何でもアル牢屋 -6ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

驚くべき事に、ウクライナのゼレンスキー大統領は私より3歳も年下だった
75年生まれの世代は、今年50歳の大台に乗る。去年で40代が終わってしまったのである。それ故に去年一年は、それなりに感慨深い年になった。身の周りを取り巻く状況や環境、先行きや健康への不安。振り返れば、こう言った想いは、10代、20代、30代の頃には考えもしてなかった様に思う。40代になって少し考え始めた。何の不安なのか考えてみると、見えない先に対して、あれこれ考える様になる。そして嫌な想像ばかりしてしまう。何故か明るい未来と言うポジティブな気持ちになれない自分が居る。

ふと、ゼレンスキーに想いを巡らしてみる。年下で、今まさに危急存亡と言うか、国を背負い、生きるか死ぬかの毎日を彼は送っている。
ゼレンスキーにとって強烈な不安だったのは、去年のアメリカ大統領選だったに違いない。当てにしていたバイデン大統領が体調不良で副大統領のハリスに変わった時、勢いがトランプに流れるであろう事を予想したに違いない。そのトランプは、大統領になる以前からゼレンスキーに不信感を持っていた。「ゼレンスキーは世界一のセールスマンだ」と言う言葉に込められた痛烈な皮肉からしても、好意を持たれていない事は明らかだった。
トランプが大統領になったら、もう支援をして貰えないかもしれないと言う予感。トランプに痛い所を突かれたのは、カードが無いと言う指摘だった。この際、カードと言う言葉の意味は、交渉のアイテムと言う例えで、ビジネスマン出身のトランプは、何事も取引であり、外交とは、そう言うやり取りが必要であり、その上で互いの腹を探り合い、落とし所を見つけ、損得を考え、納得のいく形で交渉を成立させる。ビジネスに生きる人達なら、それこそが鉄則とも言えるルールなのだと、トランプの交渉術に理解を示すのかもしれない。
事実、ゼレンスキーの此処までの交渉術はプレゼンテーションに近かった。ぶっちゃけてしまえば、無償の援助をしてくれと言う内容だった。この無償の援助に関してゼレンスキーは切り札を持っていた。それは物や金ではない。国同士が交わした<条約>と言うカードだった。
その条約とは、ウクライナが核を捨てると言う条件で、外国が安全保障をすると言う約束だった。その外国の中にアメリカとロシアも入っていた。直後、ロシアは裏切った。裏切ったロシアに対し、アメリカは何も制裁しなかった。ウクライナの領地は次々と武力で切り取られた。ヒラリー、オバマ、バイデン、トランプ、アメリカの大統領達は何もしてくれなかった。ホワイトハウスで起きたトランプとゼレンスキーの歴史的な口論の発端は正にそこだった。

 

 

日本時間の早朝4時過ぎ、私用を終えてテレビのチャンネルをNHKに回した所、偶然にもホワイトハウスで行われたゼレンスキーとトランプの安全保障をめぐる記者会見を放送していた。放送は生ではなく録画だったが、日本の何処のテレビ局よりも、いち早く放送したのはNHKだった。
キーワードになった<安全保障>と言うのは、時の大統領の気分で変わっていいモノではなく、国と国との約束として考えなければならない筈で、ウクライナが核を廃絶した時点で、非武装となったウクライナが外国によって守られなければならない事が成立しているので、「俺は知らん。前の大統領達が決めた事だ」と突き放すのは詐欺行為に近いのではないか。
要するにゼレンスキーは裏切られた被害者の立場で、条約にアメリカが関わっている以上、そこに関してはどう請け負ってくれるんだと怒気を含んだ物言いになったのは自然な反応だった。

会見後の世界の殆どの反応はゼレンスキーを評価した。アウェイと言う立場でありながら、ゼレンスキーは現状と状況と、これまで経緯を嘘偽りなく正直に訴えた。
 

トランプとゼレンスキーのやり取りは、判り易く例えれば、金持ちが貧乏人に「俺達が恵んでやってるから御前等は生きてられるんだろう?」と言うニュアンスに近い響きがあった。でなければ、昔の日本の親父たちが発した「誰の御蔭で飯が食えてんだ」と言う響きにも近い。あの会見は見ようによっては親子喧嘩みたいでもあり、実際、二人の年齢差は親子に近い。
世の中には、喧嘩して仲良くなると言う展開も実際ある。何故そうなるか?と言うと、喧嘩ほど相手の人物が見えるモノは無いからだろう。その時は互いがヒートアップしていても、時間が経てば冷静になり、その喧嘩がどう言う類のモノであったのかが見えてくる。

喧嘩相手が何を言いたかったのか?

