ナジャ・グランディーヴァの喫茶店を巡る番組をYouTubeで毎日見ている。
面白いと同じものは、五回、六回と見る。
他のタレントも巡っているのだが、小原ブラスしか見ない。
よくオムレツなどを頼んでいるのだが、卵焼きとかが出てくると、亡母も焼いてくれたなー、とかなかなか回想モードにさせられる。
ウインナーはタコの形、りんごはウサギの形にしてくれていたなー、とか。
最後に弁当を食べたのは、高校一年ぐらいだっただろうか。
母の手料理は、実家へ行ったとき、50歳ぐらいまで食べたかもしれない。
皿もろくに洗ったことがない。洗えばよかった。
まして、料理の手伝いなんかしたことは一度もない。
男はキッチンに入るな的なことを言われたわけではないが、すべて母がさっさとやってしまうのであった。
少しは手伝えばよかった、とかなりの罪悪感が今ごろわーっと押し寄せてくる。
あるミディアムに霊界通信をしてもらったら、母がさっそく出てきてくれたのだが、十分幸せだったから、と言った。
こういう慰めの言葉はかえって悲しくなる。
霊界に言葉はないので、テレパシーになる。
孫も見ることができず、どう客観的にみても、あまり幸せなはずがないからだ。
しかし、別のミディアムに言わせると、本人の考えと、周りの考えは一致しない、と。
財産すべて失いました、という人も、霊界、あの世では楽しくやっており、人生に失敗したとは思っていないことがあるとか。
私もいちおうミディアムだから、ココナラとかで相談をしているが、たしかに、恨み言をいうスピリットは聞いた(見た?)ことが一度もない。
それは、遺族を心配させたくないという先祖の配慮なのか、ほんとうにそう思っているのか、まだ確証はえられないが。