もう二年前になるが、亡母のことというより、亡母の作ってくれた料理が思い出されてならない。
命日が近いからだろうか。
秋空のせいなのか。
猛烈な太陽フレアのせいなのか。
母の料理はもちろん普通の家庭料理だが、そういうのは店に売っていないから、もう二度と食べられない。
ゲイの場合、男と同居していて、その人が料理をすることがあるだろう。
その場合、同居相手、パートナーが、いわば防波堤となり、亡母の料理は茫茫たる記憶となり、思い出しにくい。
パートナーの有無に関わらず、一人暮らしはそういう防波堤がなく、なかなかつらい。