何を訴えたかったのか?

何を求めたのか?

ジックリと煮込んだ旨いシチューの様に味わいのある喧嘩であった事にジワジワと気付いてくる。そうやって気心が互いに知れて来る。
ウクライナにとって最良の展開とは、頑固親父のトランプが「ゼレンスキーの小僧は中々やりおる。面白いから手を貸してやるか」となれば、不名誉な会見が一変して、歴史的な名誉ある会見となるに違いないのである。

 

 

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日本の芸能史に残る事件になったフジテレビの10時間半に及ぶ記者会見から約一か月。あれからフジテレビは変われたのかどうか。変われたんだとすれば何がどう変わったのか。
フジテレビが今、一番しなければならないのは、目に見えない反省よりも、見て判る努力何だと思う。報道担当のアナ達が口を揃えて私達は変わらなければなりませんと言ったって、視聴者に見えてなければ意味が無いでしょって事なんだよ。この際、見えない努力をしたって世間様からの信用は戻ってこない。ある種の覚悟が見えてこないのが問題なんだろうなと言う事。

で、世間の反応はどうなのか?と客観的に見てて感じるのは、段々と熱が冷めてきて、どうでもよくなってきてるのかなと。プロ野球のシーズンが近づき、日本にとってはどうでもいいメジャーリーグの話題と、大谷の過熱報道が話題を独占し、これを書いてる今現在はと言えば、ウクライナとロシアの停戦交渉が緊迫化し、アメリカのトランプ大統領の発言が色んな意味で世界中をヒートアップさせていると言う状況。
フジテレビの調査期間が3月下旬との予定だそうだが、この世間の調子だと、そこまでの期間までにほとぼりが冷めて、注目度も落ちてるだろう。

一部、変化が見られた動きや番組もある。まず、フジのアナウンサー達によるオチャラケがピタっと止まった。具体的には公式サイトでのアナウンサー達のワイワイ動画の更新がストップした。流石に、この雰囲気の中でやりずらいのだろう。この状況下でアナ達のスキャンダルも拙いので、各自、派手な行動は控えてくれと言う指令が出るのは当然とも言える。家と職場の往復と言うアナ達も多いのだろう。
フジテレビの側に立ってみると、今現在、苦境な立場なのは事実だけど、なるべく以前と変わらぬ振る舞いをして、暗くなったり、冴えない表情を見せるのを辞めましょう。平常心を心掛けてテンションを維持してやっていきましょうと言う方針にならざるを得ない。
こう言ったメゲない姿勢が逆作用して、外から見てる側が感じてるのは「反省してないんだろう」とか「ほとぼりが冷めて皆が飽きるのを待ってるんだろう」とか、火に油と言う現象を引き起こしてしまっている。

個人的に注目したのは、月~金曜日の夜の報道番組「ライブニュースα」
私は、この番組の固定の視聴者で、ニュースを観ると言うよりはメインキャスターの堤礼実を観るのが目的になっている。だから以前、このブログで堤の記事を書いた過去がある。それで、例の長時間・記者会見の後、この番組特有の売りであった堤と海老原の過剰な画面アップが無くなってしまった。
この演出、巷では話題になっていたのだが、実の所、去年からフジテレビ審議委員会で議題になっていた。行き過ぎた演出って事で役員から批判が出ており、そこに拍車を掛ける様に例のフジテレビの接待&上納疑惑が上がったので、もはやこれまでって感じで、アップを辞める事になった。
だが、この番組が拙いと思うのはソコではなく、オープニングとエンディングの演出である。担当アナの堤礼実と海老原優香がオープニングの横顔アップからトコトコ歩いてきてペコっと挨拶する。この演出がドキッとするのは、キャバクラのキャバ嬢が御客様を出迎える時にする営業スタイルを彷彿させるからである。何を訴えたいかと言うと、これこそが<接待>と<上納>を想起させる社風なのではないかと言う事。
こういう状況下の場合、こう言った演出は即日の内に辞めるべきで、別に出演者に罪は無く、変える必要は無い訳だから、シレっと演出を変えてしまえば何の問題も無い筈にも拘わらず、変えようとしないのは何故なのか?と疑問に思う。私がプロデューサーやディレクターだったら、その日にパッと変えるだろう。臨機応変であってイイ筈なのに、何故、頑なに続けるのか。
調査期間中と言うタイミングもあり、もしも堤と海老原が、この演出に違和感を感じてるなら絶好の機会な訳で、二人が同時に訴えて「あの演出は嫌なんです。報道番組で、どうしてあんな演出が必要なのか私達には意味が判りません。何とかして下さい」と声を挙げれば流れが変わるだろう。
当事者たちの想いとは別に、裏方が無理やりやらしていると言う状況が拙いのであって、逆らえば番組を下ろされる、干されると言う仕置きが待っているとなると、どうしたって委縮するのは自然な成り行きだろう。その際、降板の理由なんて幾らでも後付けは出来るし、出演者の異議申し立てに対してキレました。だから下ろしてやりましたなんて事は公表される筈も無い訳だから。

