居している。今世紀からは同性婚もできる。
これが、無理に、妥協して結婚している異性愛者の連中には、気に入らないのではないか。



