自分で「藝術家」ですという人はいない。
同様に、私は「男色家」ですという人もいないだろう。
ゲイです、が一番抵抗がない気がする。
オカマですは、自虐的すぎる。ホモです、も昭和っぽい。
同性愛者です、は医学的(?)すぎる。
第三者が、あの人は男色家だと言うことはできる。
というか、第三者なら、あいつ、ホモだ、オカマだ、と言い放題だろう。
しかし、陰で何を言われているか気にして生きていても、つまり、他人目線で生きていても、生きがいは得られない。
しかし、そんな真理も、自意識が強くなる中高生あたりにはむずかしいだろう。
親が言っても反発するのではないか。
信頼できる先輩あたりが言うのが一番良いだろう。
いま、ゲイの男子を想定して上記のように書いたが、性的指向と関係なく、誰にでも言えることだ。
特に、日本は世間体というモンスターがいて、他国よりも強大だ。
飛行機に3時間40分のって、台湾に行くと、このモンスターは弱くて、小さくなり、生きやすい。
それはともかく、愛煙家、愛妻家、裏千家、演出家、画家、作家あたりは自分で言うのではないか。
私は、愛煙家、愛妻家、裏千家 etc、です、と。
しかし、運動家、活動家、音楽家、機関投資家、鑑定家は微妙。
まして、艶福家は自分では言わない。
私は艶福家です、と言う人がいたら、こっけいというか、こわい。
X 家、はこのように一筋縄でいかないことがわかる。