こう言った此処までの流れを客観的に見てて感じる事は、フジテレビと言う会社は上層がどうとか、日枝だがどうとかと言うよりも、番組のプロデューサー、ディレクター達に、頑固で偏屈な人が多いのと、出自が不明なオタク気質が多い事が判ってくる。
放送業界は必ずしも、子飼いのPやDでなくてはならないと言う決まりはなく、外から連れて来て採用と言うケースもあるだろう。報道番組のPやDが報道出身である必要は無く、つい最近まで<お笑い>をやってましたと言う人も居る筈で、ライブニュースαみたいな番組は、報道と言う枠には居るが、その実、エンタメとバラエティーを混合して報道で中和したタイプなのかもしれないのである。そうであれば、こう言う状況の中で、接待と上納を想起させる演出を頑なに辞めようとしない理由も「ああ、だからか・・・」って感じで腑に落ちてくるのである。

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給食費&授業料の無償化問題に関して個人的な意見を書かせて貰うと、タダ飯を食わせ、タダ勉を施す政策を良い政治とは言わないと思う。
まず続かない事は目に見えている点が一つ。後になって「やっぱり給食費は払って下さい」とか「学問の道は金が掛かるのです」とか言って、ガッカリさせる訳だから。もう一点は、人間が駄目になっていくと言う感覚的な事なんだけども、残念ながら人間と言う動物は環境に満たされると傲慢になる。傲慢になると増長する。日本がやろうとしている政治は国民への甘やかしである。この政策は極端過ぎる。今の額が辛いならば、額を引き下げて国民の負担を減らすのが政治の道だろう。
政治家の話を聞いてると、無償化をする事が少子化対策に繋がるみたいな事を言ってるけど、そうじゃないでしょ。少子化の根本的な原因は、日本人が家庭を持つ事に自信を無くしてると言うのが本当の所でしょ。これを本気で対策しようと思たら、日本の独身貴族を責め立てる必要が出て来る。

 

何でアンタ達は結婚して子供作らないんだ!

 

そう責め立てられて次に返ってくる言葉は、多様性ですからって便利な言葉。だったら少子化って言うのも一種の多様性なんだよ。だったらいいじゃないか、少子化でもって結論になる。

日本と言う国が危ういのは、少子化して人口が減る事なんじゃなく、子ども合わせの国造りをしようとしてる所で、子育てと言うプライベートに政治が介入する事自体が間違ってると思う。
不平等が不幸を招くとか思ってる人が勘違いしてるのは、不平等こそが世の中のパワーバランスの象徴何だよって事で、不平等があるから人は懸命に生きていこうと生きる活力が湧いてくる訳で、平等で満たされれば人は活力が枯渇するって事なんだよ。

SEXして中出しすれば必ず妊娠する訳ではなく、女の卵子も人それぞれ固有の数の分だけしかチャンスが無いと言う現実もある。何処の国に、タダ飯とタダ勉に惹かれて子供一杯作りますなんて人が居るんだよ。子供が生まれるって、そう言う事じゃないだろう。

極論として、大人を救えば子供も救えるって事。何故ならば、子供は単独で活動してる訳じゃなく、大人の管轄内でしか生きられない生き物だからなんだよ。
例えば、鶏が先か?卵が先か?なんて論争があるけど、卵が自分で自分の身を守れますか?って話で、少なくとも卵を守れるのは親鳥しかいない。違う例えなら、断崖絶壁の縁にぶら下がってる大人を非力な幼児が引き上げて救えますか?って事。これが逆の状況なら大人は幼児を容易に引っ張り上げる事が出来るだろう。政治の世界も同じで、まず子供を救って大人は後回しなんて政治は本末転倒としか言いようがない。

そこで私は穿った考えに囚われる。もしかして、子供を人気取りの為の道具に使ってないか?って事。

外国はどうか知らないけど、日本と言う国は子供を味方に付ければ大人が釣れると言う文化がある。

大抵において、親と言う存在は子供の味方をする。芸能メディアでも、子供に好かれたタレントは大人も味方につけるパターンが多い。ガキ相手と言ってしまえばそれまでかもしれないが、子が抱く興味を親も共有するケースが多いようだ。
そこに政治が目を付けるなら、まずは子供を味方に付けろ。そうすれば漏れなく親が釣れると言う発想に至る。給食費と学費の無償化は、その為の計略としか私には見れない。何故ならば、この政策に、まんまと喜んだのは親達だったからだ。
子は未来の宝とは言うが、その未来の宝が一丁前になるまで気の遠くなる年月を要し、その為に今を時めく大人達の犠牲を払い続ける日本のこれからの政治って、如何なモンなんだろうか。

 

 

 

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ブログの管理者として定期的にアクセス解析をしているのだが、有難い事に八つ墓村の記事が大好評の様で、数字を伸ばしている。我ながら何故、こんなに数字が伸びるんだろうと不思議に思うし、松竹・八つ墓村がプチブームにでもなってるんだろうか?と考え込んだりする今日この頃。
それで、読んでくれてる皆様の為に、今回は松竹版・八つ墓村に関連した動画を紹介していこうと言う次第。77年作と言う事で、新しい発見と言う材料を探すのも中々難しい訳だが、動画の世界では、この作品を愛してやまない方々が、それぞれの想いで配信してくれている。ファンの私としては嬉しい限りである。
三本の動画を紹介したい。只、貼るだけでは芸が無いので、私なりに動画への解説を書いていきたい。

 

 

 

 

かなり面白かったなと思ったのが、総合格闘家の扇久保博正(おうぎくぼ ひろまさ)と言う人の八つ墓村・解説。プロフィールを調べてみたら、87年生まれの今年38歳。動画によると、八つ墓村との最初の出会いは小学2年生の時で、無理やり親父に見せられたのが切っ掛けだったそうな。
一番怖いシーンが落ち武者惨殺の場面だと語っている。夢で見るほどのトラウマになったと語っているが、その気持ちは松竹・八つ墓村ファンとして判る。動画の中で、夏八木勲が演じる落ち武者の大将・尼子義孝の壮絶なシーンの真似を披露してくれている。そのシーンの解説も去る事ながら、尼子義孝に対する愛情を感じさせてくれる。
この映画が大好きな人は、落ち武者惨殺のシーンに魅了され、何度も巻き戻しをして観ると言う共通の行動を起こす。無論、私もその一人である。田中邦衛の首が跳ね飛ばされた時、思わず「あっ、死んだ!」と思わず声が出てしまった人も多いのだろう。
夏八木勲の尼子義孝も魅力的で、他の八つ墓村においても必ず落ち武者惨殺の回想シーンは入るのだが、松竹版以外は魅力が無い。何故、そう感じるのかと言うと、八つ墓村における落ち武者の存在意義を制作サイドが、どの程度意識してるか?と言う想いの問題であり、松竹版以外の落ち武者惨殺シーンに魅力を感じないのは、そう言う愛情的な部分の細やかさが足りてないからだろうと思う。
それと、解説する扇久保君の<尼子の将軍>と言う表現は新鮮だなと感じた。大体の場合、落ち武者の大将と言う表現のされ方が一般的だが、将軍と言う表現を使った人は扇久保君が最初じゃないかなと思う。
後、所々で間違いはあった。多治見要蔵を森要蔵と言ってしまったり、尼子義孝が止めを刺されるシーンは首を跳ねられたのではなく、庄左衛門の下段構えからの走り斬りで絶命が正しい。おそらく、市川崑監督の豊悦版・八つ墓村と混同したのかなと思う。こちらの方では、扇久保君が解説した通りの展開になる。
総体的に判り易く、愛情っタップリで本当に好きなんだなと伝わる解説であったと思う。この映画を初見ならば、非常に興味を惹かせるだけの解説力だったと評価できる。

 

 

 

 

松竹版・八つ墓村は動画で大人気の金田一映画で、数えきれないほどの方が解説をしてくれてるのだが、中でも参考になった動画配信が、<推理なぼくら>と言う二人組の解説。
個人的に存じ上げないが、業界の方々なんだろうか。話を聞いてると業界の事情や撮影に関する技術論に長けていて、その辺が他の配信者と違うのかなと感じた。配役の事情に関しても詳しく、特に多治見辰也を演じた萩原健一の話で、彼が何故、抜擢されたのか?と言う事情に関して、面白い話が聞けた。話によれば、私生活の萩原と作品の辰也の境遇と生き様が不思議なほど被るのだと言う。その辺の事情を知る脚本の橋本忍が強く推薦したのではないかと二人は推察する。事実は判らないが、こういう推察や考察は非常に面白いと思う。
二人の評論&解説で面白いのは他の同作品との対比で、あっちではこう言う風に、こう言う見せ方をしていたけど、こっちはどんな感じなのか?と言った風な解説で、観てて飽きない不思議な魅力がある。
二人は熱狂的な江戸川乱歩と横溝正史のファンらしく、映画だけでなく原作の方の知識にも長けているようである。これを書いている時点で、犬神家の一族、八つ墓村、悪魔が来りて笛を吹く、獄門島、病院坂の首縊りの家の解説を観たのだが、期待を裏切らず、どれも面白い。一本当たりの尺が15分前後で、作品によっては何篇かに分けて配信しているのだが、もっと長く観たいなと思わせる解説力がある。
二人によれば、まだ解説してない金田一映画のメジャー作品も、その内やってくれるそうだ。残りは女王蜂、悪魔の手毬唄、本陣殺人事件、悪霊島となる訳だが、一本当たり最低でも30分はやって欲しいなと思う。
八つ墓村の解説動画は四編に分けられているので、此処では最初の一篇を貼っておく。続きを観たい方は順次追って観て下さいと言う事で。

 

 

 

 

最後に紹介したいのは、松竹版・八つ墓村のロケ地巡りの動画
ファンとして、素直に凄いなと思う。自費で現地へ足を運んで、映画の中のあの場面、この場面で使われた場所の写真を撮って回る。見てみれば確かに見覚えのある風景で、当時の面影も幾らか残っている。それだけで感動を覚える。
動画の中には、冒頭で落ち武者が峠から見下ろすシーンの撮影風景の写真が出て来る。手前に映っている後姿の落ち武者は稲葉義男だろう。耳の辺りをよ~く見ると眼鏡のフレームが見える。眼鏡を掛けて遠景を眺めているんだろうか。その稲葉に笑顔で話し掛けている落ち武者は姿 鉄太郎(すがた てったろう)と言う俳優。作中では落ち武者惨殺のシーンで目に竹ヤリを刺される落ち武者と言えば判るだろう。一番奥に見える陣羽織を着た落ち武者は尼子義孝を演じた夏八木勲である。よく観ると笑顔で誰かと話しているのが判る。劇中での夏八木勲の尼子義孝はカッコ良かったり、怖かったり、様々な表情を見せてくれて、大変魅力的である。
これは大変珍しい写真である。私は初めて見た。こんな写真を、どの経由で入手したんだろうか。ファンとして、この映画の撮影秘話や撮影風景と言った関連資料は興味が尽きない。
ロケ地巡りと言う大変過酷な行動をされた動画制作者に頭が下がる思いである。素晴らしい!

 

 

 

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フジテレビと中居正広の事件。此処で今更、細かい事を書く気は無いんだけど、この事件を一言で表すと<据え膳食わぬは男の恥>って事なんじゃないかと思う訳。
この諺、女性にとっては気持ちのイイ諺じゃないんだけど、敢えて説明をさせて頂く。据え膳と言うのは女性の例えで、つまり女性は男と違って、SEXをする時に準備が多い。男はせいぜい歯磨きと体を洗う程度だけども、女はそれ以外にもする事が多い。勝負下着、化粧、ムダ毛の処理、こう言った準備は男は余り縁が無い。
SEXで体を預ける側の女は、心身共に身綺麗にして男の前に現れる。そう言う苦労をして、一大決心の覚悟を決めて男の前にやってきた女の心意気を買う為に、男は無下に断ってはいけないよと。断る事は女に恥をかかす事になるから、遠慮なく頂きなさいと言う諺なのである。
SEXに対する女の覚悟と言うのは、今も昔も変わらないと私は思う。やる側の男、やられる側の女と書いてしまうと乱暴だと思われるかもしれないが、SEXと言う行為自体が、そう言うシステムなのでどうしようもない。
いざ、据え膳を置かれた時、男の気持ちは揺れ動くだろう。食べてしまっていいのか?それとも断るべきか?それを頂いた時点で、次に起きる展開はどんな風になるんだろう。快楽の次に待つ困難。もしかしたら身を亡ぼすかもしれないと言う不安と恐怖感。それでも男の一物は隆起し、耐え難い興奮を覚える。

中居正広は、どうだったのであろうか。

9000万円と言う具体的な示談金が様々な憶測を呼ぶ。示談金としては普通ではない額である。
示談金を受け取ったフジテレビの女性社員というのが女子アナなのか、それとも裏方の女性なのか。姿を見せない所から察するに、もしかしたら妊娠したのかもしれない。中居が女性との事でフジテレビの何者かに相談を持ち掛けてきた事は、会見の席で社長の港浩一が公表している。その相談とは、もしかしたら女性社員が妊娠した事に対する示談の持ち掛けだったかもしれない。この一件が約2年前と言う時間の経過から考えても、もしかしたら女性は、こっそりと出産してる可能性もある。妊娠期間を悟られない為の退社と考える事も出来る。その為の養育費と口止め料が9000万なのかもしれない。

フジテレビの第三者機関による調査と言うのも、白々しさは感じる。と言うのも、中居と女性は示談と言う絶対的な法で決着をした訳だから、事件では無いし警察機関が介入してくる事は無い。世間体とは別に、その辺の妙な安心感をフジテレビは持っているのは事実で、後は道徳だとか正義だとか誠意と言った精神論しか攻められ所が無い訳で、そこさえ乗り切れれば元の鞘って事になる。何よりも、世間と言うのは、すぐ忘れるのである。耐えるだけ耐えて待つ。そこが狙い所なんだろうか。

接待と枕営業が、フジテレビにあるのかどうか?
あるとしたら、いつからなのか?
どの時代の、何と言う名の女子アナが、そういう経験をしたのか?
何処まで遡ればいいのか?
途方も無い調査である。有名な事だが、女子アナの発祥の地はフジテレビである。その起源は80年代で、当時、露木茂(つゆき しげる)と言うアナウンス部の幹部が居て、アナウンサーらしからぬ商売の才能を発揮し、フジテレビの繁栄に大いに貢献した。女子アナと言う文化を作った張本人である。
 

民放局は、そもそもが脆弱な媒体だった。東京に点在するキー局は、各々が放送の免許を取って勝手に立ち上げた会社だった。いわゆる広告塔。広告塔の役割は、コマーシャルを流す事である。だが、コマーシャルしか流さない放送を誰が見続けるのか?そこでCMとCMの間に<番組>が作られた。民放局と言うのは、番組が先なのではなく、CMが先であり、番組とは何かというと、視聴者へのサービスなのである。
 

しのぎを削る民放局で、どうすれば他局を出し抜けるかが課題となった。そこで登場するのが女子アナだった。美女で客を釣ると言う想いもよらない発想と奇策を思い付いたのは、露木茂と言う放送業界の稀代の大軍師だった。
今も昔も、フジテレビの女子アナは何処か他局と違う雰囲気がある。水商売が持つ特有の水っぽさと、何処か軽そうなギャルっぽさを持つ人が多く入社する。何故、そう言う雰囲気を持つ人を好むのか?と言うのも、献上品としての品質を選んでいたのではないか?と言う憶測も出来る。
不思議と女子アナ達も抵抗はしなかった。彼女達の中に、女子アナと言うポジションに何処か卑猥なモノを感じた部分があり、その卑猥さと共存する事が普通になってしまったとも言える。原稿を読みに入社したのではない。放送業界に芸能界があると言う夢を抱いて登竜門をくぐる。その先に桃源郷がある事を信じて疑わない女が、女子アナを目指すのである。

 

女子アナとは一体何者なのか?女性社員を何故、女子アナと呼ぶのか?同じ社員にも拘わらず、選り分けられる特殊な特権階級を持つ女子アナウンサーと呼ばれる職種の人達。

現在、事態は大騒ぎになってフジテレビ存亡の危機と言う段階まで来ている。第三者機関による調査も、最低でも半年は掛かりそうだと言う。半年も、こんな状態でフジテレビは持つのかどうか。この際、露木茂に御登場頂きたい。調査と言う事であれば調査対象に入れても不思議はない人だと思う。私は問いたい。貴方は何の為に、どう言う目的で女子アナと言う文化を作ったんですかと。彼女達は何者なんですかと。

 

 

 

